第百二十三話 デートしよ?
カラオケ店からの帰り道。
夏休みの頃よりも長く伸びるようになった影を二つ並べて、晴翔と綾香は家に向けてゆっくりと歩く。
「カラオケ楽しかったね」
「だね。綾香の歌、凄く良かったよ」
晴翔は綾香の言葉に同意して頷いた後、彼女の事を褒める。すると綾香は少し頬を染めて「えへへ」とはにかむ。
綾香が口を滑らせて、二人でホッキーゲームをしていた事がバレてしまい、咲と雫に全容を暴かれて、散々揶揄われるという事件があったが、それでも久しぶりのカラオケは、晴翔にとっても楽しいものであった。
「晴翔君も格好良かったよ? 私は演歌よくわからないけど、凄く上手だなって思ったし、もっと聞きたかった」
瞳を輝かせてそう言ってくる彼女に、晴翔は僅かに恥ずかしそうな笑みを浮かべる。
「ありがとう。演歌はさ、昔よくじいちゃんが聴いててさ」
晴翔は視線を茜色の空に向け、昔を思い出すように話し出す。
「それで、俺が演歌を歌うと嬉しそうに聴いてくれたんだよ。だからさ、もっとじいちゃんを喜ばせたくて、演歌を聴きまくって練習したんだよね」
「晴翔君、健気だね」
「ははは、小学校の低学年の頃の話だけどね」
「そうなんだ。お爺さんを喜ばせようって一生懸命演歌を歌う小っちゃい晴翔君、見てみたかったなぁ」
綾香はそう言うと、晴翔と同じ様に夕焼けに染まった空を見上げ「きっと、凄く可愛かったんだろうなぁ」と笑みを溢しながら呟く。
そんな彼女の反応に気恥ずかしさを感じた晴翔は、それを誤魔化すように片手で頭を掻きながら、別の話題を口にする。
「そう言えば、テストの結果は全教科80点以上だったんだよね?」
「うん! 80点以上どころか、今までのテストで一番結果が良かったよ!」
綾香は満面の笑みで頷く。
「帰ったらママに自慢しちゃお」
嬉しそうに、少しだけ弾むような足取りで歩く彼女に、晴翔の心の中にもほんのりと喜びの感情が広がる。
「ところで、無事に全教科80点以上の目標を達成したわけだけど、俺からのご褒美は何がいい?」
「それなんだけどね。明日の土曜日って晴翔君何か用事ある?」
「明日? 特に何もないよ」
今の彼の生活スタイルは、金曜日と土曜日は東條家で過ごす事になっている。
その為、明日は祖母の家事の手伝いや涼太の遊び相手になったりして、その合間に勉強でもしようかと考えていた。
晴翔が綾香の言葉に返事をすると、彼女は少しだけ間を開けてから口を開く。
「じゃあさ、明日デートしよ?」
「デート?」
「うん。私達、本当の恋人になってから、まだデートしてないなって思って」
「確かに」
綾香の言葉に晴翔も頷く。
二人は夏休みの間、映画デートに始まり、どうぶつの森公園に行ったり限定アイスを探して街を散策したり、キャンプに行ったりと色々な事をしてきた。しかし、正式な恋人同士になってから、まだちゃんとしたデートには一回も行っていなかった。
「それじゃあ、明日はデートしようか。綾香はどこか行きたいところはある?」
晴翔が尋ねると、綾香は自分のスマホを取り出す。
「ちょっと遠いんだけど、前からここに行きたいなって思ってて、どうかな?」
そう言いながら彼女は晴翔にスマホの画面を見せる。
そこには、水族館と一緒にアトラクション施設も併設されている、海が題材のテーマパークのホームぺージが映し出されていた。
「あぁ、ここね。確かにここなら一日中遊べるね」
「晴翔君も賛成?」
「うん。じゃあ明日は水族館デートだね」
「うん!! 楽しみッ!」
あふれんばかりの満面の笑みを浮かべる綾香に、晴翔も釣られて口角を上げる。
その後二人は、東條家の玄関に着くまで明日のデートの予定について話し合った。
晴翔と綾香が帰宅して『ただいま』とリビングに入ると、リビングでは清子と涼太がオセロで遊んでいた。
悩ましい表情で盤面を睨んでいる涼太を微笑まし気な眼差して見詰めていた清子は、リビングに入ってきた晴翔と綾香に視線を向ける。
「おかえり晴翔。綾香さんもおかえりなさい」
「ただいま、ばあちゃん」
「清子さん、ただいま」
二人はそれぞれ言葉を返す。
晴翔はいまだに「う~ん」と難しい顔で悩んでいる涼太の側に寄る。
「涼太君、勝てそうかい?」
「おにいちゃん、あのね。僕はここに白を置きたいんだけど、そうするとお婆ちゃんに角を取られちゃうんだ。でもこっちに置いたら、黒を一つしかひっくり返せないし……」
後ろから盤面を眺める晴翔に、涼太は難しい表情のまま今の戦況を説明する。
「なるほど、ここが勝負の分かれ目だね」
晴翔は涼太に共感するように真剣な表情を作って頷く。
そこに綾香が弟に助言しようと口を開く。
「涼太、それならここに置けば――」
「あぁーーッ!! おねえちゃんダメだよ!」
綾香の助言の途中で、涼太は大きな声を出してそれを遮る。
「ヒントはズルッこなんだよ! これは僕とお婆ちゃんの真剣しょうぶなんだから! おねえちゃんはヒント言っちゃダメ!!」
「そ、そうなのね。ごめんごめん」
真面目な顔で言う涼太に、綾香は慌てて盤面を指差そうとしていた手を引っ込める。
そんな姉弟のやり取りに、清子がニッコリと笑みを浮かべる。
「涼太君は本当に良い子だねぇ」
「僕はちゃんと勝負してお婆ちゃんに勝ちたいんだ」
そう言うと涼太は再び真剣な表情で「う~ん」と唸り始める。
必死に考える涼太を晴翔達がそっと見守る。やがて彼は長考を経て決断の一手を打つ。
その後も勝負は終盤までもつれ込み、結果は涼太が二枚差での勝利となった。
「やったぁーー!! 勝ったぁー!!」
両手を挙げ、バンザイをして喜ぶ涼太。
「負けちゃったねぇ、涼太君は強いねぇ」
「えへへぇ」
清子が褒めると、涼太は照れたようにはにかむ。
その笑顔を見て晴翔は、先程の帰り道で綾香の歌を褒めたときの彼女の笑顔とそっくりな事に気が付く。
やっぱり姉弟なんだなと感心していると、壁の時計をみた清子が「よっこいしょ」と立ち上がった。
「そろそろ夕ご飯の準備をしないとねぇ」
「あ、それなら俺も手伝うよ。今日の夕飯は何?」
「スーパーでナスが安かったから、今日は麻婆ナスだよ」
「わぁ、清子さんの麻婆ナス楽しみです!」
今日の夕食に綾香が表情を輝かせる。
「もう下拵えは終わっているから、すぐに出来るからねぇ。晴翔はスープを作ってくれるかい?」
「了解」
そう言ってキッチンに向かう二人。
夕ご飯の準備を始めた清子に代わって、今度は綾香が涼太の相手をする。
「よし、今度はお姉ちゃんがオセロの相手をしてあげる」
「いいよ。僕、おねえちゃんにも負けないよ?」
「私だって負けないわよ?」
そんな姉弟の会話を聞きながら、晴翔は祖母と並んでキッチンに立つ。
「ばあちゃん、麻婆ナスだからスープは中華スープでいいよね?」
「そうだね。それと付け合わせのサラダもお願いできるかい?」
清子がフライパンをコンロの上に乗せて火を付けながら晴翔に言う。
「大丈夫だよ。確か冷蔵庫にオクラと、もやしがあったよね? それで中華サラダにするよ」
彼はそう言いながら冷蔵庫の中から食材を取り出す。
夏休みから家事代行のアルバイトで東條家のキッチンに立ってきた晴翔にとって、すでにここは自宅の台所と同程度に食材や調味料、調理器具に食器の場所を把握している。
清子と並んで手際よく夕食を作っていく晴翔。
ちょうど麻婆ナスの良い匂いがキッチンから漂い始めたところで、修一と郁恵が揃って仕事から帰ってくる。
「ただいま。ん~いい匂いがするね」
「ただいまぁ。あら、今日は麻婆ナスね。おいしそうねぇ」
東條夫妻が夕食の香りに相好を崩す。
「おかえりなさいませ。もう出来ますので」
清子が丁寧に頭を下げると、その言葉を聞いた涼太が、綾香とのオセロ勝負を中断してキッチンに駆け寄ってくる。
「お父さんお母さんおかえりなさい! お婆ちゃん! 僕、食器を運ぶお手伝いするよ!」
「ありがとう涼太君、凄く助かるよ。じゃあ、ここのお皿を運んでくれるかい?」
「うん!」
涼太は清子からお皿を受けとると、それをテーブルの上に並べていく。
その後、着替え終わった修一と郁恵が戻って来て、全員でダイニングテーブルを囲み、夕食を食べ始める。
「うん、清子さん。今日の料理もすごく美味しいですよ」
「ありがとうございます」
満足そうに舌鼓を打つ修一に、清子も笑みでお辞儀をする。
「おにいちゃん、このスープも美味しいよ」
「ありがとう涼太君。こっちのサラダも食べてみてね」
「うん!」
晴翔が涼太の為にサラダを取り分けると、彼は嬉しそうにそれを頬張り「おいしい!」と笑顔を見せてくれる。
いつものように、明るく賑やかな雰囲気に包まれる東條家の食卓。
その中で、綾香が郁恵に明日の事について話す。
「ママ? 明日なんだけど、晴翔君とデート行ってくる」
「あらそうなの? 良いじゃない、どこに行く予定なの?」
娘の報告に、郁恵はにこやかな笑みを浮かべると、綾香と晴翔の二人に視線を投げ掛ける。
それを受けた晴翔が、帰り道で綾香に提案されたテーマパークの事を伝える。
「少し遠いので、朝早くに出ようかなと綾香さんとは話しています」
「まぁ、いいわねぇ! そこはね、私が修一さんとまだお付き合いしている時にデートで行ったわ」
「へぇ、ママとパパもこのテーマパークでデートしたんだ」
郁恵の言葉に、綾香が興味を示す。
「もう二十年くらい前の話だけどね。この人ったら、着替えを持ってないのに、最前列でイルカショーを見て、ビショビショになってね。なのに大笑いして」
「あははは、いやぁそんな事もあったね」
修一は声を上げて笑うと、感慨深そうに晴翔と綾香の二人を見る。
「それにしても、かつて自分達がデートした場所を今度は自分の娘がデートで行くっていうのは、なんだかグッとくるものがあるね」
彼はそう言うと体ごと晴翔の方を向く。
「明日は一日、娘をよろしく頼むよ晴翔君」
「はい」
そんな言葉を交わしてお互いに頭を下げ合う二人に、綾香が苦笑を浮かべる。
「もう、パパったら大袈裟だよ」
相変わらずな修一に、綾香がやれやれと肩をすくめていると、涼太が首を傾げて尋ねてくる。
「おにいちゃん。明日おねえちゃんと水族館に行くの?」
「うん、あ~……涼太君も行きたいよね?」
晴翔は涼太の心情を察して聞いてみる。しかし、彼の予想に反して翔太は首を横に振る。
「ううん、僕は家でお留守番してるよ。おにいちゃんは、おねえちゃんとでーとして、愛をはぐくまないといけないから、僕はその邪魔はしないんだ」
「あ、ありがとう涼太君」
「うん。でーと頑張ってね、おにいちゃん!」
涼太の声援を受け、晴翔は「う、うん。がんばるよ」と彼にガッツポーズを作って見せた。