0085:接触。
――親子だと言われても仕方ない。
こりゃあ、マルクスさまがジークとリンを見て、一瞬で既視感を抱くのは仕方ない。そのくらい伯爵さまと二人は似ていた。
数日前、宿舎へとやってきたクルーガー伯爵家からの使いは当主からの手紙を持って、私へと寄越した。内容はその場で確認してよいとのことで、教会職員から借りたペーパーナイフを手に取って丁寧に開くと、奇麗とは言い難い文字で『伯爵家に招きたい』と書かれていたのだった。
そして同時に教会からの要請が私の下へと入った。伯爵さまからの治癒依頼だと告げられて、日付や時刻も一緒に知らされた。伯爵さまの手紙に書かれていた日付と同じだったので、教会を経由して治癒依頼を出し、尚且つ個人的な"何か"があるのだろうと考えながら、今日という日がやって来たのである。
公爵さまの家よりも敷地面積や建屋は小さいけれど、豪邸という域を超えている屋敷がどっかりと鎮座していた。
貴族街に建てられている家々よりシンプルな造りなのは、騎士家系だからだろうか。正門を抜けて真っ直ぐに屋敷へと繋がる道を馬車がゆっくりと進み、停車場で止まるとジークとリンが先に馬車から降り彼が手を差し出してくれた。
「ありがとう、ジーク」
今日は聖女としての正式な訪問となっているので、聖女の衣装を身に纏っているし、二人も教会騎士として私の護衛として控える。
「大きいねえ」
公爵邸よりは小さい伯爵邸を見上げる。見慣れた公爵さまの屋敷よりもシンプルな造りではあるが、お貴族さまらしく凝っている所は凝っているし、修繕しつつ家の歴史を引き継いでいる部分が所々見受けられる。
「伯爵さま、だからな」
「うん」
玄関前に控えていたぴっちりと燕尾服を着た妙齢の執事さんが迎えてくれる。ジークとリンとは顔なじみとなっているようで、挨拶を交わしていた。お互いに仕事中なので、かなり軽くではあるが。そうして招き入れられた玄関ホール正面、一番上の階段からゆっくりと降りてくるボルドー色――暗い赤の髪を揺らしながら降りてくる男性の姿。
「――ようこそ聖女さま! ジークフリード、ジークリンデも来てくれたのだね、嬉しいよ!!」
年齢は四十歳前後といったところだろうか。私の後ろに控えている二人にそっくりな男性は、その年齢の割に随分とテンションが高いと心の中でぼやきつつ、男性を見据える。
騎士の人たちの間で今まで噂が広がらなかったものだと思えるくらいには、二人にそっくりである。面倒ごとに首を突っ込みたくないから、黙っていたのかも知れないけれど。
「クルーガー伯爵閣下、本日はお招きいただき感謝いたします」
静かに聖女としての礼を執る途中、伯爵夫人らしき人物が視界の端に映りこんだ。まるでこちらを品定めしているような目で見ているから、あまり良く思われていないのだろう。
ジークとリンの件もある。奥方さまにとっては由々しき問題だろうから、厳しい目で見られても仕方ない。
「いえ、とんでもない! わざわざ邸までご足労頂き申し訳ない。――ただ、屋敷で施術を行っていただける方がいろいろと問題が少ないもので……」
「お気になさらないでください。さまざまな事情が御有りなのは教会も当方も理解しております。早速で申し訳がないのですが、治癒をご希望の方はどちらに?」
元気そうな伯爵さまが治癒の施術を望んでいる人ではないだろう。奥方さま、使用人もしくは離れにでも匿っている愛人であろうか。
「ええ、私の妻でございます。――こちらへ来なさい」
「はい、旦那さま」
伯爵さまに呼ばれて一人の女性がしずしずと歩いてくる彼女の顔は、マルクスさまに似ていると瞬時に判断できた。
どうやら治癒を希望する方は奥さまのようだ。教会経由で依頼は貰っていたものの当日まで内容は伏せたいと希望し、ジークとリンも伯爵さまからはなにも聞かされていない。てっきり匿っている愛人だろうかと失礼なことを考えていたので、伯爵さまの株が少しだけ上がる。
「よろしくお願いいたします、聖女さま」
「こちらこそ」
長々と顔を見るわけにもいかないので、ほどほどの所で視線を逸らして、また聖女としての礼を執り顔を上げると彼女は微笑んでくれた。
マルクスさまに似ているというのに、纏う雰囲気は穏やかで優しい。なんだか意外だと感じつつ、きょろきょろと周囲を見渡した。
「流石にこちらで施術をする訳にはなりません。別室をご用意いただけると助かるのですが……」
玄関ホールに椅子やベッドはないので、出来れば落ち着いて施術できる場所が良いし、人目は少ない方が良いだろう。
「ええ、勿論ですとも! 来賓室へご案内いたしましょう」
テンション高めな伯爵さまと静かな伯爵夫人。玄関ホールから来賓室へと向かう二人の背中を見つつ、どういう夫婦関係なのかが気になる所だけれど、さっぱり分からない。
ジークとリンは伯爵さまが作った愛人の子だから、夫人は快く思うはずはない。二人の過去を知れば同情心くらいは湧くかもしれないが、自分が産んだ子供の嫡男としての地位が危ぶまれるとなれば、心穏やかにはいられまい。
ちなみに今日は普通に登校日だったが、学院を休んでこちらまで来ている。ジークとリンには護衛は教会騎士の他の人に頼めば良いから学院に行けと言ったのだけれど、聞き入れてくれず私について来た。
実技だけじゃなく座学の授業もあるのだからと説得しても、首を縦に振ってはくれず。まあ、いつもの事だなと騎士服に身を包んだ二人に苦笑いをしながら、一緒に馬車に乗り込んだのだ。
「――どうぞ、お掛けください。今、茶を用意させましょう」
「閣下、申し訳ありませんが今は治癒を優先させて頂けないでしょうか? 伯爵夫人もご了承頂けると良いのですが……」
「ああ、そうですな。では終わり次第に美味い茶を淹れましょうぞ。――聖女さま、どうか妻の病気を治してくださいませ」
「はい、全力を尽くす所存です」
やっぱり動作が大仰だよなあと、伯爵さまの身振り手振りを見つつ奥方さまへと向き直る。
「夫人、少し聞き取りをさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい。答えられるものならば」
とまあ椅子へと座り、夫人へ問診を開始する。どうやら長年腰の痛みが酷いようで、最近は歩くことすら辛くなってきているという。
ドレスにヒールが標準装備のお貴族さまである。そりゃ余計に負担が掛かって仕方ないだろう。家でならばまだ楽な格好でいられるだろうが、外出や社交界へ顔を出すとなれば長い時間を立ちっぱなしだったり、馬車に長時間揺られることもある。
我慢するばかりに酷くなってしまった典型例だなあと、目を細くしつつ夫人を見つめ。
「よく我慢なされていましたね……」
痛みに耐えて立派ではあるが、早く治癒を申し出ていれば簡単に治っていただろう。これ、何度かに分けて治癒魔術を掛けなきゃならないから、その辺りも説明しておかないと。
伯爵さまも気付いていただろうに。ここまで放置していたのは一体どんな理由がと気になるが、患者のプライベートには首を突っ込まないのが鉄則である。
「さて、治癒を施します。申し訳ありませんが、女性以外は部屋を出て行って頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構いませんが、どうして?」
「服を着ていない方が魔術の通りが良いのです。少しではありますが、効果も上がりますので」
「なるほど、そういうことなのですね。――皆、出るぞ」
来賓室の中には夫人と壁際に控えている伯爵家の侍女数名とリンと私。外には伯爵家の護衛が居るだろうし、夫人に何かあればすっ飛んでくるだろう。伯爵さまが退室を簡単に呑んでくれたのは、そういう理由があるからだ。
「――そろそろ大丈夫ですね。高貴な方にこういうことを申し上げるのは気が引けますが、軽くで良いので服をはだけて下さい」
流石に全裸になれとは言わないし、そこまでする必要もない。私の言葉に頷いてするすると服をはだける奥方さま。
毎日侍女に着替えを手伝って貰っているだろうし、お風呂も介助が就いているのだろう。脱ぐことにあまり抵抗はなさそうだった。
「では失礼します――"吹け命の躍動よ""君よ陽の唄を聴け"」
そう言って治癒の魔術を施す。とりあえず悪い患部を治す為の魔術と自然治癒を促す魔術の二重掛け。地味な効果なので直ぐ現れるわけではないし、重ね掛けもしなきゃいけない。ただ長年、痛みに悩まされてきたというならば、高度の治癒魔術は控えた方が良いだろう。
「あ……鈍い痛みが引きました」
「良かったです。ですが先程も申した通り、長年我慢していたこともあり何度か施術が必要になりますので、何度か訪れることをご了承下さい」
「わかりましたわ。――もっと早くに診て頂ければよかったのですね」
まあいろいろと事情があるのだろう。我慢強さも美徳とされているところもあるし、弱みを見せられないこともあるのだろう。ゆるゆると首を振って奥方さまの施術を終える私だった。