0831:特進科男衆。
――学院三年生、最終学期が始まった。
アルバトロス王国の進学校に位置する学び舎だから、三学期であるというのに卒業式まで勉強尽くめではある。この辺りは前世の俺が高校三年生の時、大学受験に必死になっていたことと同じだが、ここまで学校に通っていた記憶はない。
ただ受験がないので心穏やかに過ごせるのは楽だし、就職先が決まってた俺は運が良いのだろう。一年生の時に仲良くなった噂好きの友人は、王都で官僚になるべく頑張っていたが、まだ見つかる気配はないようで頭を抱えている。
学院の特進科三年生の教室、昼食を終え五限目の授業になるまで各々仲の良い友人の下でお喋りを繰り広げている。俺も彼らに倣い、仲の良い友――友と表現して良いのか微妙だ――と顔を突き合わせていた。
「エーリヒはアルバトロス王国の官僚になるのか。俺は彼女の実家の領地で過ごすから離れてしまうな。せっかく友となれたのに、それもあと三ヶ月で終わりか……」
ギド殿下が寂しいという表情をありありと出して俺に告げた。大柄な男が少し背を丸めている姿は、超大型犬がしょぼくれている姿に凄く似ている。その姿を可愛いとは思わないが、友人と認めてくれたことは素直に嬉しい。
リーム王国の第三王子殿下の地位に就いている彼が、隣の国の伯爵家三男坊と縁を繋ぐことなどなかっただろうに、こうして言葉に出して惜しんでくれることは有難い。
「ギド殿下。卒業して夏がきたら南の島に遊びに行きましょうと、ミナーヴァ子爵に誘われているではありませんか」
ギド殿下はハイゼンベルグ嬢に婿入りして、リーム王国からアルバトロス王国に生活の基盤を移す。そしてハイゼンベルグ嬢はミナーヴァ子爵の侍女として、卒業後も仕えることが決定しているのだから、彼女の夫が誘われないということはあるまい。
「だが、あの誘われ方だと俺もきちんと数に入っているのか不安だ」
確かにミナーヴァ子爵のお誘いを受けた時、女性陣が中心となっていて野郎は少し外れた位置にいた。でも子爵のことだから、きちんと数に入っているし参加しなければ何気に彼女は気にするはず。
子爵は一度身内と決めると義理堅い人だし、周りを良く見ているから殿下が不安を抱えていることを見抜いている可能性もある。それに誘われていなくともハイゼンベルグ嬢からお誘いがあるのではないだろうか。
どこか冷たい印象を受ける公爵令嬢も、真面目で優しい人である。言葉を交わした数は限られるが、アガレス帝国から帰還する時や公爵閣下の命を受けて戻った時には『大丈夫か?』『祖父が迷惑を掛けてすまない』と短いものであるが、俺に気を配ってくれたのだから。
「大丈夫ですよ。それに学院を卒業したら会えなくなる、なんてことはないでしょうし」
ミナーヴァ子爵は俺たちが離れてしまうことを考えて、南の島に誘ってくれたのだろうか。彼女のことだから気楽に考えて物を言った可能性があるけれど……貴族女性が南の島に行けば日焼けするのは大問題だし、なにも考えていなかった可能性が高いな。でも、まあ、以前は海で泳げなかったので少々後悔しているので有難い話である。
「エーリヒが言うなら安心できる。まだ気が早いが、夏を楽しみたいものだな」
「ええ」
ギド殿下がにっと笑い、俺も笑みを返すと盛大に溜息を吐いたもう一人の友人がいた。
「お前ら二人は良いな……俺はセレスティアの鉄扇の暴力に耐えなきゃならん」
「む、それはマルクスがきちんと振舞えば良いだけの話だろう。ヴァイセンベルク嬢がマルクスに告げる言葉はなにも間違ってはいないぞ」
マルクスの言葉にギド殿下が片眉を上げながら苦言を呈す。一年の建国祭が終わった頃、彼は彼女から鉄扇攻撃を一番受けていた時期である。徐々に回数は減っているものの、マルクスの根っこの部分が変わらないために、今でも時折教室内に快音が響く。子爵曰く、夫婦漫才が始まったと言うがアレは単純に調教に近いものと俺は考えている。
「そうだが……やり過ぎじゃねえか?」
「マルクスが改めれば良いだけだ。卒業して騎士より位の高い近衛に入るなら、言葉使いと態度は十分に気を払わねばならぬし、周りをきちんと見なければならないぞ。まあ、俺の言葉に信用はないかもしれないが」
ギド殿下は一年生の二学期に盛大にやらかしている――演技だったが――から、人のことを悪く言えないと苦笑いを浮かべた。でも、間違ってはいないし、マルクスも腹を決めなければならない時期にきていることは分かっているはず。
「分かっている」
マルクスがむすっとした表情になる。まあ、男の子だから周りとは違うと反発したくなる気持ちも理解できる。
「なら、何故、実行しない?」
「それは……まだ学院生だから」
ギド殿下もマルクスも騎士となるべく育てられたからか、立ち居振る舞いが似ている所がある。なにか違うところを探すとすれば、王族と貴族ということだろうか。
凄く単純であるが、持って生まれた環境の違いは覚悟の違いに直結している気がするのだ。なにか、真面目な兄と駄目な弟の会話のようだと、微笑ましく見守ることにした。
「甘えだな、マルクス。もしかしてヴァイセンベルク嬢に構って欲しいのか?」
殿下がふと気付いたのか、思ったことをそのまま声にした。ああ、確かにそれなら納得できると俺も小さく頷く。いつも、いつも自分から鉄扇を貰いに行くような態度だし不思議だったのだが、今の言葉で腑に落ちた。
「なっ……ち、違うっ!!」
顔を一瞬で真っ赤にしたマルクスが俺たちに抗議する。割と大きな声だったので教室のみんなが俺たちに顔を向けたので、騒がせて申し訳ないと小さく視線を下げれば直ぐに興味は引いたようだ。
憎まれ口を叩いているが、幼い頃から付き合いがあったのだし思いが成就して良かった。ただヴァイセンベルク嬢は政略婚としか見ていないから、マルクスの思いが伝わる未来があるのか心配になってくる。
「マルクス、己の気持ちは言葉と態度で伝えなければ相手に届くことはない。気付いて欲しいからと言って、悪態であれば負の感情が生まれてしまう。完全に嫌われる前に改めた方が良い。友が悲しい顔をしている所を俺は見たくないから忠告しておく」
「…………」
「図星のようだな。染みついた癖を直すには時間が掛かるだろう。でも理解できたなら、悪いようにはならんさ。俺たちも手伝うから、マルクスは前を向け」
にっと笑うギド殿下。どうして一年生の頃に彼のような者がマルクスの側にいなかったのだろう。そうすればマルクスはもっと早く気付いて、ヴァイセンベルク嬢とも、騎士になる過程の距離も近くなっていたのではないだろうか。
「……すまん」
「気にするな」
手を伸ばしたギド殿下がマルクスの肩を軽く叩く。あれ、俺も巻き込まれていないかと首を傾げるが、ギド殿下もマルクスも悪い人間ではない。これから長く関係が続いていくなら良いのだろうと、照れ臭そうなマルクスの顔を見て俺も小さく頷いた。
「しかし俺とマルクスに婚約者はいるが、エーリヒはいないだろう。誰か良き人はいないのか?」
ギド殿下、話があっちこっちに飛び過ぎではないでしょうか。他人のことよりご自身のことを気にしてくださいと言いたいが、目の前の大柄な男は割と順調な道を歩んでいる。
「そういえばエーリヒに相手はいねえな。メンガー伯爵は縁談を持ってこないのか?」
片方の肩を上げたマルクスが不思議そうな顔になった。そうして大柄な男の二人分の視線が俺に刺さる。
「アガレスの件以降、縁談の話はきていますが……」
嘘を付いても仕方ないし、貴族の身の振り方を考えたり相談するなら、ギド殿下とマルクスならば適任か。ミナーヴァ子爵に同じことを相談すれば、彼女の一声でとんとん拍子で話が決まってしまいそうだ。
「俺は伯爵家の三男で、家督は兄が継ぎます。仮の話ですが、長兄になにかあったとしても次兄がいます」
俺がメンガー伯爵家を継ぐことはないだろう。もう就職先も決まっていると父にも告げてある。ハイゼンベルグ公爵閣下の差配と知り口を出す気はないようだ。兄たちにも話を通して問題ないと判断を仰いでいるし、お互いになにかあれば協力し合おうとなった。
「だが、名声は兄上二人よりエーリヒの方が高いだろう。伯爵殿から良き相手を紹介されてもおかしくはない」
確かに。親父は爵位の高い家と縁を繋げられないかと機会を伺っている気配がする。法衣の爵位を賜ることになっているから、お金の心配は必要ないのだが爵位が違い過ぎると生活感が全く違う。
親父は大丈夫かと心配になるが、今の所縁談を持ちかけられてはいない。機会があるのなら卒業前後であろうと踏んでいるので、それまでに逃げ道を作っておかないと危ない気がするので、公爵閣下に父親が暴走しかねないと相談しているから大丈夫なはず。
「貴族としての命令であれば受けますが、正直それで幸せな家庭を築き上げられるのか不安です」
幼い頃から結ばれていたならば、情が湧き愛も生まれるのかもしれない。ただ今からとなると家と家との関係や周囲の思惑が頭に浮かんで、相手のことを慈しむことができるのか不安である。前の記憶がある所為か、おっさんであろう俺と結婚する相手に申し訳ない気持ちもあった。
それに女々しいと言われるかもしれないが、結婚するなら幸せな家庭を築いて子供を儲け、年齢を重ね穏やかな晩年を過ごしたい。
「俺やマルクスとは立場が違うから、エーリヒがそう考えても致し方ないのか」
ふう、と軽く息を吐く殿下に苦笑いを浮かべる。俺の未来はどうなるのだろう、と教室へ視線を向けるとフィーネさまと視線が合う。へらりと笑う彼女に小さく頭を下げた。
「!」
「?」
丁度、五限目の授業が始まる予鈴が鳴って男三人組は自席へと歩いて行くのだった。