0957:ご降臨。
――あれ?
目が覚めた。知らない天井だって言いたいけれど、ここは私が三年前に利用していた離宮の部屋である。南大陸の男性王族の方の浄化儀式を執り行っている最中に女神さまが顕現した。異世界で魔法や魔術に魔物や魔獣がいる世界だから、神さまも存在しているかもしれないし構わないのだが、問答無用で攻撃されるのは勘弁願いたい。
とはいえ女神さまは謝ってくれたしワザとじゃない感じだった。私が女神さまに抗議するより前に、痛みと失血で意識が途切れてしまった。右腕を上げると包帯ぐるぐる巻きである。治癒魔術が存在し失くした腕を生やせる術者もいるのに、私の腕の怪我が治っていないのは女神さまの力が強すぎるのか。
「痛い……! あれ、痛くない……不思議」
持ち上げた腕をしみじみと眺めているのだが、包帯には血が滲んでいるのに痛みがない感覚は変な感じだった。
「ナイ!?」
「ナイ! 大丈夫か?」
ベッドの上でぼやいた私の視界にリンとジークの顔が映り込む。ジークが眉根を寄せて難しい顔をし、リンは泣きそうな顔になっている。持ち上げた腕をベッドに戻して、逆の手をリンの顔に添えた。親指の腹で彼女の目元を擦りながら私は口を開く。
「どうにか大丈夫。腕、怪我しているのに痛くないんだけれど……私が気を失っている間になにがあったの?」
私が声を上げたことにジークとリンが安堵の息を吐く。ベッドから身体をゆっくり起こそうとすれば、リンが背中を支えてくれる。ふうと息を吐いていると、ばたばたとなにかが近づいてくる音がした。
『ナイ~……大丈夫? 痛くない? 気を失う前のことは思い出せる?』
クロがベッドの上に飛び降りて首を傾げながら問うてくる。クロと一緒にロゼさんもベッドの上にぴょんと乗り、ヴァナルがベッドの淵に顔を乗せ、耳を横にしながら心配そうに私を覗き込んでいた。
ヴァナルの後ろには雪さんと夜さんと華さんがじっとこちらを見ながら、毛玉ちゃんたちがベッドに突撃したそうにしているのを制している。
「大丈夫。不思議と痛くないんだよね、包帯に血が滲んでいるから傷が治ったわけじゃないって分るのに。意識を失う前のことも確り覚えているよ。とりあえず大丈夫だから。そんな情けない声出さないでよ、クロ」
『んっとね、えっとね……うぅ、ジークぅ、説明をお願い』
クロは説明をしたいけれど心配の方が勝って上手く言い表せないようだ。説明のバトンをジークに渡して、クロは私の膝に顔をぐりぐりと擦り付ける。心配、してくれたんだなあと左腕でクロを持ち上げ膝の上に乗せる。
今度は私のお腹に顔をすりすりし始めて、クロは喉を鳴らしていた。ロゼさんも私の足の間に挟まってへちょんとなっているし、ヴァナルも珍しくピーピー鼻を鳴らしている。毛玉ちゃんたちも同様に鼻を鳴らして私を見ている。雪さんたちもいつもゆらゆらと揺らしている尻尾が動いていない。リンが私の横に座って腰に手を回す。暫く経つと彼女の温もりがゆっくりと伝わってきた。
「ナイが気絶している間に、フライハイト嬢とリヒター嬢を召喚して治癒を施して貰ったが傷は治らなかった。ヴァレンシュタイン副団長の話によると、人間より上位存在となる女神から受けたものだから治すのは難しいだろう、と」
アリアさまとロザリンデさま以外にも教会のシスターたちが治癒を試みてくれたそうだ。それでも傷は癒えないので、シスター・ジルによる無痛術を施した。浄化儀式を執り行ったのは午前中だったが、私が気絶している間に陽が沈み夜になっている。
痛みがないものの傷は治っていないのは日常生活に支障が出る。利き腕だからご飯が食べ辛いし、お風呂も入り辛いだろう。それに身体を温めれば血の巡りが良くなるので、お風呂厳禁を言い渡されそうである。
「女神さまはどこに?」
クロの背中を撫でながら、ジークの顔を見上げた。彼の表情は先ほどより柔らかいものになっているけれど、時折私の右腕に視線を向けていた。女神さまは私が浄化儀式を執り行い、南大陸の男性王族に掛かっている呪いを解こうとした所を怒っていた。
でも王族の方々が女神さまと私が話していた間に割り込んだことで、いろいろと有耶無耶になった部分がある。もう一度女神さまと話がしたいけれど出来るのだろうか。
「陛下方とナイの傷をどうするか話し合っている。ナイを傷付けるつもりはなかったが、怪我を負わせたから申し訳ないことをしたと仰っていた」
「あれ、私が浄化儀式を執り行ったことは怒っていない?」
そういえば女神さまと私が話している間に問題とされることはなかった。女神さまが一番怒っている部分は、過去に黒髪黒目のお方の容姿を蔑んだ王族の方への怒りが大きいようだ。何百年経っても忘れていないのだから相当に根深いものなのだろう。実際、男性王族の方々に『許す』とは言っていないのだから。
「罰が解けたわけじゃないからな。話が終わって、ナイが目覚めていれば顔を出す、と」
「そか」
「ナイ、痛みはないが傷が治ったわけじゃない。無理をするなよ。俺たちに言えば大抵のことは補助できる。他にもナイを助けられる者はいるんだ。昔とは違う。俺たちを頼れ」
ジークが言い終えると、リンが私の腰に回している腕の力が増す。リンも助力してくれるようで、有難い限りだと彼女の胸に頭を寄せた。
「うん、ありがとう。暫く面倒を掛けるけど、よろしくお願いします」
私がジークとリンを視線を合わせると、クロが『ボクもナイを助けるよ』と告げ、ロゼさんが身体をぷるんと張って、ヴァナルがぶんぶんと尻尾を思いっきり振り、雪さんたちも手伝うと言い、毛玉ちゃんたちは雪さんたちの周りをくるくる回っている。
頼もしい仲間だなと笑うと、部屋を二度ノックする音が聞こえる。この叩き方はソフィーアさまかなと首を傾げると、開いたままの扉から当人とセレスティアさまが立っていた。
「気付いたのか、ナイ」
「大丈夫ですの?」
ゆっくりと歩きながらお二人がベッドの側にきた。ソフィーアさまとセレスティアさまは私の右腕を一瞬見て顔を顰めるが、直ぐにいつもの顔になる。こういう所の切り替えは凄く早くて羨ましい。
ジークがベッドから半歩下がり、リンは私の側にいるままだ。お二人はリンの行動を諫めないので問題はないようだ。そんなお二人の横にヴァナルが座り直すと、毛玉ちゃんたちもぴゃーっと寄って五頭並ぶ。ぶわっと特徴的な御髪が盛り上がった方の姿は見ないとして、問われたことに答えなければと口を開く。
「痛みはないので大丈夫です。腕が動かし辛いので不便ですが……」
左利きではないから、いろいろと不都合がありそうだ。とはいえ介添えして貰いやすい環境にいるので有難いか。貧民街時代なら大問題だったけれど、今なら不便なくらいなので目を瞑れる。
「そうか。今、治る手段を模索して貰っている」
「暫く不便なのは我慢してくださいませ」
アルバトロス上層部には迷惑を掛けてしまった。なにかお礼ができると良いのだが、私が考えるお礼はどうにも突飛なことが多いらしい。ソフィーアさまとセレスティアさまに相談しつつ考えようと決め、様子を伺いに行こうとベッドから降りた。
リンが私の身体を支えてくれるのだが、もしかして彼女は二十四時間付きっ切りでいるつもりなのか。それを彼女に問えばドヤ顔で『もちろん』と返事がきそうなので黙っておく。
「邪魔するぞー」
凄く気楽そうな声が部屋に響く。訪問者は南の女神さまで、彼女の後ろには陛下と宰相閣下に外務卿さまが控え、更に副団長さまと猫背さんも一緒だった。他にも公爵さまと辺境伯さまもいるし、知っている顔が沢山ある。
護衛に就いている近衛騎士の方々の隅っこで、エーリヒさまが同道していた。なんだか私の所為でエーリヒさまを引っ張りまわしている。彼にもあとでお礼を言わなければと決めて、女神さまに礼を執る。
「先ほどはご挨拶もしないままとなってしまい失礼致しました。ナイ・アストライアーと申します。以後、お見知りおきを」
「おう、よろしくな。お前の怪我は悪いことをした。あたしの実家に行けば治せる奴がいるんだが……お前は、ナイはどうしたい?」
再度女神さまに頭を下げる。名乗ってくれないのは致し方ないのだろう。同等の存在ではないし、亜人連合国の方々のように名乗る習慣がないのかもしれない。この場にいる陛下方とも話をしたいけれど、女神さまの言葉を放置するのは駄目だろう。
「このままでは不便なので、治せる手段があるならば治療をお願いしたいです。しかしご実家はどちらに?」
「北大陸の更に北だな。あたしたち神が住んでいる島があるんだ」
女神さまの言葉を聞いて副団長さまと猫背さんの表情がぱあっと明るくなった。この流れだと彼らも付いてきそうだが、それより前に私は神さまが住んでいるという島に赴くことになるのだろうか。
「案内はあたしが務めるんだが、治してくれるかどうかはお前のことを気に入ってくれる奴がいればっつー賭けになるな」
私より背が拳一つ分小さくて見目は儚いのに、言葉使いが外見と合致しない。ちぐはぐさに苦笑いしそうになるのを我慢して、女神さまに単純な疑問をぶつける。
「島に人間が入って良いものなのでしょうか?」
「あたしが連れて行くから大丈夫だ。でもな、治せる奴に興味を持って貰えねえと無視されることもある。その辺りは覚悟してくれ」
どうやら私が気にしたことは些末事のようだ。しかしまあ、他の神さまに私のことを気に入って貰えないと治癒は受けられないのか。こう神社の神さまのようにお賽銭を投げれば、願いを叶えてくれるようなシステムがあれば良かったのに。気にしても仕方ないと旅程の話をしようと再び口を開こうとすると陛下が一歩前に出た。
「女神殿、我が国にとってアストライアー侯爵は欠かせぬ存在です。どうか彼女の傷を癒して頂きたい」
陛下は女神さまに軽く礼を執った。これは北大陸の更に北にある島に行くのは決定だなと私は腹を括る。急展開に驚きつつも、南大陸で聞こえた声や南の島で見つけたとあるお方の日記に書かれていた神々の島のこと。
これらを踏まえると女神さまと対面して、島に赴くことは私の運命に定められていたことかもと珍しくロマンティックに捉える。陛下方が話を終えたと言わんばかりに部屋を出て行き、女神さまと護衛の近衛騎士の方々とエーリヒさまに、子爵邸の面々が残った。もちろん副団長さまと猫背さんは部屋に残っている。感情は表に出していないけれど、内心はきっとリオのカーニバルの様にヒャッハーしているはずだ。
陽が完全に沈んで夜の帳が落ち、部屋の窓から衛星の光が差し込んでいた。
女神さまは島行きを私の予定に合わせてくれるようで日程調整に入っている。怪我を負ったままは不味かろうと、最優先でソフィーアさまが私の予定を組みなおしてくれた。ふいに浄化儀式を執り行った彼らのことが気になり始める。話のタイミングを見定めて、私は女神さまと部屋にいる皆さまに問うてみた。
「南大陸の男性王族の方々はどうなったのですか?」
「あたしが国に帰れっつった。罰を解いても良かったけどよぉ、なーんかムカつくんだよなあ。あたしの背が低いことを馬鹿にしている感じを腹の奥に隠してるっつーか」
女神さまが面倒くさそうに髪を掻き毟りながら教えてくれる。他の方たちも微妙な顔で頷いているので、彼女の言葉通り帰国の途に就いたようだ。申し訳ないことをしたかなと息を吐けば、女神さまが気にするなと告げる。一応、約束を結んだので浄化が成功すれば良いと願っていたけれど致し方ないのか。
ふうと息を再度吐いた私を見た女神さまが肩を竦めたあと物珍しそうに部屋を見渡し窓の外に視線を向けた。
「ん?」
女神さまが窓の外になにか見つけたのか、席を立ち窓の傍まで行って桟に手を掛け空を見上げた。何度か悩ましそうな声を上げて、私たちの方へと振り返る。
「なあ、一番大きい星にあんな模様あったか? 真ん中よりちょっと下にある模様なんだが……あたしの記憶違いか……?」
「…………」
言いたくないけれど、伝えておかなければ大騒ぎになりそうである。女神さまが疑問に感じるほどなのかと冷や汗を掻きながら、私は南の島での試し打ちの話を彼女に打ち明けた。
「はあ!? お前があの星に傷を付けた張本人かよ! あたしでも苦労するってーのに、どうして人間ができるんだ!?」
「私以外にもできるはずと仰った方がいますので、私だけではないかと。あと竜のお方に乗って上空から撃ったので、地上で撃ったわけではないですから……」
目を真ん丸に見開いて驚く女神さまに私は補足をしておく。副団長さまも可能だと仰っていたし、私だけができる芸当ではない。あと上空から撃ったので、地上から撃っていれば届かなかったかもしれないのだ。
「はああああ!!?」
声を荒げて顔芸を披露している女神さまを私は憎めない。物言いは乱暴だけれど、話せば理解ある方と分かってしまった。
腕の傷は状況が分かっていない所での不意打ちだったし、大昔に黒髪黒目のお方を蔑まれたことは女神さまにとって一大事だった。やはり彼女を悪く思えないなあと話を終えて、子爵邸へと戻るのだった。