0495:モブくんと父親。
――デカい。
学院の宿舎から見えるアルバトロス王城はデカいなと、数ヶ月前まで呑気に俺に割り当てられた部屋の窓から覗いていたが、まさかその場所に足を踏み入れることになるだなんて。
それも俺の父親であるメンガー伯爵と一緒にだ。城からの使者に、親父はさぞ驚いたことだろう。片田舎の伯爵領に、城からの使者がやって来るなんて考えていなかっただろうし、陛下に会うのも代替わりの際に行われる叙爵式くらいだろう。
「エーリヒ」
「はい」
城から寄越された迎えの馬車に親父と一緒に乗り込み、今まさに城の中へと入る正門を抜けた所だった。親父は俺の名を呼び神妙な顔で見ているが、一体何を言われるのか。そしてこれから何が行われるのか。嫌な予感しか湧かないがどうにか乗り越えるしかないと腹を決め、返事をした俺。
「私は確かに黒髪の聖女との縁を繋げと言った。――しかし、こんなことになるとは聞いていない」
俺がアルバトロスに提出した報告書は、今回のアガレス帝国拉致事件を親父にも知ってもらう為、同じ内容のモノと国が作成した報告書がメンガー伯爵家に送られている。
内容の無茶苦茶振りに、頭を抱えたそうだ。俺だっていまだに信じられないし、夢じゃないかと頬を抓って現実かどうか確かめる時もある。だが、起きたことは事実であり消すことなんてできない。
「何故お前が、アガレス帝国が執り行った黒髪黒目召喚に巻き込まれるのだ。あまつさえ聖王国の大聖女と縁を繋ぎ、帝国の皇女殿下とも顔見知りの仲となったのだろう?」
親父は予想外の出来事を上手く咀嚼できないようだ。俺だって今でも信じられないのだから、書類でしか知らない親父の気持ちは理解できる。帝国の第一皇女殿下と知り合いになったのは、ミナーヴァ子爵のお陰だ。
別れ際に帝国から――正しくは第一皇女殿下からだ――謝罪の手紙を頂き、当主である親父に渡すよう仰せつかった。返事の手紙を書かなければならず、上手く事が運べば帝国との縁ができる。親父もここまで話が大きくなるとは考えていなかったようで、頭を抱えていた。黒髪の聖女との縁なんて望むからだと、声を大にして言いたくなる。
「俺が巻き込まれたのはとある理由からです。父上に伝えてよいかどうかの判断は、ミナーヴァ子爵と聖王国の大聖女さま、そしてアルバトロス王国次第となります」
だから俺が転生者であることは、まだ父に告げることはできない。ミナーヴァ子爵は自身が転生者であることを、アガレス帝国へと迎えにきたハイゼンベルグ公爵をはじめとした方々にあっさりと告げていた。隠すつもりは微塵もないようだから、その辺りは上手く調整するつもりなのだろう。転生者であることは誰かれに告げられることではないから、慎重に考えるだろう。
俺はメンガー伯爵家のみんなに告げることは出来るだろうか。
ミナーヴァ子爵は後ろ盾である公爵閣下に話していたし、特進科の公爵令嬢と辺境伯令嬢にも伝え、専属護衛騎士にも教えていた。亜人連合国の竜やエルフにも。
みんなに吹き込んで良いようなことではないのは理解しているだろうに。隠していても仕方ないと割り切っているのか、単純になにも考えていないだけなのか。ナイ・ミナーヴァという人間の在り方に、不安を覚える。ただ尋常でない魔力量は、そんな彼女を守る為に必要なものなのだろう。
アガレス帝国から戻る際に見つけた島で、彼女は島に魔力を注ぎ込んだ。何故そんな行動に出たのかは分からないが、気絶した彼女を困った顔で見ていたエルフの二人が『私たちがもっと大きい島だったらいいな~って言ったから』『まさかあんな魔力量を注ぎ込むなんて』と困惑と驚きが混じった声で告げた。
魔力を込めただけで島が大きくなるはずなんてあり得ないが、ミナーヴァ子爵はやらかし過ぎているから、魔力を注ぎ込んだ分だけ島が大きくなるのではと踏んでいる。
――自分の為ではなく誰かの為だったようだ。
ミナーヴァ子爵はアガレス帝国に拉致されてから、力のない俺たちの盾になってくれていた。こうして無事にアルバトロスへ戻ってこられたのも彼女のお陰だ。帝国で役立たずだからと見捨てられていたかもしれないのだから、彼女に足を向けて眠れない。
これからどうなるか分からないが、学院生活はまだ二年ある。彼女に振り回される未来があるのかもな。大聖女さまも新学期から、アルバトロスへ留学するようだし。騒がしく……なるのだろうなあ。
「エーリヒ。メンガー家を切り盛りしていく気概はあるか?」
なにか考える様子を暫く見せていた親父が真剣な目で俺を見た。その目は父親ではなくメンガー伯爵家当主としてのもの。
「は? 何を言いますか父上。メンガー伯爵家の次代を担うのは兄上です。俺が出る幕などありません」
そうだ。次代は長兄が担うことになっているのだから、仮にそうなれば兄上は反対するだろうし、次兄も長兄を支えると決めているのだ。若輩者の俺が急に爵位を継ぐとなれば、二人と周囲の者たちが揉めるのは分かり切っているだろうに。親父は一体何を考えているのだと、俺も親父の目を確りと見る。
「お前はメンガー伯爵家に新たな可能性を見出そうとしている。これからを考えるならばお前が爵位を継ぎ、家を盛り立てていくのも一つの道だ」
いやいやいやいや。俺は学院を卒業して、適当な職に就くと決めている。メンガー伯爵家のことは一切関知していなかったし、今更教育を施されてももう遅いだろうに。そりゃ長兄と次兄が俺の補佐に回ってくれれば、どうにか形にはなるかも知れないが、そんな急に方向転換しても上手く回る訳がない。
「兄たちは私が説得すれば良い。お前以上の功績を齎せと言えば黙るに違いない」
「お待ちください父上。俺はまだなにも成し遂げていません」
俺の言葉にはあと溜息を吐く親父。
「お前は欲というものがないのか……? 男だろう。こう出世や武勲を立てて爵位が欲しいとか思わんのか?」
「俺は普通に、穏やかに生きられればそれで構いません。大きな夢は実力が伴わなければ身を亡ぼすだけです」
乙女ゲーム一期の主人公アリス・メッサリナと銀髪オッドアイの男のようになるだけだ。空気を読まずにアガレス帝国側に取り入ろうとしたのは蛮勇としか思えないし、仮に向こうに気に入られたとしても都合よく扱き使われるだけの未来しか見えないが。大聖女さまの話によると、アガレス帝国も乙女ゲームの舞台だそうだ。俺はそのゲームをプレイしたり配信を見ていないので知らなかったが。
皇子十五人攻略対象という大盤振る舞いなゲームだが、シナリオが破綻している気がする。そもそも第一皇子が両刀ってどういうことだろうか。夢を見る女子たちが嗜むゲームだというのに、作品内で両刀だと分かって発売日翌日から苦情の電話が鳴りやまなかったとか。炎上商法かと訝しんだが、確かめる方法がないので予想の範疇から出ない。
「貴族としてもっと欲を持て。――話はここまでか」
親父が更に真剣な顔を浮かべて、馬車の窓の外を見る。どうやら城の馬車停に辿り着いたようで、ゆっくりと止まったあと御者が扉を開けた。
迎えの近衛騎士の後を付いて歩き、とある一室へと辿り着くと一人の御仁が椅子へ腰かけていた。俺たちを認識すると、座れと椅子を指す。親父が珍しく緊張した様子で席へと付き、俺も親父の右隣に腰を下ろした。
「呼び立ててすまぬ。まずはこちらに目を通してくれ」
そう俺たちに告げて、書類を広げる。後で親父から聞いたが、目の前の人物は宰相閣下だそうだ。侯爵家当主でアルバトロス王国歴代宰相を務めている家なのだとか。そりゃ親父の緊張も仕方ないなと苦笑いするが、俺はもっとオーラが凄い人物と話したことがあるので、親父の緊張をこの時は理解できなかった。
ハイゼンベルグ公爵閣下のオーラは宰相閣下の比ではない。軍を司る人物故の威圧感が凄かった。豪快な方ではあったが、きちんと筋は通す人で今回巻き込まれたことを心配してくれたから。いろんな意味で。
「……こちらは真でございますか?」
「真実偽りない。本物の書状であるし、アルバトロスからも見舞金を出す」
これも後で親父から話だ。アガレスの皇帝陛下がアルバトロスへ頭を下げに来るから、親父と俺も出席すること。
聖王国から大聖女さまと行動を共にしたことの謝礼、アルバトロスからの見舞金。そしてアガレス帝国から補償金が出ると。結構な額となる為に親父は腰を抜かしそうになったようだ。
黒髪の聖女であるミナーヴァ子爵から手紙がメンガー伯爵家宛てに送られていた。内容はアガレス帝国では世話になったこと、大した品ではないが子爵領で採れたトウモロコシや芋を送りますと。
良かったな、親父。俺だけじゃなく、親父とミナーヴァ子爵の縁も繋がったぞ。親父たっての希望だったのだ。上手いこと彼女との縁を繋ぎとめてくれと、左隣で煤けている親父に視線を送る俺だった。