0977:変化の予感。
――翌日。
私たち一行は大聖堂に赴いていた。朝の早い時間というのに参拝する方は多くいらっしゃる。皆さまは祭壇に向かって膝を突き胸の前で手を握り祈りを捧げていた。流石宗教の総本山と感心していると、大聖女であるフィーネさまが登場した。
今から神さまに祈りを捧げるようで、彼女の雄姿を一目見ようと朝の早くから大聖堂に赴いているのである。しずしずと祭壇横の扉から姿を現したフィーネさまに、信者の皆さまが感嘆の声を漏らし注目を浴びている。真っ白な布地に金刺繍が施されている衣装に身を包んだ銀糸の髪を持つ彼女の姿は神々しい雰囲気を持っており、信者の皆さまが見惚れるのも仕方ない。
私は信徒席の隅っこでフィーネさまの様子を眺めている。私は私で大勢の護衛の方を侍らせているので、別の意味で信徒の皆さまから注目を浴びていた。
取って喰いやしないし、関わらなければ痛い目を見ないので見て見ぬふりをしてくださいと願うばかりだ。
暫くすると祈りを捧げ終えたフィーネさまがゆっくりと立ち上がる。そうして信徒席に座す皆さまに声を掛け始めた。これは大変な作業だと彼女の姿を眺めていると、聖王国の聖女さまも参加して信者の皆さまに声を掛けている。アリサさまもいらっしゃるし、水色の髪の少女もいた。
少し騒がしくなっている大聖堂の片隅で私は息を吐く。
「アルバトロス王国の聖女さまも大変だけれど、聖王国の聖女さまも大変そうだね」
私は少し後ろを振り向いて、護衛に就いてくれているジークとリンを見上げた。アルバトロス王国の聖女さまは魔物討伐に治癒院に慰問にと仕事は多岐に渡り、割と簡単に予定が埋まる。
聖王国の聖女さまも大聖堂に赴いて信者の皆さまの悩みを聞いたり、治癒を施していたりと大変忙しそうであった。毎日続けているならば、私の場合メンタルを擦り減す可能性が高い。凄いよねえとそっくり兄妹と視線を合わせれば、彼らは口を開いた。
「アルバトロスとは聖女の定義が少し違う気がするが、大変なことに変わりはなさそうだ」
「大変だけれど、選んだのは彼女たち」
ジークとリンが聖王国の聖女さま方に視線を向けながら返事をくれる。怪我や病気が治らなければ患者さんや家族から責められることもあるし、治らなかったことに嘆かれることもある。割とメンタルを持って行かれるので心を強く保てなければ、やってられない状況に陥ることもあった。
リンの言う通り、聖女の立場を望んだのは彼女たちなので、大変そうという言葉は失礼にあたるかもしれないが。共和国の研修生にも、母国に戻って治癒師を務めていれば不条理に襲われることもあると知って貰えれば良いのだけれど。
「聖女の運営方法は国によるけれど、聖王国も上手く利用しているよね」
聖王国もアルバトロス王国も聖女の仕事の根幹は治癒であるが、聖王国は信者の皆さまから崇拝を集めている。もちろんアルバトロス王国でも教会に赴いた皆さまから信頼されているけれど、少し向けられる視線の質が違っている。聖職者の皆さまと同様に神さまに近しい存在とでも言おうか、特別視されている感が強かった。
「大聖女さま! どうか我々に神の加護を!」
口々に紡がれる言葉をフィーネさまは無難に対処していた。慣れているなと感心していると、水色の髪の聖女さまが祭壇に向かって祈りを捧げ始めた。彼女も彼女で雰囲気のある方である。私は聖女の役職を担っているけれど、神さまにこれっぽっちも意識を向けたことはなかった。今は別であるが。
熱心に祈っている彼女の信仰心は本物なのだろうと目を細めると、彼女の足元に眩い光が溢れ出し模様が描かれ始めた。突如現れた模様は南の女神さまが姿を現した時のものと似ており、白く輝く光は収まりそうもない。
一体何事だとアルバトロス王国のメンバーは身構えて、聖王国の皆さまはあり得ない光景に沸き立っている。そして水色の髪の少女は自分の身に降り掛かっている状況を理解していないのか、きょろきょろと周りを見回して戸惑っていた。
「き、奇跡だ! 奇跡が起こった! 聖女さまに主の御印が現れたのだ!」
「聖女さまに女神さまが意思を告げたのだ! 素晴らしい!」
皆さまから向けられていた注目が大聖女であるフィーネさまから、一気に水色の髪の少女へと向けられている。信者の皆さまによって大聖堂は興奮の嵐に包まれていた。
元々信仰心の高い方が聖王国の大聖堂に訪れている。それ故に神さまの御印だと声高に叫び、他の方にも興奮が伝播して大事になりつつあった。私は状況が不味そうだとジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまに、エーリヒさまと緑髪くんへ視線を向ける。今いる場所から少し距離を取ろうと席から立ち上がり移動を始めた。
「聖女さま、我らの主はなにを告げられたのですか!?」
私の背後から興奮気味な声が耳に届く。後ろの状況は確認できないけれど、今もまだお祭り騒ぎとなっているのだろう。
フィーネさまとアリサさまは大丈夫か気になるが、今は妙なことに巻き込まれる前に退散した方が得策だ。フィーネさまとアリサさまにも聖王国精鋭の護衛が就けられている。大丈夫、と自分に言い聞かせていると水色の髪の聖女さまの声も耳に届いた。
「も、申し訳ありません。弱輩者の私には女神さまの声を聞き届けることができませんでした。しかし女神さまから新たな力を頂いた気がします。今ならどんな怪我も病気も治せそうな気分です!」
水色の髪の聖女さまの言葉に信者の皆さまの声がわっと盛り上がる。凄いなと大聖堂の物陰に移動した私たちの下に、困惑の表情を携えたフィーネさまとアリサさまがやってきた。
「ナイさま、騒動に巻き込んでしまい申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず。しかし今の状況は一体どういうことでしょうか?」
フィーネさまが私の顔を見ながら小さく頭を下げる。彼女の所為ではないし、自然に起こった奇跡なのだからめでたいことだ。しかし今起こらなくてもと考えてしまうのは、トラブル続きの日々だからだろうか。今にも万歳三唱を始めそうな大聖堂の雰囲気に少し引きながら状況を整理する。
「私にもさっぱり分かりません。ですが女神さまからなにかの啓示が聖女ウルスラにあったことだけは事実でしょう」
流石大聖女を務めるフィーネさまである。水色の髪の少女の名前を憶えているようだ。魔術で人工的に演出することも可能であるが、彼女の足元に現れた模様は魔術陣の模様ではないし、光量が異常に多かった。とはいえ決めつけるのは危ない。本当に神さまからの啓示なのか、誰かが裏で糸を引いているのかは分からなかった。
「本当に女神さまの御導きなのでしょうか……?」
西の女神さまは絶賛引き籠もり中なので、西大陸を司る彼女が起こした奇跡とは考え辛い。ならば他大陸の女神さまが起こしたのだろうかと考えるが、四女神さまの間で他大陸には手出し無用というルールが設けられている。
ならば星を創造したグイーさまかと姿が浮かぶものの、割と豪快な彼が先ほどのような細かな仕事を成し遂げるのだろうかと疑問が残る。ふと私の脳裏にグイーさまに聞いてみるのもアリかと浮かぶ。しかし下界で起こっていることを安易に頼って良いものかと迷ってしまった。私がどうするのか迷っている内に、件の少女を紹介してくれた男性が私の目の前に立つ。
「いくら双子星に傷を付けたアストライアー侯爵といえど、神の加護を受けたことはないでしょう? どうかな、聖王国の聖女は素晴らしかろう」
ふふふと笑い私を見下ろす赤の差し色を施した黒衣を纏う聖職者さんは、フィーネさまをチラリと見て口元を伸ばし水色の髪の少女へ視線を向けながら私に言葉を投げてきた。
「大聖女さまも彼の聖女さまも素晴らしい力をお持ちのようで、聖王国はこれからも安泰でしょう」
自国の聖女さまを自慢したい気持ちは理解できるので、私は無難な言葉を彼に返した。グイーさまに腕の傷を治して貰ったので神さまから治癒を受けたことはあるが、確かに神さまから加護を得たとは言い難いか。
「ははは! 聖王国を崩壊の危機に陥れた貴殿にそう仰られるのは痛快だ!」
くくくと喉を鳴らした黒衣の聖職者さんは豪快に笑った。それは貴方方がアルバトロス王国で枢機卿の座に就いていた方が無茶をやらかして、聖王国が彼を保護したからである。
国を一つ崩壊させれば面倒な事態になるのは明白なので、亡国にするつもりはなかったのだが。これを口にすると皆さまから『嘘だ!』と言われそうなので黙っておくけれど。黒衣の聖職者さんの言葉にフィーネさまとアリサさまが青い顔になる。私は目の前に立つ彼に気付かれないように、お二人に気にするなと小さく首を振った。
「貴方さまは聖王国が滅ぶことをお望みでしたか?」
私に嫌味や皮肉を投げられたならば、彼に嫌味や皮肉で返しても構わないだろうと言葉を投げる。
「まさか! 聖王国が滅ぶなど微塵も考えてはいないよ。だがね女神への信仰心を忘れた前教皇には辟易していた。今の状況には大変満足しているからね」
だから私が教皇ちゃんを追い詰めたのは彼にとって痛快な出来事だったそうだ。その前に自分たちで腐敗していた彼らを追い出して欲しかったが、出来なかったものは仕方ないのだろう。
「それは良いことでございます。しかしながら今起きていることは大聖女フィーネさまの地位を危ぶむ事態と見ても良いでしょう。貴方さまは今の状況をどうお考えですか?」
フィーネさまと先々代の教皇さまたちが努力して実らせたことを、黒衣の聖職者さまが壊すのであれば私も対応させて頂く。今の彼の行動は水色の髪の聖女さまを持ち上げようと、画策しているようにしか見えないのだから。
「そのような怖い顔をなさるな、アストライアー侯爵。私は聖王国を滅ぼすつもりはないと言ったよ? あと大聖女である彼女の意思も大事ではないかね?」
それはそうだと黒衣の聖職者さまの言葉にそれもそうだと頷いて、フィーネさまに視線を向けた。彼女は突然のことできょとんとするけれど、私たちの言葉に答えなければならないと腹を括ったようだ。
「もし聖女ウルスラに聖痕が浮かび、今持ち得ている私の印より上位のものであれば素直に大聖女の地位をお譲りいたします」
たしか聖痕にも階位があってフィーネさまが持つ印は上から二番目だと聞いている。聖痕の階位を誰が決めたのか知らないけれど、面倒な事態になりそうなことだけはヒシヒシと肌に伝わる。
黒衣の聖職者さんは不敵な笑みを浮かべ、フィーネさまは真面目な顔で彼に言葉を投げる。心配そうな顔でアリサさまは行く末を見守り、大聖堂ではめでたいめでたいと騒ぐ信者さんたちの輪の中で起こった奇跡を噛みしめている水色の髪の聖女さまの姿に私は目を細めた。
各々の思惑がありそうだなと、私は黒衣の聖職者さまと視線を合わせて口の端を伸ばすのだった。