0574:泳いでみよう。
2022.11.12投稿 2/4回目
リンに泳ぎ方をレクチャーすること十五分。バタフライとクロールを彼女は習得していた。騎士だから運動神経が良いこともあるのだろう。かなり速い速度で泳いでいるけれど、楽しいのか周りが見えていない気もする。
「ナイ、気持ちいいよ!」
リンは立ち泳ぎも覚えたようで、足のつかない深い場所で私に手を振っていた。私は足のつく浅い場所でちまちまと平泳ぎで海水浴を楽しんでいる。
クロも私の側でプカプカと浮いていた。筋肉で沈みそう、なんて思っていたのだがそんなことはなかった。時折、足を動かしてクロが行きたい方向へと調整していた。なんだか白鳥みたいな泳ぎ方だなあ。水面に浮かんでスイスイと進んでいるのだけれど、水中の脚は必死で動かしているみたいだし。
「そりゃよかった。流れが変わっている所に嵌ると、沖に流されるから気をつけてね」
離岸流だったかな。潮の流れが急に変わって、沖に流されてしまうというヤツだ。テレビのニュースで夏場によく聞いた気がする。
「はーい」
リンにはちゃんと聞こえているのか謎だけれど、リンなら離岸流にさらわれたとしても逆らって泳げそうなんだよね。体力があるし、鍛えているし、二つ名持ちだし、祝福が掛かっているし。
『リンは上手だね。すぐにナイの言うことを覚えちゃった。ナイはボクと同じ泳ぎ方だ』
クロ、私はクロと一緒の泳ぎ方に見えるかもしれないけれど、クロとはちょっと違うのです。両手で水を掻き、両足で更に追切をかけるというか。
クロの場合、右前脚と左後ろ脚で水を掻いて、次に左前脚と右後ろ脚で水を掻いているのだから。一緒のようでいて違うのです。まあ、骨格が違うのだから仕方ないのだけれどね。クロが人化しない限り、人間と同じように泳げることはないのだろう。
「似てるようで違うんだけれどね。クロ、気持ちいい?」
『うん。空を飛ぶのも気持ちいいけれど、こうして海を泳ぐのも気持ちいいんだね。水に浸かったことはあるけれど、脚が浮くことなんてなかったから』
空を飛ぶ気持ちは分からないけれど、竜の方の背に乗せて貰った時は凄かったものなあ。泳いだ記憶が存在する所為で、今泳げることに感動なんてできないけれど、クロの言いたいことは分かる。
芋洗い状態の海水浴場ではなく、プライベートビーチみたいな場所だから。海の色も綺麗な青で透明度が高い。マリンブルーだっけ、沖縄ブルーとかでも言えばいいかなあ。海外旅行のパンフレットに載っている東南アジアの観光地みたいだ。かなり贅沢な時間だよね。浜を上がればすぐに森が広がって、川も小さいながら流れている。魔物の脅威に怯えなくていいし、遊び場所としては最適。
「そっか。楽しいならなにより。大きくなると泳ぐのは無理――」
そうだね、とクロに語り掛けようとしたその時。ざぱんと波が跳ねた。
「――ナイ!」
「うわ!」
視界が急に高くなる。どうやら潜水まで覚えたリンが近くまで泳いできて、私を驚かそうと抱き上げたみたいだ。自分の視線よりも随分と高くなったと同時に、彼女の顔が少し下にある。クロは跳ねた波に驚いたのか、脚ではなく翼を動かして海から体を空へと飛ばしていた。
「びっくりした?」
リンが私を抱き上げたまま、えへへと笑う彼女。無邪気だなあと目を細めるが、楽しいならそれでいいか。
いつも私の騎士として気の抜けない生活を送っているし、私がお貴族さまになったから簡単に出歩くこともできない上に、馬車に一緒に乗ることもなくなった。島には信頼できる人しかいないし、リンと私が一緒に遊んでいても問題視する人はいないから。
「驚いたから。なんで潜水まで覚えているの、リン……」
「試したらできた。でも息を長く止められない」
苦笑いを浮かべながらリンに問いかけると、無茶な言葉が彼女の口から漏れた。運動神経が良いのは羨ましい限りである。私はこんなに早く泳ぎをマスターできない。泳ぎ始めてから一時間も経たないうちに潜水までやってのけるとは。
「上がって一休みしよう。お水摂って、また泳ごうか」
「うん」
リンは私を抱えたまま、浜辺に戻る。クロも一緒に私たちの横を飛びながら一緒に戻ったのだった。途中、浜辺に差していたリン専用の長剣を回収するのも忘れない。リンは念の為にと、浜辺に置いておいたようだ。
拠点になっている場所は浜辺にほど近い場所だ。戻ってきた私たちを侍女さんたちが驚いた顔をして見る。そういえば浜辺に行くと伝えただけで、泳ぐとは言っていなかった。
厚手の布を取り出して、私とリンを拭いてくれるけど、また海に出るのだけれどなあ。海で泳ぐのは諦めるしかないなと、リンと顔を見合わせて『海には行けないね』『だね』と視線だけで言葉を交わした。
クロは専用の宿り木に留まっていた。南の地域特有の色鮮やかな鳥も一緒にいるのだけれど、気にならないのだろうか。クロならば誰とでも打ち解けられるだろうし、鳥もその範囲に入っているのだろう。
「ご当主さま、昼食はどうなさいますか?」
「こちらで頂きます。それまではリンとこの辺りをウロウロして時間を潰しますね」
探検組はお弁当を持参していったから、現地で食べるだろう。リンと私は浜辺とその周辺をウロウロしていれば、その内に時間は過ぎるはずだ。島の奥も興味があるけれど、浜辺周辺も植物が生い茂っていて食べ物を探すには十分だから。
「承知いたしました」
侍女さんはしずしずと頭を下げる。水気を取れたと判断したようで、私の身体に纏わりついていた布も、いつの間にか消えていた。
「よろしくお願いします。それと水気取りありがとうございました」
私がお礼を伝えると、小さく頭を下げる侍女さん。あまりへりくだる必要はないと言われているけれど、お礼くらいは伝えたい。
与えられることに慣れて、傲岸不遜に振舞うなんて嫌だし。さて、ここに居てもやることがないから、浜場周辺でちょっとした探検をしよう。リンがいれば魔物が出ても大丈夫だし、クロも側に居るから危険を察知してくれるだろうから。一度、天幕へ戻ってナイフと鉈を装備し、裸足から靴を履いて足を保護。
「行こうか、リン、クロ」
「うん」
『なにがあるかなあ?』
リンとクロに声を掛けると、それぞれ返事をくれた。泳いだ時の格好のままだけれど水気は取れているし、服に沁み込んでいる海水は魔術で飛ばしておいた。これでお昼くらいまでならベトベトで気持ち悪いなんてならないだろう。天幕を出て歩き始める。
森はジャングルといっても過言ではないが、外縁部は……とくに浜辺の近くはヤシの木が生い茂っていた。中身が腐っていなければ、ヤシの実ジュースが飲めるはず。今回の狙いはヤシの実だ。以前、島で休憩を取った時から気になっていたから。
「さ、気合入れてなにか見つけないとね。探検組に負けないようにしよう?」
私の言葉に無言でリンが頷き、クロが定位置である私の肩に飛んできた。探検組に勝てる気はしないけれど、なにか見つけられると良いなあとリンとクロと私は歩き始めた。