第三話
美蘭がルスリドに来てから一ヶ月が経過した。この一月の間に美蘭は特技を披露したり、ルスリドの人々と交流することもあった。始めは知らない土地で窮屈に感じていたが、親切な人々が多く次第にこの世界の生活に心地よさを感じていた。
この日も美蘭はケンヤと共に居間で過ごしていた。
「もう一ヶ月が経ちましたか。美蘭さんがいる生活が当たり前になってきましたね」
「そうですね。私もこの生活にすっかり慣れましたよ」
そう言って二人は微笑み合う。この様子を見ても、すでに慣れ親しんだ関係と言えるだろう。
「マザンは長くても一ヶ月と言っていたので、きっともうすぐで帰ることができますよ」
「はい……」
(もうこのまま……帰れなくてもいいのにな……)
そう思ったその時、居間の出入り口の扉が突然開いた。外出していたマザンが帰宅した。マザンは美蘭がこの世界に来てから毎日空間を調べに行っている。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「空間の乱れが治った。これでゲートが開けて異世界に行けるようになったよ」
「それって……」
「秘境界に帰れる」
「!」
「良かったですね!美蘭さん!」
いきなりのことで呆気に取られて言葉を失う。ケンヤの祝福の言葉も届いていない様子だ。
「………」
「あれ?反応薄いな。結構喜ぶと思ったんだけど」
「美蘭さん…?」
その時、二階から階段を下りてきたキザミが入ってきた。
「どうした?大きな音立てて」
「空間の乱れが治って秘境界に行けるようになったんだよ」
「本当か!?良かったじゃん美蘭!」
「ただ当人はあまり嬉しくない様子」
「あれ?そうなの?」
全員の視線が美蘭に集中する。
「どうしたんですか……?嬉しくないのですか……?」
「い、いえ、嬉しいですよ。でも、いきなりだったので、あまり実感がわかなくて」
「まあ実際に帰ればそのうちわいてくるでしょ」
マザンが微笑を浮かべた。
「すぐ帰る方がいいでしょ。準備が終わったら行こうか」
「わかりました」
「………」
ケンヤが物寂しそうな表情をする。
「これで……お別れなんですね……」
「!」
「美蘭さんと出会えて良かったですし、一緒にいて楽しかったですよ」
「俺も、飲みに行けて楽しかったよ。また連れて行きたかったよ」
別れの挨拶をされて胸が締め付けられる思いをする。
「僕は付いていくからもう少しよろしく」
「「「え?」」」
全員の視線が今度はマザンの方へ向けられる。
「マザンも行くのですか?」
「もちろん。ちゃんと秘境界の日本の東京に行けるかどうか見届けないと。それに美蘭の両親に説明もしないといけないからね」
「秘境界なんて滅多に行けないから観光するつもりですね」
「ああそうだよなんか悪いかよ」
図星を突かれたマザンが逆ギレした。
「そんなのずるいですよ。私も秘境界に行ってみたいです」
「一人だけってのはたしかにずるいな。秘境界は興味あるし俺も行きたい」
「だそうだから連れてっていいか?」
「もちろんいいですよ」
付いてきても迷惑ではない。むしろまだケンヤたちと一緒と考えると断る理由はなかった。
「ところで、美蘭さんの両親に説明するのはわかりますけど、秘境界の人に別の世界から来たなんて言って信じてくれますか?」
「まあ信じないだろうね。だから設定を考えてきた」
マザンが両親に説明するための設定を全員に共有した。
「それで大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。これがあるから」
自信に満ちた表情でマザンはポケットからある物を取り出した。
(眼鏡……?)
マザンが手に持っていたのは赤色の四角い眼鏡だった。
「人に暗示をかけるアイテム。これかけて両親と目を合わせて今の設定言ってごらん。絶対信じるから」
「そんなものがあるんですか……」
美蘭は架空の世界で見るような夢のような道具に対して、少し疑念を抱いていた。
「ほら、かけてみなよ」
マザンに勧められて美蘭は初めて眼鏡をかける。度が入っていないため見える景色は変わらない。
「あの、私普段眼鏡かけないので怪しまれるんじゃ……」
「似合ってるじゃん。自分の姿見てみな」
指摘を無視されてしまった。それでも少し気になった美蘭は、スマートフォンの内カメラを使って自分の姿を見てみる。
「あれ!?」
写し出された美蘭はなんと眼鏡をかけていなかった。手で触ると感触はあるはずなのに、画面の美蘭はなにも身につけていなかった。
「他人には見られないから安心しな」
疑っていた眼鏡の効果の信憑性が増した気がした。
「すぐ出るよ。美蘭は準備を始めて」
「わかりました」
居間から全員がちりじりに出ていって、それぞれが準備を始めた。
・・・・・。
一時間後、四人は一度訪れた町外れの路地にいた。美蘭がこの世界に始めて降り立った場所だ。美蘭は帰るために来た時と同じく制服に着替えていた。
「じゃあゲートを開くよ。上手く美蘭のいた場所に合えばいいんだけど」
マザンが以前印を付けたところに手を突き出す。
「!?」
すると手のひらの先に、美蘭が吸い込まれたのと同じ黒い穴が開いた。現実離れした出来事に美蘭は唖然としているが、ケンヤとキザミは何の反応も示さない。
「よし、やっぱり治ってるね」
「マザンさん…どうやってやったんですか…?」
「気にしちゃだめだよ」
マザンにはぐらかされてしまった。
「この中に入れば帰れるんですよね」
「そうだよ」
「………」
この黒い穴に吸い込まれて、よくわからない世界に来てしまった美蘭。穴の中に入ることを少しためらっている。
「大丈夫ですよ。マザンはどうしようもない人ですけど、こうゆう時は頼りになりますから」
「どうゆう意味だよ」
「そのまんまの意味ですよ」
二人の言葉のやり取りに美蘭が薄く笑う。少し安心したようだ。
「まあいいや。じゃあ行くよ」
「はい」
一番最初にマザンが黒い穴の中に飛び込んで行った。続けてケンヤとキザミが迷いなく穴の中に飛び込んだ。最後に美蘭が思い切って穴の中に飛び込んだ。 黒い穴はしばらくその場に残り、段々と縮小し消滅した。
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人気の少ない場所に黒い穴が現れる。その穴から勢いよくマザンが飛び出してきた。続けてケンヤとキザミも穴から飛び出す。三人はうまく着地することに成功した。
「きゃあ!」
最後に出てきた美蘭は着地できずに地面に叩きつけられそうになる。その前にキザミが美蘭の腕を掴み転倒を防ぐ。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます」
「わーキザミかっこいいー」
「感情込めて言えよ」
体を引き上げられて地面をしっかり踏む。
「ここが……秘境界……」
ケンヤが辺りを見回す。降り立った場所は十字路の真ん中だった。美蘭たちを除いて他には誰もいない。
「ここです。ここで黒い穴に吸い込まれて、あの世界に行ったんです」
「それじゃあ成功したんですね」
「ここからは美蘭に任せるよ。家まで行けるな?」
「はい」
美蘭が三人を先導しながら町中を歩く。一週間空けていただけなので町の様子はなにも変わっていなかった。美蘭がよく知る近所なので、迷いなく家にたどり着くことができた。
(私……帰って来たんだ……)
自宅を目の前にやっと帰ってきた実感がわく。美蘭の後ろにいる三人に振り向く。
「ケンヤさん、キザミさん、マザンさん。本当にありがとうございました」
異世界で助けられて、ここまで付いてきてくれた三人に深く頭を下げて感謝を述べる。それから家に入るために玄関に近づく。持っていた鍵を使って閉じていた鍵を開け、ゆっくりとドアを開ける。すると家の中から足音が響く。一つの部屋から女性が顔を覗かせた。
「美蘭……!」
美蘭の母親が駆け寄り、すぐさま美蘭を抱きしめた。
「どこ行ってたの……!心配したのよ……!」
「お母さん……」
「でも無事で良かった……おかえり……美蘭……」
「お母さん、ただいま」
娘との再会に母親が涙を流した。母親が美蘭と目を合わせる。
「一週間もどこに行ってたの?ちゃんと説明して」
「うん。その前に会わせたい人がいるの」
離れた位置にいるケンヤたちを招き寄せる。ケンヤたちは母親に会釈する。突然現れた三人の男性に母親が目を丸くする。
「美蘭、この人たちは?」
「私がいなかったことと関係があるの。説明するから家に上げてもいい?」
「うん……」
母親は困惑気味だったが、三人を家の中に入れてくれた。
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リビングのダイニングテーブルに母親と美蘭と、代表としてケンヤが座った。そして美蘭が語り始めた。 美蘭は異世界に行ったのではなく、帰宅途中に拉致されて山奥の小屋に監禁されてしまった。そこを近くの村に住んでいるケンヤたちが救出した。美蘭は酷く怯えていたので村で保護をして、落ち着いた今帰ってきた。
という設定を母親に伝えた。
「「………」 」
美蘭もケンヤも内心とてもヒヤヒヤしていた。本来ならこのような説明をされたところで信じる者なんていないからだ。
しかし、
「そうだったの。うちの娘を助けてくださりありがとうございました」
母親はいとも簡単に受け入れてしまった。
「お母さん、信じてくれるの?」
「信じるわよ。今こうやって美蘭が無事に帰ってきたんだから。親切な人たちに助けてもらって本当に良かったわ」
母親は疑わしい表情を一切していない。完全に信じきっている様子だった。
(すごい……)
でたらめの作り話を簡単に信用している母親を見て、この眼鏡の効力は本物だと美蘭は実感した。
ケンヤがちらっと振り返りマザンを見る。マザンもケンヤを見て笑顔で頷いた。
「それでは私たちはこれで失礼します」
(えっ……!?)
「もう帰ってしまうの?」
「私たちの役目は美蘭さんを無事に送り届けることです。役目は果たしましたからもう帰ります」
「そう。美蘭を助けていただいて、本当にありがとうございました」
母親が深々と頭を下げた。
「私たちは特別なことはしていません。困っていた美蘭さんを助けただけですよ」
ケンヤの言葉に母親が嬉しそうに笑みを見せた。
「それでは失礼します」
「美蘭さん、お元気で」
「元気でな、美蘭」
一言ずつ挨拶をしてから三人は帰ろうとする。
「ま……待ってください!」
その前に美蘭が呼び止めた。三人は足を止める。美蘭が母親と目を合わせる。
「お母さん。ケンヤさんたちはね、村から出たことがなくて初めて東京に来たの。それで東京を観光するために泊まる場所を探してるから、是非私の家に泊まりたいんだって」
「「「!?」」」
予想外の美蘭の発言に三人が驚いている。母親も突然のことで同様に驚いているのか固まっている。
「お母さんもいいよね?ケンヤさんたちは私を助けてくれたんだよ。このままお礼もしないで帰らすの?私はケンヤさんたちにお礼がしたいの」
「あの美蘭さん。私たち泊まりたいだなんて言ってないのですけど……」
「お母さんお願い!」
ケンヤの気意思すらも遮って母親に頼み込む。すると、
「確かにお礼はしないとね。いいわよ」
これも眼鏡の効力なのか、母親は頼みもしていない三人の一時滞在を承諾した。
「ありがとうお母さん!」
美蘭がパーッと明るい笑顔を見せる反面、ケンヤたち三人は勝手に話が進んで唖然としていた。
「ちょっと待ってね。部屋を確認するから」
すでに同居に積極的な母親は一度リビングを後にする。すると突然マザンが美蘭の肩に手をがっしりと置く。
「ちゃんと話そうか」
彼の無表情は若干の恐怖を感じた。
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美蘭とケンヤたち三人は、二階にある美蘭の部屋に集まった。六畳の部屋には綺麗に整えられたベッドや光沢のある机が配置されている。床に物が置かれていなくて、とても綺麗に使っている印象を受ける。
美蘭は床にちょこんと座っているのに対して、マザンは人のベッドに堂々と座っていた。ケンヤとキザミは床に腰を下ろしている。
「んで、どういうつもりだ?」
開口一番圧を感じる声で美蘭に尋ねる。
「あの、もう少しだけケンヤさんたちと一緒にいたいな、なんて考えて……あの眼鏡がすごかったから思わず……」
なぜかマザンは一度ケンヤの方を向く。ケンヤは首を横に振った。
「そ……それにマザンさんたちが日本を観光したいのは本当じゃないですか。だったら泊まる場所は必要ですし、いいかなって」
マザンはため息をついた。
「いや確かにどうしようとは思ってたけど……」
「でも嬉しいですよ。私も美蘭さんと別れるのは惜しかったので」
「やり方が随分強引だったけどな」
キザミの言葉にケンヤが頷く。自分の考えに賛同してくれた嬉しさと同時に、自分の身勝手な行いを反省する。美蘭は苦笑いを浮かべた。
「まあこうなっちゃったから、ありがたく居させてもらうよ。ケンヤもキザミもそれでいいな」
ケンヤもキザミも無言で頷いた。
「ありがとうございます!」
まだ三人と一緒にいられるとわかり、美蘭は喜びに満ちた笑顔を見せた。
「あとその眼鏡だけど、美蘭に預けようと思ったけどちょっと危険だから父親に使ったら返してもらうよ」
「すみません。友達とか部活の子とかにも心配かけないように使いたいんです。もう少し借りていいですか?」
マザンは美蘭を凝視する。普段から目つきの悪いマザンからは睨まれているように感じる。美蘭も訴えるように見つめ返す。
「悪用するなよ」
「わかりました」
直後マザンはケンヤに頭を殴られた。
・・・・・。
外はすっかり暗くなり夜が訪れる。美蘭を含む四人は部屋の中でくつろいでいた。中でもケンヤは、部屋に飾ってあった地球儀が気になり美蘭に秘境界の様々なことを聞いていた。美蘭は自身の知識を活かして、世界にある遺産や有名な場所などを披露していた。
ゆったりと過ごしていると、一階から玄関の音が聞こえた。
(帰ってきたのかな……?)
会話を中断して部屋を出る。ケンヤたちも後をつける。全員が一階に下りて玄関に向かうと美蘭の父親が立っていた。
「お父さん」
「美蘭!」
慌てた様子走ってくるとすぐさま美蘭を抱きしめる。
「美蘭!ずっとどこに行ってたんだ!父さんはずっと心配してたんだぞ!」
「ごめんなさい……お父さん」
感激のあまり美蘭を強く抱きしめてしまう。無事の帰りが嬉しいのか薄らと涙を浮かべる。
「無事で良かった。おかえり、美蘭」
「ただいま、お父さん」
女子高生となると、父親に抱きつかれることが嫌と思う人もいるだろうが、美蘭は一切嫌な顔をしていなかった。
「お父さん、ちょっと苦しいよ……」
「ああ、ごめんよ」
父親が一度美蘭から離れた。
「それで、一週間もどこに行ってたんだい?」
当然のことながら父親も同様の疑問を問いかける。
「うん。その前に会わせたい人がいるから」
そう言って美蘭は後方で立っていたケンヤたちを呼ぶ。三人が近づくと、父親は目を見開いて驚いている。
「美蘭、この人たちは……」
「私がいなかったことと関係があるの」
美蘭は母親の時同様偽りの設定を父親にも伝えた。
「………」
(あれ……?)
しばらくの間沈黙があり、父親の反応もないため段々と美蘭は心配になっていくが、
「そうだったのか。それはそれは、娘を助けてくれてありがとう」
父親も眼鏡の効力で虚言を信じてしまった。信じてもらえたようで美蘭は心の中で一安心する。そんな美蘭を父親は再び優しく抱きしめる。
「怖かっただろう。でももう安心だよ。二度とこんな思いはさせないからね」
「お父さん、ありがとう」
誰も気にせず美しい家族愛を見せた。ケンヤたちは邪魔をしないように一歩下がって家族愛を眺めていた。父親は美蘭から離れると三人に向き直る。
「改めて、美蘭を助けてくれてここまで送り届けてくれて本当にありがとう」
「いいえ。私たちは当然のことをしただけですから」
「なんて素晴らしい人たちなんだろう」
父親がケンヤの言葉に感心した。
「お父さん。ケンヤさんたちはね、村から出たことがなくて初めて東京に来たの。それで東京を観光するために泊まる場所を探してるから、是非私の家に泊まりたいんだって。お礼を兼ねて泊めてあげたいんだけどいいかな?」
「うーん。この家は狭いし部屋も少ないしなあ……」
美蘭の提案を躊躇う。それでも美蘭は簡単に引き下がらない。
「部屋は私のを使うから、食費も私が出すから。ケンヤさんたちは私を助けてくれたんだよ。私はケンヤさんたちにお礼をしたいの」
気持ちを表して父親に頼み込んだ。
「わかった。美蘭がそう言うならいいよ」
「ありがとう、お父さん」
許可が下りて美蘭も笑みを浮かべた。
「僕は着替えてくるから、また改めて挨拶させてもらうよ」
そう言うと父親は階段を登って自身の部屋に向かった。玄関前に四人が残される。
「これで良かったんだよな。一応あのメガネで誤魔化すことはできたし」
「まあそうだな」
事前の想定とは違ったが、美蘭の不在をまやかすことには成功した。それでも納得いかないマザンは頭を抱えた。
「美蘭さん。少しの間だとは思いますが、お世話になりますね」
「はい!」
ケンヤたちとのまた変わった生活を思い描いて、美蘭は期待に胸を躍らせた。