0985:侯爵領視察。
――聖王国で新大聖女さま就任の儀が執り行われることになった。
おめでたいことなので西大陸の信徒さんと聖職者の皆さまを多く集めて儀式が執り行われるそうだ。私もお貴族さま兼聖女兼筆頭聖女さまの代役で聖王国に赴くことが決まっている。
そしてアルバトロス王国の教会からは無茶ぶりくん、もといカルヴァイン枢機卿とシスター・ジルとシスター・リズが参加する。無茶ぶりくんは教会の総本山となる聖王国に赴けることにとても感動をしていたが、やはり大聖女という聖王国の顔が二枚できることを危惧していた。
能力の差で優劣を付けられれば片方の大聖女さまは平常心ではいられないだろうというのが彼の見解だ。私も同じことを危惧していることを就任の儀の参加打ち合わせの場で伝え、聖王国の黒衣の枢機卿さまの話を告げてみた。
『どこにでも自分が優位に立とうとする方がいるのですね』
彼はしょぼんとした顔で聖王国の現状を知り少し複雑な様子だった。相変わらずカルヴァインさまは真面目で少し硬い部分がある。逆を言えば、彼が政治的に暗躍するのは無理なので、アルバトロス王国の教会は彼が管理している間は平和かなと安堵していたけれど。教会に赴いたついでに、祭壇で祈りを捧げてグイーさまに問い掛けてみた。
――おお、ナイ! どうした!? 娘を引っ張り出す方法を思いついたのか?
グイーさまの声が届いたあと直ぐに南の女神さまの『よう』という軽い声が届き、東と北の女神さまが『あら、お嬢ちゃん』『声掛け早かったわね』と呑気な声が聞こえたのだ。
一応、フィーネさまとエーリヒさまと私が知っていた日本神話である、岩に閉じこもっていた女神さまの前で乱痴気騒ぎをして興味を引いて出したことを参考にして、西の女神さまが閉じ籠っている部屋の前の中庭でBBQでも行ってみませんかと聞いてみた。
――ばーべきゅー?
グイーさまが不思議な顔を浮かべて問うてきたのだろうなと想像できる声に私は苦笑して、みんなで食材を持ち寄って炭火焼を楽しもうと言い直した。
――娘が出てこなくても楽しそうだな! よし、やろう! 今直ぐでも構わないが、いつだ? いつ行うのだ?
凄く嬉しそうな声で笑うグイーさまに三人の女神さまが『親父殿が楽しそうでなにより』『子供ですわね』『そんなだから母上さまと別れて暮らしているのでは』と三者三葉の声が私の耳に届く。
ぐふっとグイーさまが声を漏らしていたので、三女神さまの誰かの言葉が彼の胸に刺さったようである。神さまたちは毎日が暇なので、いつでも構わないとのことだった。
――皆で楽しむならば、他の神も連れてこよう。ナイも親しい者を連れてくると良い!
ハハハと笑っているグイーさまに親しい方の予定もあるだろうからと、一か月先に予約を入れてみると快諾してくれた。有難いけれど、神さまって仕事をしているのかなと首を傾げる私であった。
一応、神さま側は私たちが住んでいる星を管理している神さまたちを誘うとのこと。グイーさまが頂点に立っているが、気が向いた神さまはきて欲しいとお願いするので誰がくるかまでは分からないそうだ。とりあえず南と東と北の女神さまは参加すると教えて下さった。その時点で超豪華メンバーである。とにかくいろいろと試して西の女神さまの引き籠もりを解消できれば嬉しい。
そうして神さまとの交信を終えて、皆さまにグイーさまのことを伝えれば彼の声だけ聞こえていたとのこと。なんだろう、力が強すぎて制御できていなかったのだろうか。念のためどこまで聞こえたのか調べて貰うと、教会の聖堂のみだった。
外まで漏れ聞こえていれば騒ぎになったのでその点に関しては感謝するが、周りの皆さまにグイーさまの声が確実に届いていたので『珍しく教会に顔を出したと思えば』『神の島まで赴いていたのですねえ』とシスター・ジルとシスター・リズの呆れた声が私の耳に届くし、カルヴァインさまが凄く感動した様子で『凄いです! 閣下!!』と言いたげだった。
教会で祈りを捧げる際には護衛の人数を限定しようと心に誓って、教会から子爵邸の私室に戻り夜が明けた。
大聖女さま就任の儀が執り行われるのは二週間後に控え、隙間時間にアストライアー侯爵領の視察に赴こうとなったのだ。一週間、侯爵領に泊まり込んで領地の端から端まで赴く予定だ。ロゼさんにも一緒にきて貰って転移できる場所を増やすつもりである。
王都の子爵邸から侯爵領へと転移したい所だけれど、今回初めて赴くことになるので馬車移動である。かなり大所帯となっており、沢山の護衛と凄く豪華なアストライアー侯爵家用の馬車が子爵邸の馬車回りに止まっていた。
馬車移動だと侯爵領までに五日間も掛かるので、飛竜便で移動することも考えたがロゼさんが転移できる先を増やしておきたかった。少しロゼさんの負担になって申し訳ないけれど、私の魔力譲渡で取引を済ませている。ユーリも侯爵領へ連れて行きたかったが、幼子には五日間の馬車移動は堪えるだろうとお留守番をお願いした。
今回の同行者はいつもの子爵邸メンバーである。侯爵領で働く方々との顔合わせもあるから少し緊張していた。そうして馬車に乗り込み移動に五日間を掛けて侯爵領へと辿り着く。帰りはロゼさんの転移で戻り、二日間の準備を経て聖王国の大聖女さま就任の儀に参加する予定だ。
子爵邸の馬車回りより数倍の広さを誇るアストライアー侯爵領領都に鎮座しているお屋敷に私は『はへー』と妙な声を漏らしていた。広いなあとそわそわしていると私の影の中から毛玉ちゃんたちがしゅばっと飛び出て、五頭が並んで地面にお尻を付ける。
「毛玉ちゃんたち、ヴァナルと雪さんたちと離れてちょっと雰囲気変わったよね」
私は毛玉ちゃんたちに視線を移して小さく首を傾げた。彼ら彼女らはヴァナルと雪さんたちがいないためか、少し元気がないようにも見える。
「そうか?」
「どうだろう?」
私の護衛として直ぐ後ろに控えているジークとリンが声を上げ、私の肩の上に乗っているクロが顔をこてんと傾けた。
『少し落ち着いた気がするかな?』
クロの言葉通り元気がないように見えるのは落ち着いてきたからだろうか。私の側仕えとして控えてくれているソフィーアさまとセレスティアさまが毛玉ちゃんたちを見下ろしていた。
「以前なら勢い良く屋敷の庭へと走って行っていただろうな」
「……っ! 少し寂しいですが、大人への道を進んでいるのですね」
ソフィーアさまが仰った通り前の毛玉ちゃんたちであれば広い庭に走り出て、五頭一緒にじゃれ合っていただろう。それを行わないのはヴァナルと雪さんたちと離れたことで自立心が芽生えたのかもしれない。
セレスティアさまは鉄扇を開いて顔を隠して肩を震わせている。いずれくる別れを思い描いているのだろうか。毛玉ちゃんたちが大きくなればフソウに赴くことになっている。五頭全て移住するかは未定だけれど、みんなフソウに行くことも覚悟しておかなければと目を細めていると、侯爵領の代官を務めて下さっている方が出迎えにきてくれた。
「遅れてしまい申し訳ありません、ご当主さま。アルバトロス王国から派遣され、侯爵領の代官を務めさせて頂いております」
代官さまが名乗りを上げて私に深く礼を執る。私も目線だけ下げて名乗っておいた。本当は私が先に声を掛けるべきなのだが、彼が迎えに出遅れたことで慌てて忘れていたのか。へっぽこ当主で申し訳ないと内心で謝りつつ、彼の案内で侯爵領領都にあるお屋敷の玄関へと案内される。玄関の大扉を抜けてホールに入った。
「…………うわあ」
私の口から少し引いた言葉が漏れる。感嘆の声ではなく広すぎることと豪華過ぎることで呆れてしまったとでも言おうか。私の背後でジークとリンも同じことを考えているようだった。
『広いね。毛玉ちゃんたちには良い遊び場かな?』
クロが私の肩の上で一緒についてきていた毛玉ちゃんたちを見下ろすと、桜ちゃんが『ふん!』と鼻を鳴らした。どうやら仔供じゃないよと言いたかったようで、その様子を見たクロが『ごめんねえ』と苦笑いをしながら彼らに言葉を返している。
それを見た某お方は『ふはっ!』と声を漏らして別世界に旅立つと、某ご令嬢の下の方から『スパン!』という良い音が聞こえた。悦に浸る某お方を現実に引き戻すために、某ご令嬢が足技を使った音のようだ。
「ご、ご当主さま、どちらから案内を始めましょうか?」
私たちの対応に慣れていない代官さまが戸惑いながら問いかけてくる。
「とりあえず執務室へ赴いて侯爵領の状況を教えてください。あとお屋敷で働く皆さまとの挨拶を済ませたいです。屋敷内の案内はそれらを終えてからで良いでしょうか?」
お屋敷の中がどんな感じか気になるけれど、先ずは放置していた侯爵領の仕事を片さなければ。もちろん王都の子爵邸で事務手続きは行っているものの、今まで侯爵領の代官である目の前の彼に丸投げだったのだ。それらの謝罪と感謝を送って先ずは領主のお仕事をしなければ。どれほど溜まっているのか分からないけれど、沢山仕事があれば一週間執務室に缶詰状態になるのも覚悟している。
「もちろんでございます。あと私めに敬語は必要ないかと」
片眉を微かに上げた代官さまに私が追い追い慣れさせて頂きますと返せば、お願い致しますと言葉が戻ってくる。私の言葉使いは癖のようなものだから、直すには時間が掛かるだろうなと遠い目になった。
代官さまの案内により侯爵邸の執務室へと辿り着く。彼曰く、王都の子爵邸の家宰さまと相談しながらヤバい品は撤去して、地下室へと放り込んでいるそうだ。あとで私が確認を取って売却か保存か廃棄か決めて欲しいとのこと。王都の侯爵邸にはアレな本が沢山あったから、領都のお屋敷にも沢山あったのだろう。お手数を掛けましたと言いながら、執務室の当主用の椅子へと腰掛けた。
「……お尻が沈む」
私は椅子にお尻が沈む感覚を覚えて無意識に口に出していた。お尻も沈むし、椅子も随分とオーバーサイズで座り心地が良いのか悪いのか分からない。クロは私の肩の上で部屋を見渡し、毛玉ちゃんたちは匂いを嗅ぎながら私の足元にちょこんとお尻を下ろす。
「ナイに合ったものの方が良いな。申し訳ないのですが、手配をお願い致します」
「寸法は子爵邸の家宰殿が知っておりますわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが側仕えの権限を行使して、代官さまへとお願いしている。確かに椅子は身体に合っているものの方が良いし、お二方にも合っている品をと私も代官さまにお願いした。
「承知致しました」
しずしずと礼を執る代官さまにお仕事くださいと申し出れば、やはり当主権限でしかできない仕事が多く残っていた。急ぎではない案件なので問題は少なかったようだが、早く目を通して決裁すべきものから取り掛かる。
代官さまは優秀だし、ソフィーアさまとセレスティアさまも領地運営のノウハウを持っているので彼らにアドバイスを頂きながら決定していく。侯爵領に辿り着いて一日目は事務仕事に追われたけれど、ほとんどを終えたので明日から領地の視察に出る。侯爵領規模だと領都といくつかの大きい町を管理しなければならず、視察に赴くべき所が多くなっていた。
代官さまから明日の予定を聞き、侯爵邸で夜ご飯を頂きお風呂に入って就寝する。今日頂いた夜ご飯は料理人さんの違いからか、味付けがいつもと変わっていた。これもまた楽しい変化だなと感じながら、新調したというベッドに潜り込んで目を閉じた。
――朝。
陽が昇って直ぐ領主邸から他の町へと赴く。私が侯爵領にきていることが知れ渡っているようで、馬車移動の際は領都に住む方々から歓迎を受け車の窓から手を振っていた。これも領主のお仕事に含まれているようで、嫌われてしまえば領の方から無視されるらしい。嫌われないように頑張ろうと決意して、町をいくつか回ると夕方を迎えていた。
侯爵邸のベランダに出て沈む夕陽をジークとリンと私とクロと毛玉ちゃんたちで眺めていた。侯爵領というだけあって広大な土地を治めなければならない。
子爵領より責任が大きいし、やるべきことも沢山ある。きちんと領地を盛り立てられるか不安だけれど、地道にやっていくしかないのだろう。そのためにアルバトロス王国とハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家から人員が派遣されているのだ。頼りない領主であるが、領地の皆さまを不幸にすることだけはなんとしてでも避けたい。
「領地、かなり広いね。小麦生産が主だから、何年か経てば代官さまの力を借りずに私だけで運営できると良いんだけれど……」
一次産業が盛んな侯爵領故に領地は広大である。一人で領地運営できるのは夢のまた夢だよなと私は苦笑いになる。地平線に沈みゆく夕陽の眩しさに私が苦笑いになっていることを誤魔化せるだろうか。
「ナイ、俺も手伝う。そのためにラウ男爵の下に休みの日は通っているからな」
私の隣でジークがぽつりと呟いた。夕陽の光に照らされた彼の赤髪が更に赤くなっている。
「ジーク、男爵さまの所で領地運営を習っていたの?」
「ああ。少しでもナイの役に立てばと考えていた。クレイグもできるだろうが、俺ならナイの側で助言できるから……」
私に視線を合わせたジークがそう言って直ぐに視線を外す。リンは黙って彼の様子を見守るようで口出ししてこない。いつもであればリンもなにか言いそうなのに。
「そっか。ありがとう、助かるよ」
私はジークを見上げながら言葉を紡ぐ。
「いや。ナイが背負っているものを俺にも少しくらい背負わせてくれ」
私の言葉にジークが後ろ手で頭を掻いていた。いつもより彼の顔が赤い気がするし、言葉のチョイスが普段より大袈裟である。毛玉ちゃんたちの変化のようにジークにもなにか思う所があるのだろうかと首を傾げるのだった。