0972:帰国報告。
ミズガルズ神聖大帝国の第一皇女殿下とのお茶会を終えたあと、大帝国の皆さまといろいろ挨拶を交わして、アルバトロス王国に無事に戻ってこれた。
神さま方の不興を買えば戻れないことも頭の隅で考えていたけれど、杞憂に終わって安堵している。流石に三年前に亜人連合国に赴いた時と同じ気持ちではいけないし、爵位を頂いた重みがあると言えば良いだろうか。
みんなを死なせるわけにはいけないから、危険な状況に陥ればロゼさんに頼んでみんなを転移させよう……なんてシミュレートしていたのだ。
神さま方の前で取り繕う必要のなくなった副団長さまと猫背さんは陛下方に報告を済ませれば、さっくり魔術師団の隊舎に戻って行った。私は私でアルバトロス城でお土産を渡せる方に渡して戻ってきている。
ミズガルズ神聖大帝国の度数の高いお酒を公爵さまと辺境伯さまに手渡したのだが、私の無事とお土産のお酒を喜んでくれた。陛下と王太子殿下にもお酒を贈っているし、王妃殿下と王太子妃殿下にもアルバトロス王国では見かけないガラス細工が施されたグラスを贈った。気に入って頂けると良いのだが、デザインのセンスは個人の趣味嗜好に左右される。微妙かもなと苦笑いを浮かべながら、王城から子爵邸の地下室にある魔術陣へと戻るのだった。
「皆さま、お疲れさまでした。ありがとうございます」
転移を終えた私の開口一番の言葉だった。北大陸の最北端より更に北に位置するという神さまの島まで赴いて貰ったのだ。当主とはいえ礼の一つくらい伝えておいた方が良いだろう。
副団長さまと猫背さんとエーリヒさまと緑髪くんと外務部の皆さまにもお礼を伝えている。皆さま嫌な顔せず『気にしないでください。怪我が治って良かったです』と仰るのだから人間ができている。私の隣に立っているソフィーアさまとセレスティアさまに視線を向けると小さく笑った。
「ナイの怪我が治って良かったよ」
「ええ、本当に。一時はどうなることかと」
お二人は安堵の笑みを浮かべながら私の右腕を見る。神さま、もといグイーさまのお陰で綺麗さっぱり私の怪我は治った。怪我を負う前より右腕が軽い気がするのだが、私の勘違いだろうか。
変なことをしていないよねとグイーさまに聞いてみたい所であるが、流石に私の気持ちは神さまの島まで届かないはず。教会の聖堂で祈りを捧げればワンチャンあるかもしれないが、祈る気は更々ないし、教会に赴く時は特別なミサが開かれる時か治癒院が開かれている時である。そういえば筆頭聖女選定の儀はどうなっているのだろうか。気になるからあとで手紙を出して、お伺いを立ててみよう。
ソフィーアさまとセレスティアさまは、私の側にいれば誰も経験できないことをできると言って笑っている。私がトラブルに巻き込まれるのは仕方ないし、いろいろと動き回って最終的にアルバトロス王国に益を齎しているから問題はないそうだ。
でもやはり神さまに会えたことは驚きだし、西大陸の女神さまが部屋に引き籠っていることも驚きだったそうだ。まあ、女神さまのイメージって清廉潔白そうだから、引き籠もって社会不適合生活を送っているとは誰も考えないだろう。どうして引き籠もってしまったのか理由は分からないけれど、なにか西の女神さまの興味を引くものが在れば良いのだが……。
「ジークとリンも護衛お疲れさま」
私の後ろに控えているジークとリンに顔を向ければ、そっくり兄妹は目を細めながら私を見下ろす。クロは私の顔に顔を擦り付けながら喉を鳴らしている。
「いや、気にするな。それより傷が治って本当に良かった」
「うん。綺麗に治ったから安心した。サフィールとクレイグも待っているから早く一階に行こう?」
ジークが深く息を吐いてなんとも言えない顔になっている。リンはリンで笑いながら早く上階に行こうと私に手を差し伸べた。確かに早く行った方が良いだろうと、リンの手に私の右手を添える。ようやく動かせるようになり右手の自由が利くことが嬉しかった。
「そうだね、お屋敷の皆さまにも心配を掛けたから早く戻って報告しないと」
私がへへへと笑うとリンが一歩を踏み出せば、私も一歩足を出す。半歩後ろからジークが歩き始め、ソフィーアさまとセレスティアさまも私たちの後ろを歩いている。
地下から一階へと続く階段を昇って子爵邸の廊下に出ると、お屋敷の皆さまが勢揃いしている。一応、お城から戻る旨の連絡はしていたのだが、はっきりとした時間まで告げていなかった。お屋敷で働いている皆さまの中から、家宰さまが一歩前に出て私の前に立ち胸に手を当て礼を執る。
「ご当主さま、おかえりなさいませ。無事に怪我が治ったと聞き、我々一同安堵致しております」
「女神さまのお陰で綺麗に傷を治すことができました。ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
家宰さまにも随分と迷惑を掛けてしまった。利き腕が使えないため、書類のサインを行えず随分と仕事を溜めている。どうしても仕上げなければならない書類は左手でサインをしたけれど、ミミズが這ったような文字になっていた。サインもちゃんと書けるし、戻ってきたから気合を入れて仕事を捌かないと。
家宰さまに続いて侍女長さんに下働きの方を取りまとめている方と言葉を交わして、最後に料理長さんが私の前に立った。
「ご当主さま、お食事も随分と制限を受けておりましたから、今日の晩餐は料理人一同気合をいれてお作り致します。どうぞ楽しみにしてくださいませ」
「嬉しいです。お腹、沢山空かせておきますね」
にこりと笑う料理長さんに私は満面の笑みを浮かべる。リンの手を借りずにご飯を食べることができるのは随分と久しぶりのような気がした。やったと喜んでいると家宰さまが申し訳なさそうな顔で、急ぎの仕事をお願いしますと告げる。
ご飯が楽しみなので頑張りますと告げ、この場は解散となった。ソフィーアさまとセレスティアさまは家に戻り、私は家宰さまと一緒に急ぎの案件を捌く。仕事を終えて、クレイグとサフィールとユーリにお土産を渡し、アリアさまとロザリンデさまにアンファンと託児所の子供たちとお屋敷で働く皆さまへも家宰さまを介して渡して貰った。エル一家とグリフォンさんとポポカさんとお猫さまとジルヴァラさんにもお土産を渡す。
いろいろとやるべきことを行っていれば、いつの間にかご飯の時間になっていた。ウキウキな気分でジークとリンと一緒に食堂へ入れば、クレイグとサフィールが先に待ってくれている。遅れてごめんと断りを入れて席に着く。
運ばれてきたご飯に視線を落とすと、料理長さまが仰った通りに気合の入ったメニューとなっている。嬉しくて口元を伸ばしていると『食べようぜ』とクレイグの声が上がった。
「いただきます!」
ぱん、と手を合わせて声を張る。私のあとにみんなの声が続いて、カトラリーに手を伸ばした。手を合わせるのは日本式で、カトラリーは西欧式であるがみんな慣れてしまっている。前菜から凝っている上に量も多めに作ってくれているようだ。はやる気持ちを抑えて、お行儀よくフォークを口に運べばお野菜特有の苦みと甘みが口に広がる。
お野菜が嫌いな人は草を食べているというが、道端に生えている草の苦さはなんとも言えない味だ。お野菜はきちんと品種改良されて人間の口に合うようになっている。嫌いな方は人生を損しているなあと少し残念に思うも、嫌いな物を食べろとは言えないし難しいねえと前菜を食べきる。次の品を待っている間、クレイグとサフィールが私の顔を見ていた。
「嬉しそうに飯を食ってるナイを見れて良かったよ。食い過ぎて腹壊すなよ」
「少し前まで女神さまがお屋敷に滞在していたって信じられないなあ。託児所の子供たちも驚いていたけれど、遊びたかったって残念がってもいたよ」
首を傾げた私にクレイグは冗談を飛ばし、サフィールは託児所の子供たちの様子を教えてくれた。南の女神さまであれば誘えばまた子爵邸に赴いてくれそうだ。割と気さくな方だったし、グイーさまもフットワークが軽そうである。
「教会に行って祈りを捧げれば声が届くかもしれないよ? 会いたければ教会で念じれば声が届くはずって神さまが言ってた」
私の言葉にクレイグとサフィールは目を丸くする。少し時間が経って、本当かどうかジークとリンに確認を取っていた。そうして次のメニューが私たちの前に出されて食事を続けるのだった。
――あ、フィーネさまに個人的に聖王国へ赴きたいと手紙を書かなければと、食事を取りながら文面を考えるのだった。
◇
まさか本当に神が存在しているとは。そして私が女神さまの姿を目にするなんて誰が思い至るだろうか。
夜に浮かぶ大きな双子星を窓から見上げる。北大陸のミズガルズ神聖大帝国で嗜まれている酒を飲みながら、私の執務室に宰相と叔父上が集まっていた。仕事は既に終えており、私的な時間故に弛緩した空気が流れている。酒が胃に染みるとグラスを双子星に掲げていると、叔父上が面白そうな顔を浮かべ、宰相が微妙な顔をして私を見ている。
「陛下、双子星にグラスを掲げれば、また新しい傷が増えるのではないでしょうか」
「恐ろしいことを言わないでくれ、宰相。ようやく噂が収まってきたというのに……」
大人三人が集まって酒を酌み交わしていた。話題はアストライアー侯爵が神の島から無事に帰還したことである。今、口にしている酒も彼女からの土産だった。喉が焼けるような感覚に苛まれるが、癖のある味で飲むのを止めるのが難しい。
「ナイは次に誰を引っ張ってくるのやら」
叔父上が喉を鳴らしながらグラスの酒を一気に飲み干した。叔父上の喉は金属でできているのだろうか。私が同じ量を飲めば咽る自信があるのだが……酒に強い叔父上だ、平気なのだろう。
しかし叔父上はアストライアー侯爵をどう捉えているのだろうか。叔父上が役に立たない者を側に置くことはないのは、甥である私は良く知っている。だから叔父上は貧民街出身の少女を管理下に置いたのだ。付き合いも長いのだから可愛い孫娘と同じと考えていてもよさそうなのに、アストライアー侯爵がまだまだなにか事を起こすことに期待しているようだった。
「叔父上……」
「……ハイゼンベルグ公爵閣下」
私と宰相が叔父上に呆れた視線を向けるも、彼は一向に気にしていない。ふうと息を吐いた私はもう一度口を開いた。
「しかしアストライアー侯爵の腕の傷が癒えて良かった。包帯を巻いた痛々しい姿を見るのは堪える」
宰相がいる手前、あまり丁寧な言葉を私は用いない。宰相は私と叔父上の関係性を知っているので気にしないだろうが、一応私も国の王なのだから。
「傷を負った程度でナイの価値は下がらん。だが馬鹿は騒ぎ立てるのだろうなあ」
確かにいるだろう。今回、アストライアー侯爵が南大陸の王族に浄化儀式を執り行い、女神自身から攻撃を受けたことに『神罰がくだったのだ!』と一部の者が騒ぎ立てていた。アルバトロス王家とハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家と亜人連合国を敵に回す気概はないので、影でこそこそと叫んでいるだけであるが。
「叔父上。叔父上はあの子の後ろ盾でしょう。そのような言い方は」
貴族の女性に傷が付けば、周りからどんなことを言われるのか。叔父上もアストライアー侯爵本人も気にしなさそうだが、貴族は小さな隙をつき綻びを大きくさせようと狙ってくる。
「分かっておるさ。一生傷を負ったまま生きろなど言えぬし、思ってもいない。だが生きている限りなにが起こるか分からんからな。ナイはいろいろと引き寄せる故に想定外のこともあり得る」
「想定外で思い出しましたが、アストライアー侯爵は聖王国に赴くと聞き及びました」
叔父上の言葉に宰相がぽんと手を叩き、言い終えると酒を一口含む。
「ああ。聖王国の大聖女を頼り、西の女神について記された文献がないか調べたいと。個人的に赴くのであれば我々が出ることはないだろうが、聖王国上層部は胃が痛いだろうなあ……」
私はアストライアー侯爵の報告から聞いた内容を思い出した。神の島へ赴いたことも信じられないのに、西大陸を創造した女神が家に引き籠っていると聞いた。引き籠もって家から一歩も出ない女神がいるのか信じられないが、大真面目な顔をして報告する侯爵を見ているから嘘ではないのだろう。
神から西の女神の閉じ籠りをどうにかして欲しいと頼まれ、聖王国で女神が引き籠もった原因を掴めないだろうかとアストライアー侯爵は考えているらしい。聖王国に竜を仕向けた侯爵を快く思っていない人物は沢山いるだろうし、また竜と共に聖王国を混乱の渦に沈めないかと心配する者が多数いるのではなかろうか。
「ははは! 穴が開くまでナイがいれば面白かろう!」
「アストライアー侯爵を煽らないでくださいね、叔父上。しかし丁度良い時期なのでしょうか……」
豪快に笑ている叔父上が私の言葉を聞いて真面目な顔になる。
「どうした?」
「今、聖王国では新たな大聖女が誕生しそうだと風の噂で流れているようです」
聖王国に忍び込ませている間諜の報告によれば、とある一派から大聖女が誕生しそうだと盛り上がっているそうだ。大聖女と一言でいっても聖痕の形で序列が存在し、最上位の印を持つ者が現れたとか。
まだ聖王国から公式に発表されていないし、間諜も噂を耳にしただけらしく信憑性は低いと認められていた。叔父上は『エーリヒには好機かもしれないな』と言いながら宰相に視線を向け、彼は『大聖女はどうなるのか……』と言ってと顔を見合わせる。
先ずは聖王国の教皇にアストライアー侯爵が近々で邪魔することを認めた手紙と良い胃薬を贈ろうと、私は小さく息を吐くのだった。