0805:黒い竜の行方。
プリエールと名乗った少女は真っ直ぐな子である、というのが私の感想だった。治癒の魔術をヴァレンシュタインに教わりたいと意気込んでいたが、流石に他国の者が勝手に決められない。
とりあえず、洗脳を受けていた聴衆はアルバトロスの魔術師によって解呪され、術を受けた害は殆どないとのことだ。術を施した子供の魔力の低さ故に影響が少ないのだそうだ。無辜の者に影響がなかったのは良いことだと共和国政府の者と話をしながら、共和国首都にある政府官邸へと戻っていた。
そうして今、魔力の概念が乏しい共和国政府内で、どう取り扱うか協議がなされている。正直、難航していると言わざるを得ない。私の産まれは竜であるので、扱えるものはブレスと己の牙と爪となる。魔法や魔術は基本的に操れない。だが知識として魔術や魔法を誰かに教えることは可能である。
人間は誰かから学びを受け、魔力を覚醒させ、そこから魔術を習うのだとヴァレンシュタインから聞いた。基礎魔術であれば魔力放出型の人間であれば大体が使え、あとは魔力量や各個人の才能で決まるとのことだった。
ヴァレンシュタインは目の前で執り行われている協議に助言役として呼ばれている。私も興味があったので同席を頼み許可を得ることができた。
会議場にいる共和国の各々は魔術の利便性に目を付け推奨する者もいれば、魔術の危険性を解いて反対意見を述べる者、どちらの意見でもない者たちが混在している。
大量の魔力を持ち得た者が強力な魔術を扱えるようになれば共和国政府は対抗手段がないと叫び、大量の魔力を持ち得た者が治癒を施せば多くの者が助かると声高に言う。どうやら新たな概念を受け入れるには難しい状況のようで、簡単に話は終わらないだろうと私の隣に座す、ヴァレンシュタインの顔を見る。
「代表殿。協議は長くなりそうですねえ」
「そのようだな。結論を急いで間違えた道に進むよりは良いことだが……」
竜やエルフのように長く生きることができるのであれば、じっくりと考えてもさほど問題はないが人間が生きている時間は短い。その間に才能ある者が魔術を受ける機会もなく、この世から去ってしまうのは惜しいと考えてしまうのは私の勝手な想いなのだろうか。
「答えを急ぐ必要はないだろう。我々がアルバトロス王国を頼ったのは、彼の者の暴走に対抗手段が欲しかっただけ。最大の難局は逃れている。あとは逃げたドラゴンの行方次第だ。また、誰かを捕まえて同じことを仕出かす可能性もある」
共和国で一番偉い者、大統領がちらりと私を見た。どうやら逃げた竜を我々と同族と捉え、彼が敵視していることに私が怒らないか心配だったようだ。
我々、亜人連合国に住まう竜は人間との融和を掲げている。魔力や魔術の概念がない国で、魔力がある者を探し魔術や魔法を教えるようなことはしない。おそらく黒い竜は一頭で行動していたのだろう。
人間と関わったのは単純に寂しかったのか、利用して面白おかしいことに仕立て上げたのか……なんにせよ、亜人連合国に所属していない竜と確定し、ハンベルジャイトが追跡している。詳細は直ぐに入ってくるであろうと、大統領に気にするなと視線で伝えるのだった。
協議が終わり、来賓室で休憩を取っていると、脇腹を抑えながらハンベルジャイトが戻ってきた。
「若、申し訳ありません。黒い竜に逃げられてしまいました」
彼の者が見定めた相手を取り逃すなど珍しい、と何故逃したのか理由を聞く。
「追跡自体は順調でした。しかしある地点に赴き私が街を背に負っている状況になると、相手が突然巨大化してブレスを放ちました。避けることは可能でしたが、ブレスの先は街でしたから」
なるほど。黒い竜は我々が人間に加担していると判断して、小狡い手を使ったようだ。ハンベルジャイトが逃げられないことを理解した上で、ブレスを放ったのだろう。
「まさか、怪我を?」
竜の姿であったなら、防御は自身の身体で受けるしかない。人化していれば、エルフたちから習った魔法を少しばかり使えるのだが……エルフのように魔法に長けてはおらず、ダリアとアイリスからは扱いが下手糞だと毎回言われている。魔力を無駄に注ぎ込んでいる上に、威力調整が大雑把と評されている。
「少々。ですが、大したものではありません。上手く事が運べばあの子に治療して頂けるでしょうし、名誉の負傷……とは言えませんか。再度になりますが、逃してしまい申し訳ありません」
「誰も君を責められんさ」
共和国は自前の力で黒い竜を追うことは不可能だった。アルバトロスは今回は黒い竜を目的としていない訪問で、ある意味部外者である。共に行動しているので情報は知れ渡るだろうが、黒い竜を逃したハンベルジャイトを責められまい。
「公式の場ですし、ご衣装が白を基調としているので目立ってしまいますよ? 治癒を施せる部下がいますので連れて参りますね」
「そうだな。せめて血止めくらいはしておくべきだろう」
笑みを携えたままのヴァレンシュタインが部下を呼び、私は微妙な顔になっているハンベルジャイトに苦笑しながら告げた。
「少しですが黒い竜と言葉を交わすことができました。どうやら共和国には暇潰しに赴いたようです」
面白くもなんともなかったし、食べた人間も不味いと…………人間を食べたのか。
人間を食べた竜は何故か悪に染まってしまうと、ご意見番から聞いたことがある。理由は分からないが、邪竜と呼ばれる存在となるのだとか。
亜人連合国から出る機会が少なかった上に、人間を食べようなどと微塵も考えたことがなかったので、本当にそんな同族がいるのか不思議であった。
だが黒い竜を見た時に感じた嫌な雰囲気は、もしかすると人間を食したことによるものだろうか。ただ弱肉強食の世界で生きる者としては、個体の趣味嗜好にとやかく言うつもりはない。自身の信念や理念に相容れず相手が理解できないのであれば、力によって排除することもあり得る。
「主の下へ帰ると仰っておりましたねえ。首にうっすらと魔力の痕跡がありましたから、従属の術を施されているのでしょう」
ハンベルジャイトが小声で人間に術を施されている時点で小物だと囁いて直ぐ、彼の顔面が蒼白になった。
「………………小物に怪我を負わされた私は一体」
ずーんと肩を落とすハンベルジャイト。彼のこんな姿を見ることができるとは。いつも笑みを浮かべ誰に対しても物腰柔らかく接して、自身の心の内を隠しているのに。
「若、私はあの子に嫌われてしまうのでしょうか……無能、なんて言われた日には、もうあの子と会わせる顔がありません……」
そしてご意見番の生まれ変わりにも、と告げハンベルジャイトは両手で頭を抱え込む。長身の男が情けない姿を取っているが、ほぼ身内しかいないので構わないだろうと、彼の行動に口を出さない。ただ放っておくと妙な方向へ行きそうなので、とりあえず否定をしておかねばと口を開いた。
「あの子がそのようなことは言うまい。それより先に君の怪我を心配するだろう」
あの子は優しい子だ。失態を冒しても責めることはないし、次に取り返せば良いと言うはずだ。――しかし。
「今回の件は黒幕がいると判断しても良さそうだな」
黒い竜はある程度自由に行動しているが、従属の術を施されているなら主の命には逆らえまい。今回、共和国にやってきた目的がただの娯楽であり、人間を食べるためだったのならば共和国政府にも伝えておかなければ。
「そうですね。黒い竜を見つけることも先決ですが、主がいるのならば術を施した者も見つけませんと……」
落ち込みから少し立ち直ったハンベルジャイトが私と視線を合わせ、もしかして空飛び鯨と黒天馬を襲った者ではと付け加えると、同席していたヴァレンシュタインが興味深そうに右手を顎に当てた。
「その可能性も捨てきれませんね。しかし……竜を従える人間、ですか。僕の興味だけで言葉を発して良いのならば、どんな魔術師なのか凄く関心があります。とはいえ……幻想種を従えるなど一体どうやったのでしょう?」
彼があの子の家で保持している魔術書には、それに近しいことが記されていたそうだが、共生に近い契約魔術であり従属とは違うものらしい。
「確か古代人と呼ばれる方々は幻想種や魔獣を従えたと聞き及びます。古い著書でも残って解読ができれば可能ですし、同じものが存在している可能性も否定できませんね、若」
私とハンベルジャイトの会話を聞いていたヴァレンシュタインの目が大きく開かれた。
「………………もしかして黒幕であろう魔術師は古代の魔術書を開くことができた?」
なにか思うことがあったようで、先ほどのハンベルジャイトのように頭を抱えている。部下たちにどよめきが走り、どうしましたか副団長! と彼に駆け寄っていた。
「魔術師として僕は負けているのですね……古代から伝わる魔術書を僕は開くことができませんでしたから。嗚呼、アルバトロス一の魔術師などと名乗れません」
「副団長! 貴方は凄い魔術師です! 攻撃に関してならば貴方を超える者はいませんよ!」
「ええ! 時々変態的な発言をしますが、どうにか常識人の範囲で収まっているではありませんか!」
部下の者たちがヴァレンシュタインを慰めているようだが、果たしてそれが慰めの言葉になっているのか謎だ。
「はっ! いつも我慢している葛藤を捨て去れば、僕は更に魔術師として大成できる!?」
「だ、駄目ですよ、副団長! 国から研究費を頂くために我慢しているのでしょう!?」
「そうです! 副団長が本気を出したら不味いことになってしまいます。まだまだ人間の枠でいて頂かないと!」
人間でいることを首の皮一枚で繋がっているように思えてならないが……この混沌とした状況をどう打開すれば良いのだろうか。
「……」
「……魔術師は本当に変態なのですね」
黙ったまま彼らのやり取りを見ている私の横で、ハンベルジャイトがぼそりと呟くのだった。