0864:【③】お別れ会。
お偉いさん方へのご挨拶を終えると緊張から解放され、少しお腹が空いたと軽食コーナーへと足を運ぶ。ジークとリンとアリアさまと一緒にお料理を味わっていると、背後から足音が聞こえて振り返った。そこにはドレスを身に纏ったフィーネさまとイクスプロードさまの姿があり、周囲の方々に接触しないように気を払いながらこちらへとやってきた。
「ナイさま、アリアさま、ジークフリードさん、ジークリンデさん、よろしければ輪の中へ加わらせてください。少し疲れてしまいました……」
フィーネさまが困った顔を浮かべて、隣に並ぶイクスプロードさまも片眉を上げながら彼女を気に掛けている。アリアさまと同様に挨拶回りで疲れてしまったのだろうか。しかし、参加者が少ないとはいえ今日は外交の場である。出会った頃より随分と大聖女さまの風格を醸し出しているフィーネさまが、仕事をサボる訳はないけれど念のために口を開いた。
「フィーネさま、イクスプロードさま、お疲れさまです。聖王国の方々とご一緒にいなくてもよろしいのですか?」
フィーネさまは大聖女さまだし、イクスプロードさまも綺麗な方である。聖王国の方々とお二人が一緒に立っていれば目立つだろうし会話も弾みそうだと、苦笑を浮かべる。
「大丈夫です。アルバトロス王国に滞在できるのは明日までとなりますから、別れの挨拶をきちんと済ませてきなさいと仰って頂けました」
少し影を差したフィーネさまの変化に気付いたけれど、こればかりはどうしようもない。卒業という節目を迎え、彼女たちは留学を終えたのだから。
でも今生の別れではないことは確実である。携帯電話がない世界で連絡手段が乏しいけれど、恵まれている立場になれたので手紙は魔術で送付することができる。フィーネさまの物悲しい気持ちが少しでも減りますようにと、私はイクスプロードさまの顔を見上げた。
「そうでしたか。イクスプロードさまとはあまりお話をする機会を設けられませんでしたが、夏には南の島へ特進科のみんなで行こうと計画しております。招待状をお送りいたしますので、お暇であればご参加ください」
フィーネさまとイクスプロードさまは学院の教室でいつも一緒である。時折、私がフィーネさまを呼び出したり、呼び出されたりしていたので、他国で過ごしているのに悪いことをしてしまっている。私の事情やゲームのことを話せないし、イクスプロードさまの同席は最後まで叶わなかった。
それなら南の島へ遊びに行くお誘いをすれば良いと思い立った。お花見も許可が下りれば、みんなで行きたい。聖王国所属の方がフィーネさま一人だと寂しいだろうし、学友なのだから問題はないはず。
「え? あ、あの……わたしがご一緒させて頂いてもよろしいのでしょうか?」
きょとんと不思議そうにイクスプロードさまが私を見下ろす。
「もちろんです。学院ではなかなか言葉を交わすことができませんでしたし、夏の暑さと大所帯が苦手でなければ是非」
彼女は私のことを警戒していたようだから、不用意に近づいても喧嘩かなにかに発展しそうで距離を取っていた。共に過ごす時間が長くなるにつれて、少しづつ警戒されなくなったけれど話す機会は皆無だったから。
「ミナーヴァ子爵さま、ありがとうございます。凄く嬉しいです」
「良かったわね、アリサ」
「はい! これでフィーネお姉さまと一緒に過ごせる時間が増えます!」
フィーネさまの言葉に勢い良く言葉を返したイクスプロードさまは、フィーネさまと一緒にいられることの方が嬉しいようだ。フィーネさまは微妙な顔を一瞬浮かべていたけれど、まんざらでもない様子だし仲が悪いことはなさそうである。二人が問題ないのであれば一緒に行けると良いし、嫌なら不参加の知らせが入るだけだ。
「あ、あの! ミナーヴァ子爵さま」
「はい?」
イクスプロードさまから声を掛けられるとは珍しい。フィーネさまもどうしたのだろうと彼女の横顔を見ていた。ジークとリンとアリアさまも不思議そうに彼女を見ているようだし、本当にどうしたのか。
「少し不躾ですが、わたしより子爵さまの立場が上ですので、アリサと呼んでください」
「では私も私的な場ではナイと名前で呼んで頂けると嬉しいです」
ああ、そっか。ずっと私は彼女のことを家名で呼んでいた。確かに名前で呼んだ方が対外的にも良いのかもしれない。彼女が私の名前を呼ぶ際は気をつけないといけないけれど、プライベートな場所であれば問題はない。
「では個人的な場ではナイさまと」
「私もこれからはアリサさま、と」
お互い照れ臭くなって小さく笑う。そうしてジークとリンを紹介して、ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちを改めてご紹介したのだった。人数が増えて姦しくなる。お料理を頂きながら女性陣は美味しい美味しいと、お料理を堪能し始める。
アリサさまのご実家は貧乏伯爵家だったそうで、美味しい品を食べられる機会は少ない上に、聖王国でも聖女として慎まやかに過ごしていたので今回のお別れ会の料理を食べてみたかったそうだ。アリアさまのご実家と同じ状況なので、二人は貧乏苦労話に花を咲かせつつ、ひょいひょいと口に料理を運んでいる。私も負けていられないとお料理を堪能していれば、また新な方が現れた。
「ナイ、フィーネ嬢、アリア、イクスプロード嬢、ジークフリード、ジークリンデ、ここにいたのだな」
ソフィーアさまが公爵家の侍女さんを連れてやってきた。ギド殿下とは一旦別れたようで、彼の姿はない。少し遅れて今度は侍女さんを連れたセレスティアさまがやってくる。彼女も婚約者であるマルクスさまとは別れているようだ。
「皆さま、こちらにいらしたのですね」
セレスティアさまは私たちに顔を向けながらも、器用に毛玉ちゃんたちの方も視界に入れている。ソフィーアさまは一人が暇で、セレスティアさまはクロとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんズが目的なのだろうとなんとなく分かった。
「私とセレスティアはナイの侍女を続けるが、フィーネ嬢とイクスプロード嬢とは別れることになるな。二年間、いろいろと世話になった。アルバトロス王国で過ごした時間が二人の良い経験になると嬉しいが」
「ええ。聖王国へ戻ってしまえばお会いできる機会は滅多にありませんもの。二年間、お疲れさまでございました。聖王国でのご活躍、アルバトロス王国から願っておりますわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが柔らかい表情で、フィーネさまとアリサさまへと謝意を述べた。
「アルバトロス王国の学院生として沢山のことを学ばせて頂きました。聖王国へ戻り、こちらで学んだことを生かして参ります」
「二年間、ありがとうございました」
フィーネさまとアリサさまがしずしずとお二人に頭を下げた。顔を上げたフィーネさまは涙ぐんで、目尻にお水を溜めている。女性陣で学院のことや将来のことを話していれば、ギド殿下とマルクスさまとメンガーさまがやってきた。
「ミューラー嬢、イクスプロード嬢、学院でもアルバトロス城でも世話になったな。俺は一度リームへ戻り、アルバトロスに帰ってくるが……寂しくなってしまうな」
「短い間だったし、あんま喋った記憶はねえが、またな」
「フィーネさま、イクスプロードさま、二年間楽しい時間をありがとうございました」
ギド殿下とマルクスさまとメンガーさまが別れを惜しむように、お二人へ言葉を掛ける。ギド殿下はソフィーアさまの下へ婿入りするので、アルバトロス王国の一員となる。
マルクスさまも近衛騎士に入隊するそうだ。メンガーさまは城のお役人としてこれから働くと聞いている。みんなそれぞれの道へ進み、社会の歯車の一つとなるだろう。私も子爵領を盛り立てていかなければならないし、学生気分でいられるのは今日で最後だ。
入学から本当にいろいろとあって濃密な時間だったし、築いた友人関係はかけがえのないものである。お貴族さまに関わらず、一生徒として二度目の学生生活をジークとリンと平穏に過ごすつもりが、本当にこんなことになろうとは。
「はい。二年間、お世話になりました。またお会いできることを願っております」
フィーネさまが声を上げ頭を下げると、アリサさまも倣った。アリサさまは男性が苦手なのか、それとも聖王国の聖女さまは男性と言葉を交わすことを良くないとされているのか。
またフィーネさまが目尻に涙を溜めて、無理矢理に笑っている。特進科のみんなが集まったので、この場でまたお喋り大会が始まった。
ヴァナルたちがいるお陰なのか、話題は毛玉ちゃんのことがメインである。毛玉ちゃんたちも皆さまのことを悪く感じていないようで安堵する。これで前の時のように、誰かにおしっこを引っ掛けてしまったならば大事に発展してしまう。
楽しい輪の中から少し離れて立っていたフィーネさまが気になって声を掛けた。
「フィーネさま、大丈夫ですか?」
「ナイさま……これで本当に皆さまとはお別れになってしまうのですね」
私が彼女に声を掛けると、なんとも言えない表情でフィーネさまは言葉を紡いだ。
「学院で会えることはなくなりますが、また夏に会えますよ」
私はアルバトロス王国に居続けるから、彼女の中にある気持ちを正しく理解できない。できないけれど、付き合いのある方には笑っていて欲しいし、幸せでいて欲しい。
「それはそうですが、やはり寂しいものですね。皆さまとお別れするとなって、学院で過ごした時間が凄く楽しかったんだなって思いました」
フィーネさまにとって卒業はどんなものだろうか。重く捉え過ぎなのか、私が軽く捉えているのか…………って、あ。
「ナイさまぁ……やっぱり寂しいですぅ。お別れなんてしたくないけれど、聖王国の大聖女としてきちんと務めなきゃって……」
ついに耐えられなくなったのかフィーネさまがとうとう涙を流してしまった。人目を憚らず涙を流す彼女に持っていたハンカチを慌てて差し出す。
「フィーネさまであれば、聖王国で大聖女として振舞えているではありませんか」
「あれはナイさまの発破があったからこそですぅ……あの件がなければ私は聖王国で大聖女の役目をのらりくらりと果たしていただけで、立派なことなんてできませんでしたからぁ! そのハンカチ絶対に貴重な品なので手に取れまぜん~!」
ずびっと鼻を啜ったフィーネさまがハンカチの受け取りを拒否した。いや、うん……エルフさんたちの極上反物の余った部分を利用して作って頂いたものなので、通常品ではないけれど……物は使ってこそだし、差し出したものを引っ込めるのは格好が付かないのだけれど。でも受け取って頂けそうにないので、仕方なく元の位置へと戻して再度フィーネさまの顔を見た。
「何度も言いますが、また夏に会えます。その時を楽しみにしているので、フィーネさまが元気で過ごしてくださらないと困りますよ」
『フィーネ、泣かないで。夏に会おう?』
クロが見かねて加勢してくれるが、ずびずびと鼻を啜っている彼女の様子は変わらない。どうしたものかと悩んでいるとメンガーさまがこちらに気付いて、私たちの下へと歩いてくる。
「フィーネさま、大丈夫ですか?」
メンガーさまが燕尾服のポケットからハンカチを取り出して彼女に手渡した。フィーネさまは受け取り、目尻の涙をゆっくりと拭っている。……少し複雑な心境に陥るが、メンガーさまの登場で味方が増えたと喜ぶ。泣いている方を慰めるのは、いつになっても苦手だ。お酒の席ならば良いけれど、元特進科の皆さまは真面目なのかアルコール類は手に取っていない。
「エーリヒさまぁ……もうお会いできなくなると思うと寂しくて、悲しくて……」
「ああ、ほら、泣いてはなりませんよ。大丈夫、ではないでしょうけれど夏にまた会えますし、もしよければ手紙を出します。俺の話はつまらないかもしれませんが、それでフィーネさまの寂しさが紛れるなら頑張って書きますよ」
困った顔でメンガーさまが告げた。少し落ち着いたのかフィーネさまが私と彼の顔を見て『取り乱しました、すみません』と小さく頭を下げた。
「お手紙嬉しいです。私も上手く書ける自信はないですが……ナイさまの手紙もエーリヒさまの手紙も嬉しいです」
『フィーネ、もう泣かない?』
クロがまた心配そうにフィーネさまの顔を覗き込みながら声を掛ける。
「クロさま、ご心配をおかけしました。寂しいですが、前を向いて歩いていかなければいけませんね」
『もしフィーネが困れば、ボクがおっきくなってナイと一緒に聖王国に行くよ』
「そうなると聖王国の者たちが腰を抜かしますね」
いつの間にかクロと一緒に聖王国へ駆けつけることになった。今の聖王国なら大丈夫だし、そんなことにはならないだろう。もし仮にクロが大きくなって私が聖王国へ乗り込めば、今度こそ聖王国の終わりを告げる使者となりかねないと苦笑いを零す。
そうして私たちに気付き、何があったのかと騒ぐ元特進科メンバーにフィーネさまが寂しいと伝えれば、手紙を書くと仰る方に夏に会おうと約束を取り付ける方。なによりアリサさまが一生懸命にフィーネさまへ元気を出すようにと声を掛けている。彼らと関係を最初に持った頃の印象と今の印象が全く違っていて面白いと、お別れ会を終え子爵邸に戻るのだった。