0566:皇宮に悪魔の使いが現れたかも。
2022/11/08投稿 2/2回目
西大陸のアルバトロス王国からアガレス帝国へと戻ってから、少しばかりの時間が経った。彼の国から引き渡されたアリス・メッサリナと亜人連合国から預かった銀髪の青年は、アリスという少女はアガレス皇帝の下へ。銀髪の青年は元第一皇子のアインと共に鉱山送りだ。アガレス帝国皇宮の謁見場。帝国上層部の者たちがたくさん集まるこの場で、大事な話を執り行っていた。
「ウーノ。吾が皇帝の座を譲っても後宮は維持されるのだな?」
「はい、陛下。わたくしの帝位をお約束頂けるならば、確約いたしましょう」
私を見据えて父が……アガレス皇帝が縋るような視線を向けて問いかけた。元々帝位に興味がない人であり、帝位に就いていた理由がハーレムを維持する為という碌な理由ではない人物である。譲位が成されれば、父は歴史の闇の中へ消えて頂く。揉め事の種は少なければ少ない方が良い。皇妃である母とも相談の上、決めたことだ。
父はアルバトロスから引き渡されたアリスをすこぶる気に入っている。
彼女自身は『近づくな!』『触らないで!』『気持ち悪い!』とはっきり拒絶の言葉を発しているのだが、父は臆することなく彼女に触れ、いつか落とすと心に決めているようだった。アリスは父が居ない場所では傲慢を極めている。皇帝の寵愛を受けているからと贅沢を求めてくる上に、皇子たちに会わせろと声高に叫んでいるそうだ。
大人しく父に抱かれていれば、少なからず使い道はあったものの、あのような態度を取れば周囲の者がどう考えるかなど明白。アルバトロスもアリスが必要ないと我々に引き渡したことに納得してしまった。あのような者を、国で飼う価値などないのだから。
「そうか。――では吾は帝位の座を第一皇女ウーノに譲り、一線を引く!」
もう決まっていることだ。周囲の者も私が帝位に就くことに問題はないと首を縦に振っている。腹の中はどう思っているか知らないが、表で同意したのだから覆すことはできまい。
それこそ、クーデターでも引き起こさない限り。民衆の意見も元第一皇子よりも第一皇女の方がふさわしいという考えになっているから、割とあっさりと決まった形となる。あとはナイさまと縁を持っていることだろうか。私の言葉であれば、黒髪黒目のお方が言うことを聞くと考えているのだ。
――甘い。
そう言わざるを得ない。ナイさまが私の言葉を受け入れてくださった理由は、アルバトロスに益が齎せることか彼女個人で判断できる範囲でだけだ。
彼女はアルバトロスに忠誠を誓っている。アルバトロスの貴族であり聖女なのだ。決してアガレスの協力者なのではない。ナイさまへ向ける悪感情や間違えた考え方も払拭させなければ。また、アガレスが滅びの淵に立たされてしまう。
「陛下、ご英断です」
宰相が陛下へ声を掛けた。彼は父が無能だったことと馬鹿な第一皇子一派の被害を一番に被った人物であろう。私が帝位に就くと表明すると一番に賛同してくれた。有難いことではあるが、これからも重用するかは彼次第。
陛下の譲位宣言はあっさりと終わり、その日は解散となった。あとは代替わりの式や就任式を執り行う準備が始まる。まだ少し先のことにはなるが、大きな一歩を踏み出した。私にとっての歴史的瞬間だった。
陛下の譲位宣言後、自身の執務室で妹たちと雑務を捌いていると、唐突に私を呼ぶ大きな声が部屋の外から聞こえてきた。
「ウーノさま! ウーノ殿下っ!!」
一体どうしたのだろうと、妹と顔を見合わせる。私たちと一緒にいるヴァエールさまも首を傾げ、何事かと訝しんでいた。彼は皇宮に長い時間、幽霊としてこの場所に居たそうなのだが全く気が付かなかった。
時折、侍女や侍従が置いたはずの物の場所が変わっていると訴えることがあったが、そんなバカなと一笑に付していたのだが、彼の仕業だったらしい。黒髪黒目の少女、ナイさまがアガレス帝国にやって来たことと、巨大魔石が減った影響で幽霊から精霊に格上げされたとのこと。私以外に、妹たちにも彼の姿が見えているそうで、時折楽しそうに語り合っていることもある。彼が気に入った者には姿が見えているそうなので、見えるかどうかは彼次第ということらしい。
『なんじゃ、騒がしいのぅ』
外が騒がしいというのに、ヴァエールさまはどんと構えたままだ。執務室に控えている騎士は、緊急事態と判断して臨戦態勢に入っているのだが。まあ、頭の骨の部分だけ顕現しているから事情を知らない者が見れば、私が妙な趣味を持っていると勘違いしてしまいそうだ。
「失礼いたします! ――空に、空に馬が飛んでいます!」
緊急事態を告げるノックの音で扉が解放され、慌てた様子で近衛兵士が執務室へ入ってきた。開口一番に馬が空を飛んでいると告げ、どうすればいいのか悩んでいる様子だった。
「馬が空を飛ぶなんて……嘘、でしょ?」
妹がぽつりと呟く。私も信じられない。馬が空を飛ぶなんてあり得ず、近衛兵は幻覚でも見たのかと疑ってしまうが、一人二人見たのであれば幻だと判断される。おそらく大勢の者が空を飛ぶ馬を確認したのかもしれない。
『空を飛ぶ馬……ペガサスかのう? 翼が生え白くはなかったか?』
ヴァエールさまが告げた言葉を元に記憶を漁る。確か、幻獣を記した本で読んだ記憶があるような。白い馬に翼が生えた幻の生き物。ドラゴンと同じで、一生会うことのない生き物と認識しているのだが、ヴァエールさまが知っているということは、彼は出会ったことがあるのだろうか。
「いえ、黒い馬です! 翼が六枚も生えているんです!! 悪魔かなにかの使いなのでしょうか!?」
『なんじゃそりゃあ!?』
どうやらヴァエールさまでも知らないらしい。六枚翼の空飛ぶ黒い馬……一体なんだというのだろう。黒色ということで悪魔の使いと考えているようだが、黒髪黒目信仰を崇める我々としては不幸を呼ぶようなものにはしたくないが。不幸の兆しではないことを願いつつ、外の状況を聞いてみる。
……あ。黒い翼の生えた馬……黒い……。ナイさまの手紙に黒い天馬が飛んで騒ぎになるかもしれないと、少し前に届いていた。もしかして、と思うが翼が六枚も生えているとは聞いていない。確りとしているナイさまが、報告漏れなんて起こすことはない。だから違うだろうと、誰にもわからないように首を小さく振る。
「皇宮の空を旋回したあと、庭園へ降りてきたんです! 我々に牙を剝くことはありませんが、どういう行動を取るのかが分からず、遠くから見守るしか方法がありません!」
黒馬は皇宮の庭園を闊歩しているようだ。人に危害を加える様子はないが、なにをするのか分からないので彼らも困り果てている模様。どうしようかと妹の顔を見ると、判断に困っているようでドゥーエとトレは私が決めるべきという視線を向けた。
「危害を加えないようならば、放っておくのが一番でしょうけれど……」
『様子を伺いに行くか? 我とであれば話が通じるかもしれん。我、一応精霊となったし』
このまま居付かれても困ると、庭園の様子を見に行こうと立ち上がる。ヴァエールさまも髑髏から下の身体を具現化させて、馬まで顕現させた。
もしかして恰好を付けようとしていますか、と問いたくなったが聞かないほうが幸せなのかもしれない。ヴァエールさまは馬上であーでもないこーでもないと考えている様子。悪魔であるならば、人前に現れるなんて面倒なことはせず、心の弱い人間に取り入るはず。ならばやはりペガサスの変種もしくは亜種なのだろうかと首を捻る。
護衛の兵士を沢山連れて、中庭に出た。緑の木々や花が綺麗に咲き誇っている、自慢の庭園に一頭の美しい黒馬が優雅に歩いていた。報告通りに背中から六枚の翼が生えており、なんとも幻想的な光景だった。ドラゴンをこの目で見た時も驚いたが、こうしてペガサス――確定ではないが――まで実際に目にすることになるだなんて。
「こちらに……くる!」
黒馬が私たちに気付いて、草を食んでいた首を上げてこちらへゆっくりと歩いてくる。優美な姿に見惚れそうになりながら、私の横にいたヴァエールさまが髑髏の馬に乗ったまま一歩前に出た。
『挨拶してくるかのう。狂暴なヤツじゃなければよいが……』
挨拶、できるのだろうか。精霊になったとはいえ、動物と精霊では隔たりがあるのでは。とはいえ私たちも黒馬との接触をどうすればいいのか手をこまねいているのだから、ヴァエールさまに任せるしかない。そうしてヴァエールさまとペガサスが相対した。なにかやり取りをしているようだが、距離が離れているので会話は聞こえない。
『ウーノ嬢、大丈夫じゃ! 黒髪の者と懇意にしておるそうだぞ』
ヴァエールさまが私の名を呼び、こっちへこいと手招きした。彼に従い、数名の供を連れて残りはこの場に留まって貰う。
彼の下へと行くと、黒馬は警戒心が薄いのか私の方へやってきて顔を寄せた。触れても怒らないだろうかと、おそるおそる手を伸ばす。黒馬の頬に手を伸ばして撫でると、目を細めながら受け入れてくれた。
『なんとなく黒髪の者の雰囲気を感じ取って大陸を渡ったそうじゃ。巣立ちしたばかりで、方々を回っているのじゃと。庭が綺麗で興味を引かれたそうだ』
黒馬はナイさまの家で生まれ、成長して巣立ったそうだ。貴族の家でペガサスが生み落とされたことが信じられないが、ドラゴンを従えるナイさまだ。
ペガサスも従えていてもなんら不思議ではない。目の前のペガサスは特殊個体だそうで、魔力が多く備わっていることの証拠なのだとか。黒い馬体と六枚の翼がなによりの証拠。いろいろな場所を巡って番を探しているのだとか。まだ相手は見つかっていないようで、東の大陸を暫く放浪してみるとのこと。
――ナイさま。お手紙で黒い天馬がアガレス帝国の空を飛び、お騒がせすることがあるかもしれないと事前に教えて頂いておりましたが、翼が六枚生えていると聞き及んではおりませんでした。あのしっかり者のナイさまが伝え忘れをするなんて信じられない。
でも、お可愛らしい所もあるのだなあと、黒いペガサスを見て笑みを浮かべる。
「そうでしたか。しかし西大陸とは違って東大陸ではペガサスはかなり珍しいのです。なにとぞお気を付け下さいませ」
私の言葉を咀嚼するためなのか真剣に聞いているように感じた。知能が凄く高いのだろうと納得してしまう。
『まだ喋れぬようじゃが、時間の問題だろうて。――行くのか?』
ヴァエールさまの言葉に大きく嘶く黒いペガサス。じゃあね、といわんばかりに顔を寄せて、皇宮の庭園から飛び立って行った。取り敢えず、黒いペガサスがやってきたことをナイさまに報告しなければ、と執務室へと戻るのだった。