0904:幼竜さんと仔竜さんのお名前。
猫背の魔術師さんに治癒を施した帰り道。ジークとリンと話しながら、子爵邸の魔術陣部屋に戻ってきた。そうして上階に上がり、ジークとリンと私たちは長い廊下を歩いている。
猫背の魔術師さんは私の治癒を受けると嬉しそうに笑って『ありがとうございます』と告げた。お礼を言われれば悪い気はしないのだが、生活環境を改善しなければ同じことの繰り返しだし猫背のままであろう。副団長さま曰く、好き嫌いが激しくて食べること自体を好んでいないそうだ。
私の真逆だと猫背の魔術師さんを見上げると、彼はへらりと顔を緩ませる。なんだ、この反応と訝しみながら好きな食べ物はなにか聞いてみると『魔素含有量が少ない食べ物』という、凄く無理難題なことを仰られたが手に入れられないことはない。
アガレス帝国か共和国から食料を輸入すれば、彼の食事事情が改善されそうな気がする。向こうで食事を摂ったとき、満足感を得られ難かったのは食べ物に魔素量が少なかったからと推測できる。好き嫌いが多いというより、体内に自分以外の魔力や魔素が入り込むと拒否反応が現れるようだった。だからこそ治癒魔術は痛いから嫌いと仰って、治癒を拒否していたのだろう。
私の場合は他の方の魔力の親和性が高いから、猫背の魔術師さんは痛みも感じず受け入れられた。面倒極まりない体質だけれど、アレルギー反応のようなものと考えればそういう方もいると納得できる。
「ナイ」
自分たちの部屋に戻る途中、ジークが私の名を呼んだ。
「どうしたのジーク。リンも渋い顔してるね、大丈夫?」
そっくり兄妹が妙な顔を浮かべて、私を見下ろしている。クロも彼らの感情が良く分からないようで、こてんを首を傾げながら尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
「あの魔術師はナイの優しさに付け込んでる」
むうと口を尖らせたリンが唸った。優しさにかこつけているなら寄付代を踏み倒すだろうけれど、魔術師団と猫背の魔術師さんはきちんと寄付を支払ってくれると約束している。口約束なので心許ないが、約束を破って立場が悪くなるのは魔術師団と彼だ。だから寄付代に関しては心配していないのに、リンはどうしたのだろうか。
「アガレス帝国や共和国に掛け合って食料を融通して貰うのは構わないが、ずっと続けるのは大変だろう」
ジークがリンの言葉に補足するように、彼もむうと口を真一文字に結んでいる。確かに大変かもしれないが、アルバトロス王国とアガレス帝国は国交を開いて物資の行き来はある。日持ちする食べ物しか運べないけれど、食事が苦痛で食べられないのは辛い。
猫背の魔術師さんが食事を嫌う理由を聞いて、どうにかしたいと考えてしまった。乗りかかった船だし、途中で降りるのは無責任だ。副団長さまは私の性格を見越して、猫背の魔術師さんを講義の場に連れてきたのだろうか。ジークもリンも妙な所を気にするのだなと、二人と視線を合わせる。
「優しくはないよ。ただ、ご飯を食べることが苦痛なんて辛すぎない? お腹が空いている辛さは分かるから、どうにかなれば良いなって考えたんだけれど……甘いのかな?」
「確かに食べられないのは辛いしキツい。しかし、会ったばかりの人間にそこまで肩入れする必要があるのか? ナイにしては珍しい気がするが……」
ジークの言葉にリンがこくこくと頷いている。嗚呼、確かに私が出会ったばかりの人を気に掛けるのは珍しいのかもしれない。でも、今の立場であれば遠い異国から食べ物を輸入する術を持っているし、成功するかどうかさえ分からない段階だ。行動に起こさないまま猫背の魔術師さんが現状を維持するだけなら、行動を起こして彼の猫背と生活環境の改善を試みて元気になった姿を見たい。
「そうかな?」
私が首を傾げると、リンが後ろからひょいと私を抱き上げた。むーと顔を顰めているので彼女はなにか思うことがあるらしい。ジークはリンの行動を見て、やれやれと肩を竦める。それ以上彼らはなにも言わず、それぞれの私室に戻って着替えを済ませるのだった。
それにしても……私が誰かに情を向けるとリンが嫌がることはあった。けれど今回は珍しくジークも言及している。いつもはリンが拗ねて私が諫める形になるのに今日はジークを諭すことになった。珍しいこともあるものだと考えながら着替えを終えて、明日は雪でも振るのだろうかと窓の外を見上げるが、凄く綺麗に晴れ渡った空だった。
――数日後。
ジークの肩の上に乗っている幼竜さんとリンの肩の上に乗っている仔竜さんの名前を決めたと、そっくり兄妹が執務室で告げた。ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまもこの件は周知しているので、ようやく決まったかと安堵の息を吐いている。
発表はどこで行おうという話になって、みんなを集めて子爵邸の東屋でお披露目しようとなった。竜の皆さまはお互いに認めた方たちにしか名乗らないが、クロ曰く幼竜さんも仔竜さんも気にしていないし子爵邸のメンバーなら良いらしい。
亜人連合国のディアンさまとベリルさまとダリア姉さんとアイリス姉さんも呼び、庭だからエルとジョセとルカとジアに番の竜さんたちとグリフォンさんも一緒にいてくれる。
クレイグとサフィールに託児所の子供たちも一緒だから東屋では少し手狭だけれど、それはそれで面白いのでGOサインを出した。副団長さまも誘うと『是非に!』と返事をくれたので、そろそろ約束の時間だしうっきうきでやってくるのだろう。
「緊張するな」
「緊張するね」
教会騎士服を纏ったジークとリンが緊張した様子で私の部屋にやってきていた。お客さんがやってくるので私も聖女の衣装を纏っている。ディアンさまたちなら気にしないけれど、流石に竜さんたちの大先輩である彼らに失礼があってはならないだろうと着替えたのだ。
「大所帯になるからね。でもみんなに見守られながらこうして名前を発表するのは新鮮かも」
クロの名前は亜人連合国で付けたし、ヴァナルの名前は私の部屋でヴァナルに教えて貰った。ルカとジアの名前は学院で特進科の主だった面子が集まって、あーでもないこーでもないと決めた。発表の時の人数は限られた人たちだったので、聞いている方は少なかったのだ。今回のように大所帯で発表するのはクロ曰く珍しいとのこと。
『この仔たちはジークとリンに名前を付けて貰えて喜んでいるし、みんなに知って欲しいって願っているからね。良かったね~これから君たちのことを名前で呼べるよ』
今から名前が発表されると聞いて幼竜さんも仔竜さんも上機嫌だ。ジークとリンの肩の上で顔をすりすりしながら甘え鳴きしている。その姿は愛らしく、セレスティアさまが見れば凄く恨めしそうな視線をそっくり兄妹へと向けそうだった。
「庭に行こう。侍女さんたちが、お客さまもくるしお祝いだからって美味しいお菓子を一杯用意してくれるって。楽しみ」
今日はお客さまもくるので、侍女さんと料理長さんたちが張り切ってお菓子を用意してくれている。王都の流行りのお店から取り寄せた品と料理長さんたち手作りのお菓子が沢山並ぶ。お店のお菓子も料理長さんたちが作ってくれたお菓子も美味しいので、いつも食べ過ぎてしまうのが難点だ。私は機嫌良くジークとリンに庭に出ようと促せば二人は微笑んだ。
「ナイは相変わらず食い気が優先か」
「ナイらしいよ、兄さん」
ジークとリンが視線を合わせたあと、私に視線を移してまた笑う。食い気が優先されるのは致し方ないし、美味しいお菓子が悪いのである。さあ行こう、そら行こうと二人に告げて、開けっ放しの扉を三人で出て行くと毛玉ちゃんたちとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが私たちの後に続く。
廊下を歩いているとソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまも列に加わり、暫くあとでクレイグも加わる。なんだか大名行列みたいと笑いながら庭にでると、サフィールと託児所の子供たちにアンファンも一緒だった。
そうして彼らも列に入って、庭の東屋を目指す。五月晴れの青空の下は、空気が澄んでいて心地よい風が吹いていた。庭で過ごしているエルとジョセとルカとジアに番の竜さんたちとグリフォンさんが顔を出し、彼らとも一緒になって歩いて行く。先頭を歩いているので、なんとなく後ろを振り返ってみる。そこには錚々たる面子が並んでおり、お貴族さまのお屋敷で見られる光景ではないようなと首を傾げた。
「大所帯……」
なんとも言えない光景にぼそりと呟いてしまう。私の声が割と大きかったのか、ソフィーアさまとセレスティアさまに聞こえていたようだ。
「こうなると手狭に感じてしまうな。決して子爵邸が狭いわけではないのだが……」
「侯爵位を賜って良かったですわ、ナイ。子爵邸より庭も屋敷も広くなるので、幻獣の皆さまが増えても問題ありませんもの」
苦笑いになっているソフィーアさまと、ドヤ顔で言い切ったセレスティアさま。流石に幻獣の皆さまはもう増えることはないと願いたいが、一年後がどうなっているかは未知数である。東屋に辿り着くと、勝手知ったるミナーヴァ子爵邸となっている副団長さまが待ってくれていた。私たちに気付いた副団長さまが小さく頭を下げた。
「副団長さま、遅くなってしまい申し訳ございません」
彼の下へと辿り着き挨拶を交わす。
「いえいえ。僕は滅多に立ち会えない場面にいますので、気分が高揚して少し早くきてしまいました。謝らなければならないのは僕の方です。それと……アストライアー侯爵閣下、この度はお誘い頂き感謝致します」
「副団長さまには幼竜さんの体調管理や天馬さまやグリフォンさんの生態について調べて貰っていますから。お気になさらないでください」
何気に副団長さまにはお世話になっているのである。ヒャッハーな方ではあるが、知識は豊富でいろいろとアドバイスも頂いているのだから。あとは猫背の魔術師さんの様子やらを聞きつつ、ディアンさまたちを待っていると彼らもやってきた。
「最後になってしまったようだ。待たせてしまい申し訳ない」
「お待たせいたしました」
ディアンさまとベリルさまが申し訳なさそうな顔でこちらにやってきた。ダリア姉さんとアイリス姉さんも一緒にやってきて、亜人連合国の皆さまも揃った。
「ごめんなさいね。少し遅れてしまったわ」
「ごめんね~」
お姉さんズは私に『久しぶり』と声を掛けてくれた。そして私は彼らに礼を執る。
「ディアンさま、ベリルさま、ダリア姉さん、アイリス姉さん、お呼び出しをして申し訳ありません」
皆さまと少しずつ言葉を交わして、東屋の椅子に腰を下ろして頂いた。ジークとリンは少し緊張しているようで、珍しく顔に感情を滲ませている。
『あ、えっとね。ちゃんとした名前はジークとリンだけが知っていて欲しいって。愛称をボクたちに教えてね』
クロが私の肩の上で教えてくれた。どうやら幼竜さんと仔竜さんのフルネームはジークとリンしか聞けないらしい。ディアンさまとベリルさまはなにも言わないので問題はないようだ。ダリア姉さんとアイリス姉さんも口を挟まないから問題ないのだろう。なるほどなあと感心しているとお婆さまがどこからともなくやってきて、クロがいる反対側の肩の上に乗って『間に合ったわ!』と言っている。
幼竜さんがジークを私たちから少し離れた場所に誘い、仔竜さんもリンを少し離れた場所へと誘った。暫く待っていると、ジークとリンと幼竜さんと仔竜さんがこちらに戻ってくる。
ぐりぐりとご機嫌にジークとリンの顔に顔を擦り付けている幼竜さんと仔竜さん。セレスティアさまが羨ましそうに見ていることに気付いて、番の竜さんたちが彼女を構っている。そんな光景に笑みを浮かべていると、ジークとリンがみんなの前に並ぶ。
「この仔はアズと呼んでください」
「こっちの仔はネルと呼んで欲しいです」
ジークの肩に乗る幼竜さんがアズ、リンの肩に乗る仔竜さんがネルと愛称を付けたようだ。ジークとリンの声が上がると同時に、アズとネルが嬉しそうに一鳴きする。可愛いし良いんじゃないかなとみんなの顔を見渡すと、何故か私の魔力が減った。なんで、と疑問に感じていると番の竜さんたちが私の下へやってきた。
『なまえー!』
『いいな~、いいな~』
番の竜さんたちが名前、名前と声を上げながら私の周りをえっさほいさと走っている。どうしようとディアンさまとベリルさまに視線を向けると柔らかく微笑んでくれるだけだ。どうして誰も助けてくれないのだろう。名前を付けるのは大変なことなのにと、走っている竜さんたちと視線を合わせた。
「ポチとかタマじゃあ……――」
格好がつかないから考えさせてと伝えようとしたのに。
『ボク、ポチ!』
『タマ! タマ!!』
やった、やった、名前貰えたー! と大はしゃぎする番の竜さんたち。それは駄目だと喜んで走っている彼らを止めようとするけれど、竜さんたちは広い庭を駆けていく。
「え、待って! それ違うから! 犬や猫に付ける名前だからぁ!!」
手を伸ばして追いかけるも、人間の足で竜の脚の速さに追い付けるわけはなく。私の魔力が微妙に減っている気がするけれどきっと気の所為だ。諦めてディアンさまたちに彼らを説得してくださいと願い出るも、気に入っているなら問題ないと言われてしまうのだった。