0981:聖王国の日常。
アリサはまだ暗い顔のままだった。彼女は聖女ウルスラが聖痕を得て力を発動させていることに納得しておらず、私の地位が危ぶまれていることを不安視しているようだ。
私が大聖女の座に執着していないと彼女が知れば怒ってしまうかもしれないが、前世のお陰なのか私は女神さまに対する信仰心が薄い。女神さまをキチンと崇めている聖女ウルスラの方が大聖女に適任なのだろう。とはいえウルスラの意思も大事だから、彼女の考えや未来の展望を知りたい。
朝拝を終え参拝者の方たちの懺悔や治癒依頼に答えた私たち聖女は、いったん休憩を取るためにとある部屋に集まっていた。今まで聖王国の聖女が集まる機会なんてなかったけれど、せっかくだからと私が集まって情報共有やお喋りをしようと私が発案したのだ。
迷惑な参拝者さんの情報や怪しい人を見れば報告に上げているし、困っていることや治癒魔術についてなど話は本当に多岐に渡る。問題がなければ一、二分で報告が終わり、あとは茶話会といった軽いものであるけれど。
「聖女ウルスラは凄いわね。まさか失くした腕を再生することができるなんて!」
「あたしには無理だなあ。本当に大聖女に相応し……っ! 失礼致しました!」
とある聖女さま二人が明るい顔で話していた。私の姿に気付いて凄く気まずい雰囲気を出して、慌てて頭を下げてくれたけれど。確かに聖女ウルスラの力は凄いけれど、アリサが凄い形相で怒りを露わにしていた。
私はアリサの服の袖を静かに掴んで『気にするな』と小さく首を振る。私だってただの聖女であれば凄い力を持つ聖女さまが誕生したなら嬉しい気持ちになるだろう。だから喜んでいる聖女さまたちを咎める理由はなかった。
「さあ、報告の時間ですよ。席に着きましょう」
私の声に先ほどの聖女さま二人がいそいそと席に着いた。少し息を切らしながら聖女ウルスラも私たちより少し遅れて部屋にくる。十人掛けの丸テーブルにいろいろな表情を浮かべた聖女さまが座して、私の言葉を待っていた。
「今日の午前のお務めご苦労さまです。体調に問題がないのであれば、お昼からもよろしくお願い致します」
私が声を上げると、みんなが確りと頷いてくれた。あとは大聖堂の参拝者の中に妙な行動を取る方や怪しい人の情報を交換していく。それぞれ所属している派閥は違えど、みんな聖王国で聖女を務めている子たちである。
妙な人からやっかみを受けて聖女を辞めたいと願う人がいるかもしれないと考えて、話し合いの場を設けたけれど役に立っているようで良かった。ふうと息を吐いて、私は今飛ぶ鳥を落とす勢いのウルスラの顔を見る。
「聖女ウルスラ。少し話を良いでしょうか?」
立場を気にしたくないけれど、どうしても大聖女として振舞わなければならない。少しむず痒い思いがあるものの、他の聖女より優遇されているので上に立つ責任というものがある。私がきちんと責任を果たせているか分からないけれど、彼女たちを路頭に迷わせたり不幸になって欲しくはないのだ。
「はい。如何なさいましたか、大聖女フィーネさま」
ウルスラが小さく首を傾げると水色の長い髪が肩からはらはらと落ちていた。十五歳と聞いているのに随分と落ち着き払って私と視線を合わせている。堂々とした子だなと感心しながら、派閥の方たちがいないこの機会に聞きたいことを聞いてみようと私は口を開く。
「既に噂が出回っておりますし、ウルスラも覚悟を決めた頃でしょう。大聖女の座に就く決意は済みましたか?」
私の言葉を聞いたウルスラが少し硬い顔になる。聖王国の大聖女の座には聖痕が現れれば、その位に就くことができる。そして彼女は私より上位の聖痕持ちだから、聖王国上層部の話し合いは彼女を大聖女の座に就かせると直ぐに判断するだろう。
私の扱いをどうするか困り果てていそうなので、聖女ウルスラが大聖女の地位に相応しく能力があるのであれば問題ないと私が所属する派閥の方には伝えている。聖女ウルスラが静かに椅子から立ち上がり胸の前で手を握った。
「聖王国が危機に苛まれた際に大聖女フィーネさまのような働きは私には無理でしょう。しかしながら……困っている方々を助けたいという私の意志は誰にも負けないつもりです!」
聖女ウルスラが自分の言葉をはっきりと声に乗せて私へ伝えた。おそらく彼女は人助けに関しては本気のようだ。政治面は理解できないので自信がないようである。
元々、大聖女という称号は聖王国にとって象徴のようなものだから、人々の話に耳を傾け治癒魔術を扱えれば構わない。私が大聖女として異端なだけだと、彼女の言葉に小さく頷いた。
「では聖女ウルスラは聖王国の決定に従い、不服はないということで宜しいでしょうか?」
「はい。枢機卿さまのお話では私は確実に大聖女の座に就くことになると。そして今よりできることが増え、沢山の人々を救えるようになると教えてくださいました」
希望に満ちた目で私を見ていた聖女ウルスラが凄く困ったような顔になる。
「しかしながら、大聖女フィーネさまは私が同じ位に就くことをどうお考えですか? もしフィーネさまの了承を得られないのであれば、私は辞退しようかと考えております」
彼女は人々を救うことは聖女でもできると言葉を続けた。たしかに聖女のままでも誰かを救うことはできるけれど、大聖女の地位に就けばできる範囲が広くなるだろう。
ウルスラは私を慮ってくれているけれど二人同時に在位することもできるので、彼女が納得しているのであれば問題ない。だが、それは私とウルスラの視点であり、周りの皆さまがどう考えているのかで状況は変わってくる。
黒衣の枢機卿さまはウルスラと大聖女が二人同時に存在していることを相談していたようである。自分が所属する派閥から聖痕持ちを輩出したならば、必ず大聖女の位に据えようとする。それだけ聖王国では大聖女の地位は高く、そして大きな影響力を持つ存在なのだ。
「私としては問題ありません。聖女ウルスラとご一緒に務めを果たせるのであれば、こんなに嬉しいことはありません」
「本当ですか!?」
私の言葉でウルスラから緊張が一気に解きほぐれ笑みを携えた。私の言葉は嘘ではない。真面目なウルスラと共に大聖女を務め上げたなら、今より多くの方を救えることは確実だ。
荒事に慣れていないようだし場数を踏んで経験値を積まなければならなそうだけれど。聖女ウルスラの願いは本物だろう。曇りのない目で多くの人を救いたいと言ってのけたのだ。聖女が集まっている場で宣言できるのは心から望んでいるから。
「皆さまがいらっしゃる場で嘘を吐いても仕方ないですからね。――ウルスラ」
今私が告げた言葉は自分にもウルスラにも刺さっている。そして一番伝えたいことを告げるべく、私は少し声のトーンを落として彼女の名を呼ぶ。少し空気の流れが変わったことが伝わり、ウルスラにもアリサにも周りの聖女たちも息を呑んだ。
「貴方の力は素晴らしいものです。ですが、過ぎたる力は貴女の身を危険に置く場合もございましょう。十分に力の使いどころは考えて行使してください」
「わ、分かりました。ご助言、感謝致します」
おっかなびっくりな顔をしたウルスラが私の言葉を噛みしめているようだった。良かった。彼女は大聖女の座に就けると浮かれてはいない。周りが見えているのであれば間違えた判断はしないだろう。あとは彼女の周りにいる方々が問題である。彼女を唆すような方がいなければ良いのだが……少し不安を抱えながら、茶話会は解散となった。
私は一番先に部屋から出て息を吐く。ウルスラには脅しのような言葉を掛けてしまった。大聖女が同時に二人存在することを気に掛けてくれていたから優しい子なのだろう。
少し後悔が残るものの、周りの大人たちに振り回されなければ良いのだが。この辺りも派閥のみんなに相談してみようと頭の隅に刻み込んだ。暫く護衛の方と一緒に歩いていると、アリサが小さな足音を立てながら私の下へとやってきた。
「お姉さま。ウルスラを味方に引き入れるおつもりなのですか? 他の聖女たちはお姉さまがウルスラの力に嫉妬していると口にしていました」
アリサは茶話会の部屋に残って情報収集を行ってくれたようだ。私が部屋を出たあとにウルスラも立ち去ったので、聖女の皆さまで姦しくお喋りをしていたのだろう。アリサは困っているような、怒っているような顔で私と視線を合わせる。
「敵とか味方とか考えていないわよ。彼女には後ろ盾の枢機卿がいるから、私たちは手を出せないでしょう。って、嫉妬かあ……ねえアリサ、貴女がウルスラのように奇跡を起こせたなら、周りのみんなは貴女をどう扱うかしら? 良く考えてみて」
以前の私ならウルスラの力に嫉妬していただろう。でも正直に言ってしまえば、ウルスラより凄い人を知っている。おそらく治癒の力はウルスラの方が上であるが、件の方は……ナイさまは想像の斜め上を超えたことを起こす方だ。
私は竜の方々と仲良くなる自信はないし、ヴァナルのようなフェンリルと喋る気力もないだろう。エルフの方たちだって、対面して話をするだけで緊張するのにナイさまは平然としている。
最近は神さまの島に赴いて怪我を治して貰い、西の女神さまの引き籠もりを解決して欲しいと創造神さまからお願いされたそうだ。本当に吃驚であるし、ウルスラの力を頭一つ以上飛び抜けている。
ナイさまのぶっ飛び事情を知っているお陰で、ウルスラに嫉妬は湧いてこなかった。過ぎたる力は持て余すだけだし、私に扱える気がしない。ナイさまと出会う前の私なら喜んでいたかもしれないが、今の私は狡猾な方に良いように利用されるだけだと落ち着いて考えることができた。
「えっと……凄いと言って褒め称えてくれるかと」
「他には?」
アリサがむむっと考える素振りを見せながら、頭に思い浮かんだことを口にしている。まだ考えているようで次の言葉が出るようにと私は彼女に促した。
「誰にも治せなかった病気や怪我を治して欲しいって請われると思います」
「そうね。そして治すのだけれど……そこから先、貴女がどうなるのかは?」
「あ……利用されるのでしょうね。きっと自分の都合の良い方向へと導こうと企むんじゃないかなと」
アリサの言葉に私は頷く。奇跡を起こせるウルスラだけれど、自身の身を守る術を持ち得ていない。大聖女候補となっているので聖王国から護衛が就けられるけれど、信用できるかどうかは分からない。そもそも黒衣の枢機卿さまの関係者かもしれない。ナイさまに興味があるようだから、彼がなにを考えているのか探りを入れてみたいけれど……バレれば私が糾弾されるから下手なことはできない。
「ええ、そうね。私には逃げ道があるし、頼れる方たちがいる。でもウルスラにはないと思うの。彼女の本心を聞いたわけでも、見えるわけでもないから心の内でなにを考えているかは分からない。でも困っているなら、騙されているなら助け出せる手筈は整えておきたいわね」
私は最悪の場合アルバトロスに逃げることができる。ご迷惑を掛けてしまうことになるけれど、エーリヒさまとナイさまであれば手を差し伸べてくれると信じている。それでもまあ、逃げるのは本当に自分の身が危うくなった時だけだ。それまではきちんと大聖女の務めを果たさなければ、三年前共に立ち上がったみんなを裏切る形になってしまう。
「そうですね。流石、お姉さまです!」
「もう。アリサ、何度も言うけれど私たちは同い年なのよ。お姉さまは止めない?」
「嫌ですよ。そもそもお姉さまはアストライアー侯爵さまとベナンターさまにはタメ口じゃないですか。私にタメ口になってくれない限り止めません!」
くすくすと笑うアリサに私も笑って、午後からのお務めを始めるのだった。