0829:宴の終わり。
搗きたてのお餅を頂いて、砂糖醤油に安倍川餅に、餡子餅、豆餅、よもぎ餅を楽しんでいたら、帝さまに大食漢であると断言された。確かに一度に五個のお餅を食べるのは、普通の女性だと量が多い方なのか。
美味しいし、滅多に食べられない搗きたてということで張り切ってお腹に収めたけれど、聖女の格好をしているから気を付けた方が良かったか。あと紅白の蒸かし饅頭も配っていると聞き、頂いた次第だ。古い和菓子店で売られている、手作り感満載のお饅頭に凄く形が似ていて味も美味しかった。
――翌朝。
ベッドではなく畳の上のお布団で寝たのは久しぶりだと背を伸ばすと、しずしずと朝の支度を始めようとみんなが借りている部屋に入ってくる。
雪さんと夜さんと華さんは帝家の皆さまと過ごすと言って、ここにはいない。ロゼさんとお迎えに行くので時間に遅れてはいけないと、ソフィーアさまとセレスティアさまにフソウの女中さんの手を借りて聖女の衣装を纏う。
「ありがとうございます」
着替えを手伝ってくれた方々に軽く頭を下げておく。
「礼は必要ないのだがな」
ソフィーアさまが苦笑しているので本気で言っていない。彼女が本気の時は顔面凶器というか……視線で相手を射殺せるレベルのものが投げられる。なので今の台詞は苦言程度のものであるし、優先度合いは低いもの。
「ナイらしいではないですか。フソウの方にも手を貸して頂いておりますし、今日はよろしいのでは」
セレスティアさまが小さく笑いながらソフィーアさまの言葉をやんわりと否定する。彼女も今回の件を重く受け止めてはいないし、子爵邸で私は侍女の方々に手を貸して貰うと最後にお礼を伝えているのは日常茶飯事だ。
頭を下げ過ぎてはならないが、お礼を述べた方が私に対する印象や心象が良い。前の人生の文化と価値観が色濃く残っている所為もある。生粋のご令嬢であるお二方は、侍女にお礼を伝える行為というものを見ると違和感を覚えるものらしい。
セレスティアさまは慣れてきている感があるものの、真面目なソフィーアさまはむず痒くて仕方ないのだろう。『すみません』と返せば『当主が謝るな』と彼女から言われるだけだし黙っておいた。
借りた部屋から外に出てジークとリンと合流しドエ城の長い廊下を歩いて行く。松の廊下とかあると面白いな、ときょろきょろしながら目的の場所へと辿り着いた。そこにはナガノブさまと九条さまが私たちを待ってくれている。
「みなーばぁ、よく眠れたか?」
「はい。十分に」
ナガノブさまが良い顔で私に問いかけ答えておく。二人の横でエルとジョセとルカとジアも待ってくれていた。昨日はナガノブさまたちフソウの面々が代わる代わるエルたちの背に乗ってヒャッハーしていた。
セレスティアさまが乗馬――で良いのかな――を楽しんでいる男性陣に微妙な顔で佇んでいたのだが、彼女の心情は『羨ましい』の一言に尽きるのだろう。エルたちと仲良くなったお陰なのか、厩の馬さんたちの食事改善や運動量の調整もなされるようで、フソウのお馬さん事情が良くなると良いのだが。
「帝家には九条が一緒に赴くので、連れて行ってやってくれ」
「承知致しました。九条さま、よろしくお願い致します」
ナガノブさまから九条さまへ視線を移すと、九条さまが半歩前に出る。
「本日は案内人として同行させて頂きます。こちらこそ、よろしくお願い致します」
恭しく頭を下げられると、私の影の中からロゼさんがぴょーんと勢い良く出て、地面を転がっていく。慣れていないフソウの面々はぎょっとしているし、ナガノブさまと九条さまは『真、不思議な生き物よ』『ですねえ』と呑気に構えてる。
「ロゼさん。転移よろしくお願いします」
『ん!』
私の下に転がりながらきたロゼさんは身体を器用に縦に伸ばして、分かったと言いたげに左右に身体を何度か揺らした。
エルたちはドエ城で待ってくれているそうだ。その間はナガノブさまが彼らをもてなすとのこと。楽しんでいるようでなによりと笑えば、ロゼさんの下に魔術陣が現れて帝家に転移する。そういえばロゼさん詠唱していたかな、と首を傾げるが既にロゼさんは影の中に戻っていて聞けなかった。
「帝がお待ちしております。こちらへどうぞ」
帝家の大門の前に辿り着くと、係の方が声を掛けてくれる。私の存在は知れ渡っているので、顔パスで通り抜けることができた。そうして帝さまのプライベート領域に入り、何十畳もある部屋へと案内された。少し待っていると帝さまと雪さんと夜さんと華さんとヴァナルと五頭の仔たちが一緒にやってくる。
一晩、アルバトロスに行った話をしていたのだろうか。恥ずかしい話が伝わってなければ良いのだが、長く生きた雪さんたちの価値観はおっとりとしているものであった。ぽろっと帝さまの子供の時の話を零していたように、私の粗相が帝さまに知られていれば頭を抱えなければならない。
「おはようございます、みなーばぁ、アルバトロスの面々も」
「おはようございます」
帝さまに頭を下げると、籠から出ていた仔たちが私の下へ駆け寄ってくる。五頭が群がると身体を倒れないように維持するのが大変だ。仔たちはクロに遊んで貰いたいようで、必死に私の脚を登ろうと試みていた。クロはクロでベロベロ攻撃が苦手で、不戦敗を喫している。
相手をしてあげてとお願いしても、五頭全員は無理! と顔を隠しながらくるりと体の向きを変え、長い尻尾を私の首に巻きつける。竜なのに……と零すと『竜でも敵わないから』とぺしょんと頭を下げている姿が可愛いから良いけれど。仔たちはヴァナルに回収されて、みんな籠の中に納まった。
「さあ、少し遅くなりましたが朝食に致しましょう。皆さまの口に合うと良いのですが」
帝さまがパン、と手を叩くと障子の扉が引かれて、膳を持った方々が私たちの前に置いてくれた。朝食なので至ってシンプルなものだけれど、朝から焼き魚の鮭とお味噌汁とお漬物と銀シャリさまを用意するのは大変だ。
賄い方がいらっしゃるから帝さまが作るわけじゃないけれど、自分で作るとなれば大変である。作ってくれた方々にも、命を捧げてくれた食物にも感謝をしながら――。
「――いただきます」
とみんなで声を上げてお箸を取る。クロにはフソウの果物が用意され、乱切りされた柿がお皿に盛られていた。良かったねえとクロを見ると、初めてみる果物に興味があるようでじっと見つめている。
甘くて美味しいよと伝えると、どうやら柿をじっと見ていた理由は味ではなく、お皿の上に脚を乗せるとお行儀が悪いからと気にしていたようだ。持っていたお箸を置きカットされた柿をひとつ手に取って、クロの口元にあてるとかぽっと開いた口に丸呑みされる。クロが何度か咀嚼して、ごくりと柿を飲み込んだ。
「美味しい?」
『美味しいよ~』
私の問に目を細めながら幸せそうに食べているクロが味を答えてくれる。帝さまが胸を撫で下ろし、フソウの護衛の方々もホッとしていた。
果物って、当たりはずれがあるから、クロが食べている柿は当たりを引いたようだ。私もお箸を持ち直して、焼き鮭にお箸を入れて身を崩し箸で身を取って口に運ぶ。本当は汁物から手を伸ばすらしいのだが、帝さまから好きに食べて良いと言って頂いているので、一番初めに興味を引いた焼き鮭を選ばせて頂いた。
「美味しい」
ふふふ、と自然と笑みが零れた。お醤油を差すと味が濃くなるし鮭の味が消えてしまうと、お皿の隅にお醤油を数滴垂らして味を楽しむことにする。
銀シャリさまを口に運んで咀嚼すれば、だんだんと甘みが引き立ってくるし、お米の粒もしゃきっとしていた。南の島で取れたお米さまとはまた違う味だし、日本のお米の味はフソウのお米の方が近いし美味しい。秋頃に大蛇さまから『米ができたぞー』と連絡が入って、収穫をお願いしているから引き取りに行くか、運んで貰わないとなあ。
そうしてお味噌汁のお椀に手を伸ばして、一口二口とお汁を飲む。鰹出汁を使っているし、お味噌も薄くも濃くもなく丁度良い塩梅で大変美味しい。お豆腐さんもわかめさんも美味しいし、極上のものを使っているのだろうなあと目を細めていると、帝さまが恥ずかしそうに口を開いた。
「お味噌は私が作っております。お味は大丈夫でしょうか?」
「美味しいです。優しい味がするので私は好きです」
お椀を置いて帝さまを見ながら答えると、嬉しそうに笑う彼女。どうやら呪いの刀問題が片付き元気になったから暇を持て余して、お味噌作りに挑戦したそうだ。周囲の方々は止めたものの、大巫女さまと一緒になって作ったとのこと。指導してくれる方もいたそうで、味に自信はあるけれど国外の人に合うのか心配だったらしい。
「みなーばぁは凄く美味しそうに食べますよねえ」
帝さまの言葉にうんうんと納得しているフソウの面々。美味しいのだから表情に出ても致し方ないし、仏頂面で食べていると料理長さんたちが心配そうな顔でこちらを見るのだ。
口に合わないものや好みでないものは、子爵家の料理長さんたちには正直に伝えている。有難い配慮だから感謝しているけれど、そんなに表情に出ているのだろうか。こてん、と首を傾げると帝さまがおかしそうに笑った。
「貴女はそのままで良いのでしょう」
またくすくす笑う帝さま。表情を操作するのは難しいし、美味しいのは事実だから彼女が仰った通りそのままで良いのだろう。あとは場所に依って、顔を引き締めていられるのならある程度の場面は乗り越えられる。
朝ご飯を終えて、雪さんたちとヴァナルと五頭の仔たちの未来を話し合い帰途に就く少し前。
ドエ城で見送りにきていたナガノブさまと帝さまの前で、籠の中から出ていた仔たちの一匹である黄色ちゃんがとある武士さんの足元におしっこを引っ掻けた。しかも割と凄い量を……足袋に草鞋だから染みるのは直ぐだったし、粗相をしてしまったと私は顔を青くする。謝ろうと一歩を踏み出そうとした時だ。
『ナガノブ』
『その者を徹底的に調べ上げなさい』
『叩けば埃が沢山出ましょう』
雪さんたちが声を上げナガノブさまが『はっ! その者を捕えよ!』と声を上げる。帝さまがお恥ずかしい所をお見せしましたね、とにこりと笑い、武士さんが回収されていく姿を隠した。彼ら曰く、神獣さまは悪いことをしている人は臭いでなんとなくわかるので、お仔たちもおしっこをして知らせてくれたのだろう、とのこと。そんな馬鹿な、と思いつつフソウ国内のことだから口は出せないと別れの言葉を告げ越後屋さんに立ち寄り、アルバトロスへと戻るのだった。