0814:真ん丸衛星。
――夜空に浮かぶ大きな衛星が真ん丸に輝いている日だった。
その日のお昼から雪さんと夜さんと華さんの様子がちょっとおかしい。産箱の中をくるくる回って、穴を掘るように前脚で床を掻き掻きしている。ヴァナルもなんだか落ち着かない様子で、雪さんたちの様子を見守っていた。
あーこれはそろそろ出産なのかなと、子爵邸の皆さまにお知らせをして夜を迎えて随分と時間が経った頃である。子爵邸に住んでいるとはいえ、雪さんたちは自然に生きる生き物だ。見られるのは不味かろうと産室を気にしつつ、いつも通りに過ごしていたのだけれど、ヴァナルからお呼びが掛かり産室へお邪魔することになる。
ウロウロと産箱の中を忙しなく動く雪さんたちは、鼻を鳴らして陣痛に耐えている様子だ。産箱の端に腰を下ろして大丈夫だろうかと、ヴァナルとクロと一緒に雪さんたちを見守る。ロゼさんも私の影から出てきて彼女たちを見守っているのだが、副団長さまからお産がどのようになされるのか見て欲しいとお願いされているそうだ。『ハインツに報告する!』と気合の入っているロゼさんのつるつるボディーを撫でながら、私の目の前にやってきた雪さんたちが腰をぽすんと降ろし、産箱の返しの上に顔を並べた。
彼女たちの頭を撫でていると、痛みがぶり返したのかまたウロウロとし始める。見ていることしかできない私は無力だと痛感させられると同時に、生き物って凄く神秘的だと実感する。
『落ち着かない……』
クロは私の肩の上で、いつもより脚に力が入っていた。ぎゅっと握り込まれた脚の爪が服に食い込んでいる――不思議と痛くはない――のでクロも緊張しているようだった。
「私も落ち着かないよ、クロ」
私も私でさっきから落ち着かない。いつ産まれてもおかしくない状況だし、雪さんたちに頑張れと言うしかない無力感に自然と手に力が入る。
『大丈夫カナ?』
ヴァナルも私たちと同じで落ち着かない様子である。私の膝の上に顔を置いて鼻を鳴らしたり、立ち上がって雪さんたちと一緒に歩いたりと忙しい。
ジークとリンは私の部屋で待機している。私が寝ずの番をすると知り、産室には立ち入らないけれどなにかあった時に直ぐ動けるようにと手を挙げてくれたのだ。問題が起これば、亜人連合国領事館に直ぐに連絡を入れられる状態だし、フソウにも一報を入れる予定である。
「雪さんたちと産まれてくる仔の力を信じよう」
ヴァナルの言葉に返事をしたものの、自分に言い聞かせているようなものだった。子爵邸で住み込みで働いている方たちも気になっているし、屋敷に遊びにきている妖精さんたちも気になるようで部屋で見守ってくれている。庭でもエルとジョセ、ルカとジアが眠らずに起きてくれていた。
そうして日付が変わる頃。
眠りに落ちそうになっていた私の耳に『パシャ』と水が零れる音が届いた。あ、破水したと顔を上げると、絨毯に染みができているのを確認できたと同時、血生臭さが鼻孔を刺激する。始まったな、と立ち上がり侍女さんにお湯を準備して頂くように伝え、産箱の中で落ち着きなさそうにくるくる回っている雪さんたちに視線を落とす。
鼻を鳴らす音となんとも表現し難い痛そうな声を聞くこと暫く。
ようやく一頭目が顔を出していた。頑張れ、と心の中で叫びつつ見守っていると顔と胴体の半分が空気に触れ、雪さんたちは腰を下ろして仔に張り付いた羊膜を舐めて鼻先を露出させていた。
教えてもいないのに本能で理解して行動を取ったようだ。手で引っ張り出すこともできるけれど、なるべく人間の手を掛けない方が良いだろうと見守るのみ。ぐっと握りしめている手に力が入っており、手のひらに爪の跡が付いているのはご愛敬。
「一頭目……! ヴァナル、産まれたよ!」
まだ一頭目だけれど、新たな命が産まれた感動はなにものにも代えがたいものである。父親になったヴァナルに顔を向けると、目を点にして小さな命をじっと見ていた。
『……小さい』
雪さんたちが何故か産まれた一頭目を口に咥えて私の前にそっと置くと、また産箱の中を徘徊している。良いのかな、と少し迷って小さな命を綺麗な布で包み、残っている羊膜をふき取る。
私の手のひらサイズしかない赤子はまだ眼も開いていないけれど、脚を懸命に動かして母親の乳を求めている。ピーピー鼻を鳴らしてお腹が空いたと訴えている姿に笑みを零し、個体識別ができるように赤い紐を首に巻き、今の時間をメモに取る。
「雪さん、夜さん、華さん、痛いかもしれないけれど……」
産箱の中に入って雪さんたちの下へ行くと、意図を組んだ彼女たちは寝転がってくれる。そうして一番良さそうな場所の近くに産まれたばかりの仔をそっと置くと、絨毯の上を這いながらおっぱいの下に辿り着く。仔のふやけている鼻先がおっぱいに触れると、小さな口を開けて貪りついた。
「とりあえず、良かった」
一頭目が産まれたことで産道が開いたのか、暫くして二頭目、三頭目も順調に産声を上げた。二頭目の仔には白い紐を、三頭目の仔には黄色の紐を首に巻き、お乳を吸わせて安堵する。
まだお腹の中に子供が残っていないかと魔力を探れば、雪さんたちの魔力とは違うものを感じた。二頭はお腹の中にいるなあと目を細めて、ピーピーパーパー鼻を鳴らしている仔たちの合唱を聞いていると、四頭目、五頭目が産まれた。
四頭目の仔には緑色の紐を、最後に産まれた五頭目の仔には青色の紐を首に巻いておく。五頭とも元気にお乳を飲んでいるし、外観からは問題は感じ取れない。仮に内臓や骨格に問題があっても魔術で治癒を施せば、ほとんどの場合は解決できる。逃れられないのは、仔自体が『死』という運命を持っている時だけだ。
雪さんたちのおっぱいを必死に飲んでいる産まれたばかりの命に目を細める。
『良かったねえ。おっきくなってくれるかな?』
『大きくなる。ヴァナルと雪と夜と華の仔だから』
こてんと首を傾げたクロとヴァナルが微笑ましそうに話している。そういえばヴァナルって元のサイズになると、十メートルを軽く超えていくのだけれど……産まれた仔たちが大人になるとどれだけ大きくなるのだろう。
王都の子爵邸の庭は小さいし、子爵領に移ったら移ったで領民の皆さまが驚くだろうなあ。十メートル級のフェンリルとケルベロスのハーフの仔たちが、ばたばた駆け回っていればこの世の終わりと勘違いされそうだ。
今はまだ、よたよたと歩くどころか床を這っている仔たちだけれど、時間が経てば脚元も確りしてくるだろうし、上手くいけば人間の言葉も喋るようになるだろう。五頭産まれたなら、引き取り先も考えなきゃいけない。とはいえ、ヴァナルと雪さんたちの考えもあるから、私が勝手に決められないけれど。
「元気に育ってくれればそれで良いかな。というか、もう個体差があるんだね……」
三番目に産まれた黄色ちゃんが一番身体が大きな仔である。しかも、大きな体を生かしておっぱいの位置は一番良い場所を陣取っていた。逆に身体の一番小さい赤色ちゃんは、一番おっぱいの出が悪い所でちゅーちゅー吸っている。なんだか弱肉強食の世界をマジマジと見ているようで切なさが湧いてきた。
『こればかりはねえ。でも無事にみんな産まれたみたいだからね。お腹の中に違う魔力はもう感じないんだよね?』
「うん。雪さんたちも全部産まれたって言っているし、大丈夫なはずだよ」
学院に赴くまで少し仮眠を取れそうだ。なにかあってはいけないと待機してくれていた侍女さんたちも寝ていないし、いったん部屋を出て報告をしにいかなければ。あとアルバトロス上層部と亜人連合国とフソウにも連絡の手紙を認めて、みんなでお祝いしないとね。
『雪も夜も華も頑張った。お疲れさま』
ヴァナルが産箱の中に入って行き、雪さんたちと寄り添う。おっぱいをお腹いっぱい飲んだ仔たちは、そのまま眠りに就いていた。
侍女さんにお水を三つ用意して頂き、雪さんたちの前に差し出すとゆっくりと水分補給を始め、お腹空いたと聞けば私の魔力を割と多めに吸い取った。産後の肥立ちが悪いといけないので、構わないけれど。
「さて、みんなに伝えてくるね」
もうすぐ夜が明ける時間だが、起きている人もいるので事情を伝えようと立ち上がる。
『お願い致します』
『皆、喜んでくれましょうか?』
『元気に育って欲しいものです』
割とみんな歓迎ムードだったし、フソウの面々は気が気じゃない手紙をこちらへ寄越してくれていたから、喜んでくれるだろうと、簡易的に書いた手紙を侍女さんたちに預ける。ジークとリンも仮眠を取った方が良いだろう。私も少し眠いし。あ、個体識別と産まれた時間を記したのは良いけれど、報告に出すのを忘れたなあと眠りに落ちる寸前で思い出したのだった。