0965:神の島。
神さまの島の直前にある岩礁に辿り着く。
漁船からひょいっと自力で上陸できれば良かったのだが、何故かリンに抱えられてひょいっと移乗した。ジークも船から岩礁に降りエーリヒくんと緑髪くんの手を取って補助を担っている。ソフィーアさまとセレスティアさまは自力で岩礁に船から辿り着いているのに、男性陣が女性のような扱いを受けていて少し面白おかしい光景だった。
ちなみに副団長さまは自力で降り、猫背さんは副団長さまの手を借りて岩礁に降りたものの、濡れた岩場に足を取られてずっこけていた。防寒対策のお陰で傷を負っていないが、お尻は打ったそうなので私が魔術を施したから凄く嬉しそうな顔になっている。女神さまがまた『なにやってんだか……』と呆れ声を出しつつも、なんだか憎めない表情を浮かべて猫背さんを見守っていた。
「よーし、行くぞ。あたしの周りにみんな集まれ」
女神さまの声に私が『はい』と返事をし、周りの皆さまも確りと頷く。引率の先生みたいだと女神さまを見ると、足元に魔術陣が幾重にも浮かんだ。眩いばかりの光に包まれると、一瞬にして景色が変わっているのだった。
副団長さまとロゼさんの転移を経験している身として、転移時にはお腹が浮くような独特な感覚を味わうのだが女神さまの時には全く感じなかった。技術形態が違うから、こんなものかなと納得して周りの景色を見る。一面の雪景色と極寒の地特有の薄暗さはなく、今、私が目にしている光景は春先のような温かさに包まれ新芽の黄緑色に染まった大地が広がっていた。
「暑いね……脱ごうか」
気温の差で直ぐに暑くなってくる。このままでは大汗を掻いて大変なことになるぞと真っ先に――女神さまは脱いでいるけれど――私が防寒着を脱ぎ始めた。私に倣って皆さまが脱ぎ始め、ほっと息を吐いている。北大陸に赴いてから本当に寒かったけれど、アルバトロス王国の冬が明けた頃の気温で有難い。
「誰かいると良いんだがなあ」
女神さまが防寒着を脱いで、肩を回してリラックスしながら声を上げた。今の言い方だと複数人神さまがいるように聞こえる。
「女神さまのご家族以外の神さまもいらっしゃるのですか?」
私は疑問に感じて問うてみた。
「おう、いるぞ。あたしたちは創造神みたいなもんだな。他の星には神さまは一人しかいねえところもあるらしいんだが、この星はあたしたち一家が一番格が高いんだ」
ふふっと自慢そうに笑う女神さま。あっちだと行先を指した女神さまに従い、彼女の後ろを私たち一行は足を進める。入って良いのかと疑問であるが、入って駄目なら神罰が速攻で下っていることだろう。恐れても仕方ないし、腕の怪我を治して貰わなければならないので私は進むしかない。付き添いで巻き込まれた方々には申し訳ないが、皆さま良い働きをしてくれたと報告に上げておくので許して欲しい。
緑溢れる森の中を歩く。北大陸の薄暗い針葉樹林の森の空気と一変し、小鳥が囀り虫の鳴き声も聞こえる。テッペンハゲタカーと鳴く鳥は確かホトトギスだったか。それならウグイスもいそうだなあと森を見回してみるが、鳴き声は聞こえてこなかった。
歩くこと暫く、こじんまりとした集落が見えてきた。白い外装の建物がぽつんぽつんと点在し、かなり大きな建坪になっている。また歩いて先を進むと、私たちの正面に白亜のお屋敷がどーんと姿を現した。
「ここだ。あたしの実家だな。さて親父がいると良いんだが」
女神さまの声にふと気付く。女神さまはお父上の話はするが母上さまの話をしない。気になるが立ち入らない方が良いだろうと黙って女神さまに頷くと、彼女が足を進める。貴族のお屋敷のように広いけれど警備の方がいる雰囲気はないし、庭師の方が丹精込めて整備している様子もない。それなのにお屋敷にある草花は綺麗に赤やピンクや黄色の花々を咲かせている。
「親父ー帰ったぞー!」
玄関の扉を勢い良く開けた女神さまが同時に大きな声を出す。広いロビーの真ん前には上階に上がる階段があり、登った先は左右に分かれていた。外から見ても広いお屋敷だけれど、中に入った方が広さが倍増している気がする。
女神さまの声に誰も反応しないなと首を傾げると、上階の右端と左端からすらっとした背の高い白い髪の女性と黒髪の女性が同じ速度、同じ歩幅で歩いて階段の上で合流し、来訪者である私たちを見下ろした。
「おや、家出した末妹がどうして島に戻っているのでしょうか?」
「おチビちゃん。威勢良く家を出て行ったのに戻ってきたのですか?」
上階に立つお二人は、言葉振りから女神さまの姉上さまのようだ。おそらく北と東を創造したお姉さまだろう。人間離れした別嬪さんで、凄く背が高い方々である。その身長少しくださいと願ってしまうのは不敬だろうか。
「あのなあ……ここはあたしの家でもあるんだ。戻って悪いかよ。そりゃ、姉御たちの態度に耐えられなくなって、数万年前に出て行ったきりだけどよぉ。あとチビ言うな」
むっと口を尖らせながら女神さまが仰るのだが時間規模が凄い。数万年振りの帰郷って大丈夫なのだろうか。凄く人間臭い南の女神さまであるが、本当に数万年生きているのだなあと改める。ずっとこの家に引き籠っている姉御たちもどうかと思うんだがなあとぼやいた南の女神さまを無視して、お二人が視線を私に固定して階段をすすすと降りてきた。
「あら。人の身でありながら貴女は黒髪黒目なのね、珍しい……私が築き上げた東大陸だと、私に対する信仰心が篤くて黒髪黒目の子を崇拝するようになっていたけれど、そういえば今はどうなっているのかしら?」
きょとんと首を傾げる女神さまA。今の口ぶりから東大陸を創造なさった方のようだ。
「東や南の人間よりも、北だと黒髪黒目に対して興味が薄いのだけれど……珍しいわねえ。私たちの血を色濃く引いたのかしら。でもおかしくないかしら。私たちの血は時間と共に薄くなっているというのに」
もう一人の女神さまBもこてんと首を傾げながら、指を口元に当てて考える素振りを見せている。おそらく北大陸を創造した女神さまなのだろう。しかしまあお二人共リンより背が高いので百八十センチを超えているのは確実か。
ジークの身長――百九十ちょい――は超えていないので、その間である。胸も大きいし羨ましい限りであるが、末妹である南の女神さまの身長は私より少し低いくらいなので、お姉さま方から容姿を言及されるのは致し方ないのかもしれない。
お二人の女神さまの態度に南の女神さまが『あたしの話を聞けよぉ』と頬を膨らませている。あれ、あと一人いるはずの西の女神さまはどこにいるのだろうか。女神Aさまと女神Bさまが私の黒髪黒目について、何故だといろいろ考え込んでいる。
私は言葉を上げても良いのか判断に困り、黙ったままお二人の行動を見守るのみ。一緒に同行している皆さまも口を挟む気はないようで黙ったままである。あーでもないこーでもないと話ながら、私の匂いを嗅いだり瞳の奥を覗き込んでいる女神さま二人に、南の女神さまが後ろ手で頭を掻いて片眉を上げた。
「考えているところを悪いんだが、コイツの怪我を治してくれる奴はいないか?」
「怪我?」
「何故、怪我を負ったのかしら?」
南の女神さまが右の親指を立てて私を差すと、高身長な北と東の女神さまの目が私を射抜き自然と包帯を巻いた右腕を見ていた。
「あたしがやっちまったんだよ。あたしは攻撃一辺倒だからコイツの怪我は治せねえ。あと、あたしの力が強すぎて人間には治せなかった。親父に聞こうと最初は考えていたけど二人が出てきたから、誰か治せそうな奴を紹介してくれ」
南の女神さまの言葉に姉の女神さま二人が『人間が治せるはずはない』『治せた人間がいるなら人の枠から外れているわね』と小さく呟いた。そうして二人の女神さまが私の腕から顔に視線を移した。
「あらあら、まあまあ。確かに貴女は不器用で、なんでもはできなかったものねえ。というか姉妹の中で一番粗暴な妹の攻撃を受けてどうして生きているのかしら?」
「私たちとは違って、おチビちゃんは力に訴えた方法で南大陸を創り上げたものね。おチビちゃんは姉妹の中で一番弱いけれど……確かに人間の枠に収まっていないわね」
首を傾げる東の女神さまと、手を伸ばしてぐりぐりと私の頭を撫でている北の女神さまに私はなされるがままである。南の女神さまが『すまねえな』みたいな顔で私を見るので、やり取りはお任せするしかないのだろうか。人間の社会ではなく神さまの社会に入り込んでいるので、どうすれば良いのか作法が分からない。南の女神さまは『あたしに任せておけば良い』と言われているから、黙っている部分もあるのだけれど。
「貴女、お名前は?」
「そうね、名乗りなさいな」
お二人の女神さまは私に興味を抱いたのか、そんなことを問うてきた。私は無言のままでいるより居心地は良いと、居住まいを正して礼を執ったあと口を開く。
「ナイ・アストライアーと申します。この度は御縁を得て南の女神さまと邂逅することになりました。その際に怪我を負い、南の女神さまのご厚意で皆さま方が住まう島で治療を行おうと提案を受け、参った次第でございます」
一応、島に赴いた経緯を再度伝えておく。お二人の女神さまのご尊顔を眺めていると、にこりと笑い私の背中に東の女神さまが手を当てて、腰に北の女神さまの手が回る。あれ、どういう状況だろう。
「あらまあ、小さいのにご丁寧に。妹と違って礼儀正しいのねえ」
「本当に。おチビちゃんとは大違いだわ」
南の女神さまが『うっせーよ』と口を尖らせるのを見て、お二人の女神さまは笑いながら歩を進め始めた。後ろの皆さまにも二人の女神さまは『こちらへ』『一緒にきなさいな、人間』と言い放った。私以外の扱い悪いけれど無視されるより良いのだろう。
私は申し訳ないと目線で彼らに訴えて、女神さまと歩を合わせる。足、長いなあと微妙な気持ちを抱けば、南の女神さまも私と同じ気持ちであるようでお二人の女神さまの足元を見ていた。
「さて、座って」
「怪我を見せて頂戴な」
お屋敷のとある部屋に案内された。ガラス張りの部屋は温室のように温かく、観葉植物らしきものが鎮座している。他にも鉢植えに花が植えられ綺麗に花を咲かせていた。
花粉症の方がいれば大変そうだと部屋に満ちている花の匂いを感じ取る。甘過ぎない匂いを楽しみながら、私はお二人の女神さまに導かれ椅子に腰を下ろした。そうして東の女神さまが指を鳴らすと、私の腕に巻いている包帯が勝手に取れる。
「良く、この程度で済んだわね」
「加減した……いえ違うわね。加減できたのおチビちゃん?」
「いや、あまり加減しないでいった。でもコイツ、あたしと姉さんの血が濃くでてるみたいで、右腕に怪我を負っただけでケロッとしてる」
お二人の女神さまの言葉に南の女神さまが怪訝な顔で答えた。どうやら割と本気だったのに今の状態で済んでいるのが不思議なようである。魔力量が高いから勝手に防御したのだろうか。そういえば錫杖を持って儀式に挑んだから、錫杖が気を利かせて自動で魔術を発動させていたとか……いや、まさかと頭を振って、お三方のやり取りを見守る。
「確かに妹と姉上さまの匂いを、この子から感じるような?」
「おチビちゃんとお姉さまの匂いがありますわね」
私の顔を不思議そうに東と北の女神さまが覗き込んだ。そうして怪我は父上に治して貰いましょうとお二方が告げる。え、目の前の女神さまが治してくれるんじゃないの、と悲鳴を上げたくなるが拒否権はない。
お三方の父神さまとお目通りすることになり、私は大変なことになったなとガラス張りの部屋の天井から見える空を眺めるのだった。凄く良い天気である。