第十三話 異世界転生には女神がセットです
昼近くまで道場で汗を流した晴翔は、帰り支度の為、道着から私服に着替えたところで、石蔵に呼び止められる。
「晴翔、ちょっと頼みたい事があるんだが」
そう言う彼の手には、ケーキを入れるような白い厚紙で出来た箱があった。
「ん? 何ですか?」
「いや、これなんだけどよ。あ、雫! お前も来てくれ」
石蔵は近くを通りかかった雫も引き留める。
「何ですかカズ先輩? 愛の告白ですか? ごめんなさい私はハル先輩一筋なので」
ケロッとした表情で言う後輩に、晴翔は苦笑を向ける。
「もう少し恥じらいを持って言ってくれたら俺も少しはグッとくるかもしれんけど、そんな真顔で淡々と言われてもなぁ」
ため息混じりに晴翔が言うと、雫は少し腰を捻り首を傾げて科を作り、晴翔を上目遣いで見る。
「どうですか? グッと来ます? 悩殺されました?」
「……雫はまずポージングの前に表情筋のトレーニングをしろ」
「ハル先輩は女を自分色に染めないと気が済まないんですね。困ったもんです」
「おーい、お前ら。そんなコントやってないで、俺の頼みを聞いてくれ」
晴翔と雫の2人の会話に、石蔵が呆れ顔で割り込む。そんな彼に、晴翔が真面目な顔を向ける。
「カズ先輩の頼みなら何でも聞きますよ。で、今回はどこの組を潰すんですか?」
「なんなりとお申し付けください、若頭」
晴翔の悪ノリに、雫もノリノリで乗っかってくる。
普段、彼女は無表情なせいで誤解されがちだが、結構ノリの良い性格をしていて、こうやって晴翔のおふざけに合わせてくれる。
「お前らなぁ……いい加減にしろよ?」
石蔵は揶揄ってくる後輩2人に凄んでみせる。強面の彼を知らない人であれば、子供どころか大人までもギャン泣きしてしまいそうな程に迫力がある。
しかしながら、昔からの付き合いである晴翔と雫は平然とした表情で、石蔵の睨みを受け流す。
それどころか、雫に至っては更に石蔵を揶揄うような事を言う。
「よっカズ先輩。強面ガン付け日本一!」
「誰が強面じゃ! はぁ……まぁいいや。取り敢えず2人にこれ食って欲しいんだよ」
そう言って石蔵は手に持っていた箱からミニサイズのフルーツタルトを取り出した。
「え? これ食べていいんですか?」
「カズ先輩、私はこんなもので釣られる安い女じゃないですよ」
「おう、食べてみてくれ。ってもう雫は食べてるじゃねぇか。安い女だな!」
隣でムシャムシャと瞳を輝かせてフルーツタルトを頬張る雫を横目に、晴翔も一つ手にとって食べてみる。
「――つ!? これめちゃくちゃ美味しいじゃないですか! どこの店で買ったんですか!?」
その美味しさに晴翔は目を見開く。
しっかりとした甘さを感じるカスタードクリームは、口に入れるとフワッと卵の濃厚な風味が鼻に抜け広がる。その後にフルーツの程よい酸味が、クリームの甘さを洗い流してサッパリとした後味になる。タルト生地のサクサクとした食感もとても良いアクセントになっていて、晴翔はあっという間に一個食べ終わってしまった。
隣を見てみると、雫はすでに2個目を完食しようとしていた。
「こんなフルーツタルト売ってるケーキ屋この辺にありましたっけ?」
「あ〜、いや。実はこれ……俺が作った」
「え?」
「ぐふっ!!」
石蔵が放った衝撃発言に、晴翔は口をぽかんと開け、雫は3個目のフルーツタルトを喉に詰まらせる。
「え!? マジっすか!? これを? カズ先輩が??」
「砂糖すらも塩に変えてしまいそうな凶悪顔のカズ先輩が、こんな、こんな……」
「凶悪顔じゃねぇし、俺はそんな特殊能力持ってねぇ!!」
何とも失礼な後輩達の反応に、石蔵は語気を荒げる。
「いやでもカズ先輩、これはかなり美味いですよ。店に並んでてもおかしくないクオリティです」
「お、おう。そうか?」
晴翔の言葉に、石蔵の怒りはスンと治る。
「確かに、これはすぐにお店を開けるレベル。店名は『ギャップオブライトニング893』で決まり」
「よし雫。いっちょ俺と組手をやろうじゃないか」
「あ、私家のお手伝いしないと」
迫り来る石蔵から逃げるように、雫はそそくさと道場と隣接している自宅へと逃げ込んでしまった。
「全くあいつは、黙ってりゃ可愛いのに、勿体ねぇ」
「まぁ、あれが雫ですから。逆に大人しくて冗談も言わなくなったら、それはそれでちょっと怖い」
「確かにな」
晴翔の意見に石蔵も同意する。
「にしてもカズ先輩のフルーツタルト美味しかったですよ。いつの間にあんなにお菓子作りの腕を上げたんですか?」
石蔵の趣味がお菓子作りだと知っている晴翔は、彼の作るお菓子がもともと美味しいことは知っていた。しかし、今日食べた物は今までよりも数段クオリティが上がっていたような気がする。
「いやぁ、今の時代ネットで調べればレシピなんていくらでも出てくるし、動画とかも見れるだろ? それでちょっと、本気で菓子作りを勉強してみた」
「へぇ、凄いですね。今度俺にも菓子作り教えて下さいよ。俺、洋菓子系はあまり作った経験ないんで」
「おう、いいぜ。今度一緒にケーキでも作ってみるか」
「いいですねそれ。あっと、俺もそろそろ帰ります。家の買い物した後にバイトに行かなきゃいけないんで」
道場の壁に掛けてある時計を見て晴翔が言う。
朝に祖母に言われた納豆を買いにスーパーに寄った後、夕方には東條家の家事代行へ行かなければならない。
「そっか、晴翔は夏休みにバイト始めたんだっけか」
「そうなんですよ。それじゃあカズ先輩また今度」
「おう、バイト頑張れよ」
晴翔は石蔵へ挨拶した後に道場を後にした。
道場を出てスーパーに向かう道中。晴翔は先程食べた石蔵作フルーツタルトを思い返していた。
「タルトとか作ってあげたら涼太君喜びそうだな」
無邪気に笑う涼太の姿を想像して晴翔は口角を上げる。
「茶碗蒸しとか、おはぎは美味しく作る自信あるけど、洋菓子系はまだちょっとなぁ」
ケーキ等の作り方自体は知っているが、それだけで美味しく作れるほどスイーツ作りは甘くないと言うことを晴翔は知っている。
「食べたらあんなに甘いのに」
晴翔はしょうもない事を呟きながら、スーパーに向かう。
真夏の昼過ぎ、容赦なく照りつけてくる強い日差しの中で、じっとりと汗をかきながらスーパーに到着した晴翔。
入り口の買い物カゴを手に持って店内に入ると、ヒンヤリと冷たい空気に包まれ、晴翔はほっと一息つく。
「ん? 意外と人が多いな」
晴翔の感覚では、昼時を過ぎたスーパーは人が少ないイメージがあったが、今は夏休み期間中だからなのだろうか、意外と人が多かった。
晴翔は目的である納豆を買おうと店内を進んでいると、ふと張り出されていた広告が目に入った。
「お? タイムセールをやるのか。だから人が多いんだな」
人が少なくなる時間帯にタイムセールをやって集客力を上げようというスーパーの戦略なのだろう。
「どれどれ、何かいいもんはあるかな?」
広告に近づきチェックする晴翔。
どうやら今回のタイムセールの1番の売りは肉らしい。
「牛バラ切落とし100gで128円か……う〜ん。安い、安いけど……飛びつくほどでもないなぁ」
晴翔は広告の品にいまいち魅力を感じない。
先程まで猛暑の中を歩いていたせいで食欲が減退している為か、肉自体に魅力を感じない。
「他には何か……あぁ、調味料も安くなってるのか。家の調味料の残り確認しとけば良かった…ん? んんっ!?」
言葉の途中で晴翔はカッと目を見開き、広告の一点を凝視する。
「胡麻油、78円……だと?」
安い。安過ぎる。
胡麻油は晴翔の中では高級品に分類されている。
スーパーのオリジナルブランドなどの格安商品でも200円から300円はする。皆がよく知っているような有名ブランド品を買おうものなら、それだけで500円玉が一瞬で消し飛んでしまう。
そんな胡麻油だが、使い道はとても多い。
胡麻の香ばしい匂いは、食欲の減る夏場でも強制的に食欲を復活させるほど力があり、野菜炒めや炒飯の仕上げにサッとかけるだけで数段美味しくなる。
熱帯夜の蒸し蒸しとした夜には、冷奴の上にキムチを乗せ、その上から胡麻油を掛けて食べるのも絶品だ。
「これは買いだっ!!」
晴翔は急いで胡麻油のある売り場へと向かう。
息も絶え絶えに、商品棚に陳列された胡麻油の前に立つ晴翔。彼の瞳に映るのは、黄色い紙に書かれた大きな数字。それは紛う事なく78。
「いったい……いったいこの世界はどうなっているんだ」
驚愕の値段に思わず狼狽えてしまう晴翔。
「胡麻油がこんなに安いなんて……は! ここは別世界! これが噂に聞く異世界転生というやつか!!」
と何ともアホ臭い事を呟きながら、晴翔は陳列された商品に手を伸ばすが、ハッとある事に気付きその手を止める。
彼の視線は、広告の値段の下に書かれているとある一文に突き刺さっている。
「お一人様一品限り……くっ、またお前か」
まるで魔王を前にした勇者のように、憎々しげな目つきで一文を睨む晴翔。
『お一人様一品限り』は全主婦の敵だ。
世の主婦達はこの強敵を倒すために、友達や親戚を召喚して立ち向かう。
晴翔も素早くスマホをポケットから取り出し、尋常ではない速度でタップして、助っ人を召喚する。
耳に押し当てるスマホからは、晴翔の心情とは裏腹にのんびりとした呼び出し音が響く。
おそらく今、ライバル達は目玉商品である牛バラ切落としに夢中になっているはずだ。
その間に何としてもこの胡麻油を確保しておきたい。
早る気持ちを何とか落ち着かせて、相手が通話に応じるのを待つ晴翔。
数秒後にやっと繋がり、晴翔の耳に親友の呑気な声が届く。
『よっす〜、なんかあったか?』
「今暇か!? スーパーに来れるか!?」
『おおう、なんか圧が凄えな。もしかしてまた例のアレか?』
「そうだ! 今日のは絶対に逃したくはない!!」
晴翔はこれまでにも幾度となく友哉を召喚して、強敵である『お一人様一品限り』を乗り切ってきた。
つまり彼は親友であり戦友でもあるのだ。
だがしかし、その戦友から芳しくない返事が返ってくる。
『あぁ……わりぃ、俺いまバンド仲間とスタジオで合わせ練習してて……」
「……そうか、いや、悪かったな邪魔して。俺のことは気にせずに、練習頑張ってくれ」
『お、おう。なんか、その、ごめん』
相当落ち込んだ声を出していたのだろう、友哉が心底申し訳なさそうに謝罪してくる。
「いや、いいんだ。友哉は悪くない。じゃあな」
晴翔はスマホの画面をタップして通話を終了する。と同時に大きなため息を吐いてしまう。
「はぁ〜、まぁでも一本は買えるわけだし、それで納得するしかないよな」
晴翔は商品棚から一本だけ胡麻油を手に取ると、それをポトンと元気なく買い物カゴに入れる。
「はぁ、納豆買って帰ろ」
トボトボとした足取りで歩き出す晴翔。
そんな彼の背後から、声が掛けられる。
「大槻君?」
その声に、晴翔は振り返り、そして思い出す。
異世界転生には必ずと言って良い程に登場するものがある。
それは女神である。
勇者に強大な力を与え、時にピンチから救い出してくれる女神。
いま晴翔の目の前にも、その女神が現れた。
『お一人様一品限り』という魔王に挑むも、力及ばず力尽きた晴翔の前に。
再び立ち上がる力をくれる女神が。
「あぁ! 東條さん!! あなたは女神だっ!」
「ふえぇっ!?」
晴翔の謎のテンションと言葉に、綾香は思わず変な声を出してしまった。
お読み下さりありがとうございます。




