0886:卵さん分裂事件。
グリフォンさんの卵さんが二つに増えた……一個の卵が二個になったのだから増えたで大丈夫なはず。グリフォンさんは目を細めて嬉しそうにしているし、クロとエルとジョセとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんたちは増えて良かったねえ、と呑気なものだし、番の竜さんたちは『面白ーい!』と笑っている。
ジークとリンの肩の上が定位置の幼竜さんと仔竜さんはなにが起こっているのかイマイチ分かっていない様子だ。毛玉ちゃんたちも良く分かっていないようだし、ルカとジアも卵をじっと見つめて首を傾げていた。一番テンションが高いのは、卵さんを産んだグリフォンさんではなく、副団長さまとセレスティアさまだった。
「まさか奇跡の瞬間をこの目で見られるとは。子爵邸に足を運んでいて良かったです!」
「お師匠さま、わたくしも奇跡の瞬間に立ち会えることができました! ナイの側に四六時中侍っていたい所ですが、流石に迷惑でしょうしねえ……」
師弟揃って目をキラキラさせながら机の上に転がっている黄色い二つの卵さんを見ている。触れてみようという気はないらしく、彼らは卵の側でめでたいめでたいと零していた。卵さんが二つになったことで問題が生じてしまうのかとグリフォンさんと視線を合わせれば、彼女は嘴を私の頬に寄せてぐりぐりと押し付ける。
『卵を二つ産むことはあるでしょうけれど、一つの卵から二つに増えるとは聞いたことがありません。魔素が多い証でしょうし、増えたことで不都合はありません。むしろ我々グリフォンはナイさんに感謝をしなければならないのでしょう』
「二つになったけれど本当に問題はないの? 未熟なまま孵ったり、卵の中で成長しないままとかあり得るんじゃあ……?」
卵の中に黄味が二つ入っていると、卵の中で成長することはない……とか耳にした記憶が残っているのだけれど。でも魔力とか魔素がものを言う世界である。問題なく育ってしまう、どころかルカとジアのように特殊個体として産まれてくる可能性もあるのか。
『そのような心配は必要ありません。卵が二つになったのは、魔素が十分に足りていたからと安易に推測ができましょう。きっと強い仔になりますし、二頭一緒に育つ姿を見守ることになるので楽しみが増えました』
べしんべしんと地面に勢いよく尻尾を振っているグリフォンさん。やはり托卵で産み育てるのが一番のようですねえ、とグリフォンさんが呑気に仰ると同時に、執務室にいたソフィーアさまが東屋にやってきた。毛玉ちゃんたちが近づいてくる彼女を迎えに行き、足元を何度か回って五頭とソフィーアさまが私たちの下へと辿り着いた。
「ナイ、騒がしいから様子を見にきたが、なにかあったのか?」
どうやら騒いでいた声が執務室まで届き、真面目なソフィーアさまは様子が気になり問題がないか確認を取りにきたようだ。グリフォンさんの卵さんが増えたと告げる前に、彼女の視線がテーブルの上に向けられた。説明は必要なさそうだと黙ってソフィーアさまを見守っていると、彼女が眉間に眉を寄せた数瞬後綺麗な形の目を広げる。
「どうして卵が二つに増えているんだ、ナイっ!?」
ソフィーアさまはわなわなと唇を震わせて、私に強めの口調で何故と問う。どうしてと問われても私も答えが知りたい所であるし、理由を識者の方から聞いても『魔素が多いから』と教えてくれるだけ。彼女もきっと理解しているはずなのに、私に聞いたのは常識から外れた出来事が起こってしまったからだろう。ソフィーアさまを責めることはできないなあと悩んでいると、番の竜さんたちが彼女の後ろに回って脇の間に顔を挟んだ。
『どうしてだろう?』
『増えちゃった~!』
番の竜さんたちはソフィーアさまの顔を見上げている。尻尾を機嫌良く振って、彼女が困っている姿を楽しんでいるようだ。名指しで問いかけられたから、私が彼女へ答えるしかないと腹を括る。
「その……お茶を飲んでいたら、こてんと卵さんが分かれまして」
事実だけを告げるなら、こう言うしかない。本当にお茶を飲んでいたら、こてんと卵が分かれて二個になったのだから。
「こてん、と卵が分かれてたまるか! またアルバトロス城へ説明に赴けば白い目で見られる……ナイ、そろそろ打ち止めにしておかなければ、外務部の者から仕事を増やすなと言われるぞ! メンガーも外務部に配置されたばかりなんだ。せめて加減をしてやれ!」
白い目で見られる、云々の所はかなり小声だった。全くやらかすなと言わない辺りはソフィーアさまの優しさなのかもしれない。確かにお城に説明に赴けば、公爵さまと外務卿さまは楽しそうに私の報告を聞いてくれるけれど、宰相さまと他の面々は顔を引き攣らせていることが多いような。
陛下は静かにどんと構えて話を聞いてくれるけれど、王太子殿下は唇の端を歪にしている時がある。私がトラブルに巻き込まれると、アルバトロス王国まで巻き込んでしまうのは百も承知である。これからは領地で活動予定なので早々問題は起きないはずなので、今回は? 今回も? 許して頂きたいところだ。
「まあまあ、ソフィーアさん。ナイを責めても仕方ありません。それにナイを強く責めると、彼女よりも周りの皆さまが落ち込んでしまいますわ」
「そうですねえ。外務部の皆さまは今の今まで日陰者でした。外務卿殿が国のために働けることが嬉しいと、仰っているところを聞きましたよ。それに幻獣の皆さま方は自然に生きているのです。自然に卵が増えたのであれば、喜ばしいことですよ。ねえ?」
セレスティアさまと副団長さまが加勢してくれた。少し納得がいかない気もするけれど、悪気がある訳じゃない。クロとエルとジョセと、ヴァナルと雪さんたちはソフィーアさまの言葉を聞いて少し落ち込んでいる。グリフォンさんも『ご迷惑だったのでしょうか?』と首を傾げていた。
「うぐっ……その、ナイと皆さまが悪い訳ではありません。ただこれ以上、幻獣の皆さまがナイの下へ集まってしまえば騒ぎになります。皆さまは人間と意志疎通が可能なために、国と国が争わずに済んでおりますが……――」
また幻獣などが現れて私に懐くのは良いけれど、フソウ国とヤーバン王国のように讃え奉っている存在かもしれない。もし、言葉を交わすことができなければ、ややこしい事態に発展することは確実である……とソフィーアさまは仰った。確かにみんなと意志疎通できているから、フソウでもヤーバンでも問題なく雪さんたちとグリフォンさんを子爵邸に迎えることができた。
「暴れている幻獣ならば魔術で対処致しますし、討伐隊を編成するだけですよ?」
副団長さまであれば暴れている魔獣を難なく倒してしまうだろう。討伐隊に彼を組み込めば被害を最小限に喰い止めることができるはず。
「先生。確かに暴れている魔獣や幻獣であれば討伐隊を組み、被害を最小限に留めるべきですが……我々が対処できない相手の可能性もありましょう」
ソフィーアさまが少し困ったような顔で副団長さまの顔を見た。彼女が言った通り、これから先に私たちでは手に負えない大きな存在が出てくる可能性だってある。そうなってしまえば、どうにか踏ん張るしかないけれど……誰かが犠牲になることだってあり得るだろう。想像したくはないが、失う物があるかもしれない。
「そうなれば、弱い者が淘汰されるだけです。自然な流れですよ。しかし、まあ、貴女の言いたいことも理解できます。ミナーヴァ子爵さまの魔力に惹かれて多様な方々が集まっておりますから」
好意を持っている者ばかりではないだろうと副団長さまは仰った。もし仮にそうなってしまえば、ジークとリン、そしてクロとロゼさんとヴァナルたちが私を守ろうとするだろう。副団長さまも、ソフィーアさまとセレスティアさまも私を守ってくれるはずだ。だから私も彼らを守らなければならないし、負けてなんていられない。
『お城の方々への説明は私が執り行った方が良いのでしょうか?』
グリフォンさんがソフィーアさまにこてんと首を傾げながら問うた。グリフォンさんが報告に赴けば、お城の皆さまは驚くのではないだろうか。
「あ、いえ。そういうわけでは。ナイの悪い癖で、細かい部分を記し忘れたり、伝え忘れることがあるのです。本人に悪気はなく、報告自体に問題はないのですが……特殊な個体が誕生したというのに、無事に産まれたとだけ伝えてしまう癖があります」
ソフィーアさまがナイの悪癖で何度我々が驚かされたことか、と渋い顔になっていた。それについては真にごめんなさい。ソフィーアさまが仰った通り、無事に産まれたことが嬉しくて、ルカのことを黒い馬体で翼が二対あるということをうっかりと書き忘れていたのだ。ジアの時は同じ過ちは繰り返すまいと、きちんと赤い馬体の天馬さまと報告したのに……ソフィーアさま的には帳消しにはならなかったようで。
『そして、アルバトロス上層部の皆さまや子爵邸で働く方々が驚いてしまうのですね』
グリフォンさんがくすくすと笑いながら私に視線を向けた。なんだか『私の卵が孵った時はどう報告してくださるのでしょうか。楽しみですね』と言っている気がしてならない。
「はい。めでたいことですし、良いことなのですが、関係各所へ知らせを入れねばならぬので、二度手間になる場合がありますから」
ソフィーアさまが申し訳なさそうに私を見ながら言葉を発した。
「うっ……!」
妙な痛みが私の胸に走った。確かに一度連絡を入れたのに追加で報告を上げなおさなければならないから、二度手間になっている。幻獣さんたちに懐かれて大変だと思えど、やはり新たな命が誕生した瞬間は嬉しい。
無事に産まれてくれたことや、すくすくと成長している姿を眺めるのは楽しいし嬉しい。でも嬉しいだけで報告をきちんとできないのは、成人したお貴族さまとして駄目である。次からはもっと気を付けようと心に刻み込むが、何度かやらかしているので少し不安である。
『お茶目な所もあるのですねえ』
「お茶目で済めば良いのですが、彼女の立場が立場故に困る者がいるのです」
まだくすくすと笑っているグリフォンさんの顔と、今日は妙に手厳しいソフィーアさまの顔を交互に視線を向ける。もしかしてソフィーアさまは私の抜けている所のせいでストレスを抱えているのだろうか。苦笑いを浮かべて私たちのやり取りを見守っている面々に、後でソフィーアさまについて相談してみようと心配になるのだった。