0591:【前】子爵のいない王都の面々。
2022.12.03投稿 3/4回目
ミナーヴァ子爵邸で働き始めてもう直ぐ一年。
あっという間の一年だったけれど、職場の人間関係にも恵まれているし、ご当主さまが提案している年に二回の『賞与』や『有給休暇』なんて他のお屋敷では聞かない制度が凄く良い。
小さな子供が居ればお屋敷の中に併設されている『託児所』に預ける事ができるし、施設の職員の方が文字の読み書きや簡単な計算も教えてくれるって。産前・産後休暇もあるし、退職の際には『退職金』も頂けるそうだ。孤児出身のご当主さまが、突飛なことを思いつくのが不思議だけれど、家宰さまや侍女頭さまが認めているので良案なのだろう。
騎士爵家出身の侍女だというのに、蔑む人もいない。友達と呼んでも良い同僚もいる。一年前はどうなるのか心配だったけれど、ずっと勤めたいと思えるお屋敷だ。
ご当主さまの傍には竜とスライムにフェンリルが侍り、子爵邸の中庭には天馬さまが過ごしている。お屋敷の隣は亜人連合国の方々がいらっしゃって、時折子爵邸に遊びに顔を出している。
最初こそ驚いたけれど、慣れない人は精神的に疲れるかもしれない。私はこの一年で慣れてしまったから問題ない。幼竜さまは穏やかで、私たちにもお声がけくださる。ご当主さまの介添えで部屋へ赴くと、朝は『おはよう~』と首をこてんと傾げたり、果物を食べている際もついばむ姿が凄くお可愛らしい。
スライムはご当主さまにしか懐いていないけれど、誰かに危害を加えることはない。フェンリルは大人しくて、賢い犬と同じだ。時折、尻尾を振りながらこちらをじっと見ていることもあるし、落ち込んでいると横にちょこんと座り様子を伺って気にしている。
子爵邸のみんなを群れのメンバーと認識しているんじゃないかって、同僚のみんなと話していた。天馬のエルさまとジョセさまは、私が庭に出るといつも挨拶をくださる。重い荷物を持っていると背中に乗せて運ぶと仰ってくださるし、託児所で預かっている子供と遊んでくださっていることもある。黒天馬のルカさまは巣立ちをしてしまったが、今はどこでなにをしているのやら。元気だと良いのだけれど。
ご当主さまが趣味で始めた小さな家庭菜園では、お野菜が凄い勢いで育っている。畑は妖精がお世話しているとのことだ。勝手に籠の中にお野菜が放り込まれていたり、お野菜に付いている虫が空を飛んでいることがある。『びゃああああああああああああ』と叫んで走り回る人参にも驚いたけれど、菜園で育てているお野菜が大量に採れる上に、味が凄く美味しい。
子爵領でもオレンジが鈴生りだそうで、余ったオレンジを持って帰っても良いよと分けてくださる。普通のお屋敷であれば、こんなことはあり得ないけれど、平民から成り上がったご当主さまならではだろう。
違うお屋敷で侍女として働く友人に話をすると、子爵邸で働いているのが羨ましいと愚痴を零していた。やはり爵位が低いと見下されることがままあるし、待遇が悪いこともあるのだとか。
ご当主さまが長期休暇で南の海の島に旅立たれて五日が経った。ご当主さまが留守ということで、私たち侍女組は暇である。ご当主さまやご家族のお世話が侍女である私たち最大の仕事だけれど、お世話の対象である方がいらっしゃらないのだから当然だ。
屋敷のお掃除はメイドや下女の方たちの仕事だから、彼女たちの仕事を取ってしまう訳にはいかない。ご当主さま、早く戻って下さらないかなあと深い息を吐きながら窓の外を見る。中庭が見えるけれど、エルさまとジョセさまがいらっしゃらない。裏庭にでも足を運んでいるのかしらと、考えが過ったその時だった。
「おーい、そろそろ時間だよ~」
「はーい!」
同僚に呼ばれて返事をして、集合場所へと足を向ける。今日は子爵邸で働く女性陣に集合が掛かっていた。
侍女頭さまから、ご当主さまのことでお話があるということだけれど、一体なんだろうか。呼ばれた理由は知らされていないから、一緒に部屋へと向かった同僚と顔を見合わせる。部屋へ入ると女性陣みんなが集まっていた。側仕えであるハイゼンベルグ公爵令嬢さまとヴァイセンベルク辺境伯令嬢さまはご当主さまと一緒に島へ旅立っていらっしゃるから除外されるけれど。
「さて、今日のお話の内容でございます。――大事な話となりますので、決して口外しないように」
侍女頭さまが神妙な顔を浮かべ、いつもより低い声で言い放つ。あ、これはちゃんと聞いておかなければならないと悟った。この部屋に集まっている女性たちも、侍女頭さまの言葉に背筋を伸ばして、彼女を見ている。
「――ご当主さまに、女性である証が訪れておりません……」
侍女頭さまの言葉は遠回しだけれど、要するに月のものが訪れていないということだ。ご当主さまのお世話を始めて一年になるけれど、一度もその場面に出くわしていない。ご当主さまの十五歳という年齢を考えると、少し遅いくらいだ。貧民街で一緒に過ごしたというジークリンデさんには、ちゃんと訪れているし周期も一定。
ご当主さまは彼女に月のものが訪れているのは知っているので、知識がないという訳ではない。というかジークリンデさんに知識を教えたのは、ご当主さま本人である。訪れていないことの危うさを認識しているはずだけれど、全く話題に上げない。ハイゼンベルグ公爵令嬢さまとヴァイセンベルク辺境伯令嬢さまも認知していらっしゃるはずだ。
貴族という血の重みを知っていれば、今まで問題視していない方がおかしい。
ご当主さまは、一代限りの法衣子爵として貴族となられたけれど、永代の男爵位を賜っている。後に統合されてから、次代に後を継がせてミナーヴァ子爵としての血を残すことが可能だ。ご当主さま本人はあまり興味がないようで、お相手を探したり、舞い込んでくるはずの釣書もない……。
あれ、アルバトロスで今一番貴族として名を馳せているというのに、どうして釣書が舞い込んでこないのだろう。あ、もしかして。家宰さまか側仕えのお二人の所で阻止されているのだろうか。下手をすればミナーヴァ子爵の後ろ盾であるハイゼンベルグ公爵さまとヴァイセンベルク辺境伯さまが、こっそりと処分している可能性もある。
そしてアルバトロス王家も加担しているかもしれない。だって、ご当主さまのお名前は東大陸のアガレス帝国にまで轟いている。ご当主さまと縁を繋ぐことができれば、かなりの益を得られるはずだ。亜人連合国、聖王国、リーム王国に王太子妃の母国であるマグデレーベン王国とも繋がりができるだろう。
東大陸のアガレス帝国とも可能だし、出世欲の強い貴族の方たちから見れば喉から手が出るほど欲しいはずだ。腐っても貴族なのだから、年若い女性の身で子爵位を手に入れたご当主さまを御しやすいと考える方もいる。
それがないということは、やはり揉み消されているのだろう。王家と公爵家に辺境伯家を敵に回すのは怖いだろうし、ご当主さまには亜人連合国の方々も協力的だ。無理な婚約なんて結ぼうとすれば、彼らが黙っていないか。
「いいですか? ご当主さまは女性としてまだ未成熟です。ですが、このままでは駄目なことははっきりとしています」
侍女頭さまが告げる。確かにこのままでは危うい。孤児だった所為かご当主さまの発育は順調とは言い難い。
同じ環境下で育ったジークリンデさんは女性として十分な魅力を持っているというのに、ご当主さまは……子供である。骨が細い上に肉付きもよろしくない。幼少期にきちんと食事を得ていればと悔やむが、悔やむだけでは前に進めない。
「このことは後ろ盾である二家と王家には知らせてあります」
それはそうだろう。知らないとなれば大問題だし、婚姻後ご当主さまに子供を残す能力がないなら大騒動となり、子爵邸の評判も落ちかねない。
「皆さま、女性に良い食べ物やまじない……この際なんでも構いません。知っているならば情報を! ミナーヴァ子爵家存続の危機の可能性があるのです。決して手抜かりのないように」
体が未成熟なので、気長に待つのも一つの手段だろう。でも、結婚適齢期になっても成長なさらないというのは問題だ。爵位の低い私たちにも傲ることなく、いつも柔和なご当主さまには幸せであって欲しい。貴族として婚姻を果たすことが、彼女にとって幸せかどうかは本人次第だけれど。
婚姻可能年齢まであと二年。せめてそれまでには、と願わずにはいられなかった。