0950:リアジュウ。
フィーネさまを誘い出すことに成功した。俺たちと少し離れた場所には聖王国の護衛が控えているものの話の内容は聞こえない。ロッジを出てすぐの所にある、ハンモックの下へ彼女と一緒に歩いて行く。
本当は夕日が沈む浜辺で告白とか、ロマンティックな演出にした方が良いのだろうが、そこまで上手に彼女を誘える自信がなかった。やたらと煩い心臓の音を聞きながら、話を切り出すタイミングを待っていた。
「今日も良い天気で良かったです。このまま残りの時間も晴れだと良いのですが」
俺は緊張を紛らわせるために空を見上げた。水平線に入道雲がもくもくと上がり、頭上には真っ青な空が広がっている。もっと気の利いた話題を喋れないのかと頭を抱えそうになるが、フィーネさまを横目でチラリと見れば、俺が贈った髪飾りを着けていてくれた。
島にきて時々着けてくれているのを目にしていたが、気に入ってくれたのだろうか。自分が贈った品を彼女が身に着けてくれている嬉しさと、気恥しさに襲われてフィーネさまの顔を直視できない。
「あと少しで島にいられなくなりますね……エーリヒさまと一緒に過ごせたこと、凄く嬉しかったです。短くて直ぐに終わってしまいましたけれど……あはは」
フィーネさまは長い銀糸の髪を指に取り耳に一房掛けた。彼女の白い首筋と少し赤くなっている耳がふいに眼に入った瞬間、心臓に杭を打ち込まれたような衝撃が走った。正直、気になっている女性の……好いている人のふいな仕草にときめくのは仕方ないのではなかろうか。
俺だって男だし、いろいろと耐えなければならないものが……って、どうして目の前の彼女は俺を見上げて顔を赤くしているのだろうか。
いや、まて俺。自惚れるな、俺の盛大な勘違いという可能性もある。あるのだが……俺は男で単純だから、期待しても良いのだろうかと頭と心が囁いていた。多分、女の子は男より簡単じゃない。とりあえず、会話に空白ができるのは不味いと俺は口を開いた。
「国に戻れば、また手紙を送ります。フィーネさまの手紙は日々の糧になっていますから。俺はなにも気の利いたことが書けなくて申し訳ないのですが……」
「そ、そんなことはありません! エーリヒさまのお手紙は私は凄く楽しみにしています! 気を使ってくださっていることも分かりますし、私の我が儘に付き合って頂いて本当に申し訳ありません」
お互いに褒め合っている状況になってしまった。やばい、いつ話を切り出そう……タイミングを逃したと照れ隠しで自分の頭を掻く。
「フィーネさま。俺が貴女の我が儘に付き合っているなら、俺の我が儘にフィーネさまにも少し付き合って貰っても構わないですよね」
「……え?」
俺の言葉にフィーネさまが目を見開いてなにか考えている。少し意地悪な出だしになったかもしれないが許して欲しい。気の利いた台詞もカッコいい態度も取れないけれど……精一杯、今の俺の気持ちを彼女に伝えよう。
俺は一度死んで新たに命を受けた。だからこの世界では異物で異端で異常な存在だ。そんな俺が誰かを好きになって、結婚して子供を育てるなんてあり得るのだろうかと考えていた。でも……。
「フィーネさまとアガレス帝国で出会って、それから学院で貴女と共に過ごした時間は俺にとって凄く楽しいものでした。学院を卒業して城勤めで時間に追われるようになったけれど、ふいにフィーネさまの笑った顔を思い出すんです」
俺の言葉に彼女の顔が真っ赤に染まる。俺の顔もきっと凄く赤いはずだ。外務部に配属され、いろいろと忙しい三ヶ月だった。官舎に戻ってフィーネさまから送られた手紙を受け取れば、自然に頬が緩んでいた。
そして彼女が楽しそうに手紙を認めている姿を幻視した。俺もどうにか彼女を楽しませようと頑張って筆を取るが、果たして男の俺が書いた手紙を読んで楽しかったのだろうか。
「……俺が貴女を思うことを許してください」
「そ、それは……エーリヒさまが私のことを好きだと言ってくださっていると?」
フィーネさまが泣きそうな顔で俺を見上げる。恥ずかし過ぎて逃げ出したい気持ちを抑えていると、彼女の右腕が俺の服の裾を掴んだ。
「うっ……はい。その……俺はフィーネさまのことが好きです。付き合って欲しい、と言いたいですが俺たちには国という壁があります。でも――」
「――嬉しいです! やっと、やっとエーリヒさまから私が欲しかった言葉を聞けました!」
どうしよう。俺、彼女の顔を直視できない。今にも彼女は泣きそうなのに凄く嬉しそうに笑っているのだから。それにいつの間にか告白のOKの返事を貰っている。
フィーネさまが言い終えるや否や、腕を伸ばして俺の胸の中に飛び込んできた。抱きしめて良いのか迷った末に、両の腕を彼女の腰に回して抱き留める。
「乗り越えなければならないものが沢山ありますが……頑張ってフィーネさまと釣り合う男になります」
新たな決意を告げながら、腕に伝わる彼女の熱と柔らかさに多幸感を抱く。反面、こんな華奢な子を守らなきゃいけないんだなと。
フィーネさまと正式に付き合うなら、やらなければならないこと乗り越えなければならないことが沢山ある。アルバトロス王国と聖王国という壁があるし、彼女は聖王国の大聖女を務めている。
そんな彼女の伴侶に他国の低位貴族が婚約や婚姻を申し入れたところで、無視されるのがオチだろう。だから俺はもっと頑張って彼女と釣り合う身分を得なければならない。何年掛かるか分からないけれど、自分の気持ちを秘めて行動するより、彼女に打ち明けて決意した方がやる気は俄然湧く。
「わ、私もエーリヒさまに釣り合うように、いろいろ勉強しますね! ご飯の作り方も覚えますし、エーリヒさまのお仕事の内容を理解できるようにならないと!」
フィーネさまが俺の胸に手を当てて身体を離した。まだ彼女の熱を感じていたかったと残念に思いつつも、あまり引っ付いていると護衛の人に止められる。彼女と視線を合わせると、フィーネさまは照れ臭そうにはにかんだ。
「ありがとうございます。俺もフィーネさまに俺が作ったご飯を食べて欲しいですね」
「本当ですかっ!? 嬉しいです! 男の人の手料理は食べたことがないので、楽しみにしていますね!」
フィーネさまが胸の前で手を合わせて綺麗に笑った。俺は多分この顔に弱いのだろうなと少し苦笑いになる。
「俺もフィーネさまの手料理楽しみです」
俺も彼女も貴族だからそんな日がくるのか分からないけれど……それでも、俺なりに一歩前に進めたことは良いことなのだろう。勇気を振り絞って彼女の前に俺の右手を差し出せば、彼女の左手が乗る。
「エーリヒさま……」
彼女に名を呼ばれ視線を向けると、甘い表情で俺を見上げている。そうしてゆっくりと彼女は瞳を閉じた。どくん、と心臓が高鳴る。彼女がなにを強請っているのか鈍い俺にだって分かってしまう。良いのだろうかと迷い彼女の頬に左手を添えて、半歩前に足を踏み出した。
「…………っ」
「うほんっ!!」
突然聞こえた低い音の咳払いに俺はばっとフィーネさまから距離を取る。不味い、特殊な状況下に我を忘れていた。護衛の人がまた咳払いをすると、フィーネさまは顔を真っ赤に染めながら下を向いている。でも握った手はそのままだ。
「あ、あー……凄く天気が良いですね。は、浜辺に散歩でも行きませんか?」
「そ、そうですね。ゆっくり歩きながら参りましょう! 参りましょう!」
二人して妙なテンションで浜辺を目指す。流石にこの雰囲気で森の中に入れば、護衛の人になにを言われるか分からないので視界が開けた場所を選んだ。俺、グッジョブと褒めてやりたいし、理性をどうにか繋ぎ止めたのも褒めて欲しい。
でも、護衛の人がいて良かった。誰もいなければキスだけで済まない気がする。まだまだ前途多難だけれど、大きな一歩を踏み出した記念すべき日だった。
◇
エーリヒさまと手を繋いで浜辺を目指している。
突然の彼からの告白に驚いたけれど私は凄く嬉しかった。ずっと欲しかった言葉だったし、両想いだったことが奇跡である。さっき、護衛の方の咳払いがなければ、キ、キキキキキ、ちゅうを済ませてた。
でもお互いの身分や立場を考えると駄目なことだから止めてくれて良かった。少し暴走してしまったと反省しながら、私の隣を歩くエーリヒさまを見上げる。
なんとなく顔と耳が赤いような気がするけれど、私も人のことを言えないだろう。繋いだ手から彼の体温が伝わるし、男の人らしい確りとした手。騎士の方や軍人の方と比べると劣ってしまうが、太くもなく細くもない身体付きだ。首もがっちりしているし、所々に浮き出ている血管も男の人なんだなあと感じる部分だった。
「エーリヒさまは、なにが好物なのですか?」
私たちは浜辺まで歩いて行く。繋いだ手を離したくなくて、ゆっくり歩いているのは秘密だ。でもエーリヒさまは私の歩幅に合わせている上に更に速度が遅いから、バレバレなのかもしれない。
「俺ですか? んー……どうでしょう。基本、なんでも食べますが……やはり前にいた所の食事は懐かしいですし、食べたいと願ってしまいますね」
私の質問にエーリヒさまが答えてくれた。少し暈した言い方だけれど、お互いに意味が通じるから問題ない。少し遠くの空を見ている彼の青い瞳が陽の光を吸い込んで綺麗に輝いている。
「私も同じです。最近は食材を融通して頂けるので有難いですよね」
「ええ。でも少し物足りないというか、なんというか……高級品なので、ちょっと庶民の味に近づいたものが食べたいなあと贅沢なことを考えてしまいます。言葉が矛盾してますが」
エーリヒさまが視線を私に向けながら、少し困った顔になる。日本の味の再現は難しい。フソウ国とナイさまが取引を始めたので、随分と日本食の食材が手に入るようになったけれど高級品が占めているし、元の世界の調味料や食材に比べると違いがある。
どうにかならないかな、と願うけれど知識も道具もないから諦める他ないだろう。あ、でもナイさまのように種や苗も頂いて聖王国で育ててみるのもアリだろうか。お醬油を作るのは難しいけれど、お野菜くらいなら育てられるはず。ただ周りの皆さまが許してくれるか微妙なところだ。
「フィーネさまはなにか食べたいものはあるのですか?」
「納豆、は譲って貰っているから良いとして……ナポリタンが食べたいです。学校帰りに友達と一緒に食べてたのが懐かしいなあ。オムライスも良いですねえ……」
パスタは存在するけれど、ナポリタンはまだ見たことがないし食べたことがない。鉄板の上に乗せたパスタとケチャップを絡め、ハムとピーマンと玉ねぎが具材の至ってシンプルなもの。生卵を落として、鉄板の熱で半熟にさせても美味しいしけれど……聖王国で調理法を口にして良いのか分からなかった。
「それなら作れそうです。トマトソースはありますし、具材も代用できますから。味は近づけられるかと」
「本当ですか!?」
「ええ。じゃあ、来年の南の島か、フソウにお花見に行くとナイさまから聞いているので、その機会に振舞えると良いのですが」
ふふ、と少し得意げに笑うエーリヒさま。どうやら彼はお料理男子だったようで、知識が私とナイさまより豊富である。頼もしいなあと感心していると浜辺に辿り着いた。少し残念だけれど、二人だけの浜辺を贅沢に歩いて、他愛のない話を彼とずっと繰り広げている。途中で私は少し立ち止まり握っていた手を離せば、半歩先に踏み出したエーリヒさまが私に振り返った。
「大好きです、エーリヒさま」
私からも告白すると、エーリヒさまは顔と耳を真っ赤に染めているのだった。