0076:青空教室。
2022.03.31投稿 1/2回目
リンと同じベッドに寝たのはいいけれど、抱きしめられた腕に締められ――魔力で肉体強化されて抜け出せない――息苦しさで目が覚めた、数日後。
伯爵さまと面会すると言って、ジークとリンは王都にある伯爵邸へと向かった。いつも三人で一緒にいるが、こればかりは一緒に行けないのでお留守番である。手持ち無沙汰なので、教会に併設されている孤児院へと赴いて、子供たちの相手をしている。
「聖女さま!」
久方ぶりに姿を見せた私が珍しく感じたのか、子供たちがわらわらと寄ってきていた。時折、お菓子を持っていくこともあるから、それを狙っている可能性の方が高いけど。
「どうしたの?」
一人の子が手を取って私を見上げる。
「前みたいに文字を教えてっ!」
どうやら文字を覚えることに意欲的になってくれたようだ。王国内の識字率はお世辞にもよいとは言い難いので、覚えて損はない。
子供たちの中に将来天才に育つ可能性だって捨てきれないし、そうならなくとも役に立つものである。
「わかった。外に出ようか」
「やった!!」
子供に手を引かれて孤児院の横にある小さな庭に出る。庭といってもなにもない空き地のようなもの。適当に拾ってきた枝を筆代りに地面に文字を書く。
王国の文字なんて全く読めなかった幼き日、貧民街の大人に聞いても読めない人が殆どを占めていたから、街中から聞こえる声と看板の文字とにらめっこをよくしていた日々が懐かしい。
「ナイ、どうしてここに?」
地面へしゃがみ込んで子供に文字を教えていると影が差す。聞き覚えのある声に顔を上げると同時に立ち上がり、礼を執る。
「ごきげんよう、ソフィーアさま。――すぐそばの教会宿舎で寝泊まりし、時折こちらの教会に顔をだしております故に」
突然、簡素ではあるが身なりの綺麗な女性が現れて子供たちが驚いているけれど、ソフィーアさまは気にしていない様子。なら、子供たちの相手よりも彼女を優先させる方がいいだろうと言葉を紡いだ。
「そうだったのか。祖父が支援している孤児院だと聞いて慰問にきてみたが、こんなこともあるのだな」
ふ、と短く笑う彼女の笑みは、以前とは変わり穏やかなものになっている――気がする。
「?」
「笑ってくれて構わんぞ。白紙になって王子妃教育を受けなくて済むようになったからな、時間が余って仕方ない。力を持てば私のやりたいことが叶うと考えていたが……」
「考えていたこと、ですか?」
「ああ、いやすまない。大したことではないんだ。お前のように、小さなことからでもやれることがあると気付かされただけさ」
少し要領の得ない言葉に、彼女の言いたいことは何だろうと考える。
「はあ」
彼女は王子妃教育を受ける為に学院が終わった後、足しげく王城へと通っていた。そうして数週間前の第二王子殿下による婚約破棄劇で、八歳の頃から結んでいた婚約が白紙へと戻る。
彼女が国外の高位貴族に嫁ぐことはないだろう。王子妃教育を受けていた身だから、アルバトロス王国の内情に詳しい人を外に出すなんて、王家が許さないし王家へ忠誠を誓っている公爵家も国内のお貴族さまへ嫁がせることを考えるはず。
「気にしないでくれ。――さて、文字なら私も教えることが出来るが、何故地面に書いているんだ?」
「紙を使うのはもったいないので。ここならばタダで文字が書けて消すこともできますから」
黒板とチョークは高価だから用意できる訳もなく。地面になら誰にも咎められることなく書けるので、ここで青空教室を開いている。
ソフィーアさまには屋外で座学を受けることが意外だったようだ。まあお貴族さまだから、仕方ないともいえる。
「む。――そうだったのか、無知で済まない」
頭を下げることはないけれど、お貴族さまが謝罪を口にするのは珍しいのだが、別に謝る必要もないような。
生真面目な所があるよね彼女、と苦笑して適当に拾った枝を渡すと地面へとしゃがみ込み文字を書き始める。突然現れたどこの誰とも知らない女の人に戸惑っていた子供たちは、どうすればいいのか迷っていた。
「こっちにおいで」
手招きをしてソフィーアさまが書いた文字を指差して、一人の子供に読めるか聞いてみる。少し考えた末に正解をだした子の頭に手を置いて褒めると、無邪気に笑って次の問題をと強請られ。
ソフィーアさまと子供たちに私とで暫く文字を地面に書きながらやり取りをしていたのだけれど、子供たちは飽きてしまったのか気ままに遊び始めていた。
「無邪気だな、子供は」
まだ十五歳で成人していないのだから、私たちも子供である。ただ背負っているものが、他の人たちより少々重い立場の人間だった。
「ええ、本当に」
「今日、ここに来てよかったよ。――時間は掛かるかもしれんが、お前には見ていて欲しい」
「何をですか?」
ソフィーアさまが何が言いたいのか分からず、質問で返してしまった。失礼にならなければいいのだがと、彼女の顔を見る。
「そうだな、私が貴族として立派に振舞えているかどうか、かな」
またしても要領の得ない彼女の言葉に首を傾げると、私を見ながら片手を腰に当てて奇麗に笑う姿に見惚れて。
「私には目指すものがある。――取り敢えず、それだけ知ってくれていればいいさ。ではな」
じゃりと革靴の音を鳴らして、颯爽と帰っていくソフィーアさまの背中をただ見送ることしか出来ない私だった。
――あ、教室からいつの間にか居なくなっている緑髪くんと紫髪くんのこと、聞くの忘れた。