0596:過去と先の話。
2022.12.04投稿 4/4回目
夜。天幕の中は静寂に包まれていた。
簡易椅子にはソフィーアさま。私はベッドサイドに腰掛ける。クロは籠の中で大人しくしているし、ロゼさんとヴァナルは影の中へ消えていった。
リンは護衛として私たちの傍に控えている。――ソフィーアさまが私と話したいことがあると言って、対面しているのだけれどさてはてなにを言われるのやら。しっかりと私と視線を合わせているソフィーアさまだけれど、その感情はうかがい知れない。
「今更話すことではないが、知っておいて欲しくてな……時間を取らせてすまない」
ソフィーアさまは公爵家のご令嬢である。正確には孫娘だけれど、面倒だし訳が分からないことになりそうだから公爵令嬢で良いのだろう。ひょんなことから私の側仕えとなったのだが、公爵家のご令嬢だというのに平民出身の私を毛嫌いすることなく普通に接してくれるお方である。
その辺りは彼女の祖父である公爵さまに似たのかもしれない。公爵さまも平民どころか孤児出身の私の後ろ盾になってくれた気さくな方だ。筆頭聖女さまの件もあるかもしれないが、将来性の分からない人間をよく選んだものだ。
「気になさらないでください。休暇中で、時間はいくらでも取れますから」
忙しい日々だけれど、彼女と話す時間くらいは取れる。私的な話を交わしたのは数えるほどしかないのだし、ゆっくりと面と向かって話をするのは良い機会だろう。ティーカップ、というよりもマグカップを両手で包みながら持って微かに笑うソフィーアさまを見ながら彼女が切り出す瞬間を待っていた。
「ナイやジークリンデにとって聞きたくないことかもしれないが……――」
ソフィーアさまがゆっくりと穏やかな口調で話し始めたのだった。彼女がいうには、アルバトロスの第二王子と婚約したのはとある事件を目撃したことが切っ掛けだそうだ。幼い頃、ご両親と一緒に馬車に乗って王都の街を移動していた際に目撃した光景。馬車の前を横切った孤児に腹を立てた貴族が、切りかかった凄惨な現場。
あれ、と頭のなにかに引っ掛かる。馬車、孤児、貴族、切りつけ。それらの単語が随分と昔の記憶を思い出させた。孤児仲間を貴族に切られたこともあった。
その時は切られた仲間を抱えて、貴族に文句を告げるのが精一杯だったけれど。随分と無茶をしたものだ。自分も切られてもおかしくない状況だったし、周囲の目線を気にして見逃してくれたとしても、誰か使いを寄越して私を殺すことは簡単だったはずだ。今、生きていられるのは本当に運が良かったのだろう。
「あの時の光景を今でも忘れられないよ。見ていることしかできなかった自分に腹が立ったし、同じ年頃の子供がボロボロの姿で生きていることも信じられなかった」
ソフィーアさまが目を伏せる。住む世界が違っているのだから、信じられなくても仕方ない。お貴族さまなら、それもご令嬢ならば血なんて見ることもなかっただろうに。切り付け現場なんてものに出くわさなければ、今のソフィーアさまは居なかった可能性もあるのか。
本当に人の人生なんて少しのことで変わってしまうものなのだなあと感慨深い。彼女は乙女ゲームの悪役令嬢で、本来であれば第二王子殿下に惚れていた故に破滅の道を歩んでいた。
目の前にいるソフィーアさまが失敗することなんてあり得なさそうだけれど、乙女ゲームの結末もひとつの結果なのだろう。ただ、少しのズレで進む道が変わったのかも。乙女ゲームには私という存在はなかったそうだから、私も大きく影響しているのだろうか。
「切られた子供を抱えて、啖呵を切った子がいたんだ。ずっと私の中で残っていてな」
ソフィーアさまが伏せた目を上げて私を確りと見た。あれ……状況が凄く似通っている。でも、まさか。アルバトロス王都の貧民街の子供が死ぬなんて、多々あることだ。世情的に誰も気にしないし、気にしたところで得する訳でもない。だから貴族の人が気に留めることなんてあり得ないというのに。
「黒髪黒目の女の子だったんだ。――ナイ、お前だよ」
は、恥ずかしい。黒髪黒目は私以外に王都にいないはずだから、ソフィーアさまの断言は間違いない訳で。
あの時の私は仲間を切られたことに怒っていたけれど、既に心の整理はつけてある。まさかこのタイミングで掘り返されるなんて誰が思うだろうか。リンもリンで過去のあの話に微妙な顔になっている。とはいえ、見ていただけのソフィーアさまに怒りをぶつけるのはお門違いも良い所。
もう終わったことで、クルーガー家の手によって仲間を切った男はガレー船送りとなっている。……本当に終わったことだった。ただ、このタイミングでソフィーアさまが話を切り出したのかが謎である。
「理不尽なことが許せなくてな。一番手っ取り早く叶える方法が王族の末席に加わって、世の中の意識を変えれば少しでもマシになるかもしれないと考えたんだ」
ソフィーアさまが笑えるだろう、と自嘲した顔で言った。手始めに貧民街の状況改善や国営の保護施設などを考えていたそうだ。
ヒロインちゃんのお陰で、元第二王子殿下との婚約は白紙となって頓挫したとのこと。幽閉塔にいる彼は今頃どうなっているのやら。正気を取り戻してくれるといいけれど、難しいのだろうか。
「だが難しいな。子供が描いた絵空事を叶えるには、無理があると知ってしまった」
ソフィーアさまは子供心に、誰もが幸せであって欲しいと願ったようだ。でも現実で叶えるにはかなりの無茶が必要だ。地位があるなら社会主義でも唱えれば、一時的には叶うかもしれない。
現状を大きく変えるには多大なエネルギーが必要だ。人ひとりの力で叶えるには、かなり無謀だろう。でも、種を蒔くことならば。礎を作ることならばできるはずだ。花開くのは、ずっとずっと先かもしれないが、なにか行動に起こすならば無駄ではないはず。
「全員が幸せになる、というのは難しいのかもしれません。でも、誰かが動かなければ、気持ちも現状も変わりません。だからきっと、無駄じゃないし無理でもないはずです」
こういうことは小さいことからで良いのだろう。だって、文明が進んでも貧民街や孤児に棄民なんて世界には腐るほどいるのだから。日本が平和だから感知し辛いことだけれど、少し視点を変えれば不幸なんてどこにでも転がっている。戦争だってもちろんあるし、馬鹿な人が馬鹿を犯すことだってある。
「ありがとう、ナイ。話せて少し気が楽になったよ」
ソフィーアさまは真面目である。もしかして第二王子殿下との婚約が白紙になったことを悔いているのだろうか。
新たな恋に進めば良いと言える立場でもなく、彼女は公爵家のご令嬢である。家の利益で婚姻を結ぶだろうし、第二王子殿下との婚約だって公爵家と王家の都合だろう。生真面目なソフィーアさまの新たなお相手が現れるなら、どんな方が宛がわれるか分からないけれど、ソフィーアさまにはお世話になっているので幸せになって頂きたいものだ。
「ああ、そうだ。あとひとつ」
少しすっきりとした表情でソフィーアさまは、話を切り出した。
「?」
私は一体なんだろうと、頭に疑問符を浮かべながら彼女の言葉を待つ。
「まだ公表はされていないが、リームのギド殿下との婚約が決まった。二年後、私はリームに赴く」
あ、あれ。リーム王国でロザリンデさまとギド殿下が一瞬良い雰囲気を醸し出していたけれど、あれは一体なんだったのだろうか。
ま、まあ……恋愛に関してはド素人だから、他人さまのことに口を出す権利もない訳でして。ソフィーアさまは王子妃教育を受けていただろうから、国家機密とか知っているだろうに。そんな人を国外にお嫁さんに出して良いのだろうか。それとも彼女が裏切らないというアルバトロス王家からの絶大な信頼があるのか。お貴族さまや王族の婚約は訳が分からないと困惑顔でいると、彼女が椅子から立ち上がった。
「アルバトロスでできなかったことをリームで成し遂げるよ。それまではナイの側仕えを務める。あと二年と短いが……それまで、よろしくな」
随分とスッキリとした顔で私を見下ろすソフィーアさま。他国の第三王子殿下のお相手を務めるのは大変だろうし、あちらの国の文化や風習にも馴染まなければならない。アルバトロスの第二王子殿下の婚約者よりも難しい道を選んだのではないかと微妙な顔になってしまう。
――でも。
彼女が決めたならば、応援するしかない。ギド殿下の人となりは知っているので、問題は少なそうだ。しかしまあ、急だよねえと天幕で遮られた空を見上げる。漆黒の夜に溶けて、真っ黒な竜が空を飛んでいたことなど知らずに。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! ソフィーアさまがあああああああああああああああ!!!! ギド殿下にぃぃいいいいいいい!! 作者乱心。






