0570:鯨。
2022.11.10投稿 2/2回目
砂浜に流れ着いていた大きな大きな鯨。あちこちについた傷の一部は致命傷に近いものがあった。それでも生きていたのは鯨の生きたいという思いなのか。
ダリア姉さんとアイリス姉さん、アリアさまとロザリンデさまと私の総勢五人で、傷ついた鯨の治療にあたっている。大きな傷は粗方治し終えてあとは小さな傷を治すだけと、安堵の息を吐く。ロザリンデさまが疲れた様子を見せていたので、先に休んで貰っていた。
「大きな傷は治したわね」
「うん。あとは小さい傷だけだよ~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんが鯨を見上げながら、ゆっくりと私の方へ近づいて声を掛けてくれた。
見える部分は粗方治し終えたようだが、砂浜、ようするに地面に触れている面がどうなっているのかが分からない。鯨の息は随分と整ってきているから、致命傷の傷はないと思いたいが、野生の生き物がそんな主張をするはずも……――。
『――痛い所が随分と減ったって!』
クロが私の近くに寄って滞空飛行したまま、鯨の様子を教えてくれた。大きい傷を見つけ終えたあとは、鯨とずっと話をしていたようだ。うん、ごめん。クロが大概の生き物と意志疎通できるのを忘れていた。
「そろそろ我々の出番だな」
「ですね、若」
ディアンさまとベリルさまが声を上げた。お二人は竜の方たちを指揮して、鯨の身体に海水をかけてくれていたのだ。ソフィーアさまとセレスティアさま、ジークとリン、クレイグとサフィールもバケツ片手に水を必死にかけつつ、鯨に声も掛けていた。
みんなの努力が実って良かった。もう少し傷の手当を終えたら、大型竜の方に鯨を引っ張ってもらい、沖に戻す予定だから。あとは豊富な餌場に案内できればいいけれど、流石に海の中の状況までは分からないし、島の周辺は浅瀬なので鯨にとって良い環境とは言えないから。
「もうひと踏ん張りですね」
私は魔力が多い所為か、持久力だけはある。まだ小さな傷が残っているから術を施そうとした時、アリアさまもギブアップしたようでロザリンデさまの横にゆっくりと座り込んでいた。こちらを申し訳なさそうにみているが、無茶をして倒れればせっかくの長期休暇が台無しになる。ゆっくりしていてくださいと口を動かせば、アリアさまは小さく頭を下げたのだった。
「そうね。もう少し頑張りましょうか」
「ん。頑張る~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんは疲れているようだが、魔力切れは起こしていないようだ。鯨に残っている傷と、砂浜に埋まっている側を竜の方にお願いして変えて頂く。こちらの面にも大小の傷があり、ダリア姉さんとアイリス姉さんが少し嫌な顔になっていた。
お二人を見つつ、現れた傷の治療を始める。大きい傷、というか致命傷は塞がっている為に急ぐ必要はなく、落ち着いて処置ができる。
その為か、傷の治りが綺麗になった気がする。しかしまあ、本当に大きい鯨だ。こんな巨体の鯨がどうやって打ちあがったのか謎だけれど。
「もう少し、かな」
言葉を呟きながら、傷を治していく。ゆっくりと治療をしているから、時間が掛かってしまったけれど。クロが鯨の状態を逐一教えてくれるので問題はない。念の為に体が乾きすぎた場合は傷の治療を一旦止めて、竜の方々の手に寄って沖に連れて行ってもらうつもりだったが、もう必要なさそうと胸を撫でおろす。
「終わったよ。もう痛くないはずだよね?」
治療が終わって鯨の目の傍に近寄って、体に触れる。言葉は分からないだろうけれど、気持ちの問題だ。もし伝えたいことがあるなら、クロが通訳してくれる。だが自然に生きる鯨だから人間に関わらない方が良いだろうと、クロにお願いすることはないまま。
――ありがとう。
鯨がそんなことを言った気がするけれど、幻聴だろう。助けたことに対する自己満足が、きっとこんな幻聴を聞かせたに違いない。何度か鯨の身体を撫でていると、大きな白い竜がこちらへ飛んできて、海の中へ身体を浸けた。
ベリルさまが竜化して鯨を沖にまで運んでくれるようだ。相変わらずの巨体で、海の中に体を沈めてもほとんどが露出している。ベリルさまの尻尾が鯨の尾鰭を器用に巻いて、しっかりと繋がったようだった。他の竜の皆さまは鯨の周りの砂をかきだして、少しでも進みやすいように水深を稼いでいた。
『行きますよ』
ベリルさまが大きな翼をゆっくりと広げて、沖へと進み始める。それと一緒に鯨の巨体がゆっくりと浜辺から沖へと引き摺られる形で、浅瀬から少しずつ水深が深くなり乾いていた鯨の身体が海水に浸かりどんどん姿を隠していく。適当な所でベリルさまの巻き付いていた尻尾は離れていた。
鯨の身体全体を海水が包むと、潮を吹いた。巨体故かかなり上にまで水しぶきがあがって、偶然にも虹が浮かんでる。雨上がりによく見る光景だけれど、海の上に掛かる虹は初めてみた気がするなあ。何度か潮を吹いたあと、巨体を海面から大きく跳ねさせて、波しぶきが大きく立つ。テレビの自然特集の映像を観ているようだった。
「どうやら無事に海に帰れたみたいだな」
「ですわね。一時はどうなることかと案じていましたが……」
ソフィーアさまとセレスティアさまが胸を撫で下ろしていた。鯨を見つけたのは彼女たちだし、貴族のご令嬢が砂浜を走るなんて重労働を普通はしない。
息を切らしながら、声を上げて訴えることもしないというのに。鯨のことを案じて私たちを呼んだ。クロと彼女たちの訴えにみんなが答えて協力し、鯨を海に帰すことができたのだ。
「なんとかなったわね。偶には良い事もしないとね」
「頑張った甲斐があったよ~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんも嬉しそうに、海を眺めている。ダリア姉さんが問題発言をしたような気がするが、気のせいだと頭を振る。アリアさまとロザリンデさまも大海原に消えていった鯨を名残惜しそうに見ていた。ジークもリンも、クレイグもサフィールも。手伝ってくれた竜の方々にダークエルフの皆さまも。
「どうしてあんなに傷だらけになっていたのかな?」
本当に不思議である。あんな巨大生物に傷をつけるのは大変だろう。もしかして誰かが捕鯨でもしていたのだろうか。食べる為に捕ること殺すことは致し方なく、それを責めるならば動物の肉を食べることができなくなるし。極端なことをいえばお野菜さんだって生きているのだから、食べちゃだめってなるから。
『分からないけれど、助かって良かったよ。みんなにもお礼をいわなきゃね』
「そうだね、クロ。私一人じゃあ助けられなかったから」
私の肩にとまったクロと顔を見合わせながら、みんなにお礼を述べようと後ろを振り返ったその時。
「なっ!」
「え!?」
「……っ!」
「……」
「凄いです!」
「なっ、なっ……!」
「嘘だろぉ……!」
「ええ……」
凄く驚いた顔をしているソフィーアさまとセレスティアさまに、平静を装っている物の驚いているようなジークとリン、感嘆の声を上げたアリアさまにドン引き中のロザリンデさま。クレイグは何か受け入れられずにいるし、サフィールもどこかしら引いている。一体何だろうと陸から海へと視線を向け直した。
――鯨が空を飛んでる……。
先ほど怪我を治した鯨と更に大きな鯨が寄り添って空を飛んでいた。あり得ない、と叫びたいけれどここはファンでタジーな世界。
魔力が存在するし、竜や天馬といった魔物、魔獣、などの不思議生物か住んでいるのだから、鯨が空を飛んでもおかしくは……いや、やっぱりおかしくないかなあ。世界観が統一されていないというか、空飛ぶ鯨なんてファンタジーな世界で聞き辛いけれど。まあ、作品によると言われればそれまでだが。
「空飛び鯨だったのね」
「珍しいよね~」
どうやら亜人連合国の皆さまは存在を知っていたようだ。名前、まんま過ぎじゃないかなあという突っ込みは無粋なのだろうか。なんにしても怪我が治って自由に過ごすことができるならば、問題ないのかなと開き直るしかないのだった。――あれ?
「ところでクロ。クロが大きくなれば早く辿り着いたんじゃあ……?」
『……あ』
クロ、小さい姿に慣れ過ぎて大きくなることを忘れていたみたいだ。クロが大きくなってソフィーアさまとセレスティアさまを乗せ、私たちの所へ戻りもう一度浜辺に行けばかなり時間が短縮されたのでは。不味いことを聞かれた所為か、珍しくクロが私から視線を逸らして体を丸くするのだった。






