0980:聖王国内のご様子。
聖女ウルスラに聖痕が現れて数日が経っていた。
夜、私は聖王国の自室で机に座ってエーリヒさまから頂いた、オーロラの写真の複写に視線を落としていた。暗闇に浮かぶ緑糸の帯の濃淡に目を奪われる。物凄く寒かったけれど本物は美しかったとエーリヒさまが記した手紙に認められていた。肩を寄せ合って手を繋いでエーリヒさまと一緒に見たかったなあと、写真に写るオーロラの帯を指でなぞる。
聖女ウルスラを大聖女の格へ引き上げるかの検討が始まっている。聖女ウルスラの聖痕は私が所属している派閥の方も確認して偽物ではないと判断されているし、教皇猊下も御認めになっている。
私よりも階位が上の聖痕が彼女に現れたから聖王国上層部では当然のことだ。私は聖女ウルスラが大聖女の座に就くことを問題にしていないけれど、ナイさまが凄く気にしてくださっている。聖王国を立て直した私の功績を認めないつもりなのかと憤ってくれていた。
それに黒衣の枢機卿さまがなにか企んでいそうだと。だからナイさまは私の側にフェンリルのヴァナルを残してくださった。フソウ国に知らせが入れば、ケルベロスであるフソウの神獣さまも護衛として私の下にやってくる。私が所属している派閥の方々は凄く驚いていたけれど、竜使いの聖女と二つ名を持つナイさまがヴァナルと神獣さまを預けてくれたことは有難いと仰っていた。
大聖堂では聖王国民の方々と大陸各国から巡礼にきている信者の方たちで、新たな大聖女が誕生する可能性があることに盛り上がっている。息絶えていた赤子の命を吹き返させたこともあって、余計に神の御使いであると騒がれていた。私はそんな奇跡を起こしたことはなく、怪我や病気の方に対して普通に魔術を施して、手に負えない方は諦めざるを得なかった。
私より大聖女として力があるのならば、座を譲るべきだろうと彼女が起こした奇跡を目の前にして決意できた。だから私が大聖女の座から降りることに後悔とか悔しい気持ちとかは微塵もない。
でも今まで大聖女さまと頼られてきたのに、唐突に新しい大聖女が誕生し周囲の方々が盛り上がっていることに不安というか、寂しさを覚えていた。
ふうと息を吐いた私の足元で伏せて目を瞑っていたヴァナルが顔を上げて視線を合わせた。ずっとゆらゆらと揺らしていたふさふさの尻尾の動きがピタリと止まっている。
『フィーネ。寂しいの?』
ヴァナルが小さく首を傾げながら私の足の上に彼の片脚がちょこんと乗った。心配させるつもりはなかったのに、どうやら彼は私の雰囲気でなにかを悟ったようだった。
「気に掛けてくれてありがとう、ヴァナル。寂しいというよりは……なんだろう、ちょっと難しいけれど、複雑な気持ちって感じが一番強いかなあ」
ナイさまが初めて聖王国の地を踏んでからというもの、私は……私たちはかなり忙しかった。聖王国の立て直しに奔走して、いろいろな方と出会い言葉を尽くし国を良くしようと奮闘したのだ。
あの黒衣の枢機卿さまも三年前は下位の役職だったのに、随分と尽力してくれて今では派閥の長として、そして枢機卿として勤めている。まさか彼が後ろ盾となっている聖女に聖痕が現れるなんて全く考えていなかった。そりゃゲームの時系列なんてとっくに過ぎているので、ゲーム知識なんて全く役に立たないけれど……大聖女の座から降りることにもう少し覚悟を持ってから現れて欲しかった。
『フクザツ?』
ヴァナルが伏せの状態からお座りの格好をして私を見上げる。椅子に座ったままだと話し辛いと、私は椅子から立ち上がりヴァナルの隣に腰を下ろした。私はヴァナルの身体に手を伸ばして、彼のもふもふの長い毛を堪能する。
「大聖女の座から降りるのはもっと先だって考えていたし、周りの方から向けられていた好意がぱっと止まって寂しいというか、私は大聖女としての力は微妙だしなあとか、いろいろね」
あと聖女ウルスラに聖痕が現れて、エーリヒさまの下に行けると喜んでしまった。みんなと力を合わせて立て直した国を簡単に捨てようとした自分に少し衝撃を受けたのだ。
もちろん手順を踏んでエーリヒさまの下に嫁げるならこの上なく嬉しいことである。でも、こんな急に大聖女の座から降りる可能性が出てくるなんて、私には青天の霹靂だった。
上手く気持ちが纏まらないから自分の気持をきちんと理解できていない。でもこれだけは言える。大聖女のことで国を割る訳にはいかないと。大聖女としてあまり役に立たなかった私だが、みんなと一緒に聖王国を立て直したという自負はある。
『国が心配?』
「どうだろう。私は王さまじゃないから決定権を持っているわけじゃないし、聖王国は教皇猊下のお言葉が凄く強いんだ。今の猊下がどう考えているか分からないし派閥があるから仕方ないけれど、あの人と敵対するのは避けたいなあ」
黒衣の枢機卿さまは下位の神職から成り上がったやり手だから、今回自分の派閥から聖痕持ちを輩出したことを利用するだろう。だとすれば私の存在は邪魔となる。
「ナイさまにお礼を言わなきゃね」
本当にナイさまには感謝しなければ。裏で暗躍する人がいれば私の命を狙うこともあるだろう。私が手を伸ばしてヴァナルの頭を撫でると、彼は気持ち良さそうに目を細めた。
『全部、問題、片付いて。またみんなで遊ぼう?』
ナイさまへのお礼は全て終わってからで良いとヴァナルは言いたいらしい。そしてばっふばふと尻尾を動かして、みんなで遊ぶ所を想像しているようだ。
「ヴァナル! 可愛い! またみんなで遊ぼうね! 来年の南の島も楽しみにしているから!」
私は笑みを浮かべながらヴァナルの首に腕を回す。大きくて私が飛びついてもびくともしないし、ヴァナルは嫌がる素振りを全く見せずに顔を私の肩に乗せてぐりぐりと擦り付けている。ヴァナルがいるなら多少の無茶はできそうだけれど、なるべく穏便に済ませたい。黒衣の枢機卿さまに直接話を伺うのは気が早い。だったら。
「黙って指を咥えているだけじゃあ解決しないし、ウルスラの気持ちを聞いてみるのもアリかな。聖女が集まる会があるから、その時に話を聞いてみましょう!」
私がぐっと右手を握り込む姿を見たヴァナルが小さく首を傾げている。ウルスラに大聖女の座に就く意思がないのに強要されるのはなにか違う気がする。私の場合はゲームのキャラに転生したのだから、そのキャラを演じなければならないと考えたから。
それに大事になるなんて全く考えていなかったので、普通に過ごしていれば普通に大聖女として普通の人生を送っていただろう。大聖女の座を引退すれば結婚も可能なので、誰か私の隣に立っていたかもしれない。今はエーリヒさまを好いているからエーリヒさま以外の人が私の隣に立つなんて考えられなかった。
『大丈夫?』
へたんとヴァナルの耳が後ろに下がる。
「大丈夫。流石に私の勝手な判断で動くわけにはいかないから、派閥の人たちには相談するよ。それにウルスラも私から話しかけられれば緊張するだろうから、前もって話をしたいって伝えてもらおうかなって」
流石になにも告げずに私が動けば周囲の皆さまに迷惑を掛けてしまう。相手方の動向もあるし、探りを入れている最中だろうから目立って動くと相手の思う壺かもしれない。
私がナイさまのように力を持っていれば無理矢理に相手を捻じ伏せることもできる。でも、それはなにか違う気がするから、やはり話し合いで解決できるのが一番だろう。日和見主義とか温いとか言われるかもしれないけれど、今はまだ実害もないのだから。
ヴァナルはナイさまの影の中だけにしか入れないのかと思いきや、入ろうと思えば誰の影の中でも入れるそうだ。護衛としてヴァナルも一緒についてきてくれるとのこと。
凄く頼もしい護衛だと、私はまたヴァナルの頭を撫でて侍女の人に『朝一番で話がある』と私が属する派閥の皆さまに伝えて欲しいとお願いしてベッドの中へと潜り込んだ。ヴァナルは一緒に寝てくれないようで、床ですやすやと寝息を立てていたので少し残念だった。
――数日後。
ヴァナルが朝起きて、部屋の中を忙しなく動き回っていたのでどうしたのか私が聞いてみれば『雪と夜と華がきた』と嬉しそうな顔で告げた。朝早く聖王国の聖都の外まで私とヴァナルと護衛の人と一緒に赴いて、フソウの神獣さまと合流する。
彼女たちも影の中に入ることは造作もないようで、目立たないようにひっそりと暫くご一緒させて頂きますと言って私の影の中に消えていった。護衛の人が驚いているけれどナイさまと一緒にいれば、驚くことが沢山あるのにと少し面白い光景を見てしまう。
朝食を終えて大聖堂に向かい、いつも通りに祭壇の前で祈りを捧げる。私の後ろには聖王国で聖女を務める皆さまも祈りを捧げ、更に彼女たちの後ろには大聖堂に仕えているシスターたちも同様に祈りを捧げている。
前の方にアリサと件のウルスラが座しており、他の聖女の人たちはウルスラに興味の視線を向けている。ウルスラは聖痕が現れたというのに、いつもと変わらない日々を送っているそうだ。ただ彼女に付く護衛は増えているけれど。
そうして祈りを神に捧げて朝拝を終えれば、私は息を小さく吐いて床に就いていた膝に手を添えて立ち上がった。
「皆さま、お疲れさまです。今日もお務めよろしくお願い致します」
一段高い所に立っている私は聖女とシスターを見下ろす形になっていた。そして私の一声で今日の奉仕活動が始まり、皆さまは各々の担当場所へと散っていく。奉仕活動は多岐に渡り、大聖堂の掃除に参拝者の懺悔を聞いたり、治癒を施したりといろいろだ。
三年前の出来事を切っ掛けに、治癒に関しては寄付代を頂くことになっている。最初こそ反発はあったものの、変な治癒依頼を掛けてくる方や何度も病気かもしれないと押し寄せる患者さんは減った。良いことだろうと目を細めていると、アリサが私の前に立つ。
「お姉さま! 今日も一日、よろしくお願いします!」
「アリサ。ええ、よろしく」
お休みの日以外は彼女と一緒に聖女として行動している。参拝客に声を掛けたり、治癒依頼を受ければ術を施し病気や怪我を治しているのだ。アリサは治癒魔術が得意だから信者の方に術を施し、私はアリサが苦手な教義について信者の方と話す機会が多い。
良い組み合わせだよなあとぽつりぽつりと増えていく参拝者の方々に挨拶や声掛けを始める。こうして仕事をこなしていると時間が経つのが早い。そろそろお昼に差し掛かろうとしていた。
「おお、凄い! 聖女ウルスラが今度は失くした腕を再生させたぞ!!」
大聖堂の片隅から歓喜の声が上がる。声が聞こえた方向に私とアリサは顔を向けると、人だかりができていた。その輪の中には聖女ウルスラと患者さんの姿があった。患者さんは泣きながらウルスラにお礼を告げているようだった。
「お姉さま……」
「どうしたの、アリサ。酷い顔をしているわ」
「だって、だって! お姉さまの立場が奪われようとしているのですよ!?」
アリサは悲壮な顔をして私に言葉を投げる。確かに大聖女としてウルスラは相応しいのだろう。しかし大聖女の座は正直に告げると象徴の意味合いが強い。なにかが起こったときに皆を纏め上る胆力がなければ、力不足を感じてしまうはずだ。
私はナイさまのお陰で吹っ切れることができたけれど。果たしてウルスラに可能なのだろうかと疑問に感じてしまう。やはり話を彼女とすべきだろうと離れた場所で祝福を受けている彼女を見て、私は目を細めるのだった。






