第百十三話 綾香と雫
学校の敷地を出て暫く歩いた後、雫はトトッと晴翔達の前に出て振り返る。
その表情はかなり得意げなものとなっている。
「どうですかハル先輩。私のこの完璧な作戦は」
腰に手を当てて、えっへんと胸を張る雫。
「恐れ入ったよ。さすが雫だ」
「ふむふむ、もっと褒め称えて下さい」
「ははぁ、雫様」
無表情ながらも機嫌が良さそうな雫の言葉に、晴翔は大袈裟なほど深々と頭を下げる。
雫の作戦。
それは、彼女が綾香と友達になる事で、雫は晴翔と綾香の共通の友達になる。そして、その事を利用して自然と距離を縮めるというものである。
今の晴翔と綾香の学校での認識は、雫を介した友達の友達という事になったのだ。
「あの、雫ちゃん……ありがとう」
「アヤ先輩も私を褒め称えて下さい」
「あ、う、うん。凄いね雫ちゃんは」
「ふふふん」
綾香の賞賛に、雫は上機嫌に鼻を鳴らす。
そこに、晴翔の隣を面白そうに笑みを浮かべながら歩いていた友哉が会話に参加する。
「てか、俺らも一緒で良かったのか?」
彼はチラッと咲の方に視線を向けながら、雫に問い掛ける。
「問題ナッシングです。むしろ初めはアヤ先輩とハル先輩以外にも人がいた方が好都合です」
友哉の質問に、雫はグッと親指を立てて答える。
「いきなりハル先輩とアヤ先輩の二人だけを誘うよりも、その他の脇役がいた方が、自然な感じを出せます」
「あはは、脇役ね」
「はい、脇役です」
ハッキリとした物言いの雫に、友哉は楽しそうに笑い声を上げる。
そこに、彼女の説明を聞いた咲が「なるほどねぇ」と感心したように頷く。
「堂島さん、なんか無鉄砲な感じなのかなって思ってたけど、ちゃんと考えてたんだね」
「当然です。ところで、ノリで誘っちゃいましたけど、先輩はどちら様です?」
雫は咲の方に顔を向けると小さく首を傾げる。
その反応に咲は苦笑を浮かべながら答えた。
「あはは、私は藍沢咲。一応、綾香の幼馴染兼親友ってところかな?」
「ほほう、アヤ先輩にも本当の親友がいたんですね。てっきりボッチなのかと思ってました」
「なんで私がボッチだと思ってたの!?」
「定番じゃないですか。美人をこじらせて友達がいないっていう設定は」
「そんな設定、私には無いから!」
「残念」
「残念!?」
綾香は雫に「残念ってどういう事!?」などと問い詰めるが、雫は涼し気な表情で、彼女の言葉をのらりくらりとかわしている。
そんな賑やかな雰囲気で、五人は歩き続ける。
そして、十字路に差し掛かったところで友哉が片手を上げた。
「んじゃ、俺ちょっと駅前に用事あるからここで」
「あ、私も帰りは電車だから、駅まで一緒に帰る?」
友哉の言葉に咲が反応して彼に提案する。
「藍沢さん電車通学だったんだ。じゃあ一緒に行こっか」
「うん、じゃあね皆」
「バイバイ咲」
綾香は雫との問答を一旦切り上げて、咲に手を振る。
それに続いて晴翔と雫も片手を上げた。
友哉と咲が抜けた後、晴翔達三人は晴翔を真ん中に、その左右に綾香と雫が並んで歩く。
晴翔は右側を歩く雫の方に視線を向ける。
「でも本当にありがとうな雫。これをきっかけに、学校でも少しずつ綾香と距離を縮められそうだよ」
「朝に突然、親友になろうって言われた時はビックリしたけど、ありがとうね雫ちゃん」
「まだまだ、私の協力は始まったばかりですよ? これからもちょくちょく先輩方の教室に行くので」
「そうか、本当にありがとうな。今度なんかお礼をさせてくれ」
「いえいえそんな。駅前のデパートのシュークリームをお礼にだなんて、恐れ多くて私の口からは言えません」
「お、おう」
相変わらずの雫節に、晴翔は苦笑を浮かべながら頷く。
そんな二人のやり取りに、綾香も口元に手を当ててクスッと笑みを溢した。
とそこで、晴翔は思い出した様に雫に言う。
「俺達に協力してくれるのは凄く有難いんだが、その……あんまりトラブルは引き起こさないでくれると助かるんだが」
「アヤ先輩を囲っていた先輩方の事ですか?」
「まぁ、そうだな」
雫は、幼い頃から武道の道を歩んできているからなのか、メンタルが相当に強い。さらに空手もかなりの腕前である事から、年上だろうが男であろうが、気に食わない事はハッキリと口に出して意思表示をする。
それが彼女の良い所ではあるのだが、それと同時にトラブル体質な面も持ち合わせている。
「ふむ、ハル先輩たちのクラスを荒らすのは、私の本意でもないので……わかりました。出来るだけ問題は起こさない様に気を付けます」
「ありがとう、助かる」
雫に対して頭を下げる晴翔。
綾香はそんな二人の会話を聞いた後に、おもむろに口を開く。
「ねぇ、雫ちゃん」
「はい?」
「雫ちゃんは怖くないの? その……心の内を外に出すというか、自分の意見を相手にぶつけるのは」
「……怖い時もあります」
雫は綾香の問いに、僅かに間を開けて答える。
「でも、そういう時は何で怖いのか、その恐怖の原因を見詰める事にしてます」
「恐怖の、原因?」
無表情ではあるが、真剣な目付きで綾香を見ながら雫は話を続ける。
「そうです。今回の場合、あの先輩に突っかかる事で私にどんな事が起こるのか考えました」
彼女は綾香から視線を外し、真っ直ぐ前を見ながら歩き出す。
「嫌がらせを受けるかもしれない。イジメに発展するかもしれない。そして、イジメが原因で友達が減るかもしれない。そう考えた時、それくらいならどうでもいいなと思いました」
「え? そ、それはどうでもいい事なの?」
綾香は驚きで目を見開いて聞き返す。
「どうでもいいですよ。だって、私が上級生からイジメを受けただけで距離を取る様な人は本当の友達じゃありませんから。そんな人が100人いなくなろうと、私にとってはどうでもいい事です」
そう言った後、雫は晴翔の方を見る。
「それよりも、そうなったときでも変わらず接してくれる人との関係を私は大切にしたいです」
「なんで俺を見ながら言うんだよ」
晴翔は照れ臭さそうに片手で後頭部を掻く。
「ハル先輩は、何があっても私の友達でいてくれるので」
「……お前が一カ月風呂に入らなかったら、さすがに距離を取る」
「その時はハル先輩が私をお風呂に入れて下さいよ」
そう言うと、雫は晴翔の右腕にギュッと抱き着いてきた。
途端、綾香の眉がキュッと持ち上がる。
「し、雫ちゃん!」
綾香は抗議するように雫の名を呼ぶと、グイッと晴翔の左腕を抱き寄せて雫を引き剥がそうとする。
「協力してくれるのは嬉しいんだけど、晴翔君に抱き着くのはダメですッ!!」
「むぅ、アヤ先輩も抱き着いてるじゃないですか」
晴翔を引き離されて不服そうな雫は唇を尖らせ、彼の左腕を両手で抱き抱えている綾香に抗議する。
「わ、私は晴翔君の彼女だもん! 彼女が彼氏に抱き着くのは普通でしょ!」
「なら幼馴染が抱き着くのも普通です。えいやっ」
雫は気合いの入った掛け声と共に晴翔の右腕に再度飛びつく。
「あー! だから駄目だよ雫ちゃん!」
「アヤ先輩、独占欲の強い重たい女はハル先輩にすぐ捨てられちゃいますよ?」
「そんな事ないもん! 晴翔君はちゃんと私を愛してくれてるもん!」
グイグイと強く晴翔の左腕を引っ張りながら、綾香は必死に言う。そんな彼女に対して、雫は無表情のまま冷静な声音で言葉を発する。
「愛を求めるだけじゃダメですよ、アヤ先輩?」
「求めてるだけじゃないもん! 私だって晴翔君の事をあ、愛してるんだから!!」
晴翔に対して綾香が愛を叫んだところで、雫はパッと晴翔の腕から離れた。
そして、珍しく無表情を崩しニヤッと口元を緩める。
「だそうですよハル先輩? よかったですね」
「お前なぁ……」
「アヤ先輩、ハル先輩への熱い愛の言葉、ゴチです」
そこでようやく綾香は雫に嵌められた事に気が付き、耳まで真っ赤に染め上げる。
「う、うぅ……雫ちゃんの、ばかぁ……」
綾香はトマトのようになってしまった顔を両手で覆い隠しながら、か細い震える声を上げる。
その様子を見て、雫は晴翔を見上げて言う。
「どうですハル先輩。美少女が羞恥に悶えて赤面する姿。グッときませんか?」
「雫……頼むから俺の彼女をイジメないでくれ」
「善処します」
晴翔の言葉を軽く受け流しながら、雫は未だ真っ赤になっている綾香に視線を向ける。
その瞳には、少し楽し気な光が宿っているように晴翔には見えた。
お読み下さり有難うございます。
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