0534:筆頭聖女さま。
2022.10.26投稿 1/2回目
ハイゼンベルグ公爵さまに呼び止められた私は、意外な人物と顔を合わせることになる。
――筆頭聖女さま。
老齢を理由に表舞台から遠ざかっていたというのに、どうして今、私の目の前に立っているのだろうか。アルバトロスの将来を担う方のおめでたい席なので、彼女がいらっしゃることは納得できるけれど、就任式の時には一体何処に居たのだろう。
謁見場全体を見回して、どのような方が来賓でいらしているのか確認していたというのに、筆頭聖女さまを捉えることは出来なかった。まじまじと眺めることは出来ないので、軽く見ただけだから見逃してしまっても不思議はないが。
「初めまして、黒髪の聖女。貴女の話はそこにいる公爵閣下から聞き及んでいます」
ふふふ、と笑って皴を深くしながら、筆頭聖女さまは私から公爵さまへと視線を送る。視線を向けられた公爵さまは苦笑いを浮かべながら、私を見た。あれ、いつも泰然としている公爵さまが珍しい。気圧されているというか、なんというか。
筆頭聖女さまを何度か遠目でお見かけしたことがあるけれど、凄く綺麗に歳を重ねた方だった。公爵さまとそう変わらない年齢だというのに、歳を取っているように感じないし、纏っているオーラも力強い。
若かりし頃はさぞお綺麗だったのだろうなあ。私と同じように彼女も聖女の衣装を着こなしていた。本当に、老齢を理由に表舞台から去っていたのだろうかと疑問になる。それくらいに老いを感じさせない風貌だった。……って、考えている場合じゃないな。
「お初目に掛かります、筆頭聖女さま。ナイ・ミナーヴァと申します。わたくしを貧民街から救い出してくださったこと、誠に感謝しております」
私の名を告げて、聖女でもなく貴族でもない、一人の人間として頭を深く下げる。彼女は名乗らなかったので不要かもしれないが、流石に名乗らなければ不躾だろう。私たちを見ている周囲がざわついたが、今は放置でいい。以前からお礼を伝えたかったけれど、機会がなくここまで延びに延びてしまったのだから。
筆頭聖女さまの異能『先見』で私を見つけて貰っていなければ、私は貧民街で孤児のままだった可能性が高い。もしくは野垂れ死にしていたか。ジークとリンにクレイグとサフィールも守れなかっただろう。あの日、あの時、隊長さんたちが貧民街に現れたことは感謝してもしきれない。
私たちは貧民街から助け出されたけれど、他にも孤児は居た。公爵さまに願えば彼らも救い出された可能性はある。全て救えないのは理解していたから、何も告げず自分の仲間だけの助けを求めた。
「私は少し先の未来を覗いて切っ掛けを作っただけ。歩むべき道を切り開いたのは貴女自身よ。――マリア・アイゼンシュタット子爵です。気軽にマリアと呼んで頂戴」
一応、私の上司であるから名前呼びはご勘弁をと言いたかったが、上司自身が望んでいるのだからそう呼ぶしかないのだろう。
にっこりと笑みを浮かべる筆頭聖女さま、もといマリアさまに公爵さまが『紹介はしたぞ』と告げて、夫人と一緒にこの場から去って行った。え、公爵さま私を置いていかないでくださいと、その背に訴えるが振り向かないまま人ごみの中へと消えて行く。
公爵さまが居なくなったことでマリアさまと私、一対一の図式が出来上がる。礼を伝えた今、何を話せば良いのか分からないし、そもそも彼女の目的が分からない。
「そのように緊張しなくとも。今や私よりもナイの方がアルバトロスにとって価値が高いのよ」
気軽でいいのよ、と私の顔を覗き込んでくつくつ笑うマリアさま。彼女が『先見』で私を見つけたのは本当に偶然らしい。今はその力を失って未来を見ることは出来ないが、黒髪黒目の少女がアルバトロス教会の測定器を壊す姿が勝手に浮かんできたのだとか。
竜が持つ魔力量までは測れる測定器を壊す魔力の持ち主を見逃す訳にはいかないし、アルバトロス教会ということはアルバトロスに住んでいる可能性が高いこと。そして何より、黒髪黒目は珍しく少し探りを入れればすぐに見つかるだろうと、国と教会に先見で見た内容を告げ、教会騎士や軍が方々探し回る……ことはなかった。
王都の教会が主催する炊き出しに黒髪黒目の私が何度か姿を現していることを教会の人たちが知っていた。マリアさまの話を聞き、存外早く見つけ出すことができたのだとか。教会騎士が貧民街に赴かず、軍の隊長さんたちが姿を現したのは、話を聞いていた公爵さまが教会の人間よりも早く私を見つけろと軍に通達していたそうな。
測定器を壊すような者が本当にいるのならば、アルバトロスの障壁を維持することに暫くの間は頭を抱えなくて済む。教会が存在を秘匿する可能性もあるから、先に見つけたかったらしい。
「私は貴族として生まれ、国の為に生きてきました」
マリアさまは若かりし頃、聖女として戦場に立っていたそうだ。治癒魔術よりも火力に特化していたそうで、戦場では高火力の魔術を放って敵国の軍人を何百何千と殺めたと。
ご時世的に荒れていた時代。そういう聖女が重宝されていたのだとか。アルバトロス周辺を脅かしていた某国の王の死であっけなく終わりを迎えて、先代のアルバトロス王は戦後復興を掲げ、今代の王は周辺国との平和路線を提唱しながら、国の更なる発展に努めている。
「私の若い時代は戦うことで、聖女としての価値が認められましたからね」
公爵さまと一緒に戦場で共に戦ったこともあるらしい。貴族籍だったことと功績と魔力量を認められて、筆頭聖女の座に就いたそうだ。教会の礼拝で胸を押さえて倒れたお婆さんは、筆頭聖女の座を争った仲で今でも関係が続いているのだとか。
戦場に立つよりも、二週に一度の城の魔術陣への魔力補填が、どんなに幸せなことかと噛みしめながら長い時間が流れたと。歳を取ったので全盛期のようにはいかないが、月に一度は城の魔術陣への補填を担っているそうで。
「ナイ、私は貴女の生きる道を縛ってしまったのかもしれません。貴女の魔力はこれ以上とないもので、アルバトロスにとって利用すべき人間でした」
マリアさまは目を細めながら何とも言えない顔をして、賢い貴女であれば貧民街から脱出することは簡単だったでしょう、と。……どうだろうか。死んでいたかもしれないし、生きてどこかで暮らしていたかもしれないけれど。
今、この場に立っているのも、私の後ろにジークとリンが控えているのも、子爵邸にクレイグとサフィールが帰りを待ってくれているのも、ソフィーアさま、セレスティアさま、公爵さまに、副団長さま、他の人たちと出会えたことも。クロが私の肩の上にちょこんと乗っているのも、ロゼさんとヴァナルが私の影の中で待機してくれているのも、多分きっと彼女のお陰だから。
少し先の未来が見えるということは、良いことばかりじゃないはずだ。悪い光景だって見えたことがあるだろう。それをおくびにも出さず、国の為にと走ってきたマリアさまは強い人だ。
「マリアさま。わたくしは生きる道を縛られたなどと考えたことはありません。そして、利用されていたとしても問題はないのです」
暖かい食事と寝床。夜、寝込みを襲われる心配をしなくて済んだし、雨風をちゃんと凌げる部屋を与えてくれたこと。教会には厳しい人や嫌な人、いろんな人がいて。魔力補填を始めれば、お城にもいろんな人がいたけれど。
「わたくしの魔力量が多いことは、どこかで露見していたはずです。分かった場所が教会ではなく貧民街であれば、もっと悲惨な道を辿っていたこともありましょう」
貧民街という場所であれば、悪い大人に捕まって売り飛ばされていた可能性もある。魔術師として育てられ、傭兵とかになっていたかもしれないし。奴隷となって、主人の命令に従い人を殺していたかもしれない。考え始めるときりがないけれど、やはり教会に拾い上げて貰ったことは幸運だったのだ。
「アルバトロスの聖女として働いていることは、私にとって進むべき道で、これからも歩んでいきます」
これから先もアルバトロスの聖女として生きていく。どんなことが起こるかなんて分からないし、私の魔力でどんな未来に進むとしても。面倒ごとに巻き込まれても、頭を抱えることになっても。馬鹿だなあと誰かに笑われても。貴女の力によって助け出されて、今こうして生きていることに感謝しているから。
「もう一度言わせていただきます。あの場所から助けて頂き、本当にありがとうございました!」
本当にありがとうございます。ジークとリン、クレイグとサフィールが笑っていられるのは貴女のお陰だ。前世で生きてきた知恵があったとしても、必ず限界を迎えていただろう。見捨てたものもあるけれど、一番大事なものは守れたのだから。
「貴女は……いえ、なんでもないわ。そうね、後悔なんてナイに失礼ね」
公爵さまから私の話を聞く度に面白おかしく笑っていたけれど、心のどこかでずっと引っ掛かっていたのだとか。
マリアさまが先見で得た情報を噤んでいれば、私には別の道もあったのだろうと。でも今日は思い切って話をして良かったって。ふう、と息を吐いた後、吹っ切れた顔を浮かべて、マリアさまは私の肩に手を置いて耳元で囁いた。
――アルバトロスをよろしく。
そう告げて私の下を去って行くマリアさまは、先ほどの公爵さまと同じように人ごみの中へと消えて行く。嗚呼、どうあっても筆頭聖女さまは……マリアさまはアルバトロスのお貴族さまなのだな、と思い知らされるのだった。






