0577:ある日森の中。
2022.11.13投稿 1/4回目
――木々が鬱蒼と茂る森の中。
アルバトロスの森の中と南の島の森の中の雰囲気は少々趣きが変わっている。島の方が緑が濃く、木に巻き付いている蔦に皮に生えた苔。空気の流れが鈍いというか、滞留しているというか。こんなに変わるものなのかと、不思議な感覚だった。あと陽の光があまり入っておらず、真昼間だというのに随分と薄暗い。
前回、島の森に足を踏み入れた時はアガレス帝国から戻り、みんなも居ることもあった為か全く気付かない。今はリンと私にクロと小型竜の方二頭で森の中をウロウロしている所為か、周囲の状況に気を張っている。
「なんだろう。魔物の気配はないのに、気配を感じるというか……」
「野生の動物が多いから。その所為じゃないかな」
リンが私の横でそう教えてくれた。妙な感じは動物の所為なのか。余所者がきたとでも警戒されているのだろうか。生い茂っている草は小型竜の方二頭が前を歩いてくれているので、私たちが歩く道は随分と均されていた。
小型といっても人間より重そうだし、脚や体が大きくて道を造るのが上手い。進む方向に悩んだ時は後ろを振り返って『ナイ、どっちに進む?』と首を傾げながら問いかけてくれる。
可愛いなあと眺めつつ、進む方向を指示していた。歩くこと三十分、美味しそうな食べ物はなく、ひたすら歩いているのみ。魔物が出ると困るから、魔物は出るなと願いつつもう少し森の奥に踏み込もうか。浜からほど近い森の中で、なにか見つけることは難しそうだから少し奥に進もうと言おうとしたその時だった。
「……うわ」
なにかいろいろと常識を超えている光景に思わず声が漏れた。先頭を歩いてくれていた竜の方が立ち止まり、目の前の光景を見せてくれたのだ。
「食べてるね」
『……食べているけど』
リンとクロも疑問を口にしていた。捕食中なので、こちらには気付かないし、仮に気付いたとしてもこちらを襲うことはない。
『食べられる?』
『食べられるの?』
竜の方まで疑問を呈してしまった。どうやら目の前の光景が気になるようで、こてん、こてんと首を傾げている。
凄いなあ、と驚いてじっと見ていた光景、沼地から体を半分程度出した大蛇が、猪を口に咥えて飲み込もうとしているのだ。普通、捕食する蛇ってとぐろを巻くものだと思っていたけれど、得物が逃げることも無い所為か口に咥えたまま微動だにしない。
随分と大きい猪が口から半分出ており、後ろ脚が見えていた。どちらも通常サイズを通り越している所為で、凄く壮観な光景というか。ただ咥えた得物が喉の奥へと進む様子はなく、大蛇はジッとしたままだ。蛇の食事は時間が掛かる時もあるのだろうと踵を返そうとする。
――タスケテ。
頭の中に直接声が響いたような気がする。
「声が聞こえた気がするけれど……」
どうしたものか。声の主が誰かも分からないし、助けてといわれても抽象的過ぎてなにをすればいいのやら。リンの顔を見上げると聞こえなかったと首を振った。
『ボクも聞こえた! あの蛇だよ。ちょっと話を聞いてくるからみんなはここにいて!』
クロが声を上げて私の肩から飛び立ち、ぴゅーと大蛇の顔の近くへ寄って首を傾げたり、翼をバタバタと大袈裟に仰いだりと忙しい。暫く待っているとクロが戻ってきた。
『顎をこれ以上開けることができなくて、ご飯の猪を飲み込めずに何時間もこのままみたいだよ……助けられるかな?』
またしても、お困りごとの生き物を助ける羽目になるらしい。まあ、良いけれど。こう何度も機会が訪れると、それはもう運命とでも表現するしかないのだろうか。
「力仕事になりそうだね。このメンバーで足りるかな……」
猪の脚に縄を括りつけて引っ張り出せば、大蛇の口から離すことができるかな。便利道具を布鞄の中に入れておいて良かった。討伐遠征の際に崖から落ちた方を助けることや、渡河の際に持ち物が流れないように体に道具を縛り付ける時に重宝するから。今回はなんとなく用意しただけだが、持ってきた意味ができた。
とはいえこの場にはリンと私にクロ、そして小型竜の方が二頭いるだけ。対して大蛇は胴回りは優に一メートルを超えていそうな、大蛇と表現して差し支えない大きさ。もちろん口に含んでいる猪も、山の主どころかそれ以上の大きさだった。この世界の生き物の基準が狂っているような気もするが……深く考えまい。
『大きい竜を呼んでくる?』
クロが首を傾げながら私に問いかける。
「クロ……クロが大きくなれば済む話なんじゃ」
『……あ。そうだったね……』
また忘れていると、間違いを指摘しておく、クロが大きくなって脚の爪で猪を引っ掛ければ直ぐに助ける事ができるけれど。簡単に大きくなれる訳じゃあなさそうだし、まずは今いるメンバーで頑張ってみるべきだろう。
「私たちの安全は確保されそう?」
助けた後に襲われるなんて、不幸な結果にはしたくないとクロに聞いてみる。
『うん。人間は不味いから食べないって』
「そっか。リン、猪の脚に縄を縛り付けるから、まずは私とリンで引っ張ってみよう?」
クロさんや。深くは聞くまいと流したが、その言い方だと以前に人間を食べたことがあると言っているようなものだ。
胴回りが一メートルを超えていそうな大蛇である。恐らく全長もかなり長いに違いなく、人間ならば一飲みで食べそうだし。沼で隠れている部分は予測するしかないけれど、かなり大きな猪を食べようと試みる欲張りさんである。まあ、人間を餌とみなして食べても致し方ないことなのだろうか。
「ナイ、そんなことをしなくても強化魔術を私と竜の子たちに施せば簡単に引き摺りだせる」
リンが真っ当な正論を言い放つ。
「……あ。ごめん……忘れてた」
ここしばらく強化魔術を使っていなかったので、頭の中の選択肢にすっかりと入っていなかった。クロが私の肩の上に乗って『ボクのことは言えないねえ』とぼやいていた。小型の竜の方二頭がその話を聞き、一頭はリンの後ろから腕と胴の間に首を突っ込んで顔を出す。
『リンと頑張る!』
リンの腕と胴の間から顔を出した小竜が目を細めながら元気に宣言すると、彼女は竜の顔を撫でた。もう一頭は私の後ろにいつの間にか回り込んで、少し体を地面に近づけたあとに腕と胴の間から顔を出す。
『ナイの魔力!』
身体強化を施すだけだから、魔力を分け与える訳ではないのだけれども。期待されるような強化魔術を施せる訳でもないし。おっちょこちょいな大蛇を助けようと、先ずは大蛇の顔に近づいて口からはみ出ている猪の後ろ脚に縄を括りつける。
荷物になるから長いものを持参してこなかったけれど、猪の脚を掴んで引っ張るよりも力を入れやすいだろう。縄を握って引っ張るもよし、腕に巻き付けて引っ張るもよし。小竜さんたちはそれぞれ猪の後ろ脚に爪を引っ掛けて引っ張るようだ。
「クロ、引っ張るから適当な所で蛇さんになるべく口に力を入れないように伝えて貰っても良いかな?」
『わかった。ボクはナイたちの様子を見ながら蛇に声を掛けるね』
クロが蛇の顔、視界に入る場所へ飛び立つ直前。
「うん、お願い。――リン、みんな。強化魔術を施すよ! ――"荒々しく猛ろ"”汝は軍神也"」
クロが飛び立つのを見守りながら、リンと竜の方に声を掛ける。この強化魔術の詠唱を考えた魔術師は絶対に厨二病を患っているなあとぼやきながら魔力を練って、強化魔術を施した。
「引っ張る!」
『うん!』
『はーい!』
リンがタイミングを合わせる為に声を上げると、小竜さん二頭は軽い声で返事をした。なんとなく彼女彼らの筋肉がぐっと膨張したような気がした。ごぽり、と低い音が鳴って大蛇の口から巨大な猪が姿を現した。死んでいるから、ピクリとも動かないけれど。
ずっと大口を開けたままの大蛇が口を閉じて、フスー、と鼻から息を出した。苦しみから解放されると、ぱちくりと何度か目を閉じたり開いたりして私たちをじっくりと見ている。助けられたならば用はもうないかと、猪の脚に括りつけた縄を解き、リンとクロに小竜さんたちに声を掛ける為に踵を返した。
『危うく死ぬところだった。――人間に助けられたのは信じられぬが……竜を引き連れているのだ。さぞかし魔力が豊富な御仁と見受ける』
あ、大蛇さんは喋れるのか。低くも高くもない音域の不思議な声で私を確りと見据えている。ということは知能は随分と高いはずなのだけれど、どうして飲み込めないサイズの猪を食べようとしたのか疑問だ。疑問の解消よりも、大蛇さんに挨拶する方が先かと視線を合わせた。
「決して引き連れている訳ではありません。彼らの意志により行動を共にしているだけでございます」
『左様か。しかし古き時代から生きる者たちは魔力を好む者が多い。懐かれる理由はそこにあろう。謙遜も酷ければ嫌味にしか聞こえぬぞ』
魔力は生きる上での副産物にしか過ぎないのだけれどね。竜や大蛇さんにヴァナルのような魔獣のみんなが魔力を好むのは知っているし、現に懐かれ易いのも自覚しているけど。感心なのか釘を刺されたのかよく分からないまま、巨大猪を喉に詰まらせていた理由を聞こうと、大蛇さんと相対するのだった。






