0962:ようやく知った。
北大陸、ミズガルズ神聖大帝国の最北端にある領に大陸横断鉄道を使い辿り着いた。北大陸の最南端から最北端まで三日を要している。列車の最高速度が遅いので致し方ないことだし、夜は列車から降りて宿に泊まり睡眠をとるので寝不足にはなっていない。
時刻は夕方。暗闇の中の移動は危ないので宿で一泊して、明日の朝から大陸最北端から船で神さまの島に渡ることになっている。誰も辿り着けなかったのに、女神さまの案内で行けるとは不思議な感覚だ。
南の島で見つけたホログラムの方が知れば、凄く羨ましいと言われそうである。亡くなっているから神さまの島に自生している花を頂いて、お屋敷に献花してみようかと考えていると本日の宿へと辿り着いた。
宿屋に辿り着きソリから降りて、リンのエスコートを受ける。馬車の扉を開けた瞬間に肌を刺すような風が吹き込み顔の熱を奪っていた。
「流石に堪えるね……着込んでいても寒いなあ」
私はリンとジークの顔を見上げると、二人も困ったように笑う。かなり着込んでいるのに寒いと感じてしまうのだが、そっくり兄妹や同行している皆さまは大丈夫だろうか。鉄道移動でも夜は列車から降りて宿に向かうから、その途中で寒い方には防寒着を買っても大丈夫だし、お金がなければ払うと伝えておいたのだが……我慢している方がいるかもしれない。
「冷えるな。早く宿に入って温まろう。風邪を引いたら大変だ」
「そうだね、兄さん。島に行く前に風邪を引いたらナイの傷を治せない」
ジークとリンも流石に寒いようで、随分と着込んでいる。レダとカストルも寒過ぎるのか沈黙を保っていた。水に濡れたら鞘と剣が抜けなくなるなと二振りに視線を注げば『今、すっげー寒気がした!』『マスターがなにか考えていらっしゃいます!』と沈黙を破る。あまり煩くするなと言うようにジークとリンがレダとカストルの柄に触れれば、二振りはまた静かになる。
「クロは平気?」
『ボクは大丈夫~でも、ロゼが寒さが苦手なんて意外だなあ』
クロは竜なので寒さは平気だそうだ。アズとネルも大丈夫なようで、いつもの姿でジークとリンの肩の上に乗っているのだが、着ぶくれしている二人の側に居辛そうだった。
クロもクロで時折私の肩から滑り落ちそうになっている。三頭とも飛べるので落ちても問題はないものの、落ちそうになっている姿を見るのはヒヤッとする。
ロゼさんは私の影の中で待機しており、度を越した寒さが苦手と教えてくれた。ちなみに今の気温はマイナス三十度である。西大陸の中央部に位置するアルバトロス王国で育った身としては結構キツイ。魔術でどうにかできるものの、魔力が尽きると死に直結するので防寒対策は最重要項目だ。
「温かい部屋に行けば、きっとロゼさんも顔を出してくれるよ。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちは平気そうだね」
ロゼさんは私の影の中で過ごしているが、毛玉ちゃんたちは雪が楽しいのか列車から降りると私の影から出てきて、外で五頭は走り回ったり絡み合ったりしている。雪がクッションになってくれるし、じゃれ合いなので牙や爪で怪我を負うこともないだろう。毛玉ちゃんたちにはヴァナルと雪さんたちが付いているので、私たちとはぐれそうになれば毛玉ちゃんたちを引き戻してくれる。さて、他の方は大丈夫かなと周りを見渡すと女神さまと視線が合った。
「不躾な質問ですが、女神さまも大丈夫ですか?」
「ああ。あたしは平気だ。暑さ寒さは分かるんだが、耐えられるようになっているみたいでな。着込む必要もないんだが、流石に薄着でいると目立つ……」
女神さまもクロと同様に暑さ寒さは関係ないようだ。防寒着を纏う必要はないものの、薄着でいると悪目立ちするし『死にたいのか!』と街の方から怒られそうである。
「あはは。でも丁度良かったです、黒髪が隠れるので。目立つのは避けたいですからね。宿に入りましょう」
笑った私に女神さまが肩を竦めた。南と東大陸ほど酷くはないが、北大陸も黒髪黒目の数は少ないので人々から珍しいと視線を受ける。こればかりは仕方ないと割り切り、宿の扉を見据えた。
ミズガルズの帝都は魔法で街そのものを覆い、雪と寒さを防いでいるが、地方都市となると難しいようで今いる場所は野ざらしだ。北大陸最北端の地は針葉樹林が多く生え、雪により白色に染まっている。私の足元も随分と雪に沈み込んで歩き辛い。
なんとか扉の前に辿り着き、ジークに扉を開けて貰う。玄関は北国らしく二重になっているのか、扉の先にまた扉が佇んでいた。そうしてまたジークに扉を開けて貰い中へと入る。
宿の中は凄く豪華な内装だった。真っ赤な絨毯が敷き詰められ、柱や壁の所々には金細工が施されている。従業員の皆さま一堂で礼を執り、私たちを出迎えてくれた。
高級ホテルに泊まったことはないし、旅館にも泊った経験は数少ない。大勢の方に迎え入れられるという、慣れない厚意を受けながら受付へと足を向ける。アルバトロス王国一行の長を務めるので受付の方に挨拶をした方が良かろうと、宿に泊まる度に私が真っ先に赴いている。私が挨拶を終えれば手続きは外務部の方やソフィーアさまとセレスティアさまが行ってくれる。極寒の地だというのにこんなに豪華な宿があるのだなあと感心しながら、支配人さんとの挨拶を終えた。
「一泊だけですが、どうぞよろしくお願い致します」
「承知致しました。運が良ければ、空に赤や緑の帯が現れることがありますよ。深夜や明け方に見る機会が多いでしょうか」
宿の主人が私たち一行に声を掛けてくれた。この地域はオーロラが見れる場所のようだ。見に行くか話題に上って、せっかくなら見てみようとなる。しまった。写真の魔術具を持ってくれば良かったと後悔していれば、副団長さまが私の横に立ちさっと写真の魔術具を手渡してくれる。
なんだか高くつきそうであるが、オーロラを見ることなんて滅多にできない。テレビの中でしか見られなかった光景を、自分の肉眼に捉えて思い出として写真に残せるのは幸せなことである。神の島に辿り着く前だけれど緊張しっぱなしでも駄目だし、気を抜く時間も必要だろうと陽の出の時間を教えて貰って、興味のある方はオーロラ鑑賞に行こうとロビーで誘ってみた。
興味のある方は皆さま頷いてくれている。ジークとリンは私の護衛なので付き合わなければならないが、ソフィーアさまとセレスティアさまと、副団長さまと猫背さんが頷いてくれる。
このメンバーであれば警備面は心配いらないだろう。展望台が整備されており、明かりが灯されているとのこと。他にも行きたい方はいないかと聞いてみるれば、エーリヒさまと外務部にいつの間にか配属されていた緑髪くんが手を上げる。
じゃあみんなで温かくして行きましょうと頷き合い、それぞれに割り当てられた部屋へと移動する。何故か女神さまと私は同室で、女神さまも嫌がっていない。別室を提案すると女神さまは妙な顔になって、何故か天候が荒れてくる。大荒れにはならないが不思議と荒れるのだ。では同室でと告げると天候が回復する。
何故、と思うが嫌な方ではないし、他の方に当たり散らす様子もなく普通に一緒に過ごしているので問題はないけれど。何気にリンとも仲良くしており、珍しいこともあるものだと感心しているのだが。本当、何故だろう。
私と女神さまに宛がわれた部屋に入ると凄く広い。部屋が数室あるし、ベッドも人数分以上ある。ひえーと驚きながら最北端の地で豪華な宿が作られる理由を考えてみた。
「宿が立派なのは、光の帯を目的に観光で高貴な方がきているのかな?」
私の言葉にジークとリンと女神さまが『どうだろう?』と首を傾げる。
「なにかの本で読んだことがあるが、本当にそのようなものが夜空に浮かぶとは……確かに珍しい現象だから、興味がある者がわざわざ足を運ぶのかもしれないな。ナイの推測は合っているんじゃないか?」
「でしょうねえ。世界を旅する冒険書に記されていた気がします。大陸横断鉄道が僻地にまで設けられている理由が分かった気がします。価値のあるものでしょうから見れると嬉しいですわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまもオーロラは初めて見るようで興味があるようだ。女神さまはお二人が喋っても、侍従が喋るなとか無茶なことは言わない。
背が低いとかチビとか侮蔑の視線を向けられなければ、女神さま的に友好関係を結べるそうだ。そんなに背の低さを馬鹿にされてきたのかと彼女を見るが、私より背が低いのでなんとも言えない気持ちになった。
子爵邸のメンバーに女神さまが馴染んているなあと、夕ご飯まで打ち合わせをしていると部屋の扉を叩く音がする。ジークが対応を担ってくれると、エーリヒさまがきているようだ。個人的に用があるのでお邪魔しても良いですか、とのこと。男性も女性も揃っているので入室自体に問題はない。あとはエーリヒさまの個人的な用事の内容によるが、彼であれば無理難題は吹っ掛けられないだろうと入室の許可をジークに申し出る。
リンが私の後ろに回り、椅子に腰掛けていたソフィーアさまとセレスティアさまも私の側に控える。女神さまは私の横に椅子に腰掛けて、用意されていた茶菓子を興味深そうに食べている。私も食べていたけれど、食べながらは失礼だと一旦手を止めた。宿の方にお茶を頼んでいると、エーリヒさまがジークと共にやってきた。彼の後ろには緑髪くん……えっと……ユルゲン・ジータスさまもいらっしゃる。
「失礼します。夕食前に申し訳ありません。個人的にナイさまにお願いがありまして……あと彼は俺の付き添いです。異国の地で一人行動は危ないと、常に誰かと共にするのが外務部のルールとなっているので。申し訳ありません」
エーリヒさまがジータスさま……緑髪くんに視線を向けると、緑髪くんが小さく礼を執った。私も目線を下げると、彼は部屋の隅へと下がって待機している。話に加わる気はないようで、エーリヒさまの付き添いのために部屋に赴いたのだろう。
宿の方がお茶とお菓子を用意してくれて部屋から下がっていく。女神さまは嬉しそうにお菓子に手を伸ばして、美味しそうに頬張っている。美味しいならなによりと私はエーリヒさまへと視線を向けた。
「大丈夫ですよ。エーリヒさま、どうしましたか」
「ナイさまは光の帯を見れたら、魔術具に絵を収めるのですよね?」
「はい。持参していなかったのですが、副団長さまにお借りすることができたので」
副団長さま以外にもセレスティアさまも持っていたので、写真が撮れれば焼き増しして貰える予定である。私の言葉を聞いたエーリヒさまが小さく息を呑んだ。
今更、緊張する関係でもないだろうに……あ、女神さまがいるからだろうか。日本人は神さまを側にある存在として認識しているけれど、エーリヒさまは神さまを上位に置いている方かもしれない。
「あの、もし撮れたらで良いので絵を複写できないかなと。もちろんお金は払います。高いと少し支払いを待って頂くかもしれませんが……」
言い終えたエーリヒさまは少し顔を赤らめた。顔を赤くする場面でもないし、綺麗な光景を写真に収めたいという気持ちは誰にだってあるものだ。
「構いませんよ。複写も安い魔石ほどの値段なので気になさる必要はないかと」
写真が欲しいなら気楽に伝えてくれれば良いのにと私は笑い、値段を伝えると彼はほっとしていた。また明け方に顔を合わす約束をしてエーリヒさまと緑髪くんが部屋を出て行く。
ソフィーアさまとセレスティアさまも彼らが去って直ぐ、自分の部屋に戻ると言って歩いて行く。残ったお菓子に手を伸ばして、ジークとリンに食べると聞けば構わないと返事がきた。私はそっかと返事をして女神さまと一緒に残ったお菓子を頂く。北大陸のお菓子も美味しいなあと味を噛みしめながら、ジークとリンに視線を向ける。
「写真くらい気にしなくて良いのにね」
そっくり兄妹が私の言葉に片眉を上げた。
「エーリヒのことだ。筋を通しておきたかったんじゃないか?」
「大聖女さまに贈るのかな?」
ジークは珍しく誰かに対して柔らかい笑みを浮かべ、リンは顔を傾げている。
「そういえばエーリヒさまとフィーネさまは手紙のやり取りしているんだっけ。マメだなあ……私は無理かも」
多分細かいやり取りと気配りは私には無理である。オーロラの写真を撮って誰かに贈るなんて考えたことはない。
「……なあ、ナイ」
「どうしたの、ジーク。深刻な顔になってるよ」
ティーカップを手に取って口に含もうとした瞬間、リンが口を開く。
「あの二人、付き合っているんじゃないかな。ねえ、兄さん」
リンの言葉にジークが渋い顔を浮かべて深く頷いた。
「え? ええ!?」
え、エーリヒさまとフィーネさまっていつ付き合っていたの? 島から帰国する際に二人の距離が近かったけれど、たまたま距離が近いこともあるだろうと思っていたのに。告白する機会なんていつあったの……って、まあ四六時中一緒にいるわけじゃないし、別行動を取っていたので学院や島で告白する機会はあったのか。
ジークは『何故、アレで気付かない』と言いたげだし、リンは『ナイだから』と嬉しそうな顔を浮かべている。
「うーん……人間関係って難しい……」
「……お前、お子ちゃまだなあ」
女神さまがジークとリンが言いたかった台詞であろう言葉を口にする。はい、恋愛関係には鈍くて誠に申し訳ありません。ヒロインちゃんくらいあからさまであれば分かるけれど、どうにも他の方の人間関係に興味が薄いのか気付き辛いところが私にはある。
「お菓子を美味しそうに頬張りながら言う台詞ではないかと……」
「んあ? まあ、確かに」
ししし、と歯を見せながら笑う女神さまに、エーリヒさまとフィーネさまに祝福の品を贈った方が良いのかなと悩み始めるのだった。