0974:禁書部屋。
私たち一行と共和国の研修生は聖王国の大聖堂に赴いて、西大陸における宗教の総本山の雰囲気を噛みしめていた。大陸全土から信仰心の高い方がいらっしゃっており、時折私のことを知っている方から『黒髪の聖女さま』『竜使いの聖女さま』と囁かれている。
おそらくアルバトロス王国から巡礼の旅に出て辿り着いた方であろう。他国から大聖堂に辿り着いた皆さまは、総本山である聖堂を見上げたり聖堂に向かって手を組んで祈りを捧げていた。そして私よりも多くの信者の方から声を掛けられる方がいるのである。
「大聖女フィーネさまにお目通りできるなんて……!」
「大聖女さま、神のお導きを!!」
フィーネさまは信者の方からの声掛けに笑顔で対応している。軽く会釈をしてみたり、神のご加護をと告げたり、寄付と引き換えに病気や怪我を負っている場所に触れて凄く簡易な治癒を施してみたりと忙しそうだ。一通りの波が過ぎるとフィーネさまは困ったような顔で私たちへと視線を向け、アリサさまが『ドヤ』とした顔になっている。
「申し訳ありません、大聖堂に出るとどうしても務めを果たさなければならなくて」
フィーネさまは大聖堂を見渡しながら私たちに小さく目線を下げる。きちんと大聖女さまの務めを果たし、信者の方々から人気を得ているようだ。私にはできないなあと口を開く。
「いえ。大聖女であらせられるフィーネさまの仕事振りが見えて良かったです」
信者の方々がフィーネさまに羨望の眼差しを向けていること、私は宗教に興味がない故に一ミリも理解できていないけれど。でも小柄なのに胸の大きい方なので羨ましくはあるなと、彼女の胸をチラリと見た。
「聖痕のお陰です。聖痕がなければ私はただの七大聖家の娘でしかありませんから」
彼女の身体にある聖痕を、南の島でお風呂に一緒に入った際に見たことがある。痣というよりは、模様や印という感じで割と複雑に描かれたものだった。
これがある日突然身体に浮かんでくるのだから、きっと驚いた――フィーネさまは乙女ゲームの知識があるので知っていただろうが……知らなければ――に違いない。私だったら『なんじゃこりゃー!』と悲鳴を上げそうだ。
「治癒を覚えて皆さまに施していることは、紛れもなくフィーネさまの努力ですよ」
私はフィーネさまと視線を合わせる。治癒魔術は適性がなければ使えないし、適性があったとしても才能か知識量で効果が左右する。私には前世の記憶があるので、アリアさまのように失った内臓や肉体を再生するなんてできないだろう。
大聖女さまは奇跡の体現者でなければいけないから、割とフィーネさまは難しい立場にいるのではなかろうか。聖王国を立て直した立役者なので、治癒能力の不足を問われることはなさそうだけれど。
「大聖女になりたての頃は役を演じなければという気持ちが強かったのですが、最近は自然体で信者の皆さまと接することができている気がします。頑張らなければならないことも増えたので、今より邁進していかないと」
フィーネさまがふふふと笑みを携えた。頑張らなければならないことってなんだろうと、私はクロと視線を合わせる。クロも良く分かっていないようで小さく首を傾げていた。
『フィーネもアリサも頑張っているんだねえ』
「アストライアー侯爵閣下に追い付かないと!」
「私はフィーネお姉さまに追い付きたいですね」
クロの言葉にフィーネさまとアリサさまが答える。私を追い抜かしてくださいと願いつつ彼女たちと一緒に大聖堂の聖堂横から奥へと入り、長い廊下を歩いて図書室に向かう。
人の気配が少ない大聖堂の中庭は綺麗に整備されており、庭の真ん中には女神像らしきものがどーんと立っていた。アガレス帝国の帝都にあった初代アガレス帝の像のようだなと私の頭に過る。アガレス像より随分と小さいけれど、近くに寄れば像の顔を見上げなければ拝めないはずだ。
流石に某国の自由を司っている女神さまのような豪快さはなく、胸の前で手を組んで地面を見下ろしている形だった。静かな中庭に佇む真っ白な石像に目を向けていると、フィーネさまが私に気付いた。
「西大陸を創造した女神さまを模していると言われていますね。お会いしたことはないので本当かどうかは分かりませんが」
「女神さまの彫像があるということは、昔の方は西の女神さまにお会いしたことがあるんですね……」
人の気配が減って身内のみとなっているので、ラフな問い掛けとなる。共和国の研修生たちも私たちの関係性を知っているし、共和国の皆さまも私たちのことを知っているから問題ない。私が怪我を負って神さまの島に向かったことは極一部の方のみしか知らないので、口にできなかった。もちろんフィーネさまは個人的なやりとりがあるので知っているけれど。
「昔と言っても、本当に凄く随分と前のようですよ。当時に生きておられた方でさえ、口伝えに聞いた容姿を像にしたと文献に残っているだけですから」
フィーネさまの補足にほえーと頷いていると図書室に辿り着いた。ここで共和国の研修生たちは私たちを待つ間、聖王国方式の治癒魔術を勉強することになっている。
私たちは司書の方の案内で禁書部屋に赴いて、西の女神さまについて習う予定だ。なにか西の女神さまが引き籠もりになる切っ掛けを探し出せると良いのだが。ちなみに、西の女神さまが引き籠もり状態であることを伝えても構わないとグイーさまから許可を得ている。他言は無用と伝えて禁書部屋の中でフィーネさまとアリサさまに知らせるつもりである。驚くかなと心配しつつ、プリエールさんたち研修生と別れて奥の部屋を目指す。
「雰囲気がありますね。凄い蔵書量……」
アルバトロス王国の城にある図書室も凄いけれど、聖王国の禁書部屋も凄い状況だった。保管庫も兼ねているようで、過去の偉大な聖職者の衣装も保管されており探せば即身仏も出てきそうである。
「女神さまに関する記録や聖王国の過去に存在した偉大な方々のことをきちんと残しているそうです。熱心な方は閉じ籠って研究なされていますよ」
フィーネさまが笑みを浮かべながら教えてくれる。許可があれば入ることができるので、研究職の方が入り浸りになっているそうだ。今日は私がくるということで一日入室禁止となっているらしい。仕事の邪魔をしているが私も知りたいことがあるので許して欲しい。私たちは案内されるまま席に座して、司書さんがお勧めしてくれた文献が机の上に何冊も乗っている。
「フィーネさま」
「どうしました、ナイさま?」
私の対面に腰を下ろしたフィーネさまと視線を合わせる。今回の訪問は西の女神さまについて詳しく知りたいとお願いしただけで、フィーネさまたちに本当の目的を伝えていない。
少し真面目な話がありますと先に告げて、西の女神さまが神さまの島で引き籠もり状態であること、このままでは一万年くらい先に女神さまは神格を失って西大陸と共に消滅してしまうことを伝える。
「えーっと……話の規模が大きすぎて実感が湧かないですね……あと少し頭が混乱しています」
フィーネさまは片眉を上げながら情報処理をしているようだ。彼女の後ろに控えているアリサさまも驚いた顔になっている。そして聖王国の面々もぎょっとした顔を浮かべて私を見ていた。
「南と東と北の女神さまと星を創造なされた神さまとお会いしたのですが、西の女神さまと顔を合わせることはありませんでした。そして神さまご自身からどうにかできないかと依頼を受けたのです」
私の言葉に聖王国の面々が更に目を丸くしながら驚く。いや、成り行きだったけれど神さまと会うことになったのだから、会うのは当然であろう。聖王国の皆さまからすれば神さまと顔を合わせることは至上の喜びかもしれないが、そんなに驚かないで欲しい。そもそもファンタジーな世界なのだから神さまがいるなら悪魔だっているかもしれないのに。
「…………へあ?」
フィーネさまはキャパオーバーしたようで、口から間抜けな声が漏れ出ていた。私が正気に戻って下さいと願っていると聖王国のお付きの皆さまが疑いの視線を向けてくる。嘘は吐いていないのだが、突拍子もないことなので信じて下さいといえない。それに信じる信じないは個人の自由であるのだから。
「ナイさまが嘘を吐く必要がないので私は信じます。しかし一万年先と言われてしまうと危機感が薄いですね……」
フィーネさまが遠い目になる。確かに人間の寿命で考えると未来の方たちに任せようとなる。
「確かに薄いですが、クロとヴァナルたちやエルたちのことを考えると西大陸が消滅するわけにはいきません」
クロたちだけではなく亜人連合国の皆さまも含まれるし、妖精さんや精霊さんも含まれている。
『自然に任せるから仕方ないけれど、できれば寿命を全うしたいねえ。我が儘を言ってごめんね』
私の肩の上でクロが小さく頭を下げると、フィーネさまが慌てて口を開く。
「あ、いえ! 申し訳ありません。私の考えが浅はかでした。クロさまたちのことを考えるとナイさまが真剣になられている理由がはっきりしました」
落ち着きを取り戻したフィーネさまが真面目な顔を浮かべて
「ありがとうございます。今回の聖王国に赴きたいと打診した本当の理由です。限られた方にしか知らせられないので、遅くなってしまい申し訳ありませんでした」
世界が終わるかもと知れば混乱する方もいようと情報制限していた面もある。神の島へ赴いたことは知らせていたが、西の女神さまが引き籠もっていることは伏せていた。神さまから託されたことを改めて告げ、私がやりたいことも改めて伝える。
フィーネさまとアリサさま、そして一部の聖王国の皆さまが気合を入れ直して、禁書部屋の女神さまについて記された文献を精査しようとなった。
「女神さまはなんでもできる、ですか」
文献を一通り読み私の口から漏れ出た言葉だった。西大陸を創造した女神さまは力によってなんでもできる方のようである。大陸を創造し、生き物を作り出して命を育んだ。時折、地上に現界して命を管理していたとか。
古代人の方々の間で文明が築かれると女神さまの役目は終わったとばかりに姿を見せなくなったようだ。特に引き籠もる切っ掛けになるような文献は残されてはおらず、女神さまの功績を記されたものしか発見できなかった。
「失敗をしない故につまらなくなったとか?」
フィーネさまが頭に疑問符を浮かべながら女神さまを考察している。確かになんでもできて失敗していない。
「あり得ることですが、女神さまなのに気にする所なのでしょうか……」
そんな人生、神生はつまらないのかもしれないが……それが神さまの役目ではと私は視線を天井に向けた。
「こういう所は人間と同じということかもしれません。しかしなにも良い方法が浮かんできませんね。なにもしないまま滅びを迎えるなんて嫌ですし……」
フィーネさまがうーんと唸って私と顔を合わせる。アリサさまも聖王国の皆さまも、アルバトロス王国の面々も困った顔を浮かべていた。誰も反応がないまま少し時間が経つと、私たちの前に誰かが半歩踏み出た。
「失礼致します。アストライアー侯爵閣下、大聖女さま。発言を宜しいでしょうか?」
エーリヒさまが小さく片手を上げながら神妙な顔で言葉を紡ぐのだった。