0812:昼下がり。
――会談の次の日。
聞いた話によると、尋問後のルグレ少年は凄く素直だったとか。
尋問部屋から出てきた直後は泣き腫らした顔だったと小耳に挟んだ。一体何をしたのだろうと、公爵さまとダリア姉さんとアイリス姉さんとロゼさんになにをしたのか聞いてもだんまりだし、内容はさっぱり分からないままだった。
でも、みんなが話したがらないのならば碌な内容ではなかったはず。知らない方が幸せな場合もあるし、これ以上突っ込むのは止めようと直ぐに話を切り上げたのだった。
で、尋問の成果は……。
黒い竜が逃げた先は分からないが、ルグレ少年に近寄った理由は彼に話していたようだ。曰く、たまたま話しかけられたから魔術を教え込んだだけらしい。
出会った先が路地裏で血生臭かったと言っていたから、『堕ちた竜』の話を聞いていた私はまさか……ねえ……と勘繰っている。事実は分からないし、竜が人を食べたとしても裁ける法律はない。逆に人間が竜を殺しても法的に裁けはしないが、なにもしていない竜であれば亜人連合国の皆さまが怒り、悪い竜であったならば同胞が申し訳ないと詫びを入れる。
竜が人を食べることを法により裁けるかどうかは、各国の判断となりそうだった。まあ竜を捕まえられるなら、という条件付きだろうけれど。
黒い竜は方々を転々としているらしい。五百年以上生きた記憶があり、最近は人間とつるんでいるので人間に忌避感はないそうだ。暇だったから南大陸から東大陸へと渡り、共和国をウロウロしてルグレ少年と出会う。魔術を教えるのは初めてだったが、ルグレ少年に才能があり直ぐ覚えられたとのこと。
副団長さまから聞いた話では洗脳の程は微妙だったと聞いたので、ルグレ少年に才能があったのかは疑わしかった。今更だが、ルグレ少年が黒い竜や私と出会わなければ此処まで話が拗れず、プリエールさんと手に手を取って差別を解消する道もあったのではないかと詮無いことを考えてしまう。
黒い竜がつるんでいる人が凄く怪しい気がするけれど、南大陸に赴くには竜の方々の背に乗って移動する方法しかない。アルバトロスと外交している国もないので、乗り込むと『侵略者』と捉えられそうなので、竜の皆さまと南大陸へ乗り込む話は保留となっていた。
ベリルさまが黒い竜を追いかけて行った方角は南と聞いているし、南大陸が怪しいのかなあとアルバトロスの晴れた青空を子爵邸の自室のベランダから眺める。
庭ではエルとジョセとルカとジアが家族仲良く駆け回っていた。庭師の叔父さまがトレードマークの麦わら帽子の鍔を持ち、微笑ましそうに彼らを眺めている。子爵邸は今日も平和だった。
『良い天気だねえ、ナイ』
クロが私の肩の上で声を上げた。季節は秋。夏の暑さが随分とマシになっていた。
「良い天気だねえ。今日のお昼ご飯はなにかな?」
もやもやしている気分を打ち払うように、今日のお昼ご飯はなにだろうとクロに問うてみた。竜である彼に聞いても意味はないけれど、話に乗ってくれるのでクロとご飯のメニューに関して良く話している。
『なんだろうねえ? 料理長が作るから、きっと美味しいよ』
「うん」
クロの言葉に同意した。料理長さんと料理人さんが作るご飯は本当に美味しい。子爵邸で働く方々の話が外に伝わったのか、子爵家に届くお手紙の中には料理のレシピを教えてくれと真面目な話の中に紛れ込んでいるとか。
私は料理長さんたちとフィーネさまとメンガーさまの許可があれば、みんなに知って欲しい気持ちがある。ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまは、今はまだその時期ではないと考えているようで渋い顔をしている。
尤も、突然舞い込んだ手紙だから無視を決め込んでいるけれど。私がお茶会や夜会を開くようになって、そこからゆっくり広まって行けば良いとお三方は考えているようだった。
こんこんと窓の縁を叩いた音に振り返るとリンとジークが立っている。
「こっちにいたんだね、ナイ。部屋の中にいなかったから少し驚いた」
「リン。ごめん、ベランダに出てたから」
彼女が小さな笑みを浮かべて私のもとに立ち、ぎゅっと抱きしめられる。
「ううん。お屋敷の中だし問題ない。私がナイの部屋にきた間が悪かっただけ」
リンが言い終えると、お尻の方へと片腕が回りひょいっと持ち上げられた。普通、こういう行動って男性が取るものだけれど……リンと私の場合、身長差があることと彼女が鍛えていることで苦ではないらしい。彼女の行動にそっくり兄妹の片割れであるジークが片眉を上げながら、口を開いた。
「もうすぐ昼飯だ。食堂に行こう」
どうやらお昼ご飯の時間になっていたようだ。侍女さんが呼びにこなかったのは、ジークとリンが役目を肩代わりしたのだろう。
「うん。リン、流石に恥ずかしいから部屋の外に出るときは降ろしてね」
「……善処する」
リンさんや。いつの間に政治家のような答え方を覚えたのでしょうか。彼女の言葉に苦笑いしていると、約束通り扉の前で下ろしてくれ自分の足で食堂を目指すのだった。
◇
――アルバトロス城・大会議室。
アルバトロス、亜人連合国、東大陸の共和国との官僚級会談が催されていました。私もアルバトロス王国、外務卿として参加をしております。今の今まで異能の力で日陰者でしたが、ミナーヴァ子爵さまのご活躍により、私にも光が当たるようになりました。
それはとてもありがたいことですが、数年前まで左遷部署と囁かされていた外務部でしたので少々問題が起こっております。――明らかに、外務部は人員不足に陥っているのです!
嬉しい悲鳴ではありますが、今から人材育成しようにも間に合わないものですし、他の部から人手を借りているものの、彼らは専門的に学んだわけではないので能力不足――手伝いにきてもらっているので、少々言葉が悪いですが――故に事務作業をお願いするくらい。
陛下と宰相殿に人員強化を嘆願しておりますが、左遷部署のイメージが強い所為でなかなか部署移動を願う者が現れてくれません。今いる人材でやり繰りしているのも、あと一年程度が限界ではないかと考えております。
ミナーヴァ子爵さまと懇意にしている、メンガー伯爵家のエーリヒ殿が優秀な気配をひしひしと感じ取り、学院を卒業する前に声掛けしたい所ですが……ハイゼンベルグ公爵閣下が可愛がっているらしいので、手を出すと痛い目をみそう……というか、見るのでしょうねえ。
交渉の持って行き方次第でしょうけれど、お仕事が忙しいので公爵閣下にお伺いを立てることすら叶わないのですが……。
と、仕事が忙しいからと言って現実逃避せず会議に集中せねば。外務部は左遷部署からアルバトロスの看板部署へと変わっているのですから。最近、アルバトロス城内で廊下を堂々と歩き、注目を浴びていることが嬉しくて、嬉しくて。
「魔術は術者の心得次第で、毒にも薬にもなり得るものです。アルバトロス王のご許可も頂けましたので、共和国の皆さまが学びたいのであれば我々魔術師団は協力を惜しみません」
魔術師団長が席を立って良い顔で言い切りました。彼は魔術師としては二流といわれておりますが、変態の巣窟である魔術師団の長を務められる者なので事務方として優秀でしょう。彼の息子のお一人は二年前に出世の道から外れてしまいましたが、北大陸のミズガルズ神聖大帝国で魔術師として学び得ることがあるだろうと奮闘中のようです。
「有難い限りです。我々が望むことは、治癒魔術を扱える者が増えることです。国内を探せば、魔術を扱える魔力持ちは必ず現れるはず……ですが、我々には魔力がどれほど宿っているのか判断できません」
東大陸には魔術が普及しておりません。共和国の方々は自国の発展を成し遂げようと必死なご様子。アルバトロス王国で魔術に頼らない場合は、祈祷師や藪医者に掛かるしかありません。彼らの様子を見るに、共和国の病気や怪我の治療はそれほど進歩していない可能性がありそうです。
そして今回の件をアガレス帝国が話を聞きつけて、問い合わせを受ける場合もあり得ます。今から立ち回り方をいくつか考えておくべきでしょう。
「アルバトロスの魔術師を派遣して、魔力を感知することは可能ですが効率が悪過ぎますな……難しい問題だ」
むう、と唸る魔術師団長。少々芝居のように見えるのは、表情があからさま過ぎるからでしょうか。まあ、彼も魔術師団副団長の影に隠れていた方です。今回、久方ぶりに表に立てて嬉しい気持ちは、凄く理解できるものです。援護をしておきましょうかと、小さく片手を挙げれば議長殿から発言権を得られました。
「教会を頼ってみては如何でしょうか? 魔力測定器を借り受けることができれば、共和国政府の皆さまが扱えましょう」
魔力測定であれば教会を頼るのが一番です。魔力測定器の原理は秘匿されておりますが、いくつか条件を付けられた上で貸出ならば可能でありましょう。こうなると聖王国も出張ってくるのでしょうか。なんにせよ、話の運び方次第で事が大きくなりそうだと議長へ視線を向けます。
「教会がどう出るか分からないが……ここで議論するより彼らに直接聞いた方が早いな。陛下の許可を求め、教会に聞いてみるか」
議長が小さく言葉を零して、部下の者に指示を出すと会議場から出て行きました。陛下の下へ行きお伺いを立て教会に話を持って行くのでしょう。話が大きくなってきていると、会議室に座す方々の顔を見回すのでした。