0865:卒業後。
お別れ会の次の日。
フィーネさまとアリサさまとギド殿下が母国へ戻って行った。フィーネさまには納豆を、アリサさまには子爵領で採れたトウモロコシさんを、ギド殿下にはオレンジを別れ際に渡しておいた。
昨晩、フィーネさまに私が差し出したハンカチを拒否されたことを鑑みて、急遽贈る品を変えた。納豆は傷みが早いので、魔術具で造って頂いた簡易冷蔵庫に納めた。構造は単純なもので、箱の中に魔石を放り込んでいるだけのもの。魔石には一定温度の冷気を放つように術式が刻まれているのだが、副団長さま曰く『魔石に術式を仕込むこと自体は簡単ですよ』と仰っていた。含みを持たせた言い方だったので、才能の有無や得手不得手で術式を刻むのは大変な場合もあると予想している。
「寂しくなりますね……」
昨夜、フィーネさまがみんなの前で涙したのでアルバトロス王国の元特進科主要メンバーがほぼ集い、彼女たちを見送りにきていた。また泣きそうな顔のフィーネさまと、彼女を慰めているアリサさまと、どうするべきか迷っているギド殿下を送り届けた所である。アルバトロス城の転移陣を使用してそれぞれの国へ戻っているので一瞬だけれど、滅多に使用できないし、次にお三方と会うのは夏であろう。
「ですね、ミナーヴァ子爵。子爵はこれからどうなされるのですか?」
お城の転移陣の部屋でメンガーさまが私を見下ろす。フィーネさまと別れる前に彼も餞別の品を渡しており、手のひらサイズの小さな箱だった。
食い気が先行した私と違って、メンガーさまであれば小粋な品を渡しているに違いない、と私はしたり顔で手渡す様子を見届けていたのだが少し甘い雰囲気があったような気がする。フィーネさまはフィーネさまで昨日メンガーさまから受け取ったハンカチを洗って返していた際に、一緒に手紙を渡していたし……。
「私は領地運営に本格的に乗り出そうかと。聖女の仕事もありますし、代官さまにお任せすることが多いでしょうが、当主が無知なのは問題ですから。メンガーさまは、アルバトロス上層部のどの部署へ?」
メンガーさまは伯爵家の三男坊で、彼の長兄が次代を担う。メンガーさまも家督争いを起こす気はなく、官僚として働くと前から仰っていた。無事にアルバトロス城で働くことができる、と安堵した姿を二月頃に教えてくださったのだが、どこに配属されるかまでは知らなかった。
「外務部に決まりました。人手が足りず人員募集を沢山掛けたようで、俺もおこぼれに預かれました」
ふふ、と片眉を上げて短く笑ったメンガーさま。彼なら『おこぼれ』ではなく、普通に学院の成績と人柄で掴んだものだろうに。ふと私の隣に立っていた方が顔を動かした。
「学院を卒業して本格的に貴族として振るわなければならないが……ナイ、一人で行動を起こす前に相談を持ち掛けてくれ! 良いな、必ずだぞ! 巻き込まれて対処するのは致し方ないが、ナイが動くと事態も大きく動くからな。メンガーにも迷惑を掛けることになるぞ」
ソフィーアさまが念を押すように私に確りと視線を合わせて、身体を動かし肩に手を置いた。確かに私が行動を起こせば、話が大きくなる場合が多いなと過去を振り返る。
「そうですね。加減をして頂けると助かります」
今度は苦笑いを浮かべたメンガーさまに迷惑を掛けるつもりはないので首を縦に振る。
「メンガーさま」
「はい?」
さて、これで学院生としての行事は済ませたとメンガーさまの顔を見上げた。
「外務部でのお仕事、頑張ってください。私も子爵領を盛り立てていきたいと思います」
「ありがとうございます。ミナーヴァ子爵であれば問題なく領地を豊かにできますよ」
お互いに良い顔で笑い、アルバトロス城の転移陣がある部屋から出て別れた。本当に、今度こそお別れだなあと少し感傷に浸りながら、障壁展開のための魔力補填部屋にジークとリンと私と、ソフィーアさまとセレスティアさまとで足を向ける。
――あ、俺が爵位を授かること……ミナーヴァ子爵へ伝えるのを忘れていた。
と、メンガーさまがぽつりと零したことを知らないままだった。
その日の夕方。
子爵邸でソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまから今後の予定をざっくりと聞いている。学院へ赴くことはなくなったので、空いたその時間は領地運営と事務仕事を学ぶ時間となった。
といっても毎日ずっと根を詰めることもなく、午前中に当主としての仕事を実地で経験していく形になっている。領地運営は子爵領は黒字となっているのでお金の心配は必要ないし、私が子爵領をどう発展したいかが一番大きな課題なのだとか。あとは災害に見舞われた時に対応できるようにと、食料の備蓄とお金を貯めていこうとなっている。
聖女のお仕事は学院に通っていた時と同じ頻度で良いらしい。むしろ学院へ通う前が働き過ぎだったようで、聖女になって今までの仕事内容を伝えるとソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまにドン引きされた。
お貴族さま出身の聖女さまは、治癒院に頻繁に顔をだしていない――もちろん例外もある――し、討伐遠征にも参加していないそうだ。私の場合お金を貯めたいから教会の打診を頻繁に受けていたと伝えれば、仲間のためが大きいだろう、と深い息を吐かれてしまう。壁際で話を聞いていたジークとリンも微妙な顔になるのだが、みんなそれぞれで自立していったので私の心配は必要なかったのだ。
クロが何故か顔をすりすりし始め、私の足元では毛玉ちゃんたちが固まっている。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんは少し離れた位置で、二頭一緒に寄り添っていた。
微笑ましいなあと彼らをみんなで見たあと、ソフィーアさまがなんとも言えない表情から真面目な顔になって言葉を紡ぐ。
「来週の頭には共和国から魔術の研修を受ける者たちがやってくる。月が替わればアガレス帝国の皇女殿下の戴冠式があるな」
共和国の方々との縁は私が築いたようなものだし、教会の聖女として実習生たちと立ち会う機会もあるそうだ。ウーノさまとは今も手紙でやり取りをしており、帝国の内情が駄々洩れのような気がしている。確りとした方であるから、大事な所は見せないし記しもしないだろうけれど、陛下とヒロインちゃんの様子を綴ってくれることもあった。
「ジークフリードさんとジークリンデさんの叙爵式と南大陸のC国からの褒章授与式もアルバトロス王国で同時に開かれる、と噂されていますわ。筆頭聖女選定の儀も執り行われますし、当然ナイも候補の一人でございましょう」
セレスティアさまが鉄扇をばっと開いてジークとリンへ視線を向けてふふふと笑っている。ジークとリンに嫉妬しているというよりも『竜殺し』の二つ名を賜らずに済んだ安堵であろうか。彼女なら必要に迫られれば竜も倒せるはずなのに、笑みを浮かべる意味があまり理解できなかった。告げられた予定以外でもやりたいこと、やらなきゃいけないことは沢山ある……。
「あれ、私の予定……割と詰まっていませんか?」
学院を卒業すればもう少し自分の時間を捻出できると考えていたけれど、学生時代とあまり変わらない気がする。でも前世のことを考えれば学生時代より社会人の時の方が自由時間は少なかった。なら今の状況を嘆く必要はないし、ソフィーアさまとセレスティアさまだって婚姻して当主夫人を務めるはずが、引き続き私の侍女を担ってくれる。
「忙しいのは良いことですよ。やるべきことを必死になって探している者もいますから」
家宰さまがにっこりと笑顔を浮かべ明日の分のお仕事を少し片づけましょう、と仰る。頑張れば明日の分の仕事が減るし、これからのことを今から愚痴を零しても仕方ないと書類に向かい、決裁のサインを入れていくのだった。
――食事を終え、お風呂に入る前。
赤子の様子を伺おうと屋敷の一室に入って乳母さんと挨拶を交わした。彼女は子爵家で雇った方で、三十代手前の未亡人である。旦那さまを亡くし、途方に暮れていたところに子爵家で乳母を募集していると聞き飛びついたとのこと。
元々、貧乏男爵家出身であり、亡くなった旦那さまは平民である。ご実家を頼り出戻ったものの、居候の身では肩身が狭い。子爵家は住み込みで働くこともでき託児所もあることから、運が良かったと仰ってくれた。
「ご当主さま。この子は本当に大人しいです。ですが、泣かないのは些か問題があるのでは、と」
「子育てを経験した皆さま仰っていますね……刺激を与えて反応はあるのですが、嫌がる素振りも見せませんし困ったものです」
感情が薄いことは気付いているし、赤子の仕事は泣くことなのに泣かないのは不味い。ただご飯――今はまだお乳でそろそろ離乳食――は確り食べてくれるから、身体の成長に問題はなさそうである。
「はい……なにか良い方法があると良いのですが」
「ええ。毛玉ちゃんたちに囲まれても微動だにしなかったので、もっと強い刺激を与えた方が良いのか迷います」
赤子の感情が薄いと分かり、毛玉ちゃんたちにペロペロ攻撃をお願いしたものの泣きも笑いもせず、無の表情で攻撃を受け入れていた。テレビでお笑い芸人の漫才や芸を見て『くだらない』と一笑に付すような子に育たないと良いけれど。
「ご当主さま、幻獣の方々にご迷惑をお掛けするのは……あまり……あ、ご当主さま」
「はい?」
乳母さんは困ったような顔から、真面目な顔になって私を見た。どうしたのだろうと首を傾げると、肩の上にいるクロに当たってしまう。ごめんと目で謝って、少し待ってくれていた乳母さんへ再度視線を向けた。
「この子のお名前はどうなさるのですか? 流石にずっと貴女と呼ぶには限度がありますので、名前を決めてくださると私たち乳母は嬉しいです」
赤子の頭を愛おしそうに撫でながら乳母さんが仰った。そうだ。赤子の名前は候補を絞ったものの決められずにここまできてしまっている。『ユウ』をもじった名前をと考えて候補はいくつか頭の中にあるのだけれど、みんなの前で口に出してはいない。彼女が言うとおりいつまでも名無しの赤子ちゃんでは駄目だし、腹を決めようと乳母さんの顔を見上げる。
「明日、時間はまだ分かりませんが、赤子の名前をみなさんに発表しますね。あとアンファンの様子はどうですか? 赤子の面倒以外に彼女の世話も担って頂いているようで申し訳ありません」
アンファンが赤子と朝と晩、そしてお休みの日は一緒に過ごしている。当然、乳母さんも彼女と関わることになるので、仕事が増えてしまうがアンファンを見て貰うこともお願いしたのだ。一応、その分のお給金を上乗せしているので大丈夫だと思いたいが、面倒が増えただけと捉える方がいてもおかしくはない。
「良い子ですよ。私がこの子のおむつの替え方を教えると、率先して替えてくれますから。感情が薄いことも伝えて、なるべく刺激して欲しいともお願いしております」
「そうですか。アンファンは私を苦手としているので助かります。交流が増えれば、アンファンにも赤子にも良い影響となるはずですから」
暫く忙しいと思いますがよろしくお願いします、と告げて、子爵家で働くに際して問題や足りない物や欲しい物があれば伝えて欲しいとお願いする。
家宰さまと侍女長さまが窓口になっているけれど、言い辛ければ直接教えてくれても良いし、誰かと一緒に訴えても大丈夫だと言っておく。改善できるかは分からないけれど、問題を抱えたままでは仕事はし辛いし、やり甲斐もない。ブラック企業と呼ばれないように、子爵邸の管理も怠ってはならないと肝に銘じておくのだった。






