0560:【前】ちょっとした小話。
2022.11.06投稿 1/3回目
ヴァナルがセレスティアに連れられて、共に辺境伯家のタウンハウスへ戻って行った翌朝。
学院へ行こうといつものメンバーで馬車へと乗り込む。馬車の対面の席へ腰を下ろしたアリアさまが、にこにこと笑いながら私を見ている。彼女が子爵邸の別館で暮らし始めてから随分と時間が経った。
子爵邸の庭の惨状や天馬が住んでいること、別館の方に時折妖精さんたちが姿を現しているのに、彼女は驚きもせず飄々と受け入れていて凄い。何かある度に驚いているロザリンデさまやクレイグが普通の反応なのだろう。私は常識人と名乗るならば、彼女と彼を参考にして振舞った方が良いのだろうか。
アリアさまがいつもより上機嫌な気がするのには理由があった。
「今日はナイさまと一緒にお弁当を食べれるなんて、夢みたいです!」
ということである。数日前、ジークとリンと私で昼休みの中庭でご飯を食べていた所が噂で流れてきたようだ。普通科二年生の彼女は特進科でも騎士科でもないので、ジークとリンと私の学院内の行動は基本的に知らない。
昨日の学院の帰り道で、ソワソワもじもじしているアリアさまにどうしたのかと問うてみると、お弁当を私たちと一緒に食べたいということだった。二学期になれば彼女も必然的に一緒に昼食を取ることになりそうだが、それまで待てなかったらしい。
『良かったね、アリア』
私の肩の上に乗っているクロが、滅茶苦茶嬉しいとうオーラを放出しているアリアさまに声を掛けた。
「はい! 料理長さん方が作ってくださったお弁当も楽しみなんです」
えへへ、と笑うアリアさま。学院の昼食は基本食堂で済ませているけれど、天気のいい日は外で食べている。
翌日の天気はリンに聞けば大体当たるから、彼女が明日は晴れそうといえば料理長さんたちにお弁当を三人分お願いしていた。リンの天気予報が外れたら、お弁当を持参している平民の人とお貴族さまに解放されている空き教室を借りて食べるから、雨が降っても不都合はない。
料理長さんたちが作ってくれるお弁当はいつも凝っていて、かなり美味しい。残念なことは、日本のお米が食べられないことだ。お米自体はあるけれど長米品種なので、ピラフとかパエリアに向いているヤツだもの。もちろん、ライスとして存在するけれど、私は銀シャリのおにぎりさんが食べたい。
梅干しに、かつお、鮭、こんぶ、混ぜご飯も良いし、炊き込みご飯をおにぎりさんにしても美味しいのだから。冷えていても十分に美味しい。
卵があれば卵焼きを作って貰えるし、ウインナーは普通に存在している。値が張るけれど。ミートボールは存在したかなあ……材料と大体の作り方を料理長さんに伝えれば再現してくれるかな。あと、お弁当に定番の料理ってなんだっけ。あ、唐揚げも捨てがたい。唐揚げかあ……。唐揚げもこちらの世界では見たことがないな。
「ナイさま?」
アリアさまの声で、日本的お弁当の材料から思考が離れた。どうしました、と聞き返すと彼女は苦笑いを浮かべた。
「なにか美味しい食べ物のことでも考えていましたか?」
「……う!」
何故、バレたのだろうか。決してアリアさまの話を聞いていなかった訳じゃない。お弁当のことを考えていると、白ご飯を思いだしてしまいお弁当のおかずに脱線していただけ。
「ナイさまはお顔に出やすいですから」
『だよね。ナイは分かりやすいから、みんな分かっているよ』
特に気を抜いて考え事をしている時が一番分かりやすいとのこと。変なことは考えていないから、思考を読まれても問題はないけれど。もう少し猫を被るか、ポーカーフェイスを学ぶかした方が良いのだろうなあ。お貴族さまの世界で生きていくなら必須事項だが、お貴族さまとしての私に必要かは微妙な所。
「料理長さんたちが作るご飯が美味しいから。仕方ないよ。時々、食べ過ぎて動けないことがあるし……アリアさまもそう思いませんか?」
クロの言葉に返事をして、アリアさまにも問いかける。
「美味しいですよね、食べ過ぎてしまうのが少し問題ですが……あ、食べ過ぎで思い出しました! 実家の薬草畑がようやく陛下方に献上できそうなんです! ……――」
アリアさまは胸の前で両手をぱん、と合わせて私と目線を合わせた。どうして食べ過ぎで思い出すのかなと首を傾げ、彼女の言葉を待つ。フライハイト男爵領で見つかった薬草畑は、国と教会の協力を得て薬師さんが派遣され、ようやく人工栽培ができるようになったのだとか。
露地栽培だから、収穫量は天候に左右される部分があるけれど、薬草は貴重なので領の財源として十分な稼ぎを齎してくれるとのこと。アリアさまは暇なときに領地に戻って、麦畑に麦を蒔いたことを思い出し、魔力を注いでみたそうだ。
派遣されている薬師さんからの報告だと、魔素の量が多くなるからアリアさまが魔力を注いだ場所の生育が良いのだとか。もちろん魔力を注がなくとも質が良いらしく、高品質のものが採れる。国と教会から協力を得ていたので、そろそろ献上品として薬草を納入できるのだとか。
薬師さん曰く、薬草の使い方や調整の仕方を変えれば、大体の薬が作れるのだとか。風邪薬に整腸剤、胃薬、頭痛薬。火傷に対応した塗り薬とか。
森の中一面に自生していた薬草がそんな効能を齎すなんて意外である。てっきりなにか一つに効果があるだけと考えていたけれど、調整方法で変わるものなんだ。食べ過ぎで思い出したのは、整腸剤や胃薬が作れるからか。
「人の出入りも盛んになっていますから、領の皆さんが喜んでいて私も嬉しいです!」
魔石の鉱脈開発で国や利権に絡んだ家から人材が派遣されているらしいから。採掘作業にまだ移れていないけれど鉱脈があることは確実だから、時間の問題だろう。あとは掘削作業や有毒ガスの有無に坑道建築になるのかなあ。労働災害が起こらなければ良いけれど。怪我であれば大抵のことは魔術で対応できるが、死んだ人は生き返らないから。
「フライハイト男爵領が栄えているようでなによりです」
一度訪れた時は、田舎の男爵領という感じがありありとしていたけれど。以前よりは変わっているのだろうか。様子見してみたいけれど、私が向かうとご迷惑になる可能性もあるから駄目かな。他領のことに口出しや手出しするのは内政干渉のようなものだから、アリアさまからこうして話が聞けるなら良いか。
「はい! これもナイさまとロザリンデさまのお陰ですね。それにアルバトロス王国の皆さまにも助力して頂きました。そのお礼を少しずつでも返していけると良いのですが……」
アリアさまが嬉しそうに笑いつつ、最後の方は真剣な顔に変わっていった。生真面目な子だなあ。
「王国を守る障壁維持に貢献しているのですから、返しているではありませんか」
十分じゃないかなあ。国は魔石の採掘権を得ているし、薬草開発も益になると判断したから薬師さんを派遣した訳で。教会も同様の理由だろうし。アリアさまは聖女として城の魔力補填や治癒院に参加しているから評価が高い。その辺りも考慮されているだろうから。
「もっともっと頑張らないとですね!」
ふん、と胸の前で握り拳を作ったアリアさま。いや、もう十分なのではと疑問に思っていると学院へ着いたようで、馬車がゆっくりと止まる。
扉が開いてリンが顔を出した。今日はリンがエスコートを務めるらしい。先にアリアさまが降りると、もう一度リンが顔を出す。私が席から立ち上がって一歩踏み出すと、へらりと笑った彼女は手を差し伸べた。
「ありがとう、リン」
ステップをゆっくりと踏みながら降りて、リンを見上げてお礼を告げる。
「ううん。気にしないで」
そうして前を見ると、いつも校門前で合流しているセレスティアさまの姿が見え、小さく頭を下げる私たちだった。