0075:就寝。
2022.03.30投稿 2/2回目
木で出来た扉を二度ノックするけれど、返事はない。仕方ない、勝手に入るかとドアノブに手を掛けて回すと蝶番の軋む音。
普段よりもゆっくりと開けた扉の先、真っ暗な部屋の中にベッドの上がこんもりと盛り上がっているのが、暗闇にまだ慣れていない目でも見ることができた。
「リン、入るね」
「……」
沈黙を保ったままだけれど、寝てはいないようだ。私の声に反応して、こんもりとなっている掛け布団が少し動いたのだから。
「――座るよ、リン……よいしょっと」
ぎし、と私の体重でベッドが沈む音が鳴るともぞりと動く塊は沈黙を保ち布団の中に潜ったままで、出てくる気配がない。その姿に苦笑を浮かべる私は体をよじり、布団からはみ出ている彼女の頭に手を置くのだった。
普段から喋る方でもなく、私たちの会話を咀嚼するように静かに聞いていることが多い。部屋から出て行ってしまった気まずさもあるのだろう。
「正直、リンがあんなに怒るなんて驚いた。私は二人が伯爵さまの家の子になっても、離れるだなんて考えていなかったから……」
二人が伯爵さまの籍へ入れば嫌がらせのほとんどは止まるはずだ。聖女の護衛を続けるのならば、良い盾となってくれるだろう。
「私は伯爵さまの下へ二人が行くことが悪い話だとは考えてないよ」
伯爵さまに悪評や悪い噂があるならば『止めておけ』と公爵さまに忠告されるはず。それがないということは『個人』として問題ないのだろう。
「私の側に居れば学院でも……多分卒業してからも絡まれることが一杯あるだろうから、そういう意味でも伯爵の名前の恩恵は大きいだろうなって」
「…………」
リンの頭を撫でていた手をゆっくりと離して、もう一度口を開く。
「でも、それって私の勝手な考えに過ぎないから。――リンとジーク……二人で考えて答えを出さないとね。私は二人が出した答えならどちらでも肯定するよ。……言いたいことは言えたから、おやすみ、リン」
ベッドから立ち上がろうとした瞬間に私の袖口へとリンの手が伸びていた。それに気付いて中途半端になっていた腰をベッドへと戻して、布団から覗かせているリンの顔半分を見て笑う。
「どうしたの?」
「……ナイは、どこにも行かない?」
「どこにも行かないよ。――行くところもないからね」
お金はあるので生活には困らないけれど、住む所を新しく探すとなると大変だ。王都の平民が多く住む区域の賃貸物件はほぼ満室で、地方からの移住者が空き待ちをしていると聞く。
地方も地方で伝手がないと物件を探すのは難しいと聞く。だから今のままが一番なのだろう。孤児上がりの平民に、世間は優しくない。
王国を出て周辺国へ行くとしても旅券がなければ身元の保証ができないので、怪しい人物とみなされる。
「本当?」
「本当。――私はこのまま聖女として働くしかないからね」
私が学院の入学試験を合格できたのは前世の知識が役に立ったことと、公爵さまから寄越された家庭教師が優秀だったから。
王都で仕事を探すには親の家業や伝手がないと難しいそうだ。飛び込みで『働かせて欲しい』と営業をかけても門前払いがオチ。聖女として四年も働いているのだし、今更職を変える気も起きない。
「だから……どこにも行けないんだよ」
尻すぼみになっていく私の言葉が分からなかったのか、見つめるリンの紫色の目が細くなる。彼女は……リンとジークには自由でいてもらいたい。
私が王国から離れることはないだろう。自身が多大な魔力量を所持していることは理解している。
それを国や教会が利用しているのも、公爵さまに思惑があって後ろ盾になってくれることも。ソフィーアさまとセレスティアさまが私と接触しているのは、なにかしらの益があるからだと。
もちろんそれが全てではないことも理解しているつもりだ。
聖女として務めを果たし余計なことをしなければ、彼らは国へ忠誠を誓っている人間として裏切ることなく私の、私たちの生活を保証してくれる。
「ナイ」
「うん?」
体をずらしてベッドの端に寄り、布団を持ち上げたリン。
「こっちに来て……一緒に寝よう」
「珍しいね。ここ最近、そんなこと言わなかったのに」
「偶にはいいかなって。それに久しぶりだから」
リンの言葉に頷いて布団へと潜り込むと、彼女の腕の中にすっぽりと体が納まった。貧民街で暮らしていた頃、満足な寝床がなくて一緒に雑魚寝をしていたけれど、教会へ保護されてから歳を経ると部屋を分けたので、こうして一緒に寝ることは次第に少なくなっていた。偶にはいいかと、私の背に回った腕の温かさを感じながら、目を閉じる。
「おやすみ、ナイ」
「リン、おやすみ」
深い眠りにつくまで、そう時間は掛からなかった。