0512:【④】頑張りどころの大聖女さま。
アルバトロス王国王城の来賓室。留学の為に割り当てられた部屋で、私とアリサは椅子に座ったまま静かな時間が流れていた。
――泣いたのかな……?
生活が苦しくてつらい時、アリサのお母さんが亡くなった時、アリサのお父さんが道具としてアリサを見ていたと知った時。
心根が真っ直ぐで直情型なアリサだから、歯を食いしばり我慢して泣いてないのかも。泣いて喚いてみっともない姿を見られたとしても、別にいいじゃないか。どこかで聞いたことがある。悲しくて泣いても、嬉しくて泣いても、泣けばストレス発散になるって。
「アリサ。泣きたい時は泣いてもいいんじゃないかしら? もちろん人前で泣くなんて嫌というなら、一人で夜にこっそりとベッドの中で泣けばいいわ」
大聖女という立場にあるから、人前でなんて泣けないけれど。聖王国を立て直すと決め行動に起こした際、上手く行かずに悔しくて泣くなんて、頻繁にあった。
泣いちゃ駄目だと我慢して、誰にも分からないようにベッドの中で泣いていたから。翌朝、目が腫れてとんでもない顔になっていたこともあるけれど、折れそうになった心が立ち直ったのは泣いたお陰もある。
「え?」
目を腫らしたアリサが私をみた。
「貴女は強い子だから。泣きたい時に、泣かないようにって我慢しそうだもの」
本当に。ゲームの主人公だって泣きたいときくらい泣けばいいんだよ。アリサの心に一本芯が通るために必要なイベントはヒーローが失脚しているから望めないけれど、ヒーローがいなければアリサが強くなれない……なんてことはない。
「それ、は…………」
「今すぐ泣けなんていわないけれど、泣きたいときは泣きなさいな。我慢は体によくない、なんていうのだし」
言い終わって笑い顔を作ったけれど、私は上手く笑えているだろうか。アリサがこの場で泣かなくてもいいから、泣ける場所くらい作っておいてあげたい。
「アリサが困っていることや悩んでいることがあるなら教えて。解決できないかもしれないけれど、話をするだけでも違うでしょうから」
聖王国には人生の大先輩が沢山いるし、私もアリサより長く生きているのだ。生まれた場所と時間や文化は全然違う所だったけれど、短い人生の中で今世で役に立つことは沢山ある。
空気を読まなきゃ弾かれる日本という国だから、そういうことには長けているつもりだ。先輩としてアリサを上手く導いていく自信はないけれど、悩みを聞くことや世間話を聞くことはできる。立場を取り払えば友人にだってなれるはずだ。
「はい、ありがとうございます! フィーネお姉さま!」
ずび、と鼻を啜って笑ったアリサは随分とスッキリしている様子で。心の痞えが取れたならなによりだ。
アリサの実家も問題を抱えているようだし、貴族について詳しい方に一度話をして相談することと、聖王国の隅々にまでナイさまが聖王国を訪ねた本当の理由を広めないと。アリサのような人が今後出てきてもおかしくはない。今優先すべきことは、アリサがナイさまに妙な感情を抱いていないかどうかの確認をしなければ。
「いいえ。ところでアリサ、ナイさまへ向けていた勘違いは解けたかしら?」
「はい! 聖王国の事情とアルバトロスやリーム王国の事情は理解しました。ですがフィーネお姉さまよりも優れた聖女さまというのは懐疑的です!」
ずっこけそうになった。ナイさまに手を出すと大変なことになるのは理解したので、何かしらの行動に起こすことはないけれど、今より一層ナイさまに注目しておく……のだそうだ。
私の身に起こったあの事件の説明だけでは足りないか。順を追ってアガレス帝国に拉致された時の話もしておこうか。帝国でのナイさまの破天荒さと口の上手さを知れば、敵に回してはいけない相手と再認識してくれる……かなあ……。なんでアリサはこんなにパワフルかなあと天井を仰ぐ。
「お、お姉さま?」
心配そうな声のアリサに視線を戻す。
「なんでもないわ。アリサ、夜は長いから私の長話に付き合ってくださるかしら?」
私と一緒に居る時間が増えたと喜び、諸手を挙げて賛成してくれた。アガレス帝国で起こった拉致事件は聖王国とアルバトロス双方に報告書を提出しており、開示部分と非公開部分を取り決めているから、開示部分はアリサに伝えても大丈夫だ。
聖王国は東大陸との縁を得たことで、教会の教えを広めるための新天地を見つけたといって喜んでいる。アガレス帝国に賠償の一部として、こちらの教会の教えを広める宣教師を受け入れろと要求するそうだ。
聖職者があまっている状況なので、就職先としては良いのかもしれないが、あちらの大陸へ渡りたい者がいるの……いた。
そうだ。教えに熱心な方が一部にいらっしゃるので、お声がけをすれば嬉々として東大陸へと渡ってくれるに違いない。上手くいけば聖王国教会の教えがアガレス帝国や東大陸の方に広まる訳だけれど、果たして上手くいくのかどうか。黒髪黒目信仰という、凄くヤバいワードが薄まればいいなと願うしかない。
「ナイさま、中央広場にあるアガレス帝国初代皇帝像を粉微塵にしちゃったの! もの凄く大きい像で、人間の何倍もあるのよ。あとで聞いた話だけれど、中途半端に壊して怪我人が出ても面倒だからって」
ナイさまは、なにも考えていないようで、割と先のことまで考えている方だ。アガレスの巨大魔石を壊したのも、再度飛空艇でこちらへきても困るからと仰っていたし。
思い切りのよさとか大胆さも兼ね揃えているようで、民衆の前に立って扇動もやっちゃったしなあ。本当、敵には回したくない相手。というか私なんかじゃ足元にも及ばない。最初の出会いは最悪だったけれど、今では同じ学び舎の下で肩を並べることになっている。短い時間だったけれどアガレスで一緒に過ごせたことは、なんだかんだで楽しかった。
胃痛の元は彼女にあるけれど、上手く付き合っていけばきっといい方向に進むはずだ。
「あんなに小さい体なのに……」
「見た目だけね。ナイさまが有する魔力は強大。留学が終わる頃にはアリサもきっと身に染みて分かるはずだわ」
規格外のナイさまの凄さを。というかアリサは、ナイさまが肩の上に乗せてる竜が気にならないのだろうか。竜を従えているというよりも、竜と友人関係を確りと築いている。ワイバーンと意志疎通できると聞いたし、竜の皆さまはナイさまにとても懐いている。
帰り道に一緒になったエルフのお二人も、ナイさまと仲良しみたいだし、本当に意外というか凄いというか。亜人の方を西大陸の亜人連合国以外で見ることはほとんどない。お目にかかれるとすれば、奴隷に身分を落とされているか、変わり者と自分で称して旅をしている方なのだ。私は亜人の方を見たのはアガレス帝国が初めてだし、聖王国内では見たことはなかった。
肩の上に乗っている竜はナイさまが浄化魔術を施した竜の代替わりと聞いた。竜の脚に括りつけられて東大陸から西大陸へと戻った彼が、浄化魔術を施すことになった原因らしい。
「ナイさまお一人で竜の浄化儀式魔術を執り行えるのだから、聖女であればその実力は分かるでしょう?」
「じょ、浄化儀式魔術を……ひ、一人で執り行えるのですか!?」
アリサの驚きは仕方ない。浄化儀式魔術は聖女を集めて執り行う、というのが普通の認識。狂化した巨大な竜の儀式ともなれば、一体何人の聖女が必要になるだろうか。本当に規格外、とまたしても唸ってしまう。アリサに詳しく語ることはできないけれど、これだけでも凄い話なのだから。
「ねえ、アリサ。ナイさまにはスライムとフェンリルも一緒にいらっしゃるわ。学院で公爵令嬢と辺境伯令嬢が彼女の側で付き従っているでしょう?」
帝国で目にしたスライムとフェンリルは、学院内だと彼女の影の中で過ごしているそうだ。悪役令嬢であるソフィーア・ハイゼンベルグとセレスティア・ヴァイセンベルクも学院ではナイさまと一緒に過ごし、放課後は侍女として働いている。
本当に凄い展開。あ……ソフィーアとセレスティアには機会があれば謝っておかないと。前にゲームについて詳しく語る機会を得たから、つい熱くなってしまった。あとから考えると凄く悪いことをしてしまったと反省したのだ。ナイさまを通じて、話す機会を頂けると良いのだけれど。
「はい」
「聖女としても、政治面でもナイさまはご自身の力で身を立てた……。――そこだけは勘違いしてはならないわ。勘違いして手を出せば、飲み込まれてしまうわよ」
念には念をと同じことをアリサに伝える。最初に言った時よりも彼女は真剣な眼差しで私を見ているから、ナイさまの理解が深まってきたようでなにより。
「ナイさまと私を比較したいならば、アルバトロスの治療院を見学させて頂きましょう」
話を聞くだけでは分からないし、実際に目にして納得して貰った方が早いかな。アルバトロス王には協力を惜しまないと手紙に書いてくれていたし、大聖女の権限で教会に直談判することもできる。両方に確認を取った方が問題が少ないだろう。
私の言葉に神妙に頷くアリサを見て、苦笑いを浮かべるのだった。






