0894:少しの変化。
ジークとリンの褒章授与式と叙爵式を終えた次の日。王都の子爵邸にある執務室の窓から差し込む光を背中に浴びながら、ソフィーアさまから報告を聞き終えた所である。
各方面に陞爵したことや、王都の子爵邸から新たに貸与された侯爵邸へのお引越し時期を決め、賜った侯爵領の視察時期の通達、アガレス帝国のウーノさまの戴冠式で贈る品を決めていろいろと話が進んでいた。
侯爵邸へのお引越しはユーリがまだ小さいことと、家具の搬入やお屋敷で働く新たな人材を雇っていないことなどを理由に一年先とした。陛下と公爵さまと辺境伯さまが人材を派遣してくれるため、私が新たに雇う方は少ない。前代未聞の出世スピードのため、王家も他のお貴族さまたちも未経験の事態であり、引っ越しを急ぐ必要はないと仰ってくれたので安心した。
功績に似合わぬ地位に座したままでは、王家の都合もある上にアガレス帝国という大国の戴冠式に出席するのだからと、一気に私の地位を子爵から侯爵へと上げたそうだ。
侯爵位になったものの、子爵邸でも十分な広さがある。亜人連合国のダリア姉さんとアイリス姉さんに陞爵と引っ越しの話をすると、おめでとうと祝いながら寂しそうな顔をしていた。確かに三年近くお世話になっているお隣さんがいなくなってしまうと考えれば、寂しいなという気持ちが湧いてくる。引っ越し予定の一年後までに、寂しくならない方法を見つけられると良いのだが……。
南大陸のA国男性王族さまたちから呪いの浄化依頼を受けたそうだ。私を指名した依頼ということ、国と国を経ての依頼ということで割と高額な寄付金額をアルバトロス王国と教会は提示したそうだ。今回の依頼を引き受けるにあたり『高くつきますよ』と返事をしておいたから、浄化魔術が成功すればA国が払って頂いた寄付金をがっぽり私の懐に入る予定である。
「良いのか、引き受けて」
「碌でもない内容でしたので、引き受けなくても良かったのでは?」
ソフィーアさまとセレスティアさまがなんとも言えない顔で私へ告げた。依頼内容は『呪いの浄化』であるが、呪いの効果を聞くと碌なものではなかった。何代か前の王族の方が黒髪黒目の女性をチビと馬鹿にして、南大陸の女神さまが怒って呪いを受けたと聞いていたが、まさかご自身のご自身が小さくなってしまう呪いを掛けられたとは誰も思うまい。A国の王城で呪いの話を聞き、王族の男性陣と女性陣に温度差があったのは、そのような理由があったからと納得してしまったけれど。
「私から浄化の話を持ち出したので、その分の責任は果たすべきかなと。失敗すれば匙を投げます」
A国から黒い女魔術師の情報の見返りとして浄化の話を提案したのは失敗だっただろうか。でも王族の、それも男性ともなれば次代を残すことは使命である。必死な顔で『本当ですか!?』と問われた時は真剣な面持ちだった。
浄化儀式は魔力量が上がったことで裸にならずに済むようになっているし、相手側の服を脱がせることもないだろう。彼らは一度母国へと戻り、呪いの痣がある方だけが秋頃にアルバトロス王国にやってくる。
「あとは、六月に建国祭が開催されるが……王城の外壁で陛下の顔見世があるのは知っているな?」
「はい。毎年、陛下が王都の皆さまに手を振っておられますね」
学院の建国を祝うパーティーを終えたあと、陛下はいそいそと王城の外壁を昇って王都の皆さまに簡単な挨拶を交わしている。
「高位貴族が同席しているのは?」
「知っていますよ。あ、私も参加することになったのですか?」
去年は王城の中で陛下の後ろ姿を見ていたのだが、陛下の横には王族の方々と名だたるアルバトロス王国に所属する高位貴族の皆さまが並んでいた。領地のこともあるので、参加できる方は参加してね、くらいのものだったはずである。
「察しが良くて助かる。顔見世の時に、竜使いの聖女さまが侯爵位を賜ったことを発表したいと王家から打診がきているな」
私のことは王都の皆さまに『ミナーヴァ子爵』『黒髪の聖女』『竜使いの聖女』で名が通っているから、爵位が上がった告知も兼ねているのだろうか。平民の方が私の陞爵を知らず『ミナーヴァ子爵』と呼んでしまえば不敬罪が成り立ちそうだ。あれ、でも子爵位は有したままとアルバトロス上層部は仰っていたからこの場合どうなるのだろうか。
まあ『アストライアー侯爵』を名乗って、子爵位も保持しているお貴族さまになるはずだ。公爵さまも、若かりし頃に上げた功績と先代から引き継いだ爵位をいくつか持っていると聞いたことがある。
「侯爵位を賜ったことは事実なので引き受けます。しかし、王都の皆さまの前で公表というのは照れ臭いですね……」
恥ずかしいけれど、周知は大事なのかもしれない。
「ナイの顔は王都の民に知られているんだ。それに三年前に陛下と一緒に立っただろう」
「うっ……」
ソフィーアさまが片眉を上げながら笑う。確かに三年ほど前に陛下と一緒にお城の外壁に上がって、騒ぎを収めたことがあるけれど……あれはノーカウントにして欲しい。
「堂々と叙爵を誇れば良いのですわ。爵位に見合う功績をナイは上げているのですから」
セレスティアさまが綺麗に笑って鉄扇を広げた。侯爵位を得たのは良いが、侯爵位を得てから功績を上げるとどうなるのだろう。公爵位は王族の方々が王族籍を離れた際に戴くものである。
だから私には侯爵位以上の陞爵はあり得ないから、上げた功績に対する爵位をまた受け取る羽目になるのだろうか。なんにせよ、直近十年くらいはこのままだろうと、考えることを止めたのだった。
――翌日。
朝から子爵邸の執務室で書類仕事を終えるとお昼前だった。今から軽く昼食を取り、午後は教会が開く治癒院に参加する。参加するといっても、お昼からの社長出勤なのでちょっと気が引ける。
子爵位を得てからというもの治癒院参加の機会は減っていたが、今日は共和国の研修生たちが現場に立ち会うことになっており、今日は彼女たちの付き添いというか見学というか……忙しければ聖女として来院した皆さまに術を施す予定である。
研修生の皆さまは初級の治癒魔術を習得し、教会騎士の訓練場で怪我を治しているそうだ。大分、慣れてきたので今日は治癒院を見学して頂き、共和国でも治癒院が開けるかどうかの話し合いと、雰囲気に慣れて頂くことが目的だ。
次は中級の治癒魔術を習って、治癒院の雰囲気に慣れれば聖女さま方と一緒に参加する。ただ研修生の身なので正規の聖女さまではないことを告げ、了承された方にのみ治癒を施すとのこと。その際の寄付額も少しだけ安くなるそうだ。見習い聖女さまも聖女さまとは一線を引いているので、研修生は彼女たちと同じ扱いである。
執務机でぐっと背伸びをすると耳元でクロが『お疲れさま~』と声を掛けてくれた。私もクロにお疲れと返して、ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまにも労いの言葉を掛けた。
そうして食堂に赴けば、ジークとリンとクレイグとサフィールが先に私を待ってくれていて、お昼ご飯となった。今日のお昼ご飯は、軽めにお願いしますと伝えていたのでパンとスープである。みんなと手を合わせて『いただきます』と唱えて食事が始まった。
料理長さんたちが手を掛けて作ってくれているので、教会宿舎で食べていたパンとスープと赴きが違っていた。宿舎の下働きのおばちゃんが作ってくれていた大衆受けする味付けも好きだし、料理長さんたちが作ってくれる繊細で複雑な味も好きだ。ただ、私の粗末な舌では料理長さんたちが手を込んで作ってくれた味の一割も理解していない気がする。
ソフィーアさまとセレスティアさまと一緒に食事を共にする時があるのだが、お二人の料理に対する評価は凄く細かく述べている。私は『美味しい……!』の一言で終えてしまうので、料理長さんたちに申し訳ないと思ってしまうことが時々あるのだ。
語彙力というか、食事に対する繊細さをもう少し鍛えたいのだが、やはり食べた感想を述べよとなると『美味しい、幸せ』が真っ先にきてしまう。
クレイグが真っ先に話題を上げてぽつりぽつりと喋ったり、ユーリとアンファンのことや爵位と領地のことを問われて答えていると、食事を終えてもう一度みんな揃って手を合わせた。仕事に戻っていくクレイグとサフィールの背中を見送るれば、ふいにジークが私に視線を向けている。どうしたのかと首を傾げれば、彼が口を開いた。
「ナイ。少し話がある。良いか?」
「構わないよ、ジーク。誰かに聞かれると困る話?」
ジークはいつもより真面目な顔だった。彼の横に座っているリンは普通なので、もしかすればジークの話の内容を知っているのかもしれない。
「いや、直ぐに終わるし、聞かれても問題ない」
「そっか。どうしたの」
いつもと少し違う雰囲気に椅子に座していた背を伸ばして、話を聞く体勢を取る。
「ナイは週に一度の休みの日があるだろう」
私のお休みの日は週に一度だ。お貴族さまのお仕事は基本、午前中に済ませれば残りは自由時間となる。とはいえ領地の視察やら考え事やら、聖女のお仕事もあるので午後からも予定が埋まっていることが多い。
そんな理由から家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまから週に一度は完全オフの日にしようとなった。もちろんお仕事が入れば潰れてしまうけれど、前世で八時間労働をしていた時の方が余裕がなかった。今は家事は一切担っておらず、その分は自由な時間なのだから。
「その時にラウ男爵閣下の下へ行って学びたいことがあるんだが……許可を貰えるだろうか? 家宰殿とナイの専属侍従の二人と、ナイの護衛を担っている方々には先に話を通しているんだ。あともう一つ。ナイの専属護衛を辞めるつもりはないからな」
「兄さんがいない間は私がナイの側にいるよ」
ジークの言葉にリンが続いた。やはり話は通していて、最後に私に知らせる形を取ったのか。ジークが学びたいことがなにか分からないけれど、彼にやりたいことがあるなら応援するだけである。
「……そっか。お休みの日は私はお屋敷にいるから問題ないけれど、ジークは休める日はあるの?」
お休みの日は外には出ず、お屋敷の中でダラダラしていることが多い。外に出れば護衛の皆さまの数が凄くなるし、ソフィーアさまとセレスティアさまとジークとリンを巻き込むことになる。
お屋敷で過ごすことに不自由はないし、三年近くお貴族さま業を担っているので慣れてしまった。でも、ジークは私がお仕事の日で特に外に出る時は、護衛として神経を研ぎ澄ませているはず。だから、休養日があっても良いのに大丈夫なのだろうか。学ぶのは良いけれど、体調を崩してしまっては元も子もない。
「ああ。学院を卒業したから外に出る機会は減っていて、ナイの護衛を常に務めるわけじゃないから休める時間は十分ある。空き時間を狙って通うことも考えたが、やはり纏まった時間が欲しいんだ」
学院を卒業して一ケ月と少し経ち、外に出ることは減っている。出て行くとしても転移でお城と領地に赴いているだけであった。
「勉強っていうなら纏まった時間がある方が良いよね。分かった。許可を出します。けれど無理はしないで、体調に問題があれば休んで良いんだからね?」
私のお休みの日であれば問題はない。あとはジークが無理しないかだけが問題だ。
「急な話ですまない。ありがとう、ナイ」
許可を得たジークは少しほっとした顔を浮かべて席を立ちあがる。背が随分と高くなって、貧民街で過ごしていた頃とは違い男性らしくなっている。片や私は貧民街にいた頃のまま、あまり成長していない。少し置いていかれるような気持ちに駆られて、口を開いてしまった。
「ううん。ジークの気が向けば、なにを習っているのか教えて欲しいかな」
「そうだな。いつかナイにきちんと伝えるさ」
ジークのプライベートに踏み込む気はなかったのに、不用意に聞いてしまったけれど……彼は嫌な顔ひとつせず、いつか話すと約束をくれたのだった。