0993:激おこぷんぷん丸子さん。
私は大聖堂の近くにある官邸の会議室から中途退席して長い廊下を歩いている。いつもより足音が大きいのは怒りによるものだろうか。聖王国で大聖女の位に就いているから、おしとやかにしずしずと廊下を歩かなければならないというのに。
いつも先々代の教皇さま――正しくは先々々代――がいらっしゃる部屋の前に立ち、廊下に立っている護衛の方の許可を得て扉をノックする。中から『どなたかな?』という問いが聞こえてきたので『フィーネです』と名乗れば、部屋の中にいる護衛の方が対応して私を部屋の中へと導いてくれた。
「突然お邪魔をして申し訳ありません」
私が部屋の中に入れば先々代の教皇さまは笑みを携えながら席を指して座れば良いと促してくれた。彼のご厚意に甘えて、私は素直に席へと腰を下ろす。先々代の教皇さまの下には何故かアリサがいて、私を微妙な表情で見つめている。先ずは先々代の教皇さまに挨拶をと姿勢を正すのだった。
「構わないよ、フィーネ。私はもう一線から身を引いて暇だからね。さて、君のその顔は私に話があるようだ。お茶を淹れさせよう」
先々代の教皇さまには私の内心がバレバレだったようである。そんなに考えていることが顔に出ているかなと小さく首を傾げていると、先々代の教皇さまの指示でアリサが私の横に座した。
暫くすると給仕の方がお茶が乗ったワゴンを押して部屋にやってくる。少し甘い紅茶の匂いが部屋に立ち込めて、私の心が少しだけ軽くなった気がした。
「アリサは何故、この部屋に?」
私はアリサに疑問を問う。先々代の教皇さまは一線を引いた身とはいえ聖職者であることに変わりはない。今でも大聖堂に赴いて信者の皆さまに教義を説いたり、話を聞いたり、治癒を施すこともある。一線を引いたはずの先々代の教皇さまが官邸にいる理由であった。
「えっと、気になることを相談させて頂いていました」
アリサは小さく肩を竦めながら笑みを浮かべた。流石になにを相談していたかは教えてくれないようで、少し気になるものの私も先々代の教皇さまに相談したいことがある。アリサには話を中断させてしまい申し訳ないけれど、一応聖王国の未来が掛かっているので私の相談を優先させて貰おう。あとできちんと謝らなければと心に刻んで、先々代の教皇さまの顔を見る。
「私のような年寄りに若い子が頼ってくれるのは嬉しいことだよ。フィーネもアリサも道に迷うことがこれから先まだまだあるだろう。相談できる相手は沢山いた方が良いだろうねえ」
先々代の教皇さまは目尻の皺をさらに深めて、ティーカップを手に取り紅茶の匂いを肺一杯に取り込んでから一口嚥下した。ふうと息を吐いた彼の姿を見た私は、丁度良い頃合いだろうと口を開く。
「あの派閥の長を務める方をこれからどう諫めるのか、先ほどまで派閥の皆さまと話し合っておりました。――」
私は先々代の教皇さまと確りと視線を合わせて会議場で起こったことを伝える。どうしてみんなは自分たちで解決しなければならない問題にナイさまを頼ろうとするのだろう。むーと口を伸ばして思い出しムカつきしていると、私の顔を見た先々代の教皇さまとアリサが苦笑いを浮かべた。
「フィーネがアストライアー侯爵殿と懇意にしているのは、聖王国上層部では周知の事実だからなあ」
先々代の教皇さまが蓄えている髭を右手で撫でる。ナイさまと喧嘩をしたはずなのに仲良くしていることが信じられないと、聖王国上層部内では一時期その噂で持ちきりだった。
確かに私はナイさまを怒らせてしまったものの、あれはナイさまなりの応援とかお灸をすえる行為だったのだろう。でなければ聖王国は問答無用で壊滅していたはず。みんなはナイさまが恐ろしいと一歩引いて彼女の様子を伺っているけれど、普通の人なのである。あ……魔力とか不可思議関連はもちろん除くけれど。
「自分たちで解決する方法を模索せずナイさまを頼ろうなんて虫が良過ぎます。教皇猊下に頼る案も出ましたが、結局有耶無耶になってしまいましたし……」
おそらくみんなは相手の派閥を跡形もなく消し去りたかったのかもしれない。三年前は共闘したけれど、落ち着いてきた今日この頃は彼らの態度は少し変わっていた。
協力的だったのに意見を覆したり、賛同できないと拒否されることが多くなった。それ故か私たちの派閥のみんなも相手の派閥の方たちを疎ましくなってきたのだろう。黒衣の枢機卿がナイさまに接触したことで、余計に腹が立ったようである。
「それに怒ってフィーネは会議場を出てきたのだね。しかしまあ……君より随分年上の者たちは楽な方へと逃げているのか……嘆かわしい」
先々代の教皇さまが小さく息を吐いて椅子の背凭れに背中を預け、アリサは私が大聖女の位を退くと啖呵を切って部屋を出てきたことに驚いている。
「大人気なかったのかもしれませんが、会議の場に残っていれば私がナイさまに話を通して解決して欲しいと願い出ることになっていたでしょうから」
私の言葉にふふふと小さく笑う先々代の教皇さまとポカーンとしているアリサ。アリサの顔が乙女ゲームのヒロインらしからぬ、面白おかしいことになっているとは私は言えなかった。
「賢明な判断だったのではないかな。もしフィーネがそのまま残っていればアストライアー侯爵殿に話をするしかなくなる」
「周りの皆さまは私が派閥を纏めていると考えているようですが、お飾りですからね」
本来の大聖女の立ち位置は聖王国の象徴というだけだ。他の国々の教会に差を見せつけるためとも言える。乙女ゲームでは語られることはなかったけれど、大聖女を務めていればお飾りでしかないことが直ぐに分かる。
「本来は大聖女が聖王国の政に関わることはないが、三年前のことで特殊な事例となった。大聖女が派閥の長に収まっていることに違和感がないのは、アストライアー侯爵殿のお陰やもしれぬ」
小さく笑い片眉を上げながら先々代の教皇さまが言い終えると一つ頷いた。
「ふむ。フィーネも西の女神さまに倣って部屋に閉じ籠ってみてはどうかな? 派閥の者たちはフィーネという御旗がいなくなり慌てふためくだろう」
先々代の教皇さまには西の女神さまについて知ったことを伝えてある。私が聖王国で一番信頼しているのはアリサと彼なのだ。ナイさまに許可も取っているし、禁書部屋の閲覧許可を頂けた――その時は女神さまが引き籠もっているとは知らなかったけれど――のも先々代の教皇さまの采配のお陰だった。
西の女神さまが引き籠もっていることは本当に限られた方しか知らないとナイさまは仰っていた。そして女神さまが引き籠もったままだと西大陸は約一万年後に滅んでしまうらしい。途方もない時間だから今を生きる私たちにとっては関係ないことかもしれない。けれどクロさまや亜人連合国の方々は長命なので、その時まで生きている方もいるだろう。
「試しても良さそうですが、強行突破されるのでは……」
ずっと閉じ籠っていれば、きっと強制的に突入されそうな気がする。引き籠もりの人の部屋の前でNPO法人の方が扉を壊して入って行くシーンをテレビかネットで見た記憶がある。今いる世界には魔術があるので開錠する方法があってもおかしくはない。部屋に引き籠るならば扉の前にバリケードを築き上げないといけないし、窓からの侵入も警戒しなければならない。
『フィーネ、ヴァナルが守る』
私の影からヴァナルがぬっと顔を出した。彼が顔をだしたついでなのか神獣さまも影の中から顔を出している。ちょっと驚いたけれど、私のことを心配してくれているようで嬉しい。
アリサと先々代の教皇さまは凄く驚いているけれど、私がナイさまから彼らをお預かりしていることは知っている。少し時間が経って理解が追いつくと、二人は小さく息を撫で下ろしていた。
「ありがとう、ヴァナル。でも、そこまで私にお付き合いして貰っても良いの?」
私の下にはヴァナルとフソウの神獣さまが残されていた。ナイさまが心配だからと言って、アルバトロス王国に戻る直前に私の護衛継続をヴァナルと神獣さまにお願いしていたのだ。ヴァナルと神獣さまもナイさまの言葉に軽い調子で返事をしていたから驚いた。ナイさまの下で暮らすのが一番良いだろうに、こうして私のことを心配してくれている。
『大丈夫。主との約束』
ヴァナルが私の影から完全に出てきて、私の横にちょこんと座って上目遣いで見上げてくる。神獣さまもぬっと影の中から出てきて黒い身体を床に付けて私を見上げていた。ばっふばっふと尻尾が揺れているので、ヴァナルと神獣さまの機嫌は良いようだ。このままヴァナルにお願いしてアルバトロス王国に逃げるのもアリかなと考えが浮かぶけれど、聖王国内で解決できなければいつかまた同じ轍を踏むことになる。
『わたしたちもいますよ』
『ナイさんから貴女を守って欲しいとお願いされていますからねえ』
『普通の人間であれば番さまでなくともわたしたちで十二分に対応できましょう』
なんだかフソウの神獣さままで聖王国の騒ぎに巻き込んでしまい申し訳なさが湧いてくる。ナイさまを経由してフソウの方々とお話できる機会を設けて貰い、ご協力して頂いたお礼を伝えることはできるだろうか。
「ヴァナルも神獣さまもありがとう。ごめんね、変なことに巻き込んじゃって……」
私は椅子から降りてしゃがみ込み、ヴァナルと神獣さまに視線を合わせる。ヴァナルは顔を近づけて私の肩に顎を乗せた。良いかな、と少し迷って私の両腕をヴァナルの首に回す。白銀の長毛は凄くサラサラモフモフしていた。凄く良い抱き心地だからヴァナルと一緒に寝ると凄く質の良い睡眠をとれそうだ。ちょっとナイさまが羨ましい。
『大丈夫。気にしない』
私の耳の側でヴァナルの声が聞こえてくる。神獣さまも私の側に寄ってきてくれて、ちょこんと座り直している。
『人間は、欲深い生き物ですからねえ』
『人間より長く生きている故に私たちは多くの方々を見てきました』
『あの黒服の男は小者です。ですが小者故に面倒なことになる可能性もありましょう』
神獣さまの言う通り黒衣の枢機卿は小者なのだろう。自分の能力ではなく、大聖女ウルスラの聖痕に頼って派閥の拡大と各国との繋がりの強化を図っているのだから。
でも確かに小者だからこそ、思慮深い方とか賢い方の真似ができず超面倒な展開になる可能性がある。一番面倒なのはナイさまと接触をすることだ。いや、まあ……彼だけが消し飛ぶのであれば構わない。身から出た錆なのだから、破滅する覚悟もできているのだろう。怪しいけれど……。
私は今回会議の場から怒って途中退席したけれど、やはり聖王国はアリサと先々代の教皇さまがいるので大事な場所である。どうか滅亡だけは回避できますようにと願いながら、部屋に閉じ籠っていろいろと動かなければなあと頭の中で考えていた。ふいにヴァナルが首を振り腕を離して欲しいと訴えてきたので、私は彼の首に回していた腕を解く。そしてヴァナルとばっちり視線が合った。
『主、心配する。教えてあげて? あとエーリヒにも』
言い終えたヴァナルがこてんと首を傾げた。ナイさまには当然密な連絡を取る予定である。あるのだが、どうしてそこでエーリヒさまの名前が出てくるのだろうか。そりゃ、一週間に一度かなにかあればそれ以上の手紙を送っているけれど。何故、ナイさまではなくヴァナルが私に伝えるのだろう。湧いた疑問は聞いた方が早いと私は口を開く。
「え……どうしてヴァナルがエーリヒさまの名前を出すの?」
『番のことは心配する。当然』
私の疑問にヴァナルが真面目な顔で言い切って、ふん! と鼻を鳴らし胸を張っている。神獣さまたちは『あらあらまあまあ』とニヤニヤしているし、何故かアリサと先々代の教皇さまもである。
二人にはエーリヒさまと恋仲になって健全なお付き合いをしていると伝えているけれど……どうしてそんなに微笑ましい顔で見ているのだろうか。それよりも問題な言葉をヴァナルが口にしていた。
「つ、つつつつつ、つがいっ!?」
番ってある意味夫婦ってことだよね!? ヴァナルは私とエーリヒさまが夫婦と認識しているということ!? お付き合いはしているけれど、夫婦って! 夫婦って!! あれ、どうしてバレバレなのかな!? ナイさまは気付いているか微妙なところなのに、どうしてヴァナルと神獣さまたちはドヤ顔で私を見ているのかな!?
うっ……。でもちょっと嬉しいかもしれない。エーリヒさまと婚姻して、小さなお屋敷で仲睦まじく暮らしながら穏やかな日常が流れる日々を想像すると私の顔が赤く染まっていく。
『番でしょ? 違うの?』
「ヴァ、ヴァナル! 揶揄わないでください!!」
疑問符を頭の上に沢山浮かべているヴァナルに向かって、私は顔を赤くしながら抗議するのだった。全然、抗議の効果はなかったし先々代の教皇さまとアリサは始終ニヤニヤ顔で私を見ていたけれど……。






