0896:表面化。
本日開かれていた治癒院が終了した。相も変わらず治癒院は大忙しで、最後の最後まで患者さんが途切れることはなかった。
私は聖女さま方に『お疲れさまでした』と軽く声を掛けていく。決して社長出勤したことを気にしているからでは……多少は気にしているので、ご機嫌取りと言われても仕方ない。
参加していた聖女さま方は私が陞爵したことを知っているようで、お疲れさまでしたの声と共にお祝いの言葉も贈ってくれる。快く思っていない方は顔に出ているので面白い。特にお貴族さま出身で、高位貴族の聖女さまに顕著である。平民の方と低位貴族の方は普通に接してくださった。
面白い、と余裕をこいていられるのは今の爵位を手に入れたからである。本当にお貴族さまの世界は爵位がものを言い、お貴族さまのルールを知っている方々は身に染みているようだ。
お貴族さまの世界に馴染めるのか分からないが、人間関係が複雑怪奇な世界で平穏無事に生きて行けますようにと願う。そうして最後にロザリンデさまとアリアさまの姿を見つけて、声を掛けようとお二人との距離を詰めた。
「ロザリンデさま、アリアさま、お疲れさまです」
私が声を上げると、ロザリンデさまは綺麗に笑い、アリアさまはてれてれと笑って私を迎え入れてくれる。
「お疲れさまです、アストライアー侯爵閣下」
「お、お疲れさまです、侯爵閣下!」
三人お互いに聖女の礼を執る。他の方が周りにいるので、ロザリンデさまとアリアさまは私の立場は貴族の方と判断したようだ。聖女の立場となると、筆頭聖女以外は立場が同じなので敬語や慮った態度は必要ないから。
私が陞爵した日に、私的な場所では名前で呼んでくださいとお願いをしているので、子爵邸に戻ればお二人は名前で呼んでくれる。
「今日も忙しかったですね。いつものことですが、王都に住む皆さまも聖女さま方も大変です」
治癒院は開催場所に訪れるからこそ、割安な寄付額で済んでいる部分がある。聖女さまを家に呼ぶ治癒依頼となれば、高い寄付を払わなければならないのだが平民の方々の所得に余裕はない。
平均寿命が短いためか貯金はお祝い事用に貯めるくらいで、老後の資金を考える方は少ない。この辺りは食事事情や教育の高さが関わってくるため、なかなか手を出し辛い部分である。でも知っていて見過ごすならば、アルバトロス上層部と教会とエーリヒさまとフィーネさまを巻き込んで、異世界知識SUGEEE……を披露すればマシになるだろうか。
「ですが、閣下が参加なさると患者さんがみるみる減っていきましたわ」
「はい! 流石、閣下です。あ、患者さんから『おめでとう』と伝えてくださいって頼まれましたよ! 凄く嬉しかったです!」
ふふ、と短く笑うロザリンデさまと胸の位置で両手の拳を掲げて嬉しそうに笑うアリアさま。まさか治癒を施している聖女さまに、私へのお祝いの言葉を預ける方がいようとは。アリアさまに伝言を頼んでいるから世間話の中で私の話題を上げたのかもしれない。
「そうですか。いつかお礼を言えると良いのですが……では私は共和国の研修生の皆さまに声を掛けて邸に戻ります。お二方はどう致しますか? 少し待って頂けるなら、一緒に馬車で戻ることもできますよ」
教会の馬車で戻るより安全だけれど、私を待たなければならないのでお二人に伝えておく。
「はい、閣下と一緒に戻ります! 共和国の皆さまとお話をしたいので、私もご一緒して宜しいでしょうか?」
「わたくしもご一緒致します。研修生の皆さまの授業を見学しておりますし、大変なこともありましょう。少しでもなにか困っている話を聞き出せると良いのですが……」
それでは行きましょうかと私たち三人と護衛の皆さまは踵を返し、研修生たちがいる隣の部屋へ移動した。部屋には研修生たちと監督役のシスターがいて、なにやら真剣に取り組んでいる。彼女たちは治癒院見学中に得たなにかを紙にまとめていたようで、筆記用具を持ち悩んでいる方に既に記入を終えている方、シスターに質問を投げたり、治癒魔術について語り合っていたりと盛況である。
国を背負って他国にきているので大変なのに、嫌な顔せず学んでいるのだから正直に凄い方々だ。もし私が彼女たちと同じ立場であればきちんと学べたか謎だ。でも良い就職先となるなら、真面目に取り組むだろうなと想像できる。研修生たちは部屋に人が入ってきたことで、視線を私たちへと向けた。邪魔して申し訳ないけれど、丁度良かったので私は聖女の礼を執り口を開く。
「お邪魔をして申し訳ありません。皆さまのご様子を見させて頂き、聖女見習いの頃を懐かしく感じ声を掛けさせて頂きました。なにか質問があるのであれば、シスターやわたくしたち聖女にも問い合わせください」
言い終えると少し後ろでロザリンデさまとアリアさまも礼を執り、私と同じ意見だと示した。お二人も貴族令嬢兼聖女さまである。身分制度のない共和国の皆さまから見れば、とっつきにくい相手だろう。
プリエールさんは静かに目礼をすると、彼女と同じグループの方々も目礼をする。もう一つの研修生のグループは目を輝かせて私を見ながら、その中の一人、先ほど私が治癒院に参加する前に視線の合った子が小さく手を挙げた。
「黒髪の聖女さまにお聞きしたいことがあります! 宜しいでしょうか?」
二つ名の方で呼ばれたことに違和感を少し受けるものの、今日は聖女として参加しているので問題はないはず。にこにこと笑みを浮かべながら手を挙げた子と、彼女と同じグループの人たちも嬉しそうな顔で私を見ている。
一方でプリエールさんは心配そうな顔で私を見ていた。他の方々は手を挙げた子に対してどう出るのか伺っている。黒髪黒目信仰があるから多少は仕方ないのかと、私は短く一度目を瞑ってから口を開く。
「はい、どうぞ」
私は答えられることであれば、という言葉はぐっと飲み込んで笑みを浮かべる。
「病気の方々に治癒を施すには知識が必要と教会の皆さまから教えて頂きましたが、黒髪の聖女さまはどう知識を得たのでしょうか?」
手を挙げた子の質問は真っ当なものだった。変な質問を浴びせられなくて良かったと安堵しつつ、どう答えるべきかと少し思案する。正直ベースが一番だと思い至り、手を挙げた子と確りと視線を合わせた。
「わたくしは教会にある本を読み込みました。あと学院に通い図書室を自由に利用することができたことも大きいのではないかと考えます」
教会で自由に読める本は教義について記されたものがほとんどである。ただ聖女やシスターたちに治癒魔術を教えるために基礎を記した魔術本が少ないながらも置いてあった。文字が読めない方がいるので利用する人は少ないし、口伝で手解きを受けるから読んでいる人を見たことがない。お貴族さまは家庭教師から魔術を習うため、教会の図書室になんて興味はない。
今回を機に魔術関連の本を教会に寄贈するのも良さそうだ。魔術関連の本は少ないし、解剖書は野蛮と言われてしまうが、今回のこともあるので神父さまとシスターに相談してみよう。魔術を扱う個人の力量や考え方や捉え方の違いで特性が出てくるため、魔術関連の書物や医学書系の本をいろいろと読めば打開策を得られることもある、と付け加える。
こればかりはアリアさまのような天才肌と私のような知識による変人と、ロザリンデさまのような世界における標準タイプに分かれるのだ。人体解剖書を読み込んで臓器の位置を把握する聖女って少し嫌だな……でも、知って損はない。
「教えて頂きありがとうございます」
にこりと笑みを浮かべた彼女に私も笑みを返す。
「いえ。使い手の皆さまに似合った術式が見つかると良いのですが……こればかりは試すしかないので、地道な努力が必要になります。挫けずに、周りの方々に相談を持ち掛けてください」
さまざまな使い手の聖女さまがいるし、シスターたちもいる。神父さまも治癒の魔術を使えるし、カルヴァインさまも治癒師として良い腕を持っている。彼ら彼女たちは治癒の術を習っていた頃、いろいろと苦労をして乗り越えた方々だ。同じく困っている後進を放っておくことはないだろう。私もシスターと先任の聖女さまたちに支えられたのだ。
できることなら研修生全員が治癒の魔術を確りと学び、母国に戻って欲しい気持ちがある。ただ全員が全員、一定の力を得ることは難しいかもしれないと、研修生たちと話をして帰路に付くのだった。
◇
ミナーヴァ子爵さま改め、アストライアー侯爵さまがわたしたち共和国の研修生に声を掛けてくださいました。子爵さまから侯爵さまへと爵位が変わっていることに驚きますが、シスター方のお話では当然の結果なのだそうです。
いろいろと侯爵さまのご活躍を聞かせて頂きましたが本当に凄いお方です。でも貧民であるわたしに気さくに声を掛けてくださりますし、わたし以外の方々とも普通に接してくださいます。もちろん立場の差があるのでお友達と交わすような会話はできませんが、侯爵さまとお話を交わしている時はドキドキしつつも穏やかに過ごせるのです。
先ほど、開かれていた治癒院が終わりを告げ、侯爵さまと他の聖女さまがご一緒にわたしたちの様子を見にきてくださいました。
わたしたち研修生を気にかけてくださっており、お二人の聖女さまとは顔見知りとなっております。貴族家出身の方ですが、アリアさまは凄く気さくなお方ですし、ロザリンデさまは気品に溢れつつも優しいお方です。
侯爵さまに富める方々のグループの一人が手を挙げて質問をなさっていました。なにを質問するのだろうと身構えてしまいましたが、わたしも知りたいことでした。
教会のシスターさんから手解きを受けて、簡単な怪我の治癒を施せるようになりましたが、病気となるとどうすれば良いのか分からないのです。魔力を沢山注ぎ込み力技で治す方法もあるのですが、それでは術者が先に力尽きてしまうでしょう。
彼女と侯爵さまのお話の結果、魔術関連の本と解剖書と医学書関連を教会へ寄付する運びになったので少し道が開けた気がします。
富める方たちに疑心暗鬼になっていたようで反省をしなければなりません。人を疑うのは良くないことで、本当に恥ずかしいことを考えてしまいました。
そんなことが先ほど起こり、今も同じ部屋で紙に役立ちそうなことや思ったことを記しています。あとでレポートとして提出するので、綺麗な文字を丁寧に詳しく記すことを心掛けていますが……ちゃんと書けているのか心配でした。
「プリエールさんはアストライアー侯爵さまと知り合いなんだよね?」
「はい。少しご縁があってお話をさせて頂くことがありました」
ふいに声を掛けてくれた方はわたしと同じグループの方です。彼女もわたしと同じ境遇で、魔力量を認められ今回の研修に参加を決意なさっております。努力家で文字の読み書きが苦手だと仰っていたので、一緒にお勉強をする時間を設けて仲良くなりました。他の方々も参加していますし、アルバトロス王国にきてからは本当に充実した毎日を送っています。
「黒髪黒目のお方だけれど普通の方だね。もちろん、身分の差があるから簡単に近寄ることはできないけれど、向こうの例の人たちと少し違うなって……」
彼女が想像していた黒髪黒目のお方は、富める方々のように貧しい者には取り合わないと考えていたそうです。侯爵さま以外の黒髪黒目のお方に会ったことがないので分かりませんが、もし仮にいらっしゃればどのような雰囲気を持つ方なのでしょうか。きっといろいろなお方がいるのではないのかと考えてしまいます。だって黒髪黒目のお方は一人の人間であり、わたしたちと変わらないのですから。
少し思考が脱線してしまったと、彼女の質問に答えます。
「私たちから喋り掛けることはできないですが、お声掛けを受けて言葉を交わせば、私たちと同じ目線で考えてくださったり、どうすれば良いのか一緒に悩んでくださいます。優しい方です」
「プリエールさんの言っていることだから間違いはないけれど、私は侯爵さまと言葉を交わしていないから……そう判断するのはまだ先かなあ。ごめんね」
申し訳なさそうな顔を浮かべていますが、侯爵さまにどんな判断を下すかは個人の自由なのでしょう。心の中で誰かをどう思うかは自由です。
わたしもお付き合いが苦手な方はいますし、逆に長くお付き合いを続けていきたいと思う方はいますから。そして目の前で悩ましい顔を浮かべている彼女も、その内の一人です。文字を書くことが苦手な彼女は少し苦戦しているようでした。そんな姿にふふふと笑みを浮かべて、筆記具を握りしめます。
「そんな日がくると良いのですが、先ずはレポートを仕上げないとですね!」
頑張りましょうと声を付け加えれば、彼女は眉尻を下げて困った顔になりました。
「う……文字を書くのは苦手だよ……」
「書いていれば慣れますよ、これも勉強の一つです!」
文字は書いて覚えてを繰り返せば自然と身に付くものです。あとは単語を沢山覚えれば問題なく扱えるようになるでしょう。お互いに笑ってレポートの紙に視線を落とすと、先にレポート作成を終えた違うグループの方々がわたしの横を通り過ぎました。
「黒髪黒目のお方に声を掛けることができて幸せね! しかも侯爵さまだし、もっと目を掛けて頂かないと!」
わたしの背後からグループのリーダー格の方の声が聞こえてきました。既に目を掛けてくださっていますが……富める方々は今の状況でも足りないようです。
アストライアー侯爵さまに手を出せる方はそうそういませんが、なにかあった場合に波及する範囲が凄く広くなってしまうでしょう。これは教会の方と共和国の監督官に相談するべき話かなと考えて、レポートを書き終え宿舎には戻らずシスター方に声を掛けるのでした。






