0538:続・魔術師団のとある一日。
2022.10.28投稿 1/2回目
――黒髪の聖女さまは素晴らしい!
魔術師団の建屋、副団長室と呼ばれる部屋で僕の妻が持ってきてくれた資料に目を通す。その一部は黒髪の聖女さまのことを記したものです。ぺらぺらと捲りながら、黒髪の聖女さまの姿を思い浮かべました。
「また愉快なことを考えていらっしゃるようですねえ」
今は亜人連合国に向かって、妖精の移住を試したりドワーフの職人となにやら造っているそうで。
彼女と同じ時代に生まれた偶然を感謝しなければ。
もう少し贅沢を言うならば、同年代に生まれていればもっと彼女の近くで魔術の研鑽を努められたが、無理なものは無理なのだから諦めるほかない。
昨年、彼女に出会ってからというもの毎日が楽しくて仕方ありません。黒髪の聖女さまは厄介ごとを呼び込む体質のようで、フェンリルに遭遇したり、呪われた竜の死骸を浄化したり、さらに浄化した竜の死骸が魔石ではなく卵を残したり。亜人連合国に赴くことは叶いませんでしたが、時間を経て竜の血を頂けることになりましたし、エルフの方と魔術に付いて語り合い、新しい概念の魔術結界を生み出せました。
確か、アリ……なんと申しましたか。魔眼持ちの少女は生まれる前の記憶を持った人物と少し前に知りました。
黒髪の聖女さまも魔眼持ちの少女と同じ生まれる前の記憶持ちで、魔眼持ちの少女と同じ国、同じ時間に生きていたと聞きました。どうやら僕は物語の中の登場人物で、魔眼持ちの少女と恋仲に落ちるのだとか。
――あり得ませんよ。
僕の妻は政略の為に幼い頃、親からあてがわれた方ですが。長い年月を一緒に過ごしていれば情は湧きます。それに彼女は僕の事をアルバトロスの魔術師団副団長ではなくハインツ・ヴァレンシュタイン個人を見てくれるのですから。
僕はただ魔術の研鑽に務めていたいのですが、どうにもお金が掛かってしまいます。それを解決するには魔術師団に入り、高給取りとなることでしたから。今では有難いことに陛下に重用されて、いろいろと融通させて頂いております。
家庭を顧みていませんが、それでも僕の妻は笑って許してくれる優しい人。僕が長い間家を空けていても、しっかりと夫人として切り盛りしてくれるのです。邸に戻れば、ニコニコと迎え入れてくれて僕の話を静かに聞いてくれます。流石に機密は話せませんが、魔術について語る僕が好きなのだとか。
そういうことなので魔眼持ちの少女と恋仲に落ちるなどあり得ないのです。彼女は研究対象だったので、今まで何も言わずに調べるだけ調べていましたが、魔眼に付いての成果はこれ以上望めそうもないですし、価値は低くなってしまいました。
丁度アガレス帝国の皇帝陛下が欲しがっているようなので、確りと魔眼対策を施して引き渡しても良いのかもしれません。国に不利益を齎す者など必要ありませんしねえ。陛下の決定次第ですが、僕以外の魔術師も魔眼持ちの少女に興味を失くしていっているので、仲間内から責められることはありません。
「しかし、魔力量が多いのも考えものでしょうか」
部屋で独り言を呟きます。黒髪の聖女さまの魔力制御がままならないのは、魔力量の多さが原因でしょう。本人も自覚なさっているようで、僕が彼女に魔術制御を教えていると真剣な顔で学んでくれていますが、一向に上手くなる気配がないのです。
教会の魔力感知に長けたシスターにも教えを乞うているようですが、そちらも効果はさほどないのだとか。魔力は有限なので、少しでも魔力消費を抑えようとするのが魔術師の常。古代魔術やエルフの方々独自の魔法を使っても、魔力切れを起こさないのは羨ましいです。
僕も彼女の様に魔力が多ければと願ったことがありますが、流石に竜を従えたり、妖精と仲良くなったりするのは避けたいですねえ。それはそれで楽しいのかもしれませんが、研究に没頭できなくなりそうですから。
黒髪の聖女さまが頭を抱えながら、悩んでいる姿を横で見るだけで十分です。竜やエルフの方々は話が通じるので、貴重な素材や魔法知識を頂けます。黒髪の聖女さまのお屋敷に赴けば、庭には天馬に猫又に妖精がいらっしゃいます。
彼女自身には竜とフェンリルとスライムが一緒にいらっしゃるので、研究対象に困ることはないのです。まさか、このように幻獣や妖精と仲を取り持つ人間がいるとは。古代人の先祖返りと幼竜さまと黒髪の聖女さまからお話を聞いたので、納得の状況ですが。
黒髪の聖女さまは胆力があり過ぎではないでしょうか。普通の十五歳の少女であれば、その特異な環境に発狂してもおかしくはない状況。孤児出身だからか、それとも過去の記憶持ちだからか、それとも黒髪の聖女さま自身が持ちえた才能なのか。
「次はなにを引き起こしてくれるのでしょうか」
陛下やアルバトロス上層部は頭を抱えているようですが、国益を損なうことを黒髪の聖女さまは犯しておりません。
もし彼女が魔眼持ちの少女のように愚かな人間であれば、城の魔術陣に魔力補填だけを目的に幽閉されていたでしょう。あのような魔力が備わっているならば、もっと付けあがってもよさそうですが彼女にはそれがない。
殊勝な所は好感が持てますが、これまでの功績が多すぎて国も認めざるを得ない存在となっております。味方がいるとなれば、敵もいることになります。実際、黒髪の聖女さまの噂を聞いて馬鹿な魔術師が接触を試みていました。
彼はヴァンディリアで処罰を受けて、アルバトロスに引き渡されています。教会騎士と軍がかなり執拗な取り調べを行っている最中なのだとか。子供を使った黒髪聖女さま拉致未遂事件の犯人なのですから当然と言えば当然ですが。かなり参っているらしいのですが、僕も彼に用があるのでそれまでは生きていて欲しいものです。
辺境伯領の急成長した大樹の近くで見つけた魔石は、あの魔術師の意志が宿ったもの。陛下から預かったその魔石を箱から取り出します。魔術師団の皆でこの魔石に嫌がらせを全力で施した結果、魔石の意志も折れたようで大人しくなっています。
「馬鹿なことをしたものですねえ、貴方も。魔術師ならばもっと別の方法で、黒髪の聖女さまと接触することができたでしょうに」
僕が少し魔力を放出しながら呟くと、魔石が鈍く光りました。子爵邸に引き籠って学院と子爵邸と子爵領と城にしか姿を見せない、黒髪の聖女さまと接触する方法……難しいですね。失敬、前言を取り消しましょう。せめて彼女が爵位を手に入れるまでに接触が出来ていれば、何かしらの縁を繋げたかもしれません。
ですが、教会も他国の人間の接触を許すでしょうか。その前にハイゼンベルグ公爵閣下も、彼女に妙な者が近づけば排除するでしょうし、子爵になる前でも案外難しいのかもしれません。だとすると魔術師団長が息子可愛さに、学院の合同訓練に僕を差し向けたのは幸運だったのでしょうねえ。
「おや……では僕は団長に感謝しなければならないのですね」
無能で魔術師団の皆からは煙たがられていますが、お飾りの団長というのもたまには役に立つのですねと、結界を施した箱の中に魔石を戻すのだった。






