0009:治療。
2022.03.04投稿 2/3回目
院長室の前に立つ。ノックをすれば直ぐに『どうぞ』と少ししわがれた女の人の声が扉を通して聞こえてきた。
「失礼します、シスター」
「聖女さま、ご機嫌麗しゅう。それと合格、おめでとうございます。――まさかあのどうしようもなかった子が、王立学院に通うようになるだなんて、世の中なにが起こるか分かりませんね」
五年前、聖女候補として召し上げられた際、公爵さまに次いでお世話になったのが目の前の人である。にっこりと笑い深いシワを刻むその人は、規律に厳しい人だったのでかなり迷惑を掛けている。
「昔話は勘弁してくださいシスター。あの頃のことは恥ずかしくてしかたないので、出来るだけ内密に……」
ジークやリンをはじめとした仲間内には知られたくないのである。
兵士に取っ捕まって教会へと連れてこられ、聖女候補としてそのまま教会へ住む流れになった私は焦った。
戻ると約束をしたというのに、自分一人だけ温かい食事と寝床を安易に手に入れてしまったことは認めがたく食料を持って脱走を図ったこともある。直ぐにバレて教会騎士が追っかけてきて捕まり戻されを何度も繰り返した。
そしてあの測定で突然目覚めた大量の魔力を持て余した。割ってしまった水晶玉には魔力測定をするだけでなく、本人が気づいていない魔力を呼び起こす機能も付与されているそうだ。
本来はきちんと教育を受けてから測定を行うのだけれど、『黒髪黒目の少女を探せ』と筆頭聖女さまから告げられ、ことを急いでいた教会は忘れていたそうで。
仲間を見捨てたという感情を苛立ちとして抱えた私は、体の中を巡る大量の魔力を持て余し暴走させた。
魔力を御せないこともストレスだったし、仲間を見捨てたという感情も余計に拍車を掛け周囲を巻き込んだから。その頃は必死で周囲を見る余裕もなかったけれど、死人がでなくて本当に良かった。教会が私の扱いを持て余したところで、筆頭聖女さまを経由して公爵さまに私の話が伝わったらしい。こうして公爵さまとの縁が繋がった訳なんだけれど、こうしてまだ繋がっているのも不思議である。
「ええ、約束は違えませんよ。それよりもいつもありがとうね。貴女がこうして顔を見せてくれれば子供たちは喜ぶもの」
「食べ物につられているだけのような気もしますがねえ」
あんなものでも喜んでくれるのだから、ここでの生活がうかがい知れる。もちろん貧民街で暮らすより、こちらのほうが安全で快適で質素ではあるが食事はきちんと出るし、寝床もある。けれど親の庇護なんてものはないし、教育を十分に受けることも出来ない。読み書きが出来ない子が殆どだし、職員の人も教える暇はないのだ。
機会があれば外に出て、地面に文字を書きながら教えているけれど、読み書きができることの大事さを子供自身が理解していないから、あまり身に付かないし。ままならないなあと笑うしかないが、こういうものは根気が必要なのだろう。
「それでもいいのですよ。笑うことさえ忘れてしまった子もいるのですから」
シスターの言葉にこくりと頷く。環境が酷い所為で感情をどこかに置いてきた子もいる。そういう子が少しずつ色んなことに興味を持ちはじめながら、少しずつ変化を見せてくれる時は素直に嬉しい。
「そうですね。――さて、熱を出した子がいるみたいなので様子をみてきますね」
ここに伺っているのは、こういうことが時折あるからで、聖女としての仕事を果たす為である。まあ本当に緊急性が高くなれば職員の誰かが私の下に走って来るけれど。宿舎が近いんだし。
「ええ、お願いしますね、聖女さま」
シスターに役職で名を呼ばれることにむず痒さを覚え『勘弁してください』と言い残して部屋を出た。そうして院長室を抜け大部屋へと向かうと、ベッドに横たわる少女と先程の少年が。
「様子は?」
「うん、まだ熱が下がらないみたい」
足音をなるべく立てずにベッドサイドに立つと顔を紅潮させた少女が胸を上下にさせながら眠っていた。少し辛そうだなあと、頬に触れると手に伝わる体温が随分と温かい。
「そっか。――"君よ陽の唄を聴け"」
病気の治療の為というよりも、彼女が持つ本来の自然治癒を高める魔術を掛けた。あまり魔術に頼るのはよくないし、重病という訳ではないのだからこれで十分だろう。
医者に診てもらうのが一番なのだけれど、治癒魔術や聖女が存在する為に科学的治療の進歩は牛の歩みだからなあ、この国。身体の欠損を治すこともできるので、全くと言っていいほど進まないんだよね科学的研究が。
「大丈夫かな?」
「うん、体力落ちてるだけみたいだから、栄養のあるもの食べて寝てればすぐ治るよ」
素人診断だから怖い部分もあるけれど、診た感じは風邪の初期症状っぽいし子供の治癒力に期待しよう。これ以上に酷くなるようなら、もっと上級魔術を掛ければいいだけだ。
「よかった。寝てるだけじゃあつまらないし、みんなと早く遊びたいよね」
ふうと安堵の溜息を吐くと、布団を掛けなおしてる。
「ま、宿舎の食堂からなにかかっぱらってくるよ」
「え……それって怒られないの?」
「んーまあ、上手く誤魔化すから」
「ようするに怒られるんだね……でも、いつも有難うナイ」
彼と出会った頃は『有難う』ではなく『ごめん』が口癖だった。あまりにも連呼するからその言葉より感謝の言葉の方が嬉しいと伝えると、頑張って変える練習してたから彼の口癖は『有難う』になっている。優しいが少し気の弱い部分があるので、心配していたのだけれど孤児院で職員として頑張っているようでなによりだ。
「気にしないでいいよ、一応仕事でもあるからね」
そう、聖女としての役目でもある。欲のある聖女さまはお金をふんだくっているそうだが、私は基本的にお金持ちか貴族さまからしか受け取らない。もしくはその人が払える限界にあわせて料金設定を変える。
憧れるよね、前世で読んだ漫画の某無免許天才外科医のカッコよさとあの人間臭さには。私は聖女であって医者ではないけれど。
私がこうして孤児院をマメに訪れるのは、仕事の一環ともう一つ理由がある。
この孤児院は私が公爵さまにお願いして支援をしてもらい、逼迫した状況を変えて貰っているし、金銭支援も続いている。公爵さまはノブレスオブリージュ――身分の高い者はそれに応じて果たさねばならない社会的責任と義務――としか考えていないだろうけれど、世間の目というものは時折厳しいもので。
子供がよく死ぬ孤児院だなんて噂された日には、公爵さまの評判に傷がつく。あの公爵さまが噂ごときに折れることはないだろうけれど、貴族なのだからどこから何を言われるか分からないし、用心しておいた方がいいという下心がある。
「また明日も様子みにくるから。――それじゃあ、また」
「うん。有難うね」
我ながら打算的な生き方してるなあと木板の廊下を歩きながら外に出てジークとリンに声を掛け宿舎へと戻り、食堂で下働きをしている人を捕まえ小金を渡し、明日の買い出しでついでに買ってきて欲しいものがあると頼んで用事を済ませた。
明日も明日で忙しい。
一ヶ月後には学院で着用することになる制服の採寸やら教科書の受け取りやらがあるし、登城して障壁維持の為に魔力を注ぎ込みに行く予定であるし、孤児院にも顔を見せると約束している。
暇を持て余すよりいいのだろうけれど、時折何もしない時間も欲しいなあと欲が出てしまう。そうして忙しい日と、そんな忙しい日に嫌気がさして一日なにもしないと決めた日を繰り返していたのだった。