0922:猫背の魔術師さんの経過。
エルとジョセとルカとジアとポチとタマとグリフォンさんの飾りをドワーフさんとエルフの皆さまにお願いした次の日。
執務を終えて昼食を取り、それからアルバトロス城の魔術陣に魔力補填を行って騎士団の隊舎に向かっている所である。お城にきたついでに猫背の魔術師さんに治癒を施す約束を取り付けていた。
先ほどまではワイバーンさんたちの調子を聞きに行っていたけれど、体調に問題ないようだし騎士の方ともキチンと連携が取れているし前より仲良くなっているので順調そのものだろう。
で、一筋縄ではいかないのは猫背の魔術師さんの件である。
十年近く引き籠っていたせいか、栄養不足と猫背が酷い。貧民街の子供と大人でもなかなか見かけない、割と厄介な症状である。せめて魔力アレルギーがなければ、栄養不足状態はマシだったかもしれないけれど嘆いても仕方ない。地道に通って治していけばどうにかなるだろう。あとは猫背の魔術師さん次第である。寄付代はきちんと頂いているし、彼が支払いを拒否すれば魔術師団に請求するだけだ。
暑さと湿度が高くなって不快感を覚え始めている六月中旬。辿り着いた騎士団の隊舎にあるベンチに座ってジークとリンとクロたちで話していると、暑さでうっすらと顔に浮き出た汗を錫杖片手にハンカチで拭っている所だった。
「聖女さま、お待たせいたしました」
「せいじょさま、おくれてごめんなさい」
にっこりと笑みを浮かべている副団長さまと、猫背の魔術師さんがこちらに歩いてくる。以前よりも猫背の魔術師さんの足取りは確りとしているし、長く伸びたぼさぼさの前髪を後ろに結んで顔が見えている。襟足もぼさぼさに伸びているのだが、お風呂に入ったのか髪の状態がマシになっていた。
まだ頬がコケているし目に隈もあるのだが、一番最初に彼を目にした時とは随分と違い改善している。前髪を後ろで纏めているので顔が見え表情も読み取り易くなり、へにゃっと笑っている姿はリンを彷彿とさせた。だから私は彼のことを放って置けないのだろうか。
なににしても、一度で治らないのは確定しているのだから、こうして何度も顔を突き合わすことにはなっていた。ベンチから立ち上がり、お二人を前にして小さく目線を下げる。
「いえ。この度は治療を遅らせてしまい申し訳ありませんでした」
本来は三日前に彼と顔を突き合わせていたのだが、アガレス帝国の戴冠式に参列していたため、猫背の魔術師さんに術を施す日程をズラして貰っていた。戴冠式に参加することは前々から決まっていたし、猫背の魔術師さんと関わることになったのは決まったあとのことだから致し方ないけれど。
「いえいえ。聖女さまがお忙しいのは我々も承知しております。どうかお気になさらないでください」
「せいじょさまがもどってさしいれてくれたお野菜、おいしい。ありがとう」
ふふふと笑う副団長さまとてれてれと笑っている猫背の魔術師さんの機嫌はとても良さそうだ。アガレス帝国で買い付けた、日持ちするお野菜を魔術師団付きの給仕の方にお渡ししたのだが、効果があったようで良かった。
お野菜の話になると副団長さまが微妙な顔になったので、他の方には物足りないのかもしれないが、酷くなるまで同僚を放置していた罰である。それくらいは耐えて欲しい。
「調子は如何ですか? なにか変化があれば細かく教えて欲しいのですが」
聖女の常套句を放って猫背の魔術師さんを見上げる。
「ごはん、たべるようになったから……すこし元気でた。せなかいたくない。けんきゅうはかどってる」
まだ丸い背中を伸ばせないけれど、彼と合わせた視線の位置が高くなっているような。自分がチビである事実を突き付けられるので自覚したくはないが、今回に限っては良いことだろう。しかし元気になったことで更に研究に打ち込んでしまえば、術を施した意味が薄くなる。むむむと口を真一文字に結んで、猫背の魔術師さんから副団長さまに視線を移した。
「僕に厳しい視線を向けられても、彼をお約束の場に連れてくるくらいしかできませんよ。ただ珍しく彼が外に出ているので良い傾向ではないかと。聖女さまにご迷惑を掛けてしまっていることは申し訳ないですが」
「副団長さま」
「はい?」
「どうして彼を気に掛けていらっしゃるのですか?」
私が投げかけた疑問に副団長さまはこてんと首を傾げたあと、くつくつと笑い始めた。副団長さまが興味のあること以外に時間を割くのは珍しいことだ。魔術師の方たちは基本そんな人が多いのだが、副団長さまはその傾向が顕著である。だから猫背の魔術師さんが例え同期だったとしても、忙しなく面倒を看ていることが珍しい。
「おや。それではまるで僕は誰も気に掛けない非情な人間であると仰っているようなものではありませんか」
多分、きっと間違いではない。副団長さまは無能な人とか使えない人を好きになることはないだろう。欲望に忠実な方だし、無駄なことはしないタイプと踏んでいる。
「副団長さまは使える人間にしか興味がないのでは?」
「おやおやおやおやおや。聖女さまに僕が鬼畜な人間と思われていたなんて。悲しくて泣いてしまいそうです」
副団長さまがよよよと目元を拭う仕草を見せるが、涙は出ていないし顔は笑っている。演技が下手だなあと眺めていると、猫背の魔術師さんが呆れた様子で副団長さまを見た。
「はいんつ、おおげさ。せいじょさまの言葉はあたってる……」
「バレてしまいましたか」
「つきあいながいから。わかる」
猫背の魔術師さんのことばにケロッとした顔で答えた副団長さま。やはり魔術師は変な方が多いと私は呆れ顔になってしまう。
「まあ、彼にはお世話になっていて、いなくなられては困るのです」
「ぼくもこまる。はいんつはぼくが考えたじゅつしきを直ぐにりかいしてくれて、さいげんしてくれる。他の人、すこし時間がかかるからじれったい」
「面白おかしい魔術を開発してくれるのですよ。時折、失敗して酷い目にあいますがねえ。六年ほど前でしたか、彼が考えた術式を再現したのですが少し失敗しまして、爆発の影響で僕の髪がちりぢりになってしまいました」
副団長さまと猫背の魔術師さまはwin-winな関係のようだが、魔術関連でしかないことが魔術師らしいというか。お互いに利用し合っているという言葉の方がしっくりくるのは妙な感じである。
副団長さまは爆発に巻き込まれて髪がどうしようもなく傷み、ジークくらいの長さに短く切ったそうだ。短い髪の副団長さまのイメージが湧かないし、似合わなさそうである。
「なにを考えているのですか、聖女さま?」
「短髪は副団長さまに似合うのかなあと」
どうやら副団長さまの髪の短い姿を思い浮かべていることがバレたようで、彼は珍しく微妙な顔になっている。
「あ、すごくにあっていなかった。はいんつは今のかみがたがいちばん」
猫背の魔術師さんが止めを刺しながらも、上手くフォローを入れている。確かに副団長さまは今の髪型が一番だろう。顔は凄くイケメンだし、長く伸ばした髪を肩に流している姿は様になっている。
副団長さまは貴方が開発した術式に綻びがあったから爆発してしまったと言いたげな顔を浮かべながら無言を貫いた。
「と、話が逸れていましたね。施術を行いましょう。ご飯が美味しいのであれば、きっと直ぐに良くなります。子爵邸と子爵領で採れたお野菜を魔術師団に届けることも考えたのですが……」
無理して西大陸の魔素が多く含まれた野菜を食べて苦しむならば、東大陸で育った魔素の少ない野菜を食べる方が良いのだろう。シスター・リズによると、子爵邸と子爵領で採れたお野菜は魔素が多く含まれていると教えてくれた。
魔力感知に長けた方だから、おそらく間違えてはいないだろう。子爵邸で働くようになってから、風邪を引きにくくなったとか持病が改善したとか耳にすることがある。魔獣と幻想種の皆さまも魔素が多いと子爵邸を気に入ってくれているので、なにかしら効果があるのだろう。私の魔力の影響を確実に受けているそうで、親和性が高いと言われている私の魔力で育ったお野菜であれば猫背の魔術師さんは食べることができるのではと考えている。
「本当ですかっ!?」
「あ、たべてみたい」
どうして猫背の魔術師さんより副団長さまの食いつきが良いのだろうか。とはいえ魔術師団全員分となると少々量が多くなってくる。アガレスで買い付けたお野菜は大量購入したので問題ないが、子爵領と子爵邸で採れる量はおすそ分けできる程度で、基本は家畜用のとうもろこしさんと甘いとうもろこしさんがメイン産業だから。
「流石に魔術師団全員分の量は確保できないので、お弁当を料理長さんに作って貰って届けるか、お屋敷にきて貰うかのどちらかですね。でも、運動しなければならないですし……お散歩がてらに子爵邸にきますか?」
考えながら喋っていると、なんだか妙な方向に走り出しそうな予感がする。あとはなにか良い方法はないかなと考えていると、目の前のお二人がぱあっと明るい顔になった。
「行きます! 是非!! 聖女さまが育てたお野菜を食べる機会なんて滅多にありませんから!」
「いく。えるとじょせとるかとじあとポチとタマとぐりふぉんさんに……えっと、ほかにもたくさんの幻獣にあえるから。動くのたいへんだけれど、うれしいしたのしい」
テンションがはち切れている副団長さまは放置して、猫背の魔術師さんと視線を合わせた。
「まだ動くの辛いですか?」
動いていなかったから仕方ないけれど、まだ辛いというならばもっと運動をして貰わないと。無理に動いて倒れられても困るのが、加減が難しいところである。
「せいじょさまに術をほどこしてもらったから前よりらくだけれど……ちょっとたいへん」
「筋肉が落ちている証拠でしょうね。十分でも二十分でも良いので、一日のどこかで運動する時間を設けてくださいね」
ずっと椅子に座っていることが苦痛ではない方なのだろう。普通なら四時間も座っていれば肩が凝って腰に痛みを感じて、軽くストレッチや運動を行い解消させる。でも猫背の魔術師さんはぶっ通しで術式開発に精を出しているようだ。
最近は私がアルバトロス上層部に報告を入れたために、近衛騎士団の方が見回りに入っており、やべー方がいれば強制で研究室から外に連れ出して休憩を取って貰っているらしい。
「うー……術式かいはつのじかんが……」
「厳しい言葉になりますし何度も言っていますが、死んでしまえば術式開発もなにもありませんよ。あと見回りの騎士の方に無理矢理に中断されるより、キリの良いところをご自身で判断して休憩を取る方が効率が良いでしょう?」
開発や研究の良い所で中断されると『あー!』と奇声を上げる魔術師さんがいるとかいないとか。
「……それは困るから、がんばる」
「そうしてください。あとアガレス帝国に赴いていたので、お土産を皆さんにお渡ししているのですが……こちらを」
一応、猫背の魔術師さんの状態は少しずつ改善している。ご本人も子供のような文句を垂れつつ前に進んでいるので、いつかは改善するだろう。それならお土産を渡しても大丈夫かなと私の懐から紙袋を取り出して魔術師さんに渡した。こてんと首を傾げながら袋を受け取った彼は、べりっと遠慮なく袋を開けて中を覗き込む。
「これはなに? ませき?」
「魔力が宿っていないので、魔石ではなく普通の天然石ですね。お渡ししたものは健康を齎すと言われているそうです。気休めですが、貴方の健康が回復することを願っております」
猫背の魔術師さんの瞳の色と同じ天然石を渡したのだが、丁度効果の意味合いが『健康』を齎すと言われている石だった。皆さんの瞳の色と同じ物をお渡ししていますとは告げず、天然石が持つと言われる効能を教えてみた。
少しでも彼のやる気に火が付けば儲けものだろう。興味深そうに天然石を陽の光に透かして、色々な角度で覗き込んでいる。魔術師さんの隣で微妙な顔をしながら私へ視線を向けた副団長さまにも、彼の瞳の金色と同じ色の天然石をお土産として渡す。
「聖女さま、ありがとうございます! クロさまとアズさんとネルさんとお揃いにできますねえ」
にっこりと笑みを浮かべた副団長さまのテンションが凄く高い。お貴族さま向けの普通の価格帯を選んだから、そう喜ばれると恐縮してしまう。
「クロたちは自然のままが良いらしいので加工しておりませんが……職人さんに預けて装飾品にできますよ」
お土産なので渡したあとは自由にすれば良い。加工して指輪や耳飾り等にするも良し、必要ないなら私に知られないようにこっそりと処分して頂ければ良いのだ。
「いえいえ。きっとこのままが一番でしょう。先程聖女さまが仰ったように魔力が宿っていない状態なので、いずれは魔石と化すこともありましょう。どうなるのか楽しみですねえ」
ふひひと怪しく笑った副団長さまに、私の後ろに控えているジークとリンが『大丈夫なのか……?』『いつも通り』と無言で気配を発している。確かにいつも通りだよなあと笑って、猫背の魔術師さんに治癒を施した。治癒とお土産のお礼を告げられて、今日は解散となるのだった。