0854:毛玉ちゃんたちのお名前。
クレイグに馬鹿と連呼された日、夕食の時間に彼と顔を合わせてお互いに謝る羽目となった。クレイグに悪気はないし、考えなしで物を言う私の方が悪かったので『悪い』『ごめんなさい』で済んだ。
そしてサフィールが赤子について教えてくれたのである。生後四ヶ月程度であれば、首が座り、周りの動く物に興味を示して手を伸ばしたりなんやかんやとするそうだ。寝返りやうつ伏せができる頃であり、ハイハイはまだもう少し先とのこと。少し感情面の成長が遅い気がするので、喋りかけてあげると良いかもしれないよ、と笑っていた。
孤児院で働いていたサフィールだからこその気付きだし、詳しいことが分からないので彼から齎される情報は有難い。
乳母さんを雇ったし、教会に赴けば母乳を売ってくれるシステムもある。粉ミルクが誕生していない世界だし、若い世代が多く赤子も生まれやすい――生存率には難はある――環境なので利用させて頂くつもりだ。足りなければ、羊や山羊の乳で代用できるはず。
そうして数日が過ぎ、学院がお休みの日が訪れる。
「みなーばぁ! よく来てくれた! 呼び出し、相済まぬ」
ナガノブさまが上機嫌で私たち一行を出迎えてくれた。大型の竜の方の背に乗ってぴゅーっとフソウまで飛び、仔たちの成長ぶりをドエの街の皆さまに見て貰いながらドエ城に辿り着いた所である。
黒い竜の件が片付いたので、エルたち一家も遠慮なく外に出られるようになり、フソウに赴くならまた行きたいと申し出を受けたので一緒に竜の方の背中に乗ってやってきている。
赤子はまだ小さいし、感染症に掛かると大変だから子爵邸でお留守番だ。アンファンも子爵邸でお留守番をしながら乳母さんと一緒に赤子の世話をするか、託児所で同年代の子たちと触れ合って経験を積んで欲しいと伝えた。私は敵視されているので、彼女は仏頂面を下げて小さく頷いて私たちを見送ってくれた訳だけれど。
さて、五頭の仔たちの名前はどんな名前なのだろうとナガノブさまと視線を合わせる。
「お気になさらないでください。仔たちの名前候補が決まったなら、早く決めてあげたいですしね」
「うむ。幕府と帝家の者が大勢集まって、何日も唸っていたからな! きっと気に入る名があるはず……! しかしまあ、大きくなりましたなあ」
ナガノブさまが私に笑い、雪さんと夜さんと華さんへ視線を向けたあと、ヴァナルの近くでじゃれ合っている毛玉ちゃんたちを見た。
黄色ちゃんが相変わらずガタイが良いので、他の仔たちがタジタジになっているけれど加減をしているので問題はない。甘噛みだし、本気で噛むと相手の仔が『きゃん!』と悲鳴を上げるとそこで止める賢さを既に持っている。
ナガノブさまに見つめられていることに気付いた仔たちは、五頭が横一列に並んで同じ方向に首を傾げた。ついでに彼らの両端でヴァナルと雪さんたちが地面にお尻を付けて、お座りしている。
「……っ! なんと愛らしいっ!」
ナガノブさまが感動している所を申し訳ないのだが、これは私が毛玉ちゃんたちを前にした時、可愛くて私が首を傾げているのを真似しだしたことが原因である。
私が首を小さく傾げる姿を見れば、毛玉ちゃんたちも習って首を傾げるのだ。この光景にセレスティアさまの幻獣センサーが反応して、素敵なドリル髪がわさぁと広がっていたのだが、まさかナガノブさまも可愛いと評してくれるとは意外である。
『順調に育っておりますよ』
『子爵邸の居心地も良く、霊力も豊富なので強く育つはずです』
『早く大きくなった姿が見たいものですねえ』
ふふふ、と雪さんたちが嬉しそうにナガノブさまに伝える。仔たちはじっとしていることに飽きて、ナガノブさまの匂いを嗅いだり、周りに控えている武士さんたちの匂いを嗅ぎ始める。
前に黄色ちゃんがやっちゃった件があるためか、少しびくびくしているような気がするのだが。まあ、悪いことをした方が悪いのであって、黄色ちゃんの行動を責められない。ナガノブさまはエル一家とも挨拶を交わしたあと、私へと向き直る。
「着いて早々で悪いのだが、帝家へ参ろう。皆、首を長くして待っているのでな」
「承知致しました」
ナガノブさまの後に続き歩いて行くと、用意されていた籠へ乗り込む。一人乗りなので、妙な感じだなあとクロとお話をしているのだけれど、歩いて移動しているヴァナルと雪さんと五頭の仔たちとエル一家を見たドエの人たちが驚いた様子を見せている。
前に一緒にドエの街を歩いたから、神獣さまに仔が産まれたこと、天馬さまたちがフソウに遊びに来るようになったことは告知されている。ただ、間近で見たり、本当かどうか疑わしかったようで本物を見て驚いたようだ。
籠に揺られること暫く、大きな門の前に辿り着く。何度か訪れているのでこの場所が帝邸の前だと理解できる。開門を待っていると大きな扉がゆっくりと開いて、中へと入るように促された。
「久方ぶりです、みなーばぁ。雪と夜と華も元気でしたか? 仔たちは大きくなったのでしょうか?」
「お久しぶりです。ご招待、ありがとうございます」
大きな屋敷の中へ入り、案内された先にいた帝さまに挨拶を交わして、雪さんたちの方を見る。
『つつがなく過ごしております』
『仔たちはやんちゃですよ』
『少し賢くなったのかもしれません』
雪さんたちも帝さまとご挨拶をして、中庭でこちらを見ているエル一家の方へ視線を向けた。
『きちんとご挨拶をするのは初めてですね。天馬のギャブリエルと申します』
『ジョセフィーヌです。フソウの皆さまのご尽力で、新たな大地へ降り立つことができました。天馬一同、感謝しております』
エルとジョセも帝さまに天馬さまたちの飛来地が増えたことに感謝を伝える。温和で少し間抜けなところがある天馬さまたちだから、人間が彼らに手を出せない土地は貴重だ。東大陸のアガレス帝国にも見学に行っている天馬さまがいるとエルたちから聞いたのだが、果たして住み着くことはあるのだろうか。
「これはこれは、ご丁寧に。天馬殿たちの飛来、楽しみにしておりますよ」
帝さまの言葉にエルとジョセが目を細め、ルカが嬉しそうに嘶いている。ジアはまだ事情が分からないのか、お兄ちゃんであるルカの隣で大人しく様子を見ているだけだった。
「早速で申し訳ないのですが、名前を決めましょう!」
「誰のものが選ばれるのかっ!」
ふふふと笑う帝さまと、にやりと笑ったナガノブさまの間に紫電が走った気がする。なんだろう、と疑問が氷解するのは直ぐのことだった。
挨拶を交わした場所から、広いお座敷部屋に案内されると、文字を書いた半紙が何枚も畳の上に並べられている。どーんと書かれた大きな文字の横には、小さく名前が書かれてあった。凄く達筆な文字や凄く力強い文字に、繊細な文字もあるので、それぞれが考えた仔たちの名前候補なのだろう。そして小さく書かれている名前は考えた方の署名だ。
というか、どうやって候補の中から本命を選ぶのだろう。
「みんなの名前は雪さんと夜さんと華さんとヴァナルが選ぶの?」
分からないなら聞けば良いと、雪さんたちとヴァナルに問うてみた。
『仔たちが自ら決めましょう』
『ええ。意味は分かっていないかもしれませんが、大丈夫です』
『仔たちが持つ本能が導いてくれるでしょうから』
そうなのか、と納得して仔たちへ視線を向けると首を傾げて私を見た。大丈夫かと心配になるが、母親である雪さんたちが保証してくれているのだから信じよう。
『主、みんなに名前を決めるように伝えて?』
こてん、とヴァナルが顔を横にして私を見つめる。でも、フソウの皆さまが楽しみにしているのだし、帝さまかナガノブさまが音頭を取るべきでは。
「私たちのことはお気になさらず」
「みなーばぁ、頼む!」
私の心配を他所に、帝さまとナガノブさまは良い顔をして私へ声を掛けた。なら、大丈夫かなと私は五頭の仔たちの下へ行く。ゆっくりと畳の上に膝を付き、彼らと視線を合わせた。
「えっと、フソウの皆さまが名前の候補を決めてくれたよ。気に入った名前を君たちが選んでね」
毛玉ちゃんたちはバフバフ尻尾を振りながら、畳の上に並べられている半紙へ視線を向ける。じっと見ているから、気に入った名前をそれぞれ吟味しているのだろうか。
どうするのかな、と暫く待っていると黄色ちゃんが畳の上からお尻を上げて、とことこと歩き始める。遅れて赤色ちゃん、白色ちゃん、少し間置いて青色ちゃんと緑色ちゃんが闊歩し始めた。
並べられた半紙を踏まないように器用に歩く姿は面白い。お尻をぷりぷり揺らしながら、気になるものがあれば匂いを嗅ぎ、違う半紙の匂いも嗅いでいる。一番先に歩き始めた黄色ちゃんが、一枚の半紙を咥えてこちらに戻ってきた。
「私が選んだ名前よ。ナガノブ、貴方の名は選ばれませんでしたねえ」
「確かに選ばれておりませんが、まだ希望はあります!」
帝さまがにっこりとナガノブさまに向かって笑い、彼は少し悔しそうな顔を浮かべて畳の部屋をウロウロしている毛玉ちゃんたちに視線を向けている。そうして赤色ちゃん、白色ちゃん、青色ちゃん、緑色ちゃんが半紙を咥えてこちらに戻ってきた。ちょっと涎で墨が落ちているのはご愛敬である。読めるので大丈夫だ。
「最後の最後に選んでくださいましたぞ!」
ナガノブさまが凄く嬉しそうに帝さまの顔を見た。帝さまは帝さまで、最初に選ばれたのは私であると言いたげな表情だけれども。一体、裏でなにがあったのか気になるけれど、なんとなく想像が付くので多くは言うまい。
黄色ちゃんは『桜』を選び。
赤色ちゃんは『楓』を選んだ。
白色ちゃんは『椿』を選んでいる。
青色ちゃんは『早風』が気に入ったようで。
緑色ちゃんは『松風』が良いらしい。
およだで半紙が破れてしまう前に毛玉ちゃんたちから回収して、ようやく彼らの名前が決まったのである。