0995:グリフォンさんの幼体。
グリフォンさんの卵さんが孵った翌日。
まさか夜に孵るとは考えておらず、連絡を入れて卵から孵る姿を見逃したと知った副団長さまが凄く悔しがっており『クロさまが孵る姿も他の竜の方々も天馬さまにグリフォンも僕は悉く見逃しております……凄く悲しいです』と並々ならぬ筆圧が掛かった手紙が私の下へと届いていた。
そういえば副団長さまは興味を凄く持っているのに、出産の機会や卵から孵る姿を見ていない。次があって産まれる時期が分かるなら、暫く泊まり込みしますかと誘ってみよう。流石にこの筆圧が超強い手紙が毎度届くようになるのは勘弁願いたい。
アルバトロス王国上層部にグリフォンさんの卵さんたちが孵りました、何故か卵が二個なのに四頭孵りましたと知らせる羽目になるとは。きっと上層部の皆さまは驚いているだろうし、ヤーバン王国の陛下にも先ほど手紙を届けた所だから直ぐに返事がくるはずだ。卵さんから孵ったグリフォンさんたちは元気一杯に子爵邸の中庭の片隅でポポカさんたちと団子になって固まっている。
『ポエー』
『ピョエー』
『ポエ~』
『ピョエ~』
真ん丸ボディのポポカさんたちの横にグリフォンさんの幼体が一緒に鳴いている。ポポカさんが鳴くとグリフォンさんの幼体が真似をして声を出していた。孵って直ぐなのに声帯は既に確りとしているようである。
本当の母親であるグリフォンさんがポポカさんとグリフォンさんの幼体を身体を屈めて覗き込むと、グリフォンさんの幼体がポポカさんを守るようにして『ピョエー!』と逆毛を立てて威嚇していた。グリフォンさんの幼体がぶわっと膨らむとポポカさんたちとあまり大きさが変わらない。
威嚇を受けたグリフォンさんは『あらあらまあまあ』と目を細めて愛おしそうに見ているのだから、妙な関係が築き上げられている。グリフォンさんの隣にはエル一家と毛玉ちゃんたちがポポカさんたちとグリフォンさんの幼体を興味深そうに見ている。
ただ邪魔をする気や近寄る気はないようで少し遠巻きだった。で、彼らの横には麦わら帽子を被っている子爵邸の庭師の小父さまが驚いた顔で佇んでいた。
「なんだか混沌としている気がするけれど……」
私が子爵邸の庭の様子を見て言葉を漏らすと、ジークとリンとクロが私の方を見る。
「今の状況より、卵から二体孵ることの方が凄い気がするぞ、ナイ」
「ナイの魔力の影響かな」
『だろうねえ~』
肩を竦めるジークとリンは面白いと笑い、クロは新しい命の誕生に喜んでいるのか私の背中を尻尾でべしべし叩いている。そして本日の業務開始前にグリフォンさんの卵が孵ったことを知ったソフィーアさまとセレスティアさまも庭に出ていた。
「しかし彼らにはなにを与えれば良いんだ?」
「流石にこのままだと不味いのでは?」
お二人は私に顔を向けて首を傾げる。ポポカさんたちは地面を歩き回って昆虫を食べるのだが、子爵邸のサロンでは叶わないのでお貴族さま向けのペットショップから昆虫を買い付けている。
お貴族さまにもいろいろな方がいて、犬や猫のみならず蛇や蜥蜴を飼う方もいるそうだ。そのためにペットショップでは餌となる昆虫を養殖しているので、割と良心的な値段だったのだ。あとは果物とかお野菜さんをポポカさんたちは食べているのだが……グリフォンさんの幼体はどうなのだろうか。
「グリフォンさん、グリフォンさんの仔供はなにを食べるんですか?」
私はグリフォンさんの幼体になにが一番適切な食べ物だろうと聞いてみた。私の言葉にグリフォンさんは首を大きく傾げながら嘴を開く。
『私にもさっぱり分かりません。ただ我々は雑食なので仔たちはなんでも食べるような気がします』
「そっか。食べても大丈夫そうなものをひたすら試していくしかないですね。生肉とかは大丈夫ですか?」
『んー……どうでしょうか。まだ早いかと私は考えます』
グリフォンさんがまた私の質問に答えてくれるのだが、今度は反対側に大きく首を捻っていた。首の可動範囲が広いなあと感心していると、エルとジョセが近寄ってくる。
『天馬は母馬の乳で育ちますが、グリフォンの皆さまはもう普通の食事を取ることが可能なのですね。とはいえ駄目な品もあるでしょうから、気を付けておかなければ』
エルとジョセはソフィーアさまとセレスティアさまの横に立ったため、セレスティアさまがここぞとばかりにエルの鬣を撫でている。その様子を見たルカは羨ましかったようで、彼もこちらに近寄ってセレスティアさまの服の袖を軽く口先で噛んで撫でてと訴える。
それに気づいた彼女は蕩けた顔になってルカの顔を撫でながら位置をずらしていき、鬣を撫でり撫でりと優しく手を動かしていた。ソフィーアさまは彼女の様子を横目で見ながら『グリフォンの幼体のことは良いのか……』と呆れている。
「あ、山羊のお乳とか駄目かな。いつも新鮮な物を仕入れて貰っているから、飲んでくれるか試して良いですか? 栄養価が高いはずですし」
私はお乳で思い出したことを伝える。山羊のお乳は私が毎日飲んでいるので、料理長さんが紹介してくれたお店を介して仕入れていた。ユーリにも飲んで貰っているし、グリフォンさんの幼体にも大丈夫でそうである。
食べ物というよりは飲み物であるが、内臓がまだ確りしていないだろうし丁度良いのかもしれない。それから虫や果物、更にお肉を試していくのが一番良い方法であろうか。私がグリフォンさんの顔を見上げると、彼女が私に顔を近づけて肩に嘴を置く。
『ふむ。他の生き物の乳でも大丈夫でしょう。多分ですが』
子育てをしたことがないグリフォンさんは勘で答えているようだ。ヤーバン王国に追加でグリフォンさんの幼体の育て方を聞いてみようと決めて、一度屋敷の中に戻る。グリフォンさんの幼体はポポカさんとグリフォンさんとエル一家が守ってくれるので問題はない。
私とジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまが執務室に入って椅子に座る。やることは殆ど一緒だし家宰さまが一度目を通してくれているから、私は最終決定を下すだけである。執務机の前に立った家宰さまが書類の束を私の前に差し出して笑みを浮かべる。
「ご当主さまが仰っていた隠密行動ができる人材を先ずは十名ほど雇い入れ、教師役の方も幾人か候補が上がっております」
「もう雇って頂いたのですね。それに教師役の方まで候補を選べるとは思っていませんでした」
私がお願いしていた隠密や密偵をできる方を既に確保してくれたようだ。そして人材育成のための教育係の方まで数名候補を選んでくれている。
「アストライアー侯爵家からの要望ですからね。立候補者がかなり多くいましたが、私とアルバトロス上層部の皆さまと共に厳選に厳選を重ねておりますのでご安心ください。ご確認、お願い致します」
また笑みを深めた家宰さまは私に、当主の命令があれば雇った人たちは各地へ散って貰うし、教育係も決めたならば手配を進めてくれるそうだ。私は家宰さまに感謝を伝えて書類の束に視線を落とす。
先ずは雇い入れた十名のプロフィールを読み進める。若い方から中年の男性が多くを占め、二名は女性だった。男性では入れない場所や潜入し辛い所に行って貰うためなのだと家宰さまが教えてくださる。雇い入れた彼らの半数を聖王国に向かって貰い、フィーネさまと大聖女ウルスラと黒衣の枢機卿さまの噂と、聖王国上層部に忍び込めるのであれば内情を探って欲しいとお願いする。
もちろん、お金をケチれば彼らのやる気や情報の質も下がるだろうから相場より気持ち上の値段を払っていた。残りの五名はアルバトロス王国内にアストライアー侯爵家を良く思っていない貴族家を探してきて欲しいとお願いした。ざっくりとしたオーダーだけれど、今後喧嘩を売ってきそうな貴族家を知っておけば、鉢合わせを避けることもできるし逆にこちらから仕掛けることもできる。
私の考えに執務室にいる皆さまはなるほどと頷いてくれた。そして次は教師役の候補の書類に目を通す。
「……どうしてフソウの方々が紹介されているのでしょうか」
教師役の候補者さんはフソウの方が何名か入っていた。しかも『伊賀』『甲賀』に『風魔』と文字が躍っている。他の方はアルバトロス王国出身者で隠密活動がし辛くなった年配の方だった。
「ご当主さまがフソウに連絡を入れた際に、ご一緒にお伺いの手紙を送らせて頂きました。その返事の内容がそちらとなりますね」
「いつの間に……」
「クジョウさまとご縁を頂いた関係で私にもフソウとの繋がりができました。ハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢もエチゴヤと取引をなさっておりますよ。ね?」
家宰さまは私が知らない間に九条さまと仲良くなっていたようだ。彼と九条さまと介した時間はかなり短いのに距離を詰めることができたのは、年齢が近かったことと家族持ちだったからだろう。
子供の話や奥方さまの話で盛り上がったのだろうなと目を細めた私は、ソフィーアさまとセレスティアさまに視線を向けた。
「ええ。ナイと一緒にエチゴヤへと赴いた際に取引したい品があれば用意すると言われましたからね。有難く商品を買わせて頂いております」
「商人ですから、抜け目がないのでしょうね。ナイとエチゴヤの主人が話している間に、わたくしたちにエチゴヤの者から声掛けされましたわ。スマートなやり取りでしたから慣れていらっしゃるのでしょうね」
ソフィーアさまの言葉は家宰さまに向けられたものなので丁寧な口調になっている。彼女は当主の私にタメ口なので知らない方が聞けばぎょっとするだろうが、いつものことであるし他の方がいれば私に対してきちんと敬語を用いてくれる。
セレスティアさまはいつも独特なお嬢言葉なので変化はなかった。でも彼女の目は『早く仕事を終わらせて、グリフォンの仔たちを見に行きたい』と訴えている。
「問題がなければ構いませんし、越後屋さんも儲けているならなによりです。しかし国外から人材を雇っても良いのですか?」
「アストライアー侯爵家との契約ですので、王家は手も口も出せませんね。王家への心象を良くしたいなら一報を入れておいた方が良いでしょう」
私が家宰さまを見上げれば答えを提示してくれて、私はなるほどと頷く。フソウの帝さまとナガノブさまからの紹介なので断れない。それならば一名だけでも雇えば角が立たないだろうと、帝さまとナガノブさまに返事をするのだった。
しかし家宰さまは何故、フソウに優れた隠密がいると知っていたのだろう。九条さまとの話の中で出てきたのかなと首を傾げながら残りの仕事に取り掛かる。お昼前に執務を終えた私たちは、グリフォンさんの幼体の様子を見にまた中庭へと出るのだった。