0907:王都の元公爵邸。
建国祭が終わって数日後。
少し時間に余裕ができ、王都にあるアストライアー侯爵家のタウンハウスへ見学に行こうとなった。これから職人さんにお願いして改修作業に入るのだが、その前に規模を把握して新たに雇う使用人の皆さまの人数やら、新たに購入する予定の家具の配置等を決めるためである。
子爵邸で役職が高い方たちも一緒に赴いており、辿り着いた馬車回りから私は降りた所だった。後ろにも子爵家の使用人さんたちが使う馬車が止まり、家宰さまと侍女長さんや料理長さんがぞろぞろと降りてくる。今回はエルとジョセとルカとジアにポチとタマ、グリフォンさんも一緒にきている。
私が侯爵邸に移れば彼らも一緒にきたいと望んだため見学に行くかと声を掛ければYESと声が返ってきた。ロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちもいるのだが、お猫さまだけは興味がないようで振られてしまった。ジルヴァラさんは『新居に移る際を楽しみにしています』と言い残し、子爵邸のお掃除に精を出してくれている。
「広いですね……別棟もありますし、使わない部屋がたくさんありそうです」
部屋がたくさんあっても使わないなら勿体ないの一言に尽きる。本邸の他にも別棟がいくつか建てられて、別棟だというのに割と広い。下賜された錫杖を抱え、私のお腹の所にある卵さんを撫でながら建屋を見上げる。
『子爵邸より大きいねえ』
馬車回りから侯爵邸の外観を見上げる。子爵邸より何倍も大きいし、庭も凄く広いのだ。庭師の方を何人雇えば賄えるのだろうとか、使用人さん方を何名増やせば運営できるのだろうか。
クロも子爵邸より更に広い侯爵邸に驚いているようで、私と一緒にお上りさん丸出しだった。ジークとリンも驚いているものの、ハイゼンベルグ公爵邸を知っているため『侯爵家だからな』『侯爵が狭い屋敷に住むわけないから』と言いたそうな感じだ。
「ナイにとっては広いか。別館は食客がいれば、そこで囲ったりしているな。他にも長期滞在をする客に開放したり使い方はそれぞれだ」
ソフィーアさまが苦笑いを浮かべながら教えてくれた。夫婦で愛人をそれぞれ別棟で囲い、公認不倫しているお貴族さまもいるらしい。気に入った絵描きや職人を招き入れて、生活を支援することもあるそうだ。
「広さはそのうち慣れてしまいますわ。とりあえず玄関に参りましょう」
セレスティアさまが屋敷の中へ入ろうと私たちを先導する。玄関の扉もかなり大きいし、ハイゼンベルグ公爵家と遜色ない造りだ。本当に侯爵位を手に入れたのだなあとしみじみしていると、侍女長さまと家宰さまが玄関の大扉を開いてくれた。
「広い……」
私はまた同じ言葉を吐き出して、正面にある階段を見上げて天井から吊るされた大きなシャンデリアに視線を向けた。シャンデリアが落ちたら一体いくら損失することになるのだろうか。
新しく買い直せば、凄くお金が掛かりそうである。シャンデリアを繋いでいる鎖や金具に問題がないか調べて頂こうと、小市民丸出し根性が発揮されそうだった。
「……でも」
『凄い絵だねえ……良いのかな?』
クロが首を傾げているが、個人的に、いや普通の感覚の持ち主であれば良くないと判断しそうである。でも美術品だから評価する方がいてもおかしくはない。おかしくはないのだが、玄関を入って直ぐ正面の階段を上がった先に『どどん!』と裸婦が描かれた大きな絵を飾るのは如何なものだろうか。下は隠してあるけれど大きな胸が立派にはっきり描かれていて、ぽっちゃり系の美人さんなのだが、元屋敷の主の趣味なのかは分からない。
「正面のアレはないな。まあ、個人的にだが……」
「わたくしもソフィーアさんと同じ意見です。美意識を疑いますわ。竜やフェンリルの絵を飾ればよろしいのに」
微妙な顔で裸婦が描かれた絵を見上げるソフィーアさまと、鉄扇を広げて口元を隠しながら目を細めたセレスティアさま。確かに裸婦の絵画より竜が描かれた絵を飾った方が様になりそうである。ふいに家宰さまが大きめの手帳を持って私と視線を合わせると、にこりと彼が笑みを浮かべ口を開く。
「ご当主さま、どういたしますか?」
「売却で」
家宰さまの問にすぱっと答えた私は、裸婦の絵は一体いくらで売れるのだろうかと首を捻る。今回屋敷を賜るにあたって、残っている装飾品や家具は自由に処理して構わないと伝えられている。なので売り払っても使い続けても問題はなく、目の前の裸婦の絵は売り払うことにした。
私の趣味ではないし、屋敷に戻ると真っ先に裸婦の絵が目に入るのは気分的に頂けない。テンションが上がる方もいるかもしれないが私は下がる。裸婦の絵によって少し話が逸れたと、一緒に屋敷に赴いている侍女長さんや料理長さんに私は視線を合わせた。
「では、それぞれの持ち場にお願いいたします」
「はい。では行って参ります」
「行ってきますね、ご当主さま」
侯爵邸はかなり広いため、侍女さんたちや下働きの方々に料理長さんには各自の持ち場の状況を確認して頂く。不要なものをリストアップして頂き、私が売り払うか残すかの最終判断を下す。足りない物があれば申請して頂くし、今日だけで終わることはないだろう。
引っ越しにはまだ一年近く時間を要するので、ぼちぼちと進めていく予定である。子爵邸より随分広いし、玄関ホールを見渡すと美術品も点在していた。上階の居住区に辿り着くには、どれくらいの時間が掛かるだろうと歩を進め始めると、私の影の中から毛玉ちゃんたちが出てくる。ぴゅーと走り出して、ぎゅっと脚を止めてUターンする毛玉ちゃんたち。
そうして私の前に五頭並んで顔を上げ私を見ているけれど、一体どうしたのだろうか。ヴァナルも私の影から顔だけを出して、毛玉ちゃんたちを見たあと私を見上げる。
『広いから、遊びたいって』
毛玉ちゃんたちが影から出てきた理由をヴァナルが教えてくれた。どうやらお屋敷の広さが気になって見学をしたいらしい。ばふばふと尻尾を振る毛玉ちゃんたちを見ると、前脚を器用に動かして足踏みしているから本当に遊びたいようだ。
「遊ぶものがないけれど……一緒にお屋敷を見学する? それとも好きに見て回る?」
少し背を丸めて毛玉ちゃんたちと視線を合わせると、雪さんたちも私の影から顔だけを出した。
『主殿と一緒に見学をしたい仔と遊びたい仔に分かれていますね』
『見える範囲であれば問題ないでしょうか』
『好きに見て回るのは仔たちが問題を起こしそうですが』
こてんと首を傾げながら考える様子を見せた雪さんたちは毛玉ちゃんたちを見て、大丈夫かと問うているようだった。遊びたいと訴えて鼻を鳴らしている毛玉ちゃんたちは、今にも走り出しそうな勢いである。
「うーん。毛玉ちゃんたちなら物を壊すことはないかなって。怪我だけしないように気を付けて貰えば良いかな。あと、この場にいない方がいるから驚かせないように……くらいかな」
新しい環境下だから毛玉ちゃんたちの好奇心を刺激しているのだろう。少し悩んだ様子を見せた雪さんたちは許可を毛玉ちゃんたちに出したようで、桜ちゃんと楓ちゃんと椿ちゃんが一気に階段を昇った。松風と早風は私たちと一緒に動くようで、ぴったりと私の横に付いて『どこ行くの?』と問うように顔を上げた。
「じゃあ、二階に上がって執務室に行ってみようか。その後は当主の部屋を見てみよう」
ヴァナルと雪さんたちが顔を引っ込めるのを横目で確認しながら、松風と早風に声を掛ければ桜ちゃんたちが戻ってきた。忙しいなあと笑えばクロも私と同じことを考えたようだ。
『みんな元気だねえ』
「クロは興味ないの?」
ふふふと笑うクロの顔を私は見る。
『興味はあるよ。ナイの肩の上にいれば一緒に見れるから問題ないでしょ』
どうやら自分で飛んで見て回る気はないようだ。この辺りクロは凄くおっとりしているというか、なんというか。それぞれに個性が出ていて面白いなあと、みんなで一緒に階段を昇る。
裸婦を描いた大きな絵画の前に立つと、本当に大きいなあと感心しつつ見上げる。絵の隅にはサインが入っているから画家さんが描いたものだろう。一体いくら値が付くかなあと、また考えて二階の廊下を進み始めた。廊下には大きな壺や甲冑、壁には絵画が飾られている。要らないものと要るものを家宰さまに告げながら執務室を目指す。
「ここかな?」
「ああ、図面によるとこの部屋が当主用の執務室だな」
重厚な扉の前に立ち声を上げるとソフィーアさまが教えてくれた。渋い色の扉の奥にはどれだけ広い執務室が広がっているのやらと、ドアノブに手を掛けて部屋の中へと進む。
「広い……」
なんど同じ言葉を言えば済むのだろうか。窓際にどっしりとした机が備え付けられており豪華な椅子もある。応接用のソファーも立派な物だし、本棚やワインセラーまで置いてあった。
「仕事に必要ないものもありますが……」
「ワインセラーは普通にあるぞ。仕事終わりに一杯、という方も多いな」
私がワインセラーを見ながら呟くと、ソフィーアさまが教えてくれた。どうやらワインセラーや酒棚がない方が珍しいとのこと。公爵さまの執務室も普通に置いてあるそうで、仕事終わりに一杯煽るのは問題ないそうだ。確かに王都の街中では昼間から酔っている方を割とみるので、この世界はお酒に寛容らしい。ワインセラーの前に立って中身を見るが、銘柄を読んでもさっぱり分からない。
「流石にお酒の価値はわたくしには分かりませんわ」
「良い品ですよ。私にとっては、ですが」
セレスティアさまもワインセラーを覗き込んでいるが、お酒の良さは分からないようだ。唯一、この部屋にいる面子でお酒を嗜む家宰さまが教えてくださった。
「どうしましょうか……私はお酒は飲まないので家宰さまが持って帰りますか? 子爵邸の皆さまに振舞っても良いかもしれませんね」
本当にどうしよう。お酒に興味はなく、飲む気もないから味を理解できる方が楽しめば良いと家宰さまに提案してみた。
「え?」
「それか料理酒として料理長さんに提供するか、でしょうか」
目を真ん丸にしている家宰さまだから、ワインは結構な価値があるのだろう。でも私が持っていても飲まない。
「お、お待ちくださいご当主さま。それならば、このまま寝かせておきましょう。更に価値が上がる可能性もあります」
家宰さまが随分と慌てているので、流石に料理に使うのはもったいないのだろうか。私が好き勝手に決めるとあとで問題に発展することが多々あるので、家宰さまの指示に従っておくべきかとワインは売らないし子爵邸の皆さまに振舞う話はナシとなる。
そうして執務室で要るものと要らないものの選別を終えて、次は当主部屋へと足を向ける。歩いている廊下の横幅が広いし、長さも子爵邸より随分と距離がある。
また『広い』と呟けば、遊びに出ていた桜ちゃんたちが戻ってきて、毛玉ちゃんたちみんなでワラワラと部屋を探検し始め、とある位置で立ち止まり五頭一斉に鳴き始めた。一体なんだろうとみんなで顔を見合わせて辺りを探ると、隠し部屋が見つかった。隠し部屋は誰にも気づかれなかったのか、王家の手は入っていないようで元のままのようだ。趣味で集めていたであろう本が沢山並び、一冊を手に取ってざっと読み進めてみる。
「…………エロ本じゃん!」
床に叩きつけたくなる衝動を抑えて、これ全て官能小説なのと頭を抱えるのだった。