0983:下心丸出し乃助。
黒衣の枢機卿が大聖女である私の前に立った。背が高くて――私が低いのかもしれないが――少し圧迫感がある。彼がにこりと笑みを携えると口を開いた。
「こんにちは。奇遇だね、大聖女フィーネ」
胡散臭いと感じてしまうのは着衣が赤を差し色にした黒い姿だからに違いない。どうにも最近、彼と喋る機会が多くなっている気がする。以前は一歩下がって私が所属している派閥より目立たないように動いていたというのに。
「ごきげんよう。どう致しましたか?」
とりあえず挨拶を返さなければと彼の顔を見上げて私も笑みを携えた。
「大聖女フィーネさまは今の聖女ウルスラをどう捉えているのかな?」
黒衣の枢機卿がふふふと笑いながら私に疑問を投げる。どうしてそんなことを聞くのかと身構えるけれど、彼の気持ちを知る良い機会だろうかと私は口を開く。
「私ができないことを彼女は成し遂げています」
私が抱くウルスラに対しての正直な感想だった。周りの聖女も聖職者の方々も彼女の力を喜び受け入れているし、聖痕が現れたことにも素直に祝福を贈っている。
「ああ、そうだねえ。聖女ウルスラは素晴らしい力を持ち、息絶えた赤子の命を再び蘇らせ、腕を失くした者に新たな腕を与えた。ウルスラは大聖女として君より数段上だろう?」
「確かに彼女は素晴らしい力を持っております。信者の皆さまにも分け隔てなく接し、聖痕が現れたというのに他の聖女に驕っておりません」
野心があれば他の聖女と差が付いたと見下す素振りを見せそうだが、彼女にはそれがない。その上、同時に大聖女が二人いても構わないとも言っている。目の前に立つ黒衣の枢機卿は大聖女である私の存在が邪魔なはずだ。
「そうだね。本当に彼女は素晴らしい人格者だ。周りの者たちもウルスラの力に心酔し始めている。彼女が大聖女の座に就けば、君はウルスラの影に隠れることになろう」
今の状況を考えれば聖女ウルスラが大聖女の位に就けば私の影は薄くなるはずだ。やはり目の前の彼は私を大聖女の座から退くことを望んでいるようだ。今は言葉で諭しているけれど、私が辞めない場合強硬な手段に出る可能性もある。私は小さく息を吐いて、もう一度黒衣の枢機卿を見上げた。
「その時はその時でございましょう。それに私には私の大聖女としてのやり方がございます」
ウルスラの力は本物だけれど、いずれ彼女の身を破滅させそうだ。優しい彼女のことだから無理をして多くの方々を助けようとしそうである。そうなった時、彼女を引き留める者がいなければならない。彼女を持て囃して治癒を施させようとする周りの人を諫める者がいなければ。いずれウルスラは潰れてしまう危うさを持っていそうなのだ。
「まさか大聖女フィーネはアルバトロス王国を……アストライアー侯爵を頼るのかな?」
「それも一つの手段だと考えておりますね」
彼の言葉に私は答える。ナイさまを頼るのは最終手段だろう。本当にどうにもならなくなった時だけ相談に向かうつもりではいる。私には聖王国のみんながいるのだから、ナイさまを頼る前に彼らを頼らなければ失礼だ。
「そうか。確かに彼の侯爵の力は偉大だ。しかし大聖女フィーネに侯爵の力を十全に使い切る自信があるのだろうか?」
「……どういう意味ですか?」
むっと口を結んだ私に黒衣の枢機卿が口の端を伸ばしながら右手を動かした。
「アストライアー侯爵を上手く使えば、西大陸全土を聖王国が手中に収めることもできよう。そして我々は神の教えを説き聖都の価値を上げれば、更なる発展を遂げよう」
彼は右手を開いてからぐっと握り込む。どうやらナイさまを丸め込む気でいるらしい。
「確かに素敵な計画です。ですがナイさま……アストライアー侯爵閣下が貴方の小さな野望に力添えなさるとは考え辛い」
私の言葉に黒衣の枢機卿の片眉がピクリと上がった。ナイさまを御せる人なんてジークフリードさんとジークリンデさんとクレイグさんとサフィールさんに、ハイゼンベルグ公爵さまくらいだろう。次にアルバトロス王くらいのはずだ。
目の前の彼にナイさまが御せるはずはないし、下心を持った人に彼女は敏感だ。きっと直ぐに内心を見抜かれて袖にされるのではと、私は訝しい顔になってしまう。
「ははははは! 私の夢を小さいと言うのかね、君は!」
良い声で笑う黒衣の枢機卿は右手を目に当てて涙を堪えているようだ。大陸は西以外に東と北と南が存在しているのだし、全世界を手に入れると言わない時点で小物の思考ではと考えてしまったのだ。うーん、こう遠回りにやり取りをするのは苦手だから直接的に物申してしまおう。
「失言でした。撤回させてください。しかしアストライアー侯爵閣下を御せると考えるのは危険です。また聖王国を崩壊の危機に陥れるおつもりでしょうか」
私が即座に政治家のような答えを発すると彼はむっと顔を顰める。どうやら私は無意識に余計なことを口にしてしまったようだ。気を付けているけれど、慌ててしまったり戸惑ったりすれば心の隅で思っていることがぽろっと口から漏れてしまう。
「聖王国を危機に陥れるなど。大事な国を亡国にする気など全くないよ。ただね、彼女が持つ各国との縁はとても魅力的だ。大聖女である君には分かり辛いのかもしれないがねえ」
黒衣の枢機卿がふふふと不敵に笑った。
「確かに私は未熟者ですが、他国の方に頼ってはいません」
私と聖王国は三年前にナイさまにお尻に火を付けられただけで、彼女を頼ることはなかった。もしかして彼は密かにナイさまが聖王国と関わっていたと勘違いしているのだろうか。
「確かに前回は頼っていなかったようだが……聖王国が更なる発展を望むには他国の力も必要だ」
「仮に他国の援助を得られたとして、我ら聖王国がなにを差し出すのですか? お金も土地も潤沢にある訳ではないのですよ」
聖王国は宗教の総本山として大聖堂に巡礼にきた方々の寄付で成り立っている所が大きい。もしかして彼はその状況を改善しようとしているのだろうか。
悪いことではないけれど他国の力を借りてまで遣り遂げることには思えないし、仮に援助を受けたとして……聖王国に望むものはお金か土地のはずだ。他国に献上すれば聖王国は一気に傾く。目の前の彼は聖王国の財政を理解しているはずなのに、どうして口にしたのだろう。――まさか。聖女ウルスラが大聖女の位に就くことに反した私がナイさまを頼ると考えているのだろうか。
そうであるならお門違いも良い所である。私はウルスラが大聖女になることに反対はしていないし、一緒に切磋琢磨できるのであればそれも良いだろう。もし周りの人たちに私が大聖女の座を辞せと言われれば、潔く身を引くつもりだ。
私の派閥の皆さまは、聖王国を立て直した者の一人である私を無下に扱う気かと怒ってくれるだろう。でも聖女ウルスラが大聖女の地位に就き、その座に相応しい人物であれば問題ない。今は彼女の考え方を危惧しているので、暫くは私ができる範囲で見守るつもりでいる。
「そんなこと十二分に知っているよ。聖王国には他国と比べれば土地も人も資金も少ない。だからこそ聖女ウルスラが大聖女の位に就くことに期待しているし、彼女の力がアストライアー侯爵を超えるなら良い喧伝になると思わないかな?」
「確かにアストライアー侯爵閣下の力を超えるとなれば、聖王国に凄い人物が現れたと大陸中の話題になりましょう」
もし聖女ウルスラがナイさまと直接対決したとして、治癒の能力であればウルスラが勝つ可能性が高い。他の部分の勝負となればナイさまが圧倒的に勝ってしまう。私が彼の言葉を認めたことで、目の前の黒衣の枢機卿がどやっとした顔になる。
「……――そう。だから君にはアストライアー侯爵に頼って貰わなければ。そして彼女をアルバトロス王国から引っ張り出して欲しい。もし君が侯爵を聖王国に連れてきてくれるならば、私は君とウルスラが同時に大聖女として存在することを支持しよう。悪い話ではあるまい?」
黒衣の枢機卿が言葉を続ける。聖女ウルスラが大聖女になっても、私が所属している派閥の勢力を落とすことはないと。しかし少し前に私が所属している派閥の人が離脱宣言をしているのだが。彼も私も正しい判断を下すには情報が錯綜しているようだった。
「お断りいたします。私利私欲でアストライアー侯爵を引っ張り出せば、今度こそ確実に聖王国は潰れます」
私は黒衣の枢機卿さまの目を真っ直ぐに見据える。本当に彼はなにを考えているのだろうか。聖王国の未来を考えているのに破滅の道へ進もうとしている。私がナイさまと仲良くしているのは個人的な繋がりのみで、政治的に協力関係にはなっていないのに。
そりゃゲームの知識を持っていたから不味い事態に陥りそうになると、彼女と連絡を取っていた。でも情報提供だけして他は関わっていない。第三者の人から見れば、私とナイさまは政治的にも繋がっているように見えるのか。ヴァナルとフソウの神獣さまに今のやり取りは筒抜けだから、目の前の彼がナイさまの怒りに触れないようにと祈るばかりである。
「聖王国が潰れれば各国が黙ってはいないよ。アストライアー侯爵はなにをしているとアルバトロス王国に抗議がたくさん入るだろうね」
黒衣の枢機卿がドヤ顔で告げた。それ、他国を頼っているだけで聖王国のみで解決しようとしていない。確かにアルバトロス王国を責める好機だと捉えて書簡を送るかもしれないけれど、直接関係のない国にできることは少ない。嗚呼、もう彼に喧嘩を売ってしまっても良いだろうか。ヤケクソになった訳ではないけれど、こうも絡まれてしまうとウザくて敵わない。そもそも聖女ウルスラが大聖女の位に就くことに反対していないのに。
「他国の方の位を翳して得た物に価値はありません。望みがあるのであれば自分たちの手で掴み取らなければなりませんよ。本当に貴方は――」
小者ですね、と私が言おうとした時だった。
「――フィーネさま!」
「――枢機卿さま?」
アリサと聖女ウルスラの声が重なり、私と黒衣の枢機卿を呼び止めていた。正直、小物は言い過ぎだから凄いタイミングで二人が現れたものだと、誰にも分からないように小さく息を吐く。結局、話は有耶無耶になって私は大聖堂へと向かい、黒衣の枢機卿と聖女ウルスラは廊下の奥へと消えていく。
「枢機卿となにを話されていたのですか、お姉さま?」
「少しね……ああ、でもアリサにも知って貰っておいた方が良いかもしれないわね」
他言は無用と告げて彼女に先ほど彼と話していたことを教えると、アリサは顔を真っ青に染める。
「ナイさまを政治的な理由で聖王国に引っ張りだしたら……凄く大変なことになりませんか。いや、まあ……先日はナイさまとアルバトロス王国にお願いして公式訪問にさせて頂いたので私たちが言える台詞ではありませんが」
アリサも理解しているのに派閥の長を務める黒衣の枢機卿が状況をきちんと理解できないとは。彼は聖女ウルスラの聖痕と力の発現に今まで我慢していたものが噴出してしまったようだ。今回の件はきちんと聖王国上層部に報告してナイさまにも伝えておこうとアリサと話し、先ずは大聖堂でお務めを果たすのだった。