0550:優良株のモブくん。
2022.11.01投稿 2/2回目
――居心地が悪い。
学院に入学した頃。俺はモブとして、静かに学院生活を送るはずだった。いや、送っていたのだ。一学期、乙女ゲームの主人公であるアリス・メッサリナが第二王子を始めとした攻略対象を手籠めにして、ハーレムルートに入って俺は安堵していた。
そこから、いろいろとあって二学期になれば、リームとヴァンディリアからゲーム通りに王子二人が留学してきた。普通科に編入してきたアリア・フライハイトが目的だと知っていたので、一学期とは違って落ち着いた学院生活が今度こそ送れると思っていたのに。黒髪の聖女が……ミナーヴァ子爵が乙女ゲームのシナリオを崩壊させた。それも三学期の時間軸となる三作目まで巻き込んで。
ゲームを上回る結果となって、二年生に上がる前の春休みを謳歌していればアガレス帝国に拉致された。
何故と疑問になったが、召喚に巻き込まれた五人はもれなく転生者であり、日本人であり、元黒髪黒目だったのだ。例外がミナーヴァ子爵だった。前世も今も黒髪黒目という特異な存在。東大陸では黒髪黒目を信仰しているらしく、東大陸では黒髪黒目の存在が確認できず召喚儀式を執り行ったと。
まあ、それはどうでもいいのだ。終わったことなのだから。それよりも今が問題である。
朝、教室に入るなりミナーヴァ子爵に挨拶されたのだが、教室のみんなが驚く始末。男も女子も俺を見ながら、ひそひそと話している。素知らぬ顔をしているのは、張本人であるミナーヴァ子爵と公爵令嬢と辺境伯令嬢。
リームの第三王子のギド殿下。聖王国から新たに留学してきた大聖女さまとアリサ。クルーガー伯爵家のマルクスは俺を一瞥して溜息を吐いていた。
事の発端を知っている、公爵令嬢と辺境伯令嬢はスルーを決め込んでいるが、腹の内では俺の事をどう思っているかが全く分からない。聖王国の大聖女さまも一緒に拉致された所為で事情を知っているから、妙な視線を俺に送らない。
ミナーヴァ子爵自体は、おそらく何も考えていないだけだ。聖女兼貴族として立ち回っているが、どこか抜けている節がある。
前世の記憶がある所為だろう。俺だって、前世の記憶がある所為で貴族とは言い難く、上昇志向は強くない本当に生粋の聖女と貴族であれば、もっとスキがないはずだ。それに、しがない伯爵家の子息でしかない俺に気軽に声なんて掛けるはずがない。
「エーリヒ、いろいろと大変みたいだな」
特進科二年となったが、面子はほぼ変わらない。一年の時に仲良くなった友人が、苦笑いを浮かべながら自席に座っている俺の下へとやってきた。
「わかっているなら、なにも聞かないでくれ……」
本当に。機密事項もあるからおいそれと喋る訳にもいかないし、ボロを出してヘマをする訳にはいかない。
「少し前からエーリヒと親父さんが登城したって噂になっているな。ミナーヴァ子爵と聖王国の大聖女と一緒に、サロンに何度か入っていたのはそれが理由か?」
確かに登城したから、城に働く人たちに見られていたのだろう。メンガー伯爵家は領地貴族だから登城する機会なんて、代替わりの叙爵くらいのものだ。そんな家の者が登城したとなれば、領地に問題があって陛下との謁見を望んだか、何かしらの手続きをするくらいか。
「そんなところだよ。何故か俺も召喚に巻き込まれたからな」
ミナーヴァ子爵が自領から王都へ戻る際、突然消えた事件はアルバトロス上層部を随分と騒がせた。彼女といつも一緒にいる幼竜が居場所を突き止めてアガレスへ向かい、後追いで軍と亜人連合国の竜との連合軍が編成された。
無事に戻ったことも、大々的に知らされたが、俺や聖王国の大聖女さまに、アリス・メッサリナと銀髪野郎が一緒に拉致されたことは、極少数が知るのみだ。
公爵閣下率いる軍人は口が堅いし、同行していた官僚も口の堅い人ばかりだったから、俺も拉致されていたという事実を知っている人は限られていた。打ち合わせの際に父と一緒に登城した後、少し噂が立っていたが、アガレス帝国がアルバトロスへ謝罪にやってきたことで、俺や大聖女さまも拉致されたことが皆に知れ渡った。
「ふーん。で、アガレスで何か良いことはあったのか?」
さぐりを入れられているな。アルバトロス上層部とミナーヴァ子爵には、今回の件を全て話しても問題ないと許可を頂いている。
だが、向こうで起きたことをそう簡単に誰彼に吹き込むわけにはいかない。単身で攫われていたら、俺は生きていないか、捕まって良いように扱き使われているか……だ。ミナーヴァ子爵がいたからこそ、アルバトロスに戻ってこられたのだから、恩を仇で返す訳にはいかない。あの人なら、俺が恩を返した所で石ころくらいの価値しかないのかもしれないが。
「あれば良かったんだけどな。美人の婚約者でも捕まえられれば文句はなかったんだが、手ごたえは全くナシだ」
俺だって、人並みの幸せは手に入れたい。しがない伯爵家の三男だから、働き始めてから相手を見つける方が誠意があるかもしれないが、彼女が欲しいという気持はある。
若くして死んだ前世じゃあ、彼女がいなかった。生まれ変わると顔はこの世界の平均だが、悪くはない。爵位は普通。俺が頑張って良い所に就職すれば、王都で普通の生活が送れるはず。そこさえ納得してくれる相手がいれば、お付き合いしたいと朧気には考えている。
「あの二人とは?」
「身分が違い過ぎるだろう。子爵家の当主と他国の大聖女さまだ。俺とは釣り合わない」
本当に遠い存在だ。俺はしがない伯爵家の三男で彼女たちは既に立場を得ているのだから。それに俺が彼女たちの横に立っている姿が全く想像できないし。
「……悲しいな」
「悲しいもんだな」
身分の差は、非情にも現実を突き付ける。美人度合いならば、公爵令嬢や辺境伯令嬢の方が美人なんだがな。俺には彼女たちも高嶺の花だから、無理だ無理。
「でも、女子連中が騒いでいたぞ。出世有望株かもしれないってさ」
「俺が?」
「ああ。メンガーさん家のエーリヒくんが、だ」
マジか。どうしてそんな考えに至ったのだろう。あ……帝国からの賠償金はかなり大きい額となったし、気絶から目が覚めた親父は帝国と取引できるならばと領地で売れそうなものを探すと言っていた。
既にその話が漏れているのだろうか。耳の早い貴族家ならばあり得そうだな。俺がミナーヴァ子爵や大聖女さまに呼ばれて、サロンに赴いていることもバレバレだしな。サロンに赴いているのは、味噌と醤油の作り方を書いた書類を子爵に提出する為だ。命を救われたのだから、そのくらい安いものだし、俺も醤油と味噌が手に入るならば悪い話じゃない。
「美人で気立てが良い人なら問題ないんだが……」
そういえば、朝や夕方に女子から挨拶を受けることが多くなったような。たまたまだろうと考えていたのだが、まさか俺と縁を持つきっかけにしたかったのか。いや、俺を介してミナーヴァ子爵や大聖女さまと縁を繋ぎたい可能性の方が高い気がする。
「美人で気立てが良いなら、ハイゼンベルク公爵令嬢狙いか?」
「ぶ! おい、聞こえたらどうする!!」
止めてくれ。確かにあの人は真面目でかっちりしているが、他人を視線で射殺さんばかりのお方なんだぞ。俺がアガレスで拉致されて、ミナーヴァ子爵と縁ができたから、朝の挨拶を許されているだけ。
そんな人と結婚……まあ、外側しか俺は知らないから、案外家庭的なのかもしれないが。
ゲームだとヒロインに負けて退場していたのだが、描写自体はさらっとしたものだった。公爵令嬢の本心も描かれていなかったし謎だが……あの人、仕事人間の匂いがするからな。それに公爵令嬢ならばもっといい家の人間を選ぶだろう。
「俺たちのことなんて目に入ってないさ」
「そりゃそうかもしれんが、どこで誰が聞き耳を立てているか分からん」
貴族は噂が命の部分があるからな。注目されているというなら、目立つ行動は避けた方が無難だ。けれど、なあ。ミナーヴァ子爵たちとの話し合いが数日後に控えているんだよなと、遠い目になるのだった。――親父のことは笑えないな。






