0590:大豆。
2022.12.03投稿 2/4回目
遺跡の探検を終えた、翌朝。麹菌を手に入れたくて、大豆と麦を仕込んでいる室に入ってチェックしていると変化があった。麦は以前と変わらないけれど、大豆が昨日と少し様子が違う。広げている大豆を手に取ると、糸が引いていて粘ってる上に臭いが独特。もしかしてこれは……。
――納豆?
麹菌を手に入れるつもりが、まさかの納豆とは。確か納豆も大豆を蒸して放置していると菌が増殖してできたと聞いているけれど。
稲藁にいる菌でも作れるはずだけれど、まさか空気中に納豆菌がいるだなんて。納豆は苦手なので、ちょっと残念。でもフィーネさまとメンガ―さまの好物かもしれないし、一応確保しておこう。どれだけ日持ちするのか謎だけれど、納豆って腐っているから今以上に腐ることはないだろう。
「うーん。そう簡単に成功はしないか……」
出来上がったものが納豆というのは残念だけれど、挑戦して手に入れたものだから価値は高いはず。まだ麦が残っているから、そっちに麹菌が居付く可能性だってあるのだし。
あれ、納豆菌がいるなら麦も納豆菌に侵される場合もあるのか。麦と大豆を分けて、違う室で実験した方が成功率は高くなりそう。敷物に麦藁を使用したのが不味かった可能性もあるから、布に変更した方が良さそうだ。
『ナイ、駄目だったの?』
クロが私の肩の上で問いかける。興味があるようで、毎朝こうして一緒に付き合ってくれるのだから有難い。こてん、と首を傾げて糸を引く大豆を不思議そうに見ていた。
「駄目というか……失敗というか。ある意味成功かなあ。私は苦手だけれど、納豆って好きな人は好きだし」
好きな人は凄く食べるみたいだし。毎日五パック食べて痛風になった、なんて話を聞いたことがある。
取り敢えず、納豆――仮――には状態保存の魔術を施して、あとでバナナの葉にでも包んで持って帰ろう。アルバトロスの王都に戻るには三週間ほど時間があるけれど、魔術を施しておけば保つはず。
『ナットウ?』
傾げていた首を逆にこてん、と傾げたクロ。
「簡単に言えば、大豆が腐ったヤツかな」
発酵食品だから腐っているという認識は間違いなのかもしれないが。発酵食品独特の匂いは苦手な人もいるだろうし。チーズとかヨーグルトも発酵食品だし、お味噌さんも発酵させているからなあ。
お味噌汁が飲みたい……。炊き立てのご飯にお味噌汁と鮭と卵焼き。日本の朝食此処に在りみたいなシンプルなメニューも良いよね。でもこの世界、炊飯器とかないしどうしよう。釜はあるからそれをどうにか転用させて、薪で火を起こして炊くしかないのか。――まあ、その前にお米さまを手に入れなければ話にならないけれど。
『腐っているものを食べると、人間ってお腹を壊すんじゃないの?』
クロは続けて、エルフも腐ったものを食べるとお腹の調子が悪くなるって教えてくれた、と口にした。ちなみに竜は何を食べても問題ないそうだ。彼ら的には魔素が不足する方が大問題なのだとか。なんでも食べられる鋼の胃腸が羨ましい。
「壊すし、下手をすれば死ぬこともあるね」
前世の死ぬ直前辺りでは、食中毒を起こした事件をあまり聞かなくなっていたなあ。
ニュースで取り上げられ周知されて減っただけか、ニュースで取り扱わなくて知らないだけか。
『え、死んじゃうの? ナイ、それ食べちゃ駄目だよ!』
クロは驚いた様子で、肩に置いている脚に力を入れた。不思議と痛くないけれど、クロにしては珍しい行動だった。まあ納豆は糸を引いているし、凄く独特な臭いだからクロが駄目だと言うのも理解できる。
「説明が難しいけれど、発酵と腐っているのは違うから……良い菌と悪い菌って言えば良いのかなあ。私は納豆が苦手だから食べないかも……」
専門家でも料理研究家でもないから、説明しようとするとしどろもどろになってしまう。間違ってはいないはずだけれど、どうなんだろう。そういえば腐った鯛を食べて死んだ武将が居たなあ、なんて……随分と懐かしいことを思い出した。
『……ナイが食べないなんて』
「そんなに驚かなくても。苦手な食べ物くらいあるよ。クロだってあるでしょう?」
私って周りの人たちに腹ペコ大魔神のような認識されていないかな。まあ、食に貪欲なのは認める。孤児時代の欠食児童っぷりと、前世でも子供時代の食事事情はあまりよろしいモノじゃなかった。
食べられなかった反動が今になって表れているのだけれど、まあ……お茶会で余ったお菓子を頂いたり、お芋さんに大喜びしたり、さつまいもさんを手に入れてガッツポーズはしないか。お米さまを見つけた時も、かなり必死だったから『腹ペコ大魔神』の称号を頂いても仕方ない。こうなってしまえば、誇るべきかも。
『それは勿論だけれど、ナイはなんでも食べるって思い込んでいたから驚いたよ』
クロさんや。私はクロのようになんでも食べられる訳ではないのですよ。人間が食べられる範疇のものだけです。クロの言い方だと、マジでなんでも食べそうな勢いの言い方なのだもの。
クロの好物は果物だけれど、竜なのでどんなものでも食べられる。魔石や石に木でも土でも食べられる。それらを食べて、魔素を取り込められればお腹は空かないとのこと。今は私の側にいるので魔力は事足りている。食べる必要はないらしいが、果物を好んで食べているのは、生き物としての宿命なのだとか。
「嫌いなものも苦手なものくらいあるよ」
苦笑いを浮かべながらクロに語り掛ける。
『例えば?』
「ん、納豆は苦手だね。嫌いな食べ物……なんだろう。取り敢えず食べられるから食べるし、嫌いって決めてる食べ物ってないかもしれない……」
納豆は苦手だけれど、食べられる。食べられないほど嫌いって言われると、ぱっと浮かばない。もちろん食べたことがないものもあるから、ゲテモノ料理とか出てくれば嫌いになるかもしれないけれど。今なら昆虫とかも食べられるし、幼虫も食用可だと教えて貰えば食べる。
『ナイ、ナイが食べられないものはないんじゃないの?』
「いや、クロみたいに魔石なんて食べられないからね」
うん。流石に魔石とか土は食べられないから。食べたらお腹を壊しそうだし、変な所の土を食べると病気になりそう。
『人が食べられるものでって意味だよ』
「それならほとんど食べられるかも」
人が食べられるものとなったら、食べられるから食べる。残すのも勿体ないし、頑張って食べ切るだろう。今回、駄目になった麦や大豆は子爵邸の畑に撒いて肥料にする予定だ。
リサイクルできるものは、なるべく捨てないで有効活用しないと勿体ない。世情が世情なので、なるべく有効活用しようとしているし、勿体ないという言葉もないからなあ。勿体ないという言葉が生まれるには、まだ先かなあとクロと一緒に室から出るのだった。