0508:【④】アリサの過去。
2022.10.10 2/2回目
無事だった人や私が乗って来た御者の手によって、怪我人が道を逸れた野原に並べられ多くの人が、怪我の痛みに耐えている。
大人に交じって子供もいた。ぐったりとしていたり、泣き叫ぶ子に、恐怖に震えて膝を抱えている子。大人でも突然の出来事に驚き、立ちすくんでいる人もいるのだから仕方ない。
『お願いです! 誰か子供を助けてください! こんなに血が流れて、私の言葉に答えてもくれないんです!』
身動きしない子供を抱えて、男性に縋りつく母親。
『おい、早くしないと死ぬぞ! くそ、なんでこんなことになったんだ!』
馬車から運び出した怪我人の様子を見て、叫ぶ男の人。
『お母さん、痛いよー!』
倒れた母親の側で、自分の痛みを訴える子供。
『……っ。神さま、どうか皆をお助けください……』
怪我もなくその場にしゃがみ込み、祈ることしかできない女性。
事故を起こした馬車に近づくにつれて、声がはっきりと届く。怪我人が多いうえに、怪我の度合いが重い人が見受けられた。馬車はどれほどの衝撃を受けて倒れてしまったのだろうか。
一人の聖女だけで負える人数ではないけれど、やれることをやらなきゃ。でも、どうすれば良い? この状況で一人一人を診ていたら、確実に手遅れになる人が出てくる。治せる保証もない。でも、やらなきゃ。
――どくん。
胸の音が大きく一つ鳴る。いちいち考えるよりも行動に出るべきだ。でもその一歩が踏み出せない。私が出れば、治癒を施せば聖女として期待の目で見られる。治してくれと縋られる。治療院で聖女さまたちと一緒に患者を診ている状況とは大違い。どうすればいい、やらなきゃ。どうする。やらなきゃ。
『――″君よ、陽の唄を聴け″光よ、彼の者に注ぎ給え″″安らぎと平穏を″″癒しの風よ、彼らに吹き給え″』
最後の一節は私の口から勝手に出てきた。そして魔力が空になって視界が暗転するところまでは覚えている。目が覚めると王都の合同宿舎の自室に寝かされていた。私の看病をしてくれていた方が驚いた顔を見せた後に『お疲れさまです。聖女さまのお陰でみんな生きていますよ』と開口一番に教えてくれた。
よかったと安堵する。記憶があまりなく、当時の状況を思い出せないけれど、倒れていた人たちはみんな助かったならば、倒れたかいがある。
勝手に唱えた四節目はどうやら範囲魔術の効果が含まれていて、一度の術の行使で沢山の人を治したそうだ。範囲魔術、しかも治癒魔術の範囲を施せる聖女さまはかなり珍しいそうだ。
才能があると教会のお偉いさんたちに言われて、聖王国で大聖女さまを務めるフィーネ・ミューラーさまとお会いできることが決まった。時間はたった五分と短いものだ。大聖女さまは腐敗していた聖王国教会上層部の浄化に尽力されたお方。
アルバトロス王国の聖女が自身のお金を教会の人間に使い込まれたことに激怒して、聖王国へと乗り込んできたことが事の発端。
確かに自分の貯めたお金が使い込まれれば、怒るのは理解できるけれど。他国にまで乗り込むのはやり過ぎなのではと考えてしまう。聖王国の教会上層部に所属する枢機卿が彼女のお金を使い込み、こちらへと逃げ込んだそうだが、処分や引き渡しは聖王国の仕事なのだし。
犯罪者を引き渡せ、さもなくば竜をけし掛けると脅されれば誰だって怖くて従うほかないけれど、やはりやり過ぎなのでは。
黒髪の聖女が聖王国でどういう取引をしたのかは教えられていない。ただ竜という暴力装置を使って、教会上層部を脅したと噂で聞いている。触れてはならないこととして、周りのみんなは語ろうとしないから、噂が飛び交っている状態だ。
そして黒髪の聖女からの理不尽を見事に受け止めたのがフィーネさまだ。もちろん他の方も尽力したと聞いているけれど、彼女が居なければ聖王国は滅びていたとさえ聞いている。
『はじめまして、大聖女さま』
大聖女さまとお会いできる日がきた。聖王国教会の大聖堂で短い時間ではあるがお会いすることになったのだ。
『はじめまして、聖女さま、いえ、アリサ・イクスプロードさま』
頭を下げて数秒待ち顔を上げると、目の前には私より背の低い銀髪の少女が立っていた。教会のステンドグラスから漏れる光に当てられて、なんとも神々しいお姿だった。聖女ではなく名前で呼んでくれたことが凄く嬉しかった。聖女は名前で呼ばれることは珍しく、教会関係者の間だと名前を知らない人もいるし。
聖女の衣装を纏い、聖女として立っているならば、聖女が正解。名前で区別されることは少なく、聖女としての役割を務めることだけを求められる。少し寂しいけれど、自立して生きて行けるのだからこれくらいは我慢しないと。
大聖女さまはあの事件後から、治療院に度々姿を現して困っている人たちを助けているそうだ。今までが酷かっただけと口の悪い人はいうが、なにも行動していない人がいうべきことではない。これから後も治療院に赴いて患者さんを診て回るそうだ。私も一緒に行きたいと告げると、柔和に笑って快く承諾してくださった。
『アリサさま、参りましょう』
綺麗に笑って、また私の名を呼ぶ大聖女さま。はい、と勢いよく返事をして、彼女の後ろをついて歩く。そうして辿り着いた治療院には大聖女さまが訪れると聞いて、人波でごった返していた。
この人数を捌くには随分と時間がかかるだろうと、パッと見ても分かるくらい。魔力は回復しているし、先日倒れてしまうまで魔力を使ったので、少しは総魔力量が上がっているはずだけれど。
何の迷いもなく人の群れの中を進んで、大聖女さまは治癒を施していく。幾度か言葉を交わしながら症状を聞いて、術を施していた。こんなに早く判断して術を施す聖女さまは珍しい。魔力の消耗を避ける為、割と長く症状を聞いて回るのだけれど……。流石、大聖女さまと呼ばれるだけのことはある。そして大聖女さまに遅れないようにと私も患者さんの側に行き、診療を開始したのだった。
『お疲れさまでした。アリサさま』
『大聖女さま、お疲れさまです』
そうして全員の診療を終えた頃は、もう陽が落ちる寸前で。数多くの患者さんを診たというのに、大聖女さまはけろっとしている。私は今にも座って休憩を取りたいくらいなのに。本当に凄いお方だ。聖女を務めながら、政治面の勉強も取り組んでいると聞く。同じ年齢なのに随分と大人びて見えた。
『あ、あの!』
『はい?』
『お姉さまとお呼びしてもよろしいでしょうか?』
え、と大聖女さまは気後れしているが、お姉さまと呼んでも全然問題ないと思う。だって私より確りしているし、聖女としてもお姉さまは格上。
尊敬できる相手だし、敬うことって大事。え、え、とまだ戸惑っているお姉さまがお可愛らしくて、駄目といわれても呼ぶことを決意したのだった。それから私は大聖女さま付きの聖女として、一緒に過ごすことを許され、アルバトロスに留学することになったのだ。
「アリサ、集中しないと。アルバトロスの授業内容は進んでいますし、置いていかれれば困るのはアリサですよ」
は、と我に返る。どうやら随分と長く思考に耽っていたようだ。お姉さまは苦笑いを浮かべながら、私を見る。うん、何度見てもお綺麗な顔は飽きないし、お声だって凄くいい。いつも優しいし、横柄な態度を取った所なんて見たことがない。
私の覚醒がもっと早ければ。フィーネさまを助けることができたのに。後悔しても遅いから前は向かないと。お姉さまから黒髪の聖女に手を出してはいけないと厳命されているから、できることは少ない。お姉さまの実力は私が知っている限りで一番優秀な方だ。黒髪の聖女は貴族だから、きっと聖女としての実力は大したことはないだろう。
――聖王国聖女の質の高さを見せつけよう。
そうすれば黒髪の聖女もお姉さまにちょっかいを出すことは少なくなるはず。お姉さまは黒髪の聖女に呼び出されて、学院のサロンでなにか話しているようだし。なにを話しているかはお姉さまは教えてくれない。聞いたとしても濁して『これからのことを少しね』と告げるだけだ。
そりゃ、一介の聖女に言っちゃならないことかも知れないけれど、一抹の寂しさを感じてしまう。書き込まれている黒板の文字をノートに書きながら、これから先のことを考えるのだった。






