0499:子爵邸の図書室。
ダリア姉さんとアイリス姉さんが訪れたのが昨日。今日は今日で、午前中はロザリンデさまが家庭教師として子爵邸の本邸にきて勉強を教えて頂いた。彼女の話によるとアリアさまは頭の回転が速く飲み込みが良いそうだ。面白いくらいに教えたことを吸収するそうで、二年生の二学期か三年生になる頃には特進科に転科できるらしい。
学院の仕組みがどうなっているのか分からないので、私からは何とも言えないけれど。フライハイト男爵領の魔石の鉱脈に薬草畑が軌道に乗り始め、聖樹候補も順調に育っている上に私との繋がりもあるから、特進科に移りやすいだろうとのこと。やっぱりお貴族さまの世界って不思議だ。学院なのに成績だけで判断されないのは如何なものだろうと首を傾げるが、彼女の安全面を考えると妥当な判断である。
『ナイ、お昼からなにをするの?』
クロが籠の中からパタパタと飛んで、机の上に着地した。暖かくなったのでお猫さまは籠の中よりも、サンルームや外に出て日向ぼっこをしている時が多くなっており、クロの居場所が戻っていた。
お城の魔術陣を破壊した為に王国全土に――平時なので全土を守る必要はないけれど念の為。私の所為で侵入されたと、私を気に入らない人たちが言い出しかねないし――障壁展開をしている最中。
魔術陣の魔改造は新学期に入って数日経てば完成なのだとか。魔術陣を管理しているのは王国だけれど、教会のお偉いさんたちも呼び出されて協議をしたのだとか。
聖女への負担が大きいから、魔力や精神的なものを減らすことができないかとか。改造資金の一部を提供するとか、割と食い込んできたみたい。お偉いさんたちのやり取りはどうでも良いとして、シスター・リズとシスター・ジルからは随分と呆れられながら、揶揄われてしまった。
「なにしよっか? 流石にお出かけするのは無理だよね」
王都の街に繰り出して食べ歩きしたいけれど、我慢である。私が街へと出ると『竜使いの聖女さま』と騒ぎになってしまうし、人だかりが出来て大変だ。治癒院が開かれ参加していた際に、生まれたばかりの子供に名前を付けて欲しいと願われたことがある。
名誉なことだけれどセンスがないので、ご両親にいくつか候補を言って頂き響きが良いものを選んだ。元気に過ごしていると良いけれど、またそんな事態になるのは御免である。ちなみに平民の皆さまは名前にこだわりはなく適当だと、ハウスメイドの方に教えて頂いた。気軽に付けてあげてくださいと言ってくれたけれど、名前に意味を持たせることも知っているので切り替えはなかなか難しい。
『警備の問題があるからねえ』
アガレス帝国に拉致されて戻ってきてから、みんな敏感になっているから大人しくしておかないと。馬車移動は危険だと子爵邸から子爵領を繋ぐ転移魔術陣が施されたり、学院に通うのも転移陣を設置するとかしないとか。
魔術陣がひとつあれば行先設定変更だけなので、要人が移動する際に安全を確保する為だと言い張って新設しまくっている。お城から学院へ、学院から子爵邸へと一足飛びになるそうだ。特別扱いのような気もするけれど、私と関わると身を亡ぼすか凄く出世できるかの二択。
外見に騙されて手を出そうとする人間が不憫だから我慢しろと言い放ったのは公爵さま。いや、公爵さまは手を出した相手をノリノリで潰す方向性のお方である。アルバトロスに不利益を齎すならば、二倍三倍にして返すだろうし。
「あ。図書室に行ってみよう。最近、いろいろとあったから覗いてないしね」
子爵邸の図書室は、邸に務めている人ならば誰でも利用可能になっている。暇つぶしに本を読んでいると、本好きな従業員さんたちがおすすめの本をそっと置いてくれている。
特におすすめしたい場合は図書室の中にある机上に『読んでみてください』というメモが挟まれており、探すのが億劫だとそれを手に取って読んでいる。ハズレがないのでありがたい限りだ。暫く行っていないし蔵書も増えているだろうから、ちょっと覗いてみようとクロと頷き合う。
『…………』
椅子から立ち上がって図書室へと足を向けようとすると、床上でいつもより伸びているロゼさんが無言でこちらをみている気がする。ロゼさんの方をみても何も言わないので気のせいか。ヴァナルは鼻先でロゼさんを転がしながら、私の後を付いてきていた。
「お疲れさまです」
廊下を歩くと仕事中の方たちに出くわすと、端に寄って丁寧に頭を下げてくれてくれた。仕事中だから必要ないと家宰さまに通達をお願いすると、それも彼ら彼女らの仕事のうちだと言われた上に貴族とは何たるかと説かれてしまった。
時折、家宰さまの名前をうっかり口にしてしまい怒られる――怒られるというよりも呆れられている方が大きいかもしれない――ことがある。お貴族さま出身のみんなのことを『さま』付けで呼んでしまい、まだ平民気分が抜けないのかと深いため息を吐かれてしまう。
生まれた時からお貴族さまではないし、こちとら転生した身の上でそちらの世界は身分制度が廃止されている国だった。慣れないのはその辺りにも原因がある。世界に馴染むって難しいねと、頭を下げてくれている方たちを横目で過ぎて図書室へと辿り着いた。
『増えてるね』
「増えてるね。面白い本があるといいけれど」
おすすめの本はないかなと机の上を見ると、何も置かれていない。残念と視線を机から外して本棚を見る。以前に見た時よりも確実に本の数が増えていた。魔術関係のものが充実しているのはロゼさんが副団長さまから借り受けたのだろう。私もいくつか副団長さまからおすすめの魔術本を頂いているため、興味のある人が読んでいる姿を見たことがある。
冒険や恋愛を描いた著作物もあるなあ。この辺りは年若い方たちが選んで持ってきてくれたのかも。ふと、魔獣とか幻獣といった幻想生物についてが書かれてある分厚い本が目に入り手に取って中を軽くめくる。
『セレスティアが置いたみたいだね』
私の肩の上で本を覗き込んだクロがくつくつと笑う。本にはところどころにしおりが挟まれており、その項には竜に天馬にフェンリル、他もろもろの幻獣や魔獣に印が施されてある。
セレスティアさまの姿が一発で浮かぶから、本当に面白い。いつもはお貴族さま然としているのに、幻獣関係となるととたんに崩れてしまう彼女だ。おそらく今後会ってみたい幻獣や魔獣に印を入れているのだろう。
「えっと、地獄の番犬にケンタウロス、カラドリオス、不死鳥、雪男、エルダー・シング、夜鬼、バハムート……凄い所に印が入っているね…………」
趣味全開のラインナップに見えるし、後半はなにかヤバいものも混じっているような。ここは異世界で『ク』のつくヤバい概念なんてないはずだけれど。でも乙女ゲームの世界というならば作った人たちに好きな方が居れば、存在しているのかも。会うことはないだろうし、一生会いたくもないけれど。ヤバいから。
「バハムートって言っても、竜だからクロと一緒な気がする」
イメージって竜そのものだからクロとかディアンさまたちと変わらない気がするけれど。
『ちょっと違うかな。バハムートの原型は巨大な魚。竜になったのは人伝えがいろいろと混じって変わったみたいだねえ』
長く生きたご意見番さまの記憶から引っ張り出してきたクロが教えてくれた。
「魚かあ。美味しいのかな?」
駄目だ、島の話を聞いているのでお魚さんと聞くと食べたくなってしまう。今度島に釣りにでも行く計画を立てようかな。お姉さんズは転移魔術陣を敷くようだから、近いうちに叶いそうな気がする。
『どうだろうね。大きいから捌くのが大変そうだ。ナイ、幻獣を食べるつもりなの?』
確かに。巨大包丁が必要だし、焼くのも大変だろう。美味しいなら
「食べられるなら。あと死んで直ぐなら傷んでないし、もったいないからね」
『モッタイナイ?』
そういえばもったいないって感覚は日本人特有だったか。海外の方たちには伝わり辛い感覚だと聞いたことがある。
「命を粗末にできないでしょう。食べるために狩りをしたのに残して捨てるなんて冒涜だよね。ご飯を残すのももったいないし」
孤児組にはご飯を残すなんてあり得ない、もったいないと言えば意味は通じたから、生きている環境で意味が伝わり難かったり、分かりやすかったりするようだ。
『ああ、なんとなくナイが言いたいことの意味がわかったよ』
それは良かったと本を棚へと戻して違う所を見ると、なにか雰囲気が物々しい場所を見つけてしまった。肩の上に乗っているクロも気づいたし、床の上に居るロゼさんとヴァナルも固まっている。
「見なかったことにして良いかな」
『あとでもっと酷い事態にならない?』
うぐ。確かに、今放置すればあとでもっと大変なことになりそうだ。意を決して禍々しいオーラを放っている場所に立ち、念の為に浄化儀式の際に使う詠唱と多めの魔力を注ぎ込む。
掛け終わると物々しい雰囲気が、しおしおと萎れて普通の本と同じ雰囲気になった。よかった。髑髏の幽霊に通じなかったから効果がないのかと不安になっていたけれど、対象となったモノに問題があったのだろう。今回はきちんと効果が発揮され、浄化が成功したようだ。
「何でこんなものが……」
浄化は済ませたので、ひょいっと手を伸ばして分厚い本を取って中を確認する。ペラペラとめくって目を通すと、見ては駄目な文字が踊っていた。
「………………誰が持ち込んだの!!!」
そのまんま『ク』が付く関連じゃないか! これだけはヤヴァいから! いろいろと不味いから! というかこの世界は乙女ゲーの世界っ! 誰がこんなもの持ち込んだのさ!
頭を抱えながら、創造主に恨みつらみを重ねる。出てこない可能性の方が高いけれど、念には念を入れておいた方が正解だろう。焚き上げたほうが世界平和の為だと頭に過ると、本がブルブル震えていた。
『ナイ、どうしたの?』
「この本だけは不味いから……駄目だから……暗黒の世界というか怪異の世界になっちゃうよ……」
『え?』
「やっぱり焚き上げ……」
むーと悩んでいると、ロゼさんが足元にやってきて体を伸ばし、私の足首に絡んだ。
『マスター。その本、燃やしちゃ駄目』
「ロゼさん、どうして?」
『マスターが浄化してくれたから、危険度は下がった。なら中身の価値で推し量るべき』
ロゼさん語彙力高くなったなあと感心しつつ、どうやら浄化魔術によって危険な領域からは逃れたようで、真っ当な魔導書に戻ったそうだ。魔導書って、この世界にそんなものがあるのかと驚きつつ、変態魔術師が書いたもので世には出回っていないものだとか。
妖精さんたちが拾って、子爵邸の図書館にこっそりと忍ばせたそうだ。ロゼさんは存在をしりつつも、手は出せないし脅威はないからしばらく放置でも大丈夫と判断したそうだ。禁術に秘術が沢山記されているらしいから、興味があるんだって。
『マスターの魔力が流れたから、マスターが本の持ち主!』
いや、そういう訳にはいかない。こういうものに興味がありそうな副団長さまにでもプレゼントしようと、手に持った魔導書を眺めると装飾された表紙がキラリと光ったような気がしたのだった。